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古典、助動詞の識別について。

こんにちは。助動詞「べし」の識別についての質問です。参考書の問題です。

帝、石山に常にまうでたまひけり。国の司、「民疲れ、国滅びぬべし」となむわぶる。

という文章の「ぬべし」というところ。
「完了+推量」で「ぬ」は強意になります。そして、「べし」を文脈から判断するということですが、参考書にはその解釈のプロセスがのっておらず、答えだけが載っています。

このべしは「推量」だそうで、わたしは「当然」だろう、と思ったのですが、なぜ違うのでしょうか。

わかる方教えてください。

A 回答 (3件)

「べし」が「当然」を表す場合というのは、今の言葉で「そうすベキ(だ)」「そうでなければならない」という意味が対応すると考えるとよいと思います。




 吉と書くベキところを古と書いてしまった。
 (書くはずのところを……/書かなければならないところを……)

当然は「…はずだ」と訳すと書いてある本が多いのですが、推量ととるべき場合の「べし」も、「きっと…はずだ」と訳せてしまうことが多いので、「はずだ」で訳せる→「当然」 と思ってしまいやすいのです。

当然というのは「その状態である/そうする のがあたりまえ」ということです。ですからここでは「民がつかれて、国は当然滅んでしまうはずなんだよ。滅ばなければならない。滅ぶべきなのである。」と読むと、もう達観してしまっているみたいで、なぜ小国の司がこう言って「わぶ」のか、苦しいですね。
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この回答へのお礼

ほぉほぉなるほど。そういった解釈をすれば確かにスパッと当然の線が切れます!目からウロコ、というか、感動しましたw

自分で質問してて、むずいだろうなぁって思ってて、もう時間も結構たっているので、あぁ、この質問はわからないままかなぁ、と少し落ち込んでいましたがお答えいただけて本当に嬉しいです。

ありがとうございました。

お礼日時:2010/02/14 21:44

#2の訂正です。


× 小国の司 → ○ 国の司
× なぜ…こう言って「わぶ」のか → ○ なぜ…こう言って「わぶる」のか
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この古文は「大和物語」の「172段 打出の浜」の一文のようです。


http://homepage2.nifty.com/zaco/text/ko/yamato.txt

おじさんは偏差値40の農業高校卒で、古典は趣味で楽しんでいます。
なので、おおよその意味は理解できるのですが、文法を解析しなさい
と言われても、??????????? の状態です。
はっきり言って、おじさんにはさっぱり分かりません。

現代語に訳してみるので、あなたが何故「推量」になるのか、考えてください。
http://homepage3.nifty.com/bunpou/jyodoshikatuyo … 
http://homepage3.nifty.com/bunpou/besiC.htm

亭子の帝は(近江に有る)石山(寺)に度々参拝された。
近江の国の国司は、
「(このままでは多額の出費や使役で)民は疲れ、国は滅んでしまうだろう」
と言って、何度も(いつも)哀しんでいる 
と、(いう噂を帝が)聞かれて、
他の国々の荘園などに命じ、その人達が物を運び、準備をし、
その後に帝は参拝された。
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この回答へのお礼

なるほど。古典を趣味で。それはすばらしいですね。自分もそれぐらい古典を好きになりたいです。

お返事いただきありがとうございますwしかし訳を見てもやはり「当然:推量」の区別はいまいちつきませんでした。ですがご協力感謝いたします。ありがとうございました。

お礼日時:2010/02/12 14:36

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