
NHKのスペシャルドラマ「坂の上の雲」を見ていて思ったのですが、松山出身の登場人物が、「ありがとう」の意味で「だんだん」という言葉を使っています。
私は、松山市の出身で、登場人物たちの近隣地で生まれ、育ちましたが、「だんだん」という言葉を、全く聞いたことがありません。
出雲の友人が「だんだん」と言う言葉を使うのを聞いて、意味が理解できなかったほどです。
昔の松山弁に詳しい方にお聞きしたいのですが、明治時代、江戸時代末期の松山では、「ありがとう」の意味で「だんだん」という言葉を使ったのでしょうか。考証が誤っているはず無いのですが、解せません。
No.2ベストアンサー
- 回答日時:
私も、この「だんだん」が気になってた者です。
No.1さんのリンク先に、「だんだん」の使用地域があり、その中には「愛媛県」もありますね。
ただ、どこの地方でもやはり、古老の方が使うのみみたいです。
質問者さんのおばあさん(または、その知り合い)はどうでしょうか?
去年、NHKのTV小説で「だんだん」が放映されてましたね。
その中で、登場人物が「だんだん」と言うのがワザトラシク感じて・・・。
それで私も質問たててみたものです。
↓
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4462164.html
今回のは、たまたま、NHKのヒトが「『だんだん』は松山でも使ってた!」と知り、
「そういえば朝ドラでもタイトルにしたけど、全国から この言葉について疑問や批判が来たよな~。ここはコノ言葉を登場させて、国民に『ああ、あのコトバは出雲地方だけではなかったんだな~』って思わせてやれ!」
なあんて思って、またムリヤリ登場させたのではないでしょうかね?
tomajuuさんのたてた質問を見て、結構たくさんの方が関心を持っているのに、驚きました。
NHKのヒトへの見方。もしかしたら、真実かも・・・と思わされます。
No.3
- 回答日時:
昭和17~18年頃に雑誌に掲載された柳田国男「毎日の言葉」(新潮文庫)の「有難ウ」の項では、
「上方の人が「大きに」といい、又は「だんだん」といいますのも、元は「大きに有難う」、或は「重ね重ね有難う」の下略で、明治以降に始まったものと思われます。今に東京でも「どうも」だけで片付けるようにならぬとも限りません。」
そのほかにも、伊豆大島「トウテヤナ」、秋田北部「トドゴザル」、北信・越後「カンブンヤ」北陸「ウタテイ/オトマシイ」などの例も挙げています。
No.1
- 回答日時:
ありがとうございます。わたしも改めて調べてみて、愛媛でも方言として存在したことは、理解しました。
正岡子規や秋山兄弟は、所謂「松山弁」でも、「お城下」の言葉を使っていたはずです。本当は、その辺まで知りたかったのですが、次に故郷に帰る機会があれば、古老に聞いてみることにします。
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