戦後、日本が奇跡的経済復興を成し遂げた理由。

敗戦後30年程度で、新幹線を走らせ、
アメリカという他民族国家を除けば、単一民族国家として世界第一の経済大国になった日本。

その原因はなんでしょうか。
あなたのご意見をお聞かせください。

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A 回答 (15件中1~10件)

余談ですが, 確かに大和級は 3艦しか作ってないものの, さらに大口径の主砲を持つ伊勢級 2艦 (伊勢, 尾張) の設計ははじまってましたね.


新幹線については戦前の弾丸列車計画が大きいでしょうねぇ.
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突き詰めれば、「明治維新における身分制度の廃止」がその要因だと思います。

身分制度廃止をお題目だけではなく、中身を伴いつつ実行した結果、勉強を頑張れば出世できるという、当時としては極めて公平な社会を作り、適材適所を達成できました。

つまり、能力のある人が活躍できて、能力のない人は既得権で守られることが少ない、という社会になり、必然的に国家としての日本が効率よく回ったということだと思います。

もちろん、当時の感覚でいう「公平感」なので、現代とは比べられません。また、税金納付額や性別によって選挙権も制限されていた時期があったので常に欧米と並ぶ最先端にいた、とは言いませんが、遅れて開国した割りには驚異的なスピードで選挙権の制限をなくしていきましたし、欧米では歴然として旧貴族階層とその他階層に分かれて職業や資産が出身層によって偏っていたのに比べると、日本では華族のような存在がありながらも、ほとんどの職業は民間人でも就くことができたという点で欧米に並ぶ、もしくはそれ以上に公平な社会だったと言えると思います。

だからこそ、WW2で敗戦してモノと金は失っても、技術は人が継承していたし、高い識字率を通じて国の意向が全国民に届いた。また、他国と違い、特権階級が持つ特権が許容範囲に収まっていたので、全国民が政府の方針を原則的に受け入れることができたことが経済復興の最大の要因だと思います。

技術云々とか、戦争特需とかも大きな要因だとは思いますが、戦争特需が原因だとしたら、ベトナム戦争で日本と同じくらい地理的に優位だった東南アジア諸国やオーストラリアだって経済大国になれたはずですし、技術の蓄積が要因であったなら、日本以上に技術と近代化の蓄積があったドイツは、日本以上に成功していたはずです。

ただ、そうした学歴をベースにした公平な社会が、今ではむしろ教育格差による階層の固定化を招いて制度疲労を起こしているとは思いますが。
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はじめまして



まず前置きとして日本は単一民族国家ではなく、アイヌという先住少数民族がいることをお忘れなく

経済的観点からいうと以下の条件が高度成長につながった思われます
●高い民間固定資本形成
日本は低福祉のため国民は他国に比し極めて高い貯蓄額があったので
銀行は多額融資を難無く企業に付与することが可能であり
企業はそれを設備研究に潤沢に注ぎ込めた

●政官財界が密接に協力し対外的には輸出主導、対内的には徹底した保護貿易的政策をとった
各企業には輸出促進させつつ、国内市場を高関税と複雑な規制で海外企業・製品の流入を極力阻止した

●基礎研究より応用研究偏重の研究開発
金にはならない基礎研究を行うより基礎研究結果は海外から取り入れ
金になる応用研究に力を入れる合理的な研究投資を行った
当然の事ながら海外からアンフェアという批判は出たが

●大々的な海外技術導入と模倣
世界のトヨタも50年代の対米輸出では技術的に海外製品に全く太刀打ちできず、一時撤退した
(伊のアルファロメオが50年の初回F1を含めインディを除くモータースポーツ全てで優勝
翌年優勝を阻止したのはフェラーリというような伊の高い自動車技術とは好対照だった)

鉄鋼もオーストリアからLD転炉法を導入し高品質化できた
戦前戦中では全くお話にならなかった日本の工作機械も米製の模倣で成長した

●国防安全保障が全くのアメリカ任せで防衛費負担が軽くすんだこと
日米安全保障条約は相互防衛条約でないため、日本は米の防衛に全く関与しないでいい上に
冷戦時の西独のように大兵力の外国軍駐留や多額の国防費という重い負担をしないでよかった
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今後は中国、インド、周辺下請け国に


抑え込まれると想定していますが、

多くの発展途上国は他国に保護を求め、植民地化して行きました。
朝鮮半島でも、ロシアを利用しようとした為に飲み込まれたと言っても良いと考えます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9% …

これに対し、明治政府は富国強兵政策でもって諸外国に対抗します。
治外法権や不平等な通貨交換率で経済は大混乱します。

維新政府の予算などはたかが知れていました。
この中で学校制度や郵便制度、鉄道、電信電話などの近代化を目指します。

郵便局は村の雄志の土地の提供で実現しました。
鉄道は枕木を使いました。電信柱の一部には大木を使いました。
学校の一部も、大地主による土地の寄付があったのだそうです。

日本政府はもちろん、国民も「国力」を付ける努力を惜しまなかったのです。

戦前の日本は綿布が輸出の大分を占めていました。
イギリスも綿布を中国市場に輸出していまいたので、
完璧に遅れていたとは考えにくいです。

違いと言えば、開発された航空機は何らかの形で採用されました。
採用しなければ財閥ですら経済的に危うくなるからでした。

これだけ競争力が弱く、
価格、質、生産性能力に問題があったようです。

こう言った努力がこれを可能とした訳です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%80%E5%BE%97% …

また、
MIL米軍規格
生産ラインと言う合理化、デパートと言うアメリカ商法を学びます。
昭和40年にもなると、東京の町工場はどんどん閉鎖されて行きます。

日本のエンジンは外国に大きく遅れていました。

バルブを増やす方法でどうにか追いつき、
現在は技術水準を維持している。

物は考えようでしょう。


そして現在の宅地化へ向かいます。
自動的に家内製手工業から大規模生産(重工業化)して行きます。


日本政府は悪なので、何も残らなかったと言うのは間違いです。

日本国民が総動員してこの山河を守ったからこそ、
日本だけは東西分裂を免れた。
また、指導者は責任を十分に取った。

こう考えます。

また、
分裂出来なかった戦勝国にも何らかの非があったのだと考えます。
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国民の大半が勤勉で、会社と言う「公」に対し滅私奉公的貢献をした。


東西冷戦の中、米国からは「成功モデル」を作る為の援助があった。
謙虚さを持ち、特定の国以外からは好感を得た。
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朝鮮戦争、東京オリンピック、そして右翼とアメリカンの暗闘マネーゲーム。

それらが自動車産業の需要を支え続けアメリカの憎悪を買うまでの一大メーカーにし続けた。自分の雑感としてはこんなところかなあ。
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幾つかの要因があります。



インフラがしっかりしていたこと(戦争での工場などの損害は40%です)
爆撃機『銀河』の開発(この飛行機の技術が新幹線に転用されました)
戦闘機『飛燕』の開発(この飛行機を設計した人がYS11を開発)
世界最大の航空会社『中島飛行機』の民需化(スバル360の開発)
世界に先駆けて開発した小型ディーゼルエンジン(戦車技術が土木器材技術へ)

これら、日本軍が研究・開発した技術を民間転用したので戦後復興が出来たのです。

戦争しなかったから戦後復興できたというのは妄想です。隣国やベトナムの戦争に軍需加担したから儲かったのです。
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エドウィン・O・ライシャワーさんが1977年に書かれた『ジャパニーズ』


1977 -- The Japanese Belknap Press は我々日本人を勇気づけてくれる本でした。 まだ1970年代で日本がこれからという時に日本人の持つ潜在能力の高さを世界に紹介して下さったのです。

この回答に役立たないかともう一度読み返しているところです。 

戦後の日本の大発展は(1) 東西冷戦という時代の波に乗れた、 (2) 憲法九条に守られた、 (3) 日本人の持つ勤勉な国民性、 (4) 戦後の財閥解体、農地解放により機会均等が保証され、努力が報われる社会となった。

私はこれにひとつ加えたい。 我々は素晴らしい先生方に恵まれたと思っています。 私は1940年代に小学校に入学しました。 『この子たちを立派に育て、日本を再び戦争などしない国に造ろう』という強い使命感を持った先生方に教えて頂きました。 今私があるのはこの先生方のお陰です。 本当に感謝しています。 
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戦艦大和型4号艦5号艦を作らず戦闘機開発もしない為



その分民間に回った為
朝鮮戦争における 朝鮮特需がきっかけですね。
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戦前から、戦艦大和に見られるように製造技術はかなり高かった。



戦後の経済復興を成し遂げた要因として、
1)東西冷戦。
2)都市交通網の確立。
3)安価な原油。
4)金融市場の安定。
5)大量消費を誘発する科学技術の進歩。
6)産業連関的波及効果の高い産業が発展。
7)資本を蓄積。
8)平等な社会。

このような様々な要因が重なり高度経済成長を誘発させました。
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Q戦後日本の急速な高度発展・技術革新の理由は?

戦後の日本は、奇跡とも呼ばれる超高度発展を遂げたと言われますが、
なぜ日本だけがこうした成長を可能にしたのでしょうか?
また、自動車産業やカメラなど日本が世界のトップシェアを誇る分野は多くありますが
成長当時の日本が世界に台頭してきたとき、世界の反応はどんなものだったのでしょうか?
分かりやすくまとめてある本やサイトがなかなか見つからないので
お勧めの文献などあればそちらも教えて頂きたいです。
分かりにくい文章で恐縮ですが、宜しくお願いします。

Aベストアンサー

素人ですので、常識的な回答を。
1.朝鮮戦争の影響。敗戦で産業が壊滅状態になった日本が急速に回復した第一の理由は朝鮮戦争に伴う、特需。後方補給基地として、アメリカが安心して食料や雑貨、資材の調達、船舶・車両等の修理、などができる国は、当時近隣で日本しかなかった。中国は東側、台湾は政権が成立したばかりで産業基盤がない、朝鮮は戦争当事国。となると、日本しか無い。
2.安保条約による軽武装・産業優先政策。
東西冷戦の中で、日本がアメリカの傘の下、軍事費に予算を使わずに産業育成に資金を使うことが出来た。極東アジアは当時東側の影響が強く、日本はその防波堤の役割を担うため、アメリカが軍事的に保護政策をとった。そのため、日本自身で軍事費を負担することが最低限で済んだ。そのため、産業育成に湯水のごとく資金を注ぎ込むことが可能だった。
3.政府による産業育成、保護政策
「日本は唯一成功した社会主義国」と揶揄されるほど、大蔵・通産等の業界保護政策、金融保護政策は徹底していた。有名な「護送船団方式」、外貨割り当ての政策利用。また、1ドル=360円体制を死守するなど、輸出産業育成を政策課題としたこと。

もちろん、国の基盤として、義務教育が浸透し、良質で均質な労働者が多数存在したこと、そもそも戦前からそれなりの産業基盤があったこと、などがこれらの背景にはあるでしょう。

外国の反応ですが、60年代 made in Japan と言えば、「値段は安いけど粗悪品」の代名詞でした。少し前の、中国製品に対する私たちの反応を思い出してくれれば良いと思います。あれと同じです。また、「猿まねジャップ」ということも60年代から70年代前半には良く聞きました。これは製品だけではなく、テレビ番組や文化そのものへの批判です。

今、ネット右翼などという人達(たぶん若者)が、よく韓国に対して同じような発言をしています。当時を知っている我々からすると、「かつては日本も同じように欧米から言われてたんだけどな」と思い、痛々しく感じます。(だから、私は絶対にそういうことは言いません。それは国が発展するときに一度は通る道だと思いますので)

日本製品の評価が目に見えて「良くなってきたな」と、庶民レベルでも実感するようになったのは、70年代後半からですね。電化製品・車などドイツ製品と日本製品が、同じテーブルで比較の対象になるようになってきました。

素人ですので、常識的な回答を。
1.朝鮮戦争の影響。敗戦で産業が壊滅状態になった日本が急速に回復した第一の理由は朝鮮戦争に伴う、特需。後方補給基地として、アメリカが安心して食料や雑貨、資材の調達、船舶・車両等の修理、などができる国は、当時近隣で日本しかなかった。中国は東側、台湾は政権が成立したばかりで産業基盤がない、朝鮮は戦争当事国。となると、日本しか無い。
2.安保条約による軽武装・産業優先政策。
東西冷戦の中で、日本がアメリカの傘の下、軍事費に予算を使わずに産業育成に...続きを読む

Q日本の戦後復興と経済成長

日本の戦後復興と経済成長を遂げたのはアメリカが経済救済・支援と軍事的支援をしたことが大きな要因の一つだと聞きます。具体的にどういった経済・軍事支援が日本の復興・経済成長に導いたんでしょうか?
1945~60年の間にアメリカが支援したことを教えてほしいです。高度経済成長時でなくて。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

・米軍ガリオア・エロア資金供与
第二次世界大戦直後の日本は、まさに灰燼の中にあった。その混乱と疲弊から立ち直り、経済大国への道を歩む上で、米軍からの資金援助である「ガリオア・エロア資金」の果たした役割は計り知れないものがあった。
 1946年から51年にかけて、約6年間にわたり日本が受けたガリオア・エロア援助の総額は、約18億ドルであり、そのうちの13億ドルは無償援助(贈与)であった。この援助がなければ日本の経済復興は考えられなかったのである。
 ガリオア資金:米軍予算の一部を使って、旧敵国の民主化復興を支援するために設立され占領地救済政府基金(GARIOA:Government Appropriation for Relief in Occupied Area Fund)、、食糧・肥料・石油・医薬品など生活必要物資の緊急輸入という形で行われ、日本では、当初は貿易資金特別会計に繰り入れられ、貿易の補助金として日本政府の裁量で運用されていたが、1949年からはドッジ・ラインの枠組みの中で西ドイツと同様に見返り資金としての計上を義務付けられた。
 エロア資金:占領地経済復興基金(EROA:Economic Rehabilitation in Occupied Areas)石炭や鉄鉱石、工業機械など生産物資の供給、綿花や羊毛などの輸入原料購入に充てられた。

・日本を飢餓から救った食料医薬品援助「ララ物資」「ケア物資」
「ララ物資」「ケア物資」とは戦後、食料品や医薬品そして日用品など、いろいろ不足していた時代に、腹を空かせ病に苦しむ日本の子供たちをはじめ多くの人々を救ってくれた救援物資である
「ララ物資」LARA(Licensed Agencies for Relief of Asia:公認アジア救済連盟) 戦後、日本を救済するために、アメリカはもとより、カナダ、中南米の各地から集まった資金や物資を一括し対日救援物資として送り出す窓口として、1946年6月に結成されたNGOが、「ララ:LARA」であった。 そして同年11月、アメリカの有力NGOの協力を得て、輸送を開始し、全てのララ物資は無事横浜港に到着したのである。
(推定では当時のお金で約400億円相当)
「ケア物資」 1945年の終戦直後、戦後、救済のために、アメリカで設立されたNGOの一つに「ケア」(CARE:Cooperative for Assistance and Relief Everywhere)があった。「ケア」は1948年にヨ-ロッパ以外ではじめて日本に事務所を開設し、救援活動を開始した。 1948年から55年にかけて、日本などに送られた「ケア物資」は金額にして5000万ドル(当時では180億円、現在の貨幣価値に換算すれば約4000億円)に達した。 その内容は、食料品、菓子、コーヒー、紅茶、砂糖、および石鹸など日用品も含め多岐にわたるものであった。 このケア物資によって助けられた日本人は小中学生をはじめ1,500万人に上った。

・フルブライト留学制度
日本が物資不足、食糧不足に悩み苦しんでいた戦後まもない頃に、将来の日本を考え、人材育成のために、若人に大きな夢と希望を与えてくれた制度がある。
 フルブライト留学制度である。
 終戦直後の1946年、フルブライト米上院議員の提唱で始まったこの制度によって、世界百数十カ国からこれまでに20万人以上の学生や研究者がアメリカへ渡った。
 日本でも1952年にスタート、これまでに約6,500人の人々がこの制度によりアメリカ留学をはたしたのである。この人達はフルブライタ-と呼ばれ、戦後の日本の財界、政界、官界および教育界で活躍し、日本の発展に大いに寄与したのである。
 また、高校生レベルでは、アメリカン・フィールド・サービス(AFS)留学制度により、多くの高校生がアメリカに渡り、現地の高校でアメリカ人学生と一緒に学び、ホームステイをして多くの友人を作り、将来の日本を担う社会人へと育っていったのである。

・民主警察と戦力無き軍隊
 進駐軍の援助により、治安回復のため、警察は民主化と科学捜査・機械化、全警官への拳銃装備が行われた。そして密輸海賊根絶のため、海上保安庁の設立。日本の自衛と、国連安全保障への貢献のため、米軍・国連軍と連携する、(侵略)戦力無き軍隊である警察予備隊→保安隊→自衛隊が組織された。

・ユニセフと世界銀行
戦後の日本の衛生状態、食糧事情は悪かった。 多くの子供たちは栄養失調と病気に苦しんでいた。 その子供たちを救済してくれた国連機関があった。「ユニセフ」である。「ユニセフ」(UNICEF、国連児童基金)は、自然災害や戦争などにより被害を受け、伝染病や栄養失調に苦しむ子供たちを救済するために設けられた国連機関(現在約140カ国を支援)である。 「ユニセフ」は、日本の子供たちのために、約65億円(現在の貨幣価値として約1,300億円)の資金を提供してくれたのである。
 戦後間もない1953年から導入されはじめた世界銀行(国際復興開発銀行)からの低金利の融資は合計8億6,000万ドル(当時の日本円では3,200億円、現在の額に換算すれば約6兆円)に達し、インドに次ぎ2番目の大きな金額であった。つまり日本は世界でもっともお世話になった被援助大国の一つであったのである。 当時の日本の経済力はアメリカのわずか数%に過ぎず、正に、開発途上国そのものであった。 日本はその資金を、東海道新幹線や東名高速道路、そして黒四ダム、愛知用水といった日本のもっとも必要とした経済発展のインフラ(経済基盤)整備に使い、その結果、日本は驚異的な発展を遂げたのである。 日本は毎年着実に世銀ローンを返し続け、90年7月、全ての借金の返済を終了した。
 ユニセフも世界銀行も、当時はアメリカが最大の出資国である

・米軍ガリオア・エロア資金供与
第二次世界大戦直後の日本は、まさに灰燼の中にあった。その混乱と疲弊から立ち直り、経済大国への道を歩む上で、米軍からの資金援助である「ガリオア・エロア資金」の果たした役割は計り知れないものがあった。
 1946年から51年にかけて、約6年間にわたり日本が受けたガリオア・エロア援助の総額は、約18億ドルであり、そのうちの13億ドルは無償援助(贈与)であった。この援助がなければ日本の経済復興は考えられなかったのである。
 ガリオア資金:米軍予算の一部を使って...続きを読む

Qイデオロギーって何ですか???

イデオロギーとはどんな意味なんですか。
広辞苑などで調べてみたのですが、意味が分かりません。
どなたか教えてください。

Aベストアンサー

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオロギ-には賛成・反対といった概念がないのです。

例えば、環境破壊は一般的に「やってはいけない事」という一定の考えに
組織されています。つまりみんなが根本的な共通の考え(やってはいけない事)として組織されているもの、これがイデオロギ-なんです。
しかし、社会的立場によってはその「やってはいけない事」を美化して
公共事業と称して環境破壊をする人達もいますけど。
ここでイデオロギ-という概念に対して色んな論説が出てくるわけです。
一応これは一つの例ですけど。

というかこれくらいしか説明の仕様がないですよ~~・・。
こういう抽象的な事はあまり難しく考えるとそれこそ分からなくなりますよ。
この説明で理解してくれると思いますけどね。

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオ...続きを読む

Q原爆・長崎・広島の被害者数は一体どれくらいなんでしょうか。

鳥インフルエンザ、新型(鳥)インフルエンザが流行してしまった場合、最悪の事態の予想を、新型インフルエンザ対策検討小委員会が明らかにしたという数値をみて、死者、患者共にその数の多さに驚きました。あくまで最悪の場合の予想とはいえ、ものすごい惨事であると思いました。そこで、生物兵器という言葉を思い出しました。兵器には核兵器もあると。そこで気になりました。原爆・長崎広島の被害者数はどれくらいなんでしょうか。よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

広島は当時人口42万人、死者、行方不明合わせて
12万2338人、長崎は、人口24万人、
死者、行方不明合わせて7万3884人と言われています。

被爆後5年間の間に広島で20万人、長崎で14万人
です。

Q日本が先進国へと発展した理由

現在日本は先進国として認められていますが、どのようなきっかけで先進国へと発展していったのでしょうか?
背景にある事柄や時期などについて返答お願いいたします。

Aベストアンサー

 戦後復興のきっかけはやはり「朝鮮戦争」であり、北朝鮮が韓国の併合を目指した戦争で、日本は米国の軍事基地となり輸出により朝鮮景気と呼ばれる好景気になりました。その後、万博、東京オリンピックを契機に高度成長を継続させ、経済大国と呼ばれるまでになります。
戦後、発展途上国と言われる国家群をテイクオフさせようとして、やや成功したかもと思われるのは極東諸国のみという現状を考えても、単純な問題ではありません。奇跡と呼ばれる、明治維新、戦後復興の原因を少数のイベントに特定することはできないでしょう。
 歴史的に見るなら、日本の歴史は平安頃までの古代王朝、鎌倉幕府からの封建制、江戸時代の専制君主制、明治維新以後の絶対君主制、戦後の民主制とヨーロッパに似た推移をしています(もちろん、かなり異なる部分がありますが)。ヨーロッパに似た、より発展した社会を目指すような風土、変革を受け入れる国民性があったのではないでしょうか。

Qなぜ日本は植民地にされなかったのですか?

19世紀、他のアジア諸国は欧米列強の植民地にされたのに
なぜ日本は植民地にされなかったのですか?
日本の教育水準が高かったからですか?
それとも単に運がよかったからですか?

Aベストアンサー

日本は鎖国していたとはいえ、オランダを通じて最新の科学、軍事技術もわづかに取り入れていました。
アヘン戦争の時、中国側の大砲は1600年代のヨーロッパ製だったという…
江戸幕府も同じなのですが。
ところが長崎に高島しゅうはん、という人が役人でいて、脇荷貿易の権限もっていて新式大砲を研究していました。それは出島にくるオランダ船が礼砲を撃つと威力、性能が進化しているのをしっていて、です。
幕府も国防上、江戸へ呼んで演習。一日でその平地は「高島平」(たかしまだいら)になりました。今もそう呼ばれてます。伊豆代官江川が引き継いで、青銅砲でない鋼鉄砲をつくる高熱の製鉄炉(反射炉)をつくろうとしたり(大砲、兵学などはなんとかヨーロッパの技術においつこうというカンジ)、日本人は形式・格式でガチガチのバカな武士社会の中でも一部の有能な、志ある人たちに助けられてなんとか西洋とわたりあえる学術・軍事・文化・行政制度をもっていたのです。
(ほとんどの藩はド貧乏、借金まみれ。一部の外様大名とかだけです。意識あったのは)

ペリーが来航した時も(一年前くるっていったのに来ないと思って内緒にしちゃったバカな幕府上層部のせいで大慌てしたが)、一年後返事をもらいにくる、といったあと年明け10ヶ月にきた時には、無防備だった江戸湾に砲台島を築かせて防衛体制つくった(江川が指揮)
これが砲台場、今の「お台場」です。
これにはペリーも驚いた。
あと吉田松陰みたいに単身(2人だったけど)黒船に乗り込んで
「我アメリカに行かんと欲す」と叫びまくって返ってきた若者とか。
こんな人他のアジアの国にはいなかった。

日本は天文、数学、測量でもヨーロッパの文献研究したり、和算でも微分積分できたらしい。水準高かったンですよ。富豪商人は学問する人たちが多いとか、そういうこともあったらしいし、町民文化も小説、演劇、レベル高かったです。

アメリカと国土交渉する際もペリーが小笠原はアメリカ人住んでる、国際的に通じる文書で証明しない限りアメリカ国土だ、といった時、フランス語版・林子平著三国通覧図説をだして、出版年からも日本領土だと証明。
松平定信が迫害した林子平の著作が、大黒屋光太夫一行のうちロシア日本語学校教師にのこった一人とドイツ人言語学者の手で訳されて、小笠原諸島をまもったわけですね^^

ま、そんなこんなで、日本は他のアジアの国より運がよかった。
・一応、統一国家でまとまってた。いくつか勢力が争ってるとかじゃなかった
・文化水準がヨーロッパと同程度だった(これは不思議なものである)
・一部の蘭学者のおかげで、外国の情勢なども在る程度はつかんでいた?!ジョン万次郎がいたといなかったじゃ、また違ったろうなぁ
江川さんがいなかったら大変だったと思うよ
・穏健バランス派の阿部が老中(筆頭?)だったのもよかった。水野忠邦だったらボロボロだったんじゃないかなぁ
最後は大分大胆に物事運んだけど。
・武士階級、常時帯刀武装してる階級が行政してる、というのはなかなかすごいかも^^
・シーボルトが日本の文化レベルを紹介する書物を発表してくれていた
(ペリーもちゃんと読んでた)→日本は交渉するレベルの国だと思ってもらえた。おそらく礼砲をちゃんと返せる国なんてアジアで日本ぐらいだったでしょう。

兵力でいえば、この前NHKでもやってましたが薩摩とイギリスの争い、中国のイギリス艦隊きた時は薩摩ボロ負けですよ。海戦は特に。
最初、不平等条約だったのもしゃーない。
しかし、交渉のテーブルがある、というのは在る程度、相手を認めてのことだし、全面開戦しなかった、というのはお互いのメリット、リスクも含めて必然だったのかも。
まぁ頑張りましたね、当時の日本^^

日本は鎖国していたとはいえ、オランダを通じて最新の科学、軍事技術もわづかに取り入れていました。
アヘン戦争の時、中国側の大砲は1600年代のヨーロッパ製だったという…
江戸幕府も同じなのですが。
ところが長崎に高島しゅうはん、という人が役人でいて、脇荷貿易の権限もっていて新式大砲を研究していました。それは出島にくるオランダ船が礼砲を撃つと威力、性能が進化しているのをしっていて、です。
幕府も国防上、江戸へ呼んで演習。一日でその平地は「高島平」(たかしまだいら)になりました。...続きを読む

Q大さじ一杯 小さじ一杯って・・・

それぞれ何グラムぐらいなんですか?困っています教えてください。私はさじを持っていないので測れないのです

Aベストアンサー

重さは量るものによって違いますが、
大さじ一杯=15cc
こさじ一杯=5cc
です。

Q日本は社会主義国家なのになぜ発展できたのでしょう?

かつてソ連のゴルバチョフ大統領が‘日本は世界で一番成功した社会主義国だ‘と発言したそうですが、確かに日本は表向きは資本主義国家ですが社会主義的要素が強いように思います。税金の累進性は欧米より強く高額所得者は税金をたくさんとられます。貧困層は福祉や公的補助、医療制度など優遇され高額所得者から巻き上げた税金が還元されます。サラリーマンは年功序列で能力で関係なく昇給しました。(以前は)
経済格差は‘悪‘と公言する政治家までいます。ソ連、旧東ドイツ、北朝鮮など社会主義国家はどこも貧困に喘ぎ崩壊しました。日本だけなぜこんなに発展できたのでしょう?またこれからも発展できますか?自分は経済学、政治学には疎いのでどなたかお教えください。

Aベストアンサー

戦後復興政策 ヨーロッパ西も東も社会主義
 「資本主義経済では、政府はなるべく経済に介入せず、市場のメカニズムに委ねるべきだ。それなのに日本では政府がマネーゲームのプレーヤーになっている。これでは社会主義のようだ」との見方もあるでしょう。
 でも同時代の欧州先進国、フランス、イギリス、ドイツと比べると日本は「市場原理主義」とも言えるほど、政府の介入の少ない自由経済であった。
 フランス──戦後のフランスはジャン・モネの考えによる「フランスは未だ十分に市場が成熟していないので、市場に任せず、政府が責任をもって経済を運営すべきだ」との、社会主義と資本主義の折衷政策「混合経済」政策をとった。このため多くの企業が国有化された。フランス石炭公社、フランス電力会社、フランスガス会社、鉄道部門、エール・フランス、フランス銀行 と四大預金銀行 クレディ・リヨネ、ソシエテ・ジェネラル、全国割引銀行+全国商工銀行⇒パリ国立銀行、保険会社、ルノー公社、航空機エンジン開発製造公社が国有企業として活動し始めた。
 石炭・鉄鋼に関してはドイツとの国境周辺地域に「欧州石炭鉄鋼共同体」を設立し、ドイツなど欧州6ヶ国で、アメリカ政府の援助資金であるマーシャル資金によって運営された。これは一国社会主義ではなくインターナショナル社会主義であった。1983年、フランス企業の売り上げ上位20社の内13社が国有企業であった。
 政治を見れば、ドゴール派の保守政権と社会党とが政権交代を繰り返した。日本に置き換えてみれば、石炭・鉄鋼がアメリカ政府資金による韓国との合弁、トヨタ自動車が国有、自民党と社会党が政権交代を繰り返す、といった状況だ。フランスから見れば日本は「市場原理主義」「自由放任主義」であった。
 イギリス──労働党の「ベヴァリッジ報告」による「ゆりかごから墓場まで」の社会主義政策を戦後の経済方針としていた。鉄鋼は、国有⇒民営⇒国有⇒民営と政権交代毎に弄ばれた。石炭はアーサー・スカーギルが率いる全国鉱山労組が仕切っていた。つまりアナルコ・サンディカリズムをやっていた。戦前アメリカに次ぐ自動車産業国であったが、中小企業が多く、このため国有企業に集約したが成果が上がらずホンダの支援を受けたがダメだった。政権は保守党と労働党が競い合い、その勢力は均衡していた。イギリスから見れば日本は「自由奔放経済」で「保守党独裁の反社会主義国家」であった。
 西ドイツ──アメリカ政府のマーシャル・プランによる援助資金をもとに戦後復興政策を進めた。戦後復興の基幹産業である石炭・鉄鋼は「欧州石炭鉄鋼共同体」という多国家管理による非民間企業に頼った。エアハルトは社会主義と資本主義の良いところをとった「社会的市場経済」を目指した。フォルクスワーゲンは戦後再出発にあたり、その株式20%を連邦政府が、さらに20%を地方政府が保有した。こうした石炭・鉄鋼・自動車産業を日本に当てはめるとどうなるか?それに比べれば日本経済は民間主導の自由経済であった。
 仏・英・独とも戦後何度も左翼政党が政権を担当した。現在英・独が保守政党を破っている。それに比べいかに日本の左翼・社会主義が信頼されていないか、よくわかる。

 日本では行政指導という政府の関与が話題になる。しかしそれ以上に「官に逆らった経営者」がいた。
 (1)天皇とまで言われた日銀一万田総裁に「川崎製鉄が千葉工場建設を強行するならば、ペンペン草を生やしてみせる」とまで言われた、西山弥太郎の大胆な設備投資、それに刺激され他社も追従した。戦争で古い設備が使えなくなったのは仏・英・独も同じ。しかし欧州の官僚にはあれほど大胆な発想は出来なかった。
 (2)「井深さんはトランジスタを使って補聴器を作るのですか?」と皮肉られ、特許導入を1年間遅らされた東京通信工業(後のソニー)。その1年の間に世界初のトランジスタ・ラジオはアメリカにやられた。大宅壮一に「ソニー・モルモット論」と皮肉られたが、今日の電子産業、官に逆らってトランジスタ特許を導入したソニーに始まると言って良い。
 (3)政府が成長産業を育成しようとした特定産業振興法、それに逆らって通産省で大型政務次官と言われた佐橋滋と喧嘩した、本田宗一郎は1983年のテレビインタビューで、佐橋滋と会った時を振り返り、次のように語っている。 「どうにも納得できないということで、僕は暴れたわけで、特振法とは何事だ。おれはやる(自動車を作る)権利がある。既存のメーカーだけが自動車を作って、われわれがやってはいけないという法律をつくるとは何事だ。自由である。大きな物を、永久に大きいとだれが断言できる。歴史を見なさい。新興勢力が伸びるにに決まっている。そんなに合同(合併)させたかったら、通産省が株主になって、株主総会でものを言え!と怒ったのです。うちは株式会社であり、政府の命令で、おれは動かない」(1995年2月5日、NHKテレビ「戦後経済を築いた男たち」から)
 (4)「官と闘った経営者」ヤマト運輸社長・小倉昌男が始めた「宅急便」、この普及は日本の流通業を大きく変えた。郵政民営化が問題になるのも宅急便の普及があったからだ。
 日本が「官民一体」ならば、仏・英・独は「民なしの、官のみ」だ。官に逆らった経営者たちのハイリスクな事業計画、前例を尊ぶ官僚にはとてもできない。戦後の荒廃はどの国も同じ、日本は度胸のある経営者が力を発揮できる自由な経済体制だった。進化論に例えれば、突然変異が出やすく、育ちやすい環境だったと言える。
 はしょって書きました。「官に逆らった経営者たち」「戦後復興政策 ヨーロッパ西も東も社会主義」をキーワードに検索してください。詳しく書かれたサイトがあります。

戦後復興政策 ヨーロッパ西も東も社会主義
 「資本主義経済では、政府はなるべく経済に介入せず、市場のメカニズムに委ねるべきだ。それなのに日本では政府がマネーゲームのプレーヤーになっている。これでは社会主義のようだ」との見方もあるでしょう。
 でも同時代の欧州先進国、フランス、イギリス、ドイツと比べると日本は「市場原理主義」とも言えるほど、政府の介入の少ない自由経済であった。
 フランス──戦後のフランスはジャン・モネの考えによる「フランスは未だ十分に市場が成熟していないの...続きを読む

Q戦後の日本は冷戦構造にいかに対応したのか?

アメリカとソビエトによる冷戦は世界に様々な影響をもたらしましたが、戦後の日本は冷戦構造にいかに対応したのかどなたかわかりませんでしょうか?今私はそのことについて調べているのですが、先生がくれたヒントは開放経済体制・高度成長・自由民主党・日米安保・平和責任です。ちんぷんかんぷんで困っています。(泣)

Aベストアンサー

こんばんは、ざっと流れを整理してみますと

1949 単一為替レート1$=360円(実際は300円前後と評価されるが、冷戦激化にともない日本経済の早急な復興を望むGHQにより、360円に設定)
1951 サンフランシスコ講和条約、日米安全保障条約調印
1954 MSA協定締結 自衛隊発足
1955 保守合同=自由民主党の誕生=保守長期安定政権の誕生
1956 戦前の生産水準を回復「もはや戦後ではない」
1960 日米安全保障条約改定
   池田勇人内閣 「所得倍増計画」発表
1963 GATT11条国移行
1964 国際通貨基金(IMF)8条国移行
   OECD加盟
   東京オリオンピック開催
    開放経済体制のもとでの日本の経済復興なる、そしてさらなる経済成長を継続
1973 円変動為替相場制移行 石油危機おこる
1989 マルタ会談=冷戦の終結
     アメリカは日本に対し防衛分担の増強、安保体制見直しを求める
1992 PKO協力法案可決
1993 92年貿易黒字1000億ドル突破
1997 日米新ガイドライン策定

冷戦が激化するなかで、当初のアメリカの狙いは、「安定した自由主義国家かつアメリカの同盟国」として日本を利用することでした。
 日本は、憲法9条と日米安保(アメリカの核の傘)のもとで、かつ防衛費GNP1%という枠内で軍事支出を抑えつつ自衛力を増強します。さらに、自民党長期単独政権による「安定した」政治・経済・外交政策によって、国家資金をもっぱらインフラ整備・経済発展に投資し、企業も設備投資の拡大、技術革新に投入することができました。
また1$=360円という為替レートは、日本の輸出拡大に大いなるプラス効果をもたらします。
その結果が、「アジアの奇跡」とよばれた日本の驚異的な高度経済成長ですね。

しかし、それは莫大な日本の貿易黒字を生み、一方アメリカは冷戦体制、ベトナム戦争などにより莫大な財政赤字と貿易赤字を抱えることになります。そこから、「安保ただ乗り」として、アメリカの日本バッシングが始まります。
特に冷戦後は、「経済大国日本」に即して、カネだけでなくヒト・モノの負担も求めてくるようになります。国力に応じた「平和責任」を求めているということでしょうか。昨今の憲法9条見直し論議もこの延長線にありますね。

>日本は冷戦構造にいかに対応したのか
主体的に対応したというより、アメリカの忠実な子分としてアメリカの傘のもとで、ちゃっかり経済復興を行い、(一時はアメリカを凌ぐほどの)経済大国になった、ではないかと思います。
なお、#1さんもご指摘のように、アメリカの傘の下でアメリカの意向に沿い、60年にわたってさしたる紛争、まして戦争を経験しなかったことは、ある面では「日本人の平和ボケ」と言われるような状況を生み出していることは確かでしょう。(しかし、個人的には、そのことへの極端な反応として、全く対極にぶれてしまうことは短絡的と思いますがね)

 

こんばんは、ざっと流れを整理してみますと

1949 単一為替レート1$=360円(実際は300円前後と評価されるが、冷戦激化にともない日本経済の早急な復興を望むGHQにより、360円に設定)
1951 サンフランシスコ講和条約、日米安全保障条約調印
1954 MSA協定締結 自衛隊発足
1955 保守合同=自由民主党の誕生=保守長期安定政権の誕生
1956 戦前の生産水準を回復「もはや戦後ではない」
1960 日米安全保障条約改定
   池田勇人内閣 「所得倍増計画」発表
1963 GATT11条国移...続きを読む

Qリベラルとは?

・左派、革新、社会主義
・右派、保守
という分類ができると思うのですが、
リベラルや自由主義は、どう考えたらいいのでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共和党政策が旧保守主義(右派リバタリアン)で、それ以後を新保守主義(ネオコン)といい保守と名乗っていますが、実態は左派リバタリアン(左派が保守に転換し、現状を保守する為に革新的手法(戦争など過激な改革を許容する)を執ると言う主義)です。

 自由主義の反対となる統制主義も左派だと共産主義や社会主義、比べると右派に成るイギリスの「ゆりかごから墓場まで(高福祉政策)」などが有ります。

 簡単に言うと、積極的に変えようとするのが左派で、変わらないように規制するのが右派です。そして変える方向(変えない方向)が自由か統制かで分類できます。

 日本には明確に保守を謳う政党が無いので、イメージがわき難いのかも知れませんが…。
 (自民・民主党は中道で、共産党は左派統制主義ですから…。)

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共...続きを読む


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