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私は大学4年です。 が、現在私は本来大学内で書くべき卒論を指導教官の許可を得て自宅療養しながら書いています。自宅療養というのは、今年の始めにうつになり、その後不安による心身症が出てきて先月から大学に行けない状態になったためです。今現在は多少波はありますが以前よりは落ち着いています。発症のきっかけは研究室の活動におけるトップの人やその人をとりまく同僚との考えや価値観の不和によるものでした。トップの人の考えは絶対で、以前に却下された案もその人がいいと言えば周りも肯定し、その人の考えに合わない・その人が嫌った人間はその周りも裏で見下されるというような構図でした。私は彼女の考えとは合わず、上記のような構図自体も嫌でした。始めのころはうつもあって彼女の言うことが理解できないのは全て自分が馬鹿だからだと信じ込んでいました。意見を言っても彼女たちの考えに合わなければ否定されるため、言われるがままにやるだけでした。「私の存在意義って何なんだ」と思っていましたが、自分は能力がないから仕方ないと信じていました。しかし10月にある方に「何で却下されたの?俺はこれのほうがむしろいいと思うけど」と言われ、「自分は駄目だったわけじゃないんだ」と思えるようになり、自分なりに導いた考えをトップやその周りの人に言って批判されても反論し、意見がその時初めて通り、その後も自分の意見をきちんと述べるようになりました。今後も批判されても対抗できるように次の会議までに自分の考えをしっかり決めていこうとしていましたが、そのうちに「早く見つけなければ、また前のように言われるがままの存在意義を見い出せない日々になる。早く考えなければ」と強迫観念のようになり、吐き気などの心身症がひどくなり、会議の部屋に入ることができなくなりました。トップの人やその周辺以外の先輩方に、精神的なことや自分の考えは主観的でおかしくないかや会議等での悩みを相談させて頂いていたのですが、その方々から「もう休んだ方がいい。十分頑張ってきたよ。」と言われ、私自身も心身ともに限界がきていたため許可をとり上記の通り自宅療養をしながら卒論を書いているという状況です。
 休むようになってから調子のいいときに不登校や自殺者数・その社会的背景などの本を読むようになり、今まで知ってはいるけどきちんと見ようとしていなかった人達のことを知るようになりました。私自身も今は不登校状態で精神疾患にもなり、中学時代からも自分は「皆」という集団の中でいつも「少数派」の人間だと思っていました。現在教師を目指していますがその理由も、受け持つ生徒の1人でなく「私」を見てくれた恩師がいたこと、自分の考えを貫くため周りからは冷笑されているが一斉授業をしたときに『しかたない』の一言で捨てられる一部の少数の生徒のことを何よりも第一に考えている恩師と出遭ったからです。私も周りからどう言われようと「少数派」の子どもたちのために教師になって大切に育んでいきたいと思っています。しかし現在はこのような様で、大学にはいけますが未だに会議をしていた棟には近づくことにも抵抗があります。一応薬も飲み、家事や卒論などをしたりノートに自分の気持ちを整理して客観的に見てみたりなどをしていますが、まだ安定しているのは家にいるからであり、復帰して非常勤など就職したら再発するのではないかと不安に思っています。未来のことを心配しても仕方ないとは思いますが、「再発するのでは」ということがとても不安で怖くも思っています。障害児教育を専攻し発達障害の子への支援活動をしていたこともあり、今現在は通常学級内の発達障害の子への支援や特別支援学級の講師、適応指導教室の講師を希望しています。が、現在こんな状態で精神疾患になる教師が多い教育現場で私のような人間がやっていけるのか。再発して迷惑かけるだけなのではないか。こんな状態で守ろうと思っている子どもたちのことを守れるのか。こんな人間が教師をできるのか。こんなことを考えて、拭おうにも拭いきれません。
 率直なご意見をいただければと思っています。よろしくお願いします。

A 回答 (11件中1~10件)

No.1で回答した者です。



今回はご質問者の方に、時間的余裕があれば見ていただきたい映画(もちろんレンタルで結構です)をご紹介したいと思いました。

1本目は「崖の上のポニョ」です。ご覧になりましたか。これは私の個人的な解釈(見方)であることをお断りしておきます。

これはハンディを持った者(ポニョ)が普通の社会(人間世界)へ受け入れられていく物語ではないでしょうか。海に住む者(ポニョ)が陸上の人間社会で暮らそうとするのですから。
ポニョに手足が生えるシーンは、自分だって普通に暮らしたいのだという強い意思の表れだと思いました。幸い、ポニョの周囲(人間社会)はいい人たちがほとんどでした。

2本目は「青い鳥」です。日本映画で、阿部寛が主演です。原作は重松清です。
この先生は吃音で中学校国語の先生です。ハンディのある先生です。
前任の先生が、いじめによる生徒の自殺未遂(その後転校)を機に療養中で、回復するまでの臨時教員です。阿部寛演ずる先生は、そのクラスに自殺未遂の生徒が使っていた机と椅子を入れます。
生徒たちは、嫌みと受け止めますが、これは「責任だ」と言います。君たちが彼のことを忘れようとしても、彼は君たちのことを絶対に覚えている、だから責任があるのだ。

ラストの方での言葉は印象的です。
教師ができることは、生徒のそばにいてあげることだけかもしれない。運が良ければ何かを伝えられるかも知れない。

いずれも作り話と言ってしまえばそれまでですが、教員を目指すなら、見ていただきたい映画です。

教員に向いているかどうか、No.1の時と同じで、やってみなければわかりません、という回答です。

ハンディのある人を大切に(親切に)、と学校では生徒たちに教えるはずです。学校という組織が、広い意味でハンディを持った人をサポートできないのが現状なのでしょう。
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関係ない気もしますが うつの薬の中には


「重うつを治すため あえて軽うつにしてみる」
てな よく分からないブツもあるので

薬を飲んでいる限り うつが完治しないケースも
あるみたいですよ 医者も商売だから ええはい
聞かれないとしゃべらない気はしますが、むしろ

飲まずに済ませられるなら そのほうが良いかと
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我が家の二男坊、現在小2。


小1の4月の入学式が済んで2週間程して、同級生から暴力を受け
暴力だけでなく、その暴力が原因のケガで通院もしました。
教室へ入れなくなり、2学期途中から保健室登校を併用するも
3学期は完全不登校となりました。
現在、クラス替えの配慮と学校全体で担任配置考慮などで
4月からは徐々に戻っていますが、12月は出席0の不登校気味です。
実は、同級生からの暴力だけが原因ではありません。
担任との関係が壊れました。
担任は、ストレートで大学卒業そして新卒で教員になられた方です。
1年目は長男のクラス(当時2年生)を持ち、大きな問題は無い状態。
(おや?と思うような事はありましたが、特に気にしませんでした。)
2年目に二男坊のクラス、1年生を担任しました。
4月の中頃から暴力を受けていた為、担任には何度も連絡しました。
注意などは担任に任せておりましたが、4月末の授業参観での光景は
30人中、7~8人が立ち歩き、黒板に落書き、掲示物をはがす
自分の保護者が来ていないからと言って暴れる、机を蹴飛ばす
上靴を投げ飛ばす、喧嘩が勃発、無残な状態。
そして、その状況からか、7~8人がずっと私語雑談。
残りの子達が、座って静まるの、指示があるのを待つ状態でした。
暴力を振るっていた立ち歩きメンバーのうち、4人ほどが頭角を現し
5月に入り、通学に使用する電車の最寄り駅で、二男坊が背中を押される
GW明けには、座っていたら突然肩を蹴られブラウスに上靴の型が。
もちろん、二男坊以外にも被害児童は多くて突然花瓶で頭を叩かれる
筆箱を投げつけられ2針のけがという事例も出ました。
春に行われる検診などの日に、保健室から戻ってくる子達を待ち構えて
教室の入り口で1人ずつ平手打ちをしした子どももいます。
あまりの暴れ様にストレスを感じた児童さんでアレルギー症状が出て
アトピーの悪化、全身の皮がめくれるなども。
5月末には、二男坊は眉間に青あざ、唇は切って出血で帰宅。
担任は、きちんと聞き取りをせず、加害児童の言い分ばかり聞いて
めちゃくちゃな仲直りを無理やりさせて終了させようとしていました。
その頃には、担任1人では教室内を抑えることが出来なくなっていました。
校長には「担任が2年目。私たちは担任を育てないとけない。」と。
そのうち、更にけが人が続出。市教委の知る事となりました。
6月には授業参観後に学級懇談。異例の2時間強という時間。
担任はきれいな話ばかりしようとしたので、被害児童のうち1人の父親の
「ぶっちゃけな話をしましょう。大変な事になっているんでしょう?」に
泣きながら、クラスの状態をそれでもオブラートに包むように話しました。
2学期にはうちの二男坊が暴力を訴えるも、殆どの案件が放置状態。
二男坊が話した事と全く反対の内容報告をしてきたりとなり
「先生は嘘をついている!」と二男坊が担任を拒否し始めました。
油性ペンで落書きされた筆箱に関しても「あなたがしたんでしょう。」
「あなたがしたのを見たと言う友達がいますよ。」と、二男坊の言葉を
全否定する言動もあり、これが決定的となりました。
クラス内保護者からも「ちょっと担任の様子がおかしくない?」と聞き
話を聞くと、制服が無くなったと訴えても「余ったのを着ていなさい。」
保護者に連絡が無かったという内容や
教室で突然泣き始めた。子どもが理由を聞くと、ある女の子を名指しで
「あの子が1人で学校に来れない、お母さんと離れたくないというから。」
そのうち、カウンセリングを市教委から紹介で受けるようになった二男坊
カウンセリングの為に早退をするのですが、その為の連絡帳を見せると
「あなたには、早退しないで学校で勉強して欲しい。」
「もっと長い時間、学校にいて欲しい。」と言ったと二男坊が言いました。
市議会にも小学校の学級崩壊と質疑が出され、学校全体が嫌なムードに。
最終的には、二男坊は3学期完全不登校となりました。
嘘を付いたか否かも無言、二男坊の心を傷つけた意識は?にも無言。
遠回しに、とある先生から担任がしんどくなったみたいだ、と聞きました。
あなたには、この現状がわかりますか?
新卒1年目は問題が無かった、2年目でクラス内がとんでもない状態に。
しかも受け持ったクラスから不登校児童まで出た。
その児童に対しての言動が、市教委でも問題になっている状態。
担任は、加害児童の保護者に対し、いじめの事実をきちんと話してません。
また、こちらに対してもきちんとした説明がありません。
「知らない・見ていない・聞いていない・わからない。」と答えるのみ。
私には、あなたにとってはしんどいんじゃないかなと思います。
それは、二男坊の父親・・・つまり私の主人がうつ病だからです。
病名は「反応性抗うつ」。ご存知かも知れないですね。
治療を始めて・・・3年経ちました。もちろん現在も治療中です。
教職ではないですが、先生と呼ばれる立場で仕事しています。
幸いにも、従業員のみなさんの理解が得られてアシストしてもらい
仕事を飛ばすことなくしておりますが、少なからず薬の影響もあり
睡眠時間がきちんと決まっておりません。
自分のペースでできる仕事なので、まだ何とか大丈夫ですが
学校の先生となると、やはり1日のペースは決まっているし
行事になると時間配分など、決まりごとが多いわけです。
病気だから、という甘えは出せない職業です。
なぜなら、今も私は説明の無い学校に何度も話していますが
「学校は子どもが学ぶ場所。成長していく場所。先生の為の場所じゃない。」
簡単にお休みできる仕事じゃないですよ。子どもが待っているんです。
自信が無いなら、子どもがかわいそうです。
そして、私みたいに納得できない!と苦情をきちんと言う保護者もいます。
対応できますか?
ちなみに、二男坊の不登校原因の1人となってしまった担任は
現在、小学校内の支援学級の担任をしていますよ。
新卒だから、自分で辞表を書かない限り、あと1年は転勤が無いです。

税金云々の話ですが、正直、私も思っていますよ。
あんな先生の為に税金払って、うちの子は小児うつ状態にさせられて。
はずれくじ引いた、最低最悪って、本当に思っています。
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ご丁寧な返答・補足、嬉しく思います。


目指したいのであればどうぞ頑張って下さい!
ただ質問内容が「教師に向いているかどうか」でしたので、「向いていないと私は思う」という意見です。わかりませんけどね、結果的には素晴らしい先生になられているかも知れません。ただ・・・それは結果論ですが。

あと、そうですね、「子供っぽい」発言についてですが、あなたのおっしゃる通り、まだ大学生なのですから、それはそんなものなのかも知れません。個人差もありますが。

うちの子供の今年度の担任が、大学をでてまだ2年しかたっておらず、クラスがまったくまとまらず、多動症の子もいれば、激しいケンカをする男児も多く、ケガ、骨折、歯が折れる、などもしょっちゅう。女の子は陰険ないじめがあったり、それをフォローすることもできず、学校には親からの苦情のあらしだそうです。担任ではもうどうしようも出来なくて、教頭先生が代りに対応していますが、それがまた「担任は何をやってる、教頭は生徒を知らないのに!」と担任の頼りなさに苦情が・・・ 
去年は去年で、30歳くらいの先生だったのですが、個人面談が今日から始まるという、まさにその日から学校に来なくなり、そのままウツでご入院されました。

かくいう私も教師でして、が、相手は高校生です。貴方のような先生が周りにいたら・・・ 気を使いますね。
個人的にはサポートしてあげたいと思うでしょうが、バタバタの現場では、そうも言えないかなあ、と。

>税金のけん  >真剣に思っているのですか?

真剣に思っています。が、それと同時に、税金は障害者や高齢者、子供たち、ひいては自分自身にも使われ、支えられていますので、仕方のないことだと思っています。
ただ、ぞっとするというきつい言葉にまで発展したのは、結果的に鬱で入院されたのと、最初からその可能性を知っていて教師になるのとでは違うかな、と思ったからです。
子供たちの命を将来にもかかわる大事な時間をおまかせするわけですので、責任は重大ですよ。その重責に貴方が苦しまれる可能性があるのならば、心の病気のある方と分かっていて、おすすめできる仕事・任務ではありません。貴方にも貴方の大事な命と将来がありますので、それも大切です。

現場の親御さんたちは(最近のママたち、怖い人多いですよ~)遠慮なしにバンバン貴方にクレームをつけてくるかも知れませんよ。
「ぞっとする」の言葉に胃を痛めたりしているようでは、貴方のことが心配です。おすすめはできません、教師に・・・。 
逆に貴方にとっていい影響をあたえる仕事と結果なる可能性もありますけどね。
あくまでも私の一意見ですので、あまり深く気にしないでください。

貴方を傷つける目的などもちろんないですよ、素晴らしい未来はまだまだこれからです。どうぞよい進路が与えられますように!
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先に書かれている現職の校長先生と基本的に同意見です。



どう考えても、あなたのような方が学校の現場で教師になるのは向かないと思います。

>まだ安定しているのは家にいるからであり、
>復帰して非常勤など就職したら再発するのではないかと
>不安に思っています。

それもおおいにありますし。

学校の先生になろうと思ったら、相当な、相当、相当なメンタル面での強さ、体力、機転などがもとめられます。

生きた子供をあずかる(生命をあずかる)、そして教育もする、

あなたの文章をみていたら、とてもそれが出来る方には見受けませんでした。理屈ばかりでまだまだ貴方自身が子供でいらっしゃいます。

それと・・・他の方も指摘されていますが、、、そもそも、文章が読み辛いのですよ。
改行なしで・・・

このサイトは質問し、答えをもらうところです。
あなたの質問のしかたをみていると、あまり全体が見渡せないタイプというか、どうやったら相手に伝わりやすいか、いまひとつ考えが及ばないタイプなのでしょうか、そういう印象をうけました。
黒板に書いて、子供たちに説明しないといけない仕事ですからね・・・

最近、ウツで休まれる先生が多いです。
その間、「税金」でお給料を支払われるのかと思うとぞっとします。

大変辛口ですが、真剣に書かせて頂きました。

この回答への補足

〉学校の先生になろうと思ったら、相当な、相当、相当なメンタル面での強さ、体力、機転などがもとめられます

確かにメンタル面の弱さを否定できません。解決策が見つからないことへの焦りと、ちょっとしたことなどでの心身症の発症、弱い以外の何物でもありません。この面で「向かない」とご回答頂いたことは受けとめています。もっともだと思います。

ただ、

〉あなたの文章をみていたら、とてもそれが出来る方には見受けませんでした。理屈ばかりでまだまだ貴方自身が子供でいらっしゃいます

精神面で向かないと言われたのは分かりましたが、「理屈ばかりで」向かないとおっしゃられたことの真意が分かりませんでした。
私は社会にも出ていないたかだか学生です。まだまだ子どもで理想描くただの青臭い若造に過ぎないのも百も承知です。それでもって「出切る方には見えない」とおっしゃられたのか、それともこれを考慮しながらも私自身に(精神面以外の)問題があってそうおっしゃれられたのか。
また理屈ばかりだといわれるかもしれませんが、一つの言葉で胃を痛めて何も食べられなくなる状態の人間なので明確にしたかったのです。


文が読みにくいのは申し訳ありませんでした。このようにサイトに投稿したのははじめてだったのと焦りと不安でいっぱいだったため、文字数も制限があるため詰めないと伝えたいことが伝わらない・入らないかもしれない、と思ったからです。このような理由があったこともご承知して頂ければと思います。


〉最近、ウツで休まれる先生が多いです。
その間、「税金」でお給料を支払われるのかと思うとぞっとします

この言葉に一番ショックを受けました。真剣に書いてくださったことには感謝していますが、このようなことを心から思っているのですか?真剣に思っているのですか?
鬱は仮病でもサボりでもありません。むしろ自分の能力以上のことを自分に課して他人のために精一杯身体と心を壊してまでも頑張ろうとする、真面目で努力家の方がなることがほとんどです。そのような人達が鬱になることを自業自得・知ったことではないと切り捨てられるかもしれません。

けれど本人が一番自覚しているんです。頑張りすぎたからこうなったことも、もうすこし適当にやればこうならなかったことも、自分がこうなったために周りに迷惑をかけていることも。有給でお金を頂いている方はなおさらです。周りが休んでいると思う間も、自分を責め続けているんです。

なのにこの言葉を(私は平気ですが)その方々が読んだらどう思われますか?1つの言葉で生かしもするし殺しもするんです。特に鬱になられてしまった人には。

ここが悩みや疑問を抱いている人が質問する場であると承知であるならば、どうかこのようなことを書かないでください。

回答してくださったのにこのようなことを言うのは失礼なのかもしれませんが、お願いします。

補足日時:2009/12/15 18:27
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あなたの学んでおられる大学はずいぶん封建的な教育機関なのですね。

ゼミの学生同士でトップと呼ばせる生徒が存在し、しかも取り巻き連がいて、その連中が研究テーマを独占しているゼミがあるとすれば、担任教授の存在が如何なものかと言わざるをえません。教育学もサービス学・経営学、未知数性の多い要援児者の教育と密接関係の深
い医学や心療医療など多義にわたるゼミのカリキュラムをトップと称する生徒にゆだねる教育環境には、ヒュウマンリレーションのかけらもない前近代的な意識と組織にあきれるばかりです。うつになった方がまともな精神なのです。なんとか単位をとって来春卒業されることです。ただ、ハンデキャップのある人は、高齢社会の到来と共に、低年齢化が進みつつあり、その境がなくなりつつありますから、近未来の社会生活の中で大きなウエイトを占める分野になることは明らかですね。しかし、現代の要援学校教育は、義務化の形は出来ましたが、多くの要援児者に
認知、支持されないまま、分散、同化の方向えとさまよい、新学令など行政力の問われる段階にあるのではと思っています。どの校種にしろ卑しくも教師の道を志して学業を授けようとする人は、すべての生徒をましてや標準から下がろうとちている者、眼差しに輝きや力が失せている者えの差し伸べる勇気と行動力による集団づくりは欠かせない必須条件です。今の体験、講師での出発を糧にして、1年でも早く教諭になられやさしさと厳しさをもって生徒のため、教師仲間とご精励ください。
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この回答へのお礼

今日は一日気力が起きず卒論にとりくむことができませんでした。
ちゃんと期限内に提出できるのかなって、少し不安です。
いろいろあって、腹痛などの心身症もまた出てきてしまいました。

自分を救えなければ他人も救えるはずがない。それは分かっています。
こんな状態だから、現職の先生や経験者の方から「あなたには無理だ」と返事がきたのだということもわかっています。
darumaoi2さんはお優しい。ここに回答をしてくださった皆さんのこと、ありがたいと思います。

私は私を救いたい。将来私が救えるかもしれないほかの人のためにも。
これを乗り越えたら彼らを支える一助になれると思います。でもどうしたらそうなれるのかわからない。その答えが、わかりません。この1か月、答えを見つけようと思って本を読んだりノートに整理してみたりしていますが、未だに見つけられずにいます。心身症がまた出てきたのも、この焦りから来てる所も否定できません。

ごめんなさい、お礼なのに泣き言になりました。darumaoi2さん、ありがとうございます。

お礼日時:2009/12/15 18:26

>障害児教育を専攻し発達障害の子への支援活動をしていたこともあり、


>今現在は通常学級内の発達障害の子への支援や特別支援学級の講師、
>適応指導教室の講師を希望しています。

子どもが支援学級、支援学校でお世話になったものです。
支援学級に通うお子さんの中には多動など、動きが激しい
お子さんもいます。通常学級内の発達障碍のあるお子さんも
同じタイプの場合があるかと思います。そういうお子さんが
いれば、追いかけたり、必要ならば抱きかかえたりしなくては
ならない場合があります。質問者さまの現状の様子からすると、
これは困難ではないでしょうか。支援学校では、もっと動きの
激しいタイプのお子さんがいます。小学部だけでなく、中学部、
高等部ともなると、大人と同じ体格のお子さんを相手にしなければ
なりません。体力は必須です。

>私も周りからどう言われようと「少数派」の子どもたちのために
>教師になって大切に育んでいきたいと思っています。

保護者の一人として、こういう気持ちを持った先生がいることは
とてもうれしいです。ですが、多数派、という言い方は変ですが、
そういうお子さんや親御さんたちの気持ちは?とふと思って
しまうのです。クラスを担当してもらっても、少数派のお子さんに
力は入れてくれるけど、ごくごく普通のお子さんたちにも同様に
力を入れて欲しい、というのが保護者の気持ちです。ワガママかも
しれませんが、親というのは、どこまでも「我が子を一番大事に
見て欲しい」という気持ちを持っているんです。もちろん、それは
無理なことだとわかっていても。

長々すいません。普通学級での様子、支援学級、支援学校での
保護者としての経験から、生意気ですが、こういう意見がある、
ということを知っていただければと思い、回答いたしました。
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この回答へのお礼

私が関わった子に離席が多く周りの刺激で注意力が続かなかったり、嫌な活動があると暴れたり走っていってしまう子もいました。また実習(高等部)などで髪を引っ張られたりひっかかれたり腕をひねられたりなど色々ありましたが、子どもと関わっている間はストレスというよりもむしろ癒しだったので、その間は精神的に満たされていたのでむしろ元気でした。私自身も実習をやる前は不安がありましたが気力さえあれば体力はあとから付いてくることを知りました。私の症状は精神面から来るものなので、心が満たされていれば発症はしません。ご心配頂きありがとうございます。
実習であったのですが、「この授業でやると○○くんたちはついてこれなくなるけど、やむをえないよね」「みんな楽しそうでよかった。この授業は成功だと思う」(実際は付いてこれない子、何をしているのか分からなくてパニック気味になっている子など数名いたが授業者(現職の先生)からはそのことについて一言も触れなかった。検討会で指摘したところ「○○くんたちがついてこれないとは思っていた。今回は『ごめんなさい』ってことでやった」と述べられた)
どの子も大事な存在です。けれど上記のように授業に都合の悪い子は存在しないかのように、反省されることもなく続けられていることが実際にあるのです。ではその子の気持ちは?その子の親御さんの気持ちは?これはnoarinさんがおっしゃられたお気持ちと同じことだと思うのです。明るくて積極的な子は「みなければ!」とそれほど意識しなくとも自然にその子と関わることが多くなります。でも大人しくて目立たなくてペースが他の子よりもゆっくりな子は語弊があるかもしれませんが、無意識のうちに「皆」のなかから置いてけぼりにされることが多いのが実情です。私がお伝えしたかったことは、その子たちのことをけして見失わずに他の多数の子と同様に、1人ひとりに応じた支援をその子たちにも行なっていくということです。
当然のことだと思われるかもしれませんが、理想と現実には差があります。実際に「○○先生の言うことは正しいけど、理想論に過ぎないよね」と言い放った人もいました。この現実に私は納得できなかったのです。
誤解を招くような表現をしてすみません。回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/12/13 16:16

あえて、「無責任に」書きます。


あなたのような教師が、本当は世の中に必要だと思っています。

今のままでは、おそらくあなたは「良い教師」にはなれません。多数の児童生徒から好かれる教師にはなれないかもしれません。出世も難しいし、責任のある立場に立って発言力を持つことも厳しいかもしれません。

管理する立場から言うと、いわゆる「扱いにくい教師」ということになるでしょう。一歩間違えば、孤立無援です。

でもね。

私は最近思うのです。世の中、いい先生ばかりになってしまった。

若い先生たち、揃いもそろって優秀な方ばかりです。学校内での共通理解も、指導体制も、素晴らしいところばかり。ひどいところもありますが、昔に比べてそういうところの割合が激減したため、目立つのです。

その分子どもたちは、学校という環境の中で、いろんな人格に触れることが少なくなってしまっているように思うのです。犯罪的なことをする人は困りますが、子ども嫌いな先生、暗い先生、遊んでくれない先生、病弱な先生、服装のみっともない先生、…いろんな先生がいるからこそ、逆に心開いてくれる子どももいるのではないか…と私は考えています。

そういう先生が勘違いして、マスコミで騒がれるようなヒーローになってはいけません。でも、今の時代こそ、そうした「ちょっと外れた先生」の存在が、少数派の児童生徒の心を開いてくれるような気がしてならないのです。

もちろん、実際のところ、そういう先生が働くことは大変ですけどね。
できれば、敏感なところと、あえて鈍感にするところを使い分けて。
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この回答へのお礼

敏感なところとあえて鈍感にするところの使い分け、これが私の課題だと思います。何にでも敏感に反応して無駄に疲れたりするし、鈍感にする部分も何をどこまで鈍感にしていいのかが私には未だ理解できていない部分です。

私自信、小中高大ときて、今も尊敬し大きな存在となっているのはsongbookさんのおっしゃる「ちょっと外れた先生」でした。おっしゃったようにその先生方は職場でもなんとなく浮いている感じで、多数の生徒から毛嫌いされているところもありました。けれど私にはきれいごとを並べ立てたり、いつも笑顔で明るい先生などいましたが、私には(申し訳ないけれど)胡散臭く感じていました。そういう先生に限ってクラス内の目立たない、ちょっと浮いてる子を毛嫌いする雰囲気をもろに出したりもしていて、信用しようとは思えませんでした。

私が尊敬した先生方は一人ひとりのことを良く見ていて、周りからあまりよく思われていないのを「自分は少数派だから」と言って認めていましたが、少なからずつらい・寂しい思いはやはり捨てきることはできないのだと見ていて感じました。生徒の私にもその先生の悪口を普通に言う先生などもいました。けれど周りがどう思おうと、他の先生たちからは「集団だからしかたない」と切り捨てられた少数の子どもたちのことを自分が嫌われ役となって守るのが使命だとして闘っていました。私には、そんな先生こそが教師であると思いました。

私にその先生方のようなタフさや信念を持ってたとえ周りに毛嫌いされようとも貫き通す姿勢があるのか、正直わかりません。けれど少数派である自分が更に少数派である不登校状態やうつ病心身症になって、私が進む道は少数派の人の為に生きることだと悟りました。今の私には教師という選択肢しかないので、来年非常勤で自分がどこまでできるか、どこまで耐えられるのかを試してみようと思います。少しでも「ちょっと外れた先生」になれればと思っています。

貴重なご意見、ありがとうございました。身体と相談して、もう少し頑張ってみようと思います。

お礼日時:2009/12/13 03:09

中学の現職校長です。


教師にむいているかどうかはわかりませんが、今の状態だと教師は続かないし、あなたが苦しむだけだと思います。恩師の影を追いかけて教師を志したということですが、現場はそんなロマンチックなものではありません。
教科の指導は当然として、日々おこるけんかや悪ふざけについて、話を聞き、指導し保護者に報告する。けががあれば保健室と連携をとり手当をしてもらう。日々の指導やけんかやいじめの指導について保護者からクレームがくる。それに対して説明をし理解を求める・・・・といった営みを毎日続けるのです。
教師の資質として現場で思うのは
1.明るいこと
2.へこたれないこと
3.笑顔のいいこと
です。特に、保護者からクレームなどをつけられてもへこたれないことが最も大切な資質だと思います。
現場は、日々戦いだと思うくらいです。
また、現場としては心身ともに健康な人が必要です。50歳になっても学級が崩壊しうつで病気休暇を取った人もいました。担任が年度途中で2度かわり、保護者からは問い合わせが多数ありました。

今のあなたの状態ではおそらく教育現場で働くのは無理だと思います。特別支援学校にいけば、支援教育にかかわることができますが、普通の小や中ではまず担任を任せられます。休みはほとんどとれず、仕事は多く、子ども対応、保護者対応など、精神的にも肉体的にも激務の続くところです。
ただ、あなたがいろいろ悩まれたことは貴重だと思いますので、臨床心理士などのたちばで、子どもと関わっていくというのはどうですか。
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この回答へのお礼

療養中、教育現場の実態や年間100人前後の教師が自殺されていること、精神疾患にかかっている教師が5,600人いるという話を聞きました。亡くなられた方々の追い詰められた状況、支援を受けられない状況、「自分が無能だから悪いんだ」という自分責め、うつ、そして。彼らと私の違いはただひとつ、生か死か、それだけだと思います。彼らは私で、私は彼らになり得る。むしろ今現在、この状況にならなかったら学校現場の実態も知らず、人に内面のことを言うスキルもなく、どんどん1人で抱え込んで最後は同じ道に行っていたかもしれません。
でも私は彼らが弱かったからではないと思います。
まじめで向上心があって責任感もあり、自分を振り返り自分の弱さを見ることができる強い人達だったと思います。では何故彼らは倒れたのか、学生の身分で言うことではないのかもしれませんが、教育現場の教師を追いこむこのシステムに問題があるのではと考えています。これはsarahbeezeさんの力でどうにかなることなのかは分かりませんが、近年企業でもメンタルヘルスへの取り組みが進められてきています。「今後も出てくるだろうけど打たれ弱いのが悪い」と少数派を切り捨てるのではなく、「じゃあどうすれば防げるか」を一歩でも進めて頂けたら、現在闘病中の方も活躍できるのではないかと思います。特別支援の考えに近いですが、ニーズのある人々がいきいきとできる現場は他の多数派の人にも活動しやすい現場であると思えるのです。
学生の分際で偉そうな事を言ってすみません。けれどこれが現在の学校への願いです。
臨床心理士を考えたことも有りますが、臨床心理士に相談できる人はその時点で一歩を踏み出している人です。私が支え関わっていきたいのは誰にも相談できず一人で抱え込んでいる人。特に集団内における少数の子の立場や心情。それを理解し彼らが自信を肯定できるようになることが私の望みです。ですのでやはり不器用にしか生きられない彼らをこちらが見つけて支えられるような仕事につければと思っています。

激務に耐えられるのか、忙しさは異なりますが、来年非常勤をしてみて自分のキャパシティを現場で把握してから再度検討してみようと思います。
現場にいる先生ならではのご意見、参考になりました。有難うございます。

お礼日時:2009/12/13 02:35

小学校を含め、子どもに関する研究や現場経験のある者です。



お辛いですね。
小学校教諭云々ではなくて、ご自分の将来に不安を感じているようですね。
でもね、考えてもみてください。自分は先生に向いていると自信満々の人なんているのでしょうか。もしいるのなら、私はその人に対して警戒しちゃうかもしれません(笑)
人間、自信がちょこっとありつつも不安とも上手に付き合いながら日々過ごしているのかなと思います。

33koburaさんももうおわかりのように、教育現場は過酷です。夜遅くの会議なんて当たり前ですし、父兄の対応だって心底疲れます。本来なら授業の準備や教材研究、子どものために心も体も使いたいはずなのに、思う通りにはいきません。とってもハードな仕事なので体もくたくたになります。
実は私の同僚にもうつがひどくなった人もいます。怖がらすようでもうしわけありませんが、そういう過酷な現場であることは覚悟しておいたほうがいいです。うつも一人や二人ではありませんでした。
私は体が強く、頼りなくても一生懸命やっていたせいか、逆に父兄の方からは助けていただいていましたし、なんといっても子どもとの生活はかけがえのないものでした。喜びもたくさんあります。
私の同僚は頭もよく、まじめな人でした。よっぽど私より子どものことを考えていた先生でした。でもとっても傷つきやすくデリケートでした。ある意味ずうずうしさは必要な職業だと思うのです。

同僚は先生業を続けたいようでしたが、やはりバランスも崩してしまい、結局図書館での務めを始めました。子ども相手の読み聞かせをまかされたり、児童書のコーナー担当で、今はとってものんびり子どもとかかわりが持てて楽しいみたいです。まわりからみても、その同僚は教師という職業はきついのではないかと思っており、それでも本人はまだやりたいと思っていたので決心がなかなかつきませんでした(数年かかった)。本人が教師に向いていると思っていても、客観的にはどうかと思うこともあります。
もし33koburaさんも大学の指導教諭など相談できるかたがいらしたら相談してみてもいいかもしれないですね。案外こどもとかかわれる職業はありますから。

また、もし教師を目指すならどうか頑張りすぎず楽にね。
うつというつらい経験が、子どもの理解につながるはずです。いつも勉強ができてストレートにきた人は、子どもの辛さなどが理解できないことがあります。いろいろな人種の先生がいれば、子どもをいろいろな目で見られるわけです。きっと33koburaさんのお優しい気落ちが子どもにも伝わるでしょうし、人に言われて辛い気持を知っているのだからそういう子どもの気持ちに寄り添えるでしょう。それって子どもの救いになりますよね。

教員採用は通ったのですか?受かっていたら悩む時間は限られていますが・・・どういうご決断をされるかわかりませんが、よくよく自分の体調と相談なさってくださいね。
長文失礼しました。
ご参考までに・・・
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この回答へのお礼

今年の教員採用試験は落ちました。それに、ここでは選択肢になかったので小学校となっていますが、特別支援学校の教諭を目指しています(今年もそれで受けました)。小学校は実習で、この人数で少数派の子のことを見取ることが自分には無理だと思ったからです。
ですのでこれから非常勤or介助員をどこでやるかを決めるという状況です。小学校の産休育休代替はたとえあと3ヶ月ほど休んでもこの調子では無理だろうと思っています。なので収入は少ないけれど、自分のペースを優先にして決めていきたいと思います。

上記のように非常勤を探してみたりもしますが、iia_aiiさんのおっしゃられたように、一度先生や周りの人に客観的な意見を伺ってみようかと思います。また新たな視点が得られるかもしれませんね。参考になりました。

励ましとアドバイス、ありがとうございました。感謝します。

お礼日時:2009/12/12 19:22

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