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奇跡的って何ですかい?

地球上に人類が出現したことって奇跡的ですか?
では、地球上にゴキブリやジフテリア菌が出現したことも奇跡的ですか?

1億の精子のなかで精子Aが受精に成功したことは奇跡的ですか?
その事実、精子Bや精子Cにとっても奇跡的ですか?

今、この地上のある場所に私が座ってPCに質問を打ち込んでいるのは奇跡的ですか?
じゃあ、今、あの火星の北緯35度、東経20度に転がっているあの岩石が、北緯30度、東経40度の場所では無い事実は奇跡的ですか?

どうも、奇跡的ってのは、「確率が少ないことが起きました」ってだけじゃないですよね。
本当の奇跡的、すなわち誰から見ても奇跡的ってのはあるんでしょうか?

哲学、または屁理屈のカテゴリーでお願いします。

A 回答 (8件)

戦国時代の末期から江戸にかけて日本にキリスト教が入り込んで来た時に、キリスト教の強引な布教を憂いた曹洞宗の僧侶鈴木正三は『破切支丹』という大変格調が高く優れた書物を執筆してキリスト教の教義を理論的に批判しました。

確か、その中で「程度の低い宗教ほど、やたらと魔術だ魔法だと、うさん臭いことを言い立てて、人の歓心を取ろうとするものだ。そんなことで騙されるのは、無教養な年寄りや子供だけだ。だから、禅ではそんな嘘や誤摩化しはしない。ところで、キリスト教では奇跡と呼ばれる魔法や魔術が多すぎる」と言う趣旨のことが書いてあったと記憶しております。だから、奇跡的とは、魔法みたいだと言うことと同義語ということですね。

質問者さんは、今後奇跡という言葉に出くわしたら、その言葉を魔法や魔術と理解すれば、色々なことが見えてくるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

鈴木正三ですね。

日本と韓国におけるキリスト教浸透率の差を論じて、幕府のキリシタン弾圧に原因を求める人が多いですけど、日本には本物の仏教が根づいていた、ってのも大きな理由なんですね。

鈴木さんは上等な坊主だったんだなぁ。

お礼日時:2010/04/19 13:50

広い宇宙の中の地球という惑星に人間という知的生命体がいること。


その知的生命体の一つとして、自分という人間が今いること。

奇跡かどうか、シャトルに乗れば分かるのかな・・・
青い地球ってどんなふうに見えるのかな・・・・・
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

広い宇宙の中の地球という惑星に人間という知的生命体がいること。
と、
広い宇宙の中の地球という惑星にゴキブリという知的じゃない生命体がいること。

どちらが奇跡的というべきか、分からなくなったので質問しまいた。

哲学って、一見当たり前のことをもう一度、先入観を取り除いて自分の頭で考えることじゃないですか?

お礼日時:2010/04/20 22:48

貴方が奇跡だと思った事柄が奇跡です。

ただし他の人の同意が得られるとは限りません。

これがすべてではないでしょうか?

今、奇跡と言われてるものは比較的多数の人間が奇跡っぽいな、と感じられる事柄か、奇跡だと商業的な理由から宣伝されてるだけじゃないですかね?

で、何に奇跡と感じるかというと、偶然なのに恣意的なものを感じさせる出来事を何か特別な事件と思いこんで奇跡と思うのではないだろうか。

例えば銃で撃たれたのに懐の金属性のペンダントに弾が当たって助かった!このペンダントは死んだ母親の形見で、今日はたまたま修理しようと思って持っていた!奇跡だ!母の霊の守護だ!という感じですね。ただの偶然なのに、あたかも、母親の霊か何かの意思であるかのように感じる。
もしほんとに母親の霊が守護してるんならそもそも銃で撃たれねえよ、という突っ込みは奇跡じゃないわけです。

ということで万人が認める奇跡はないと思います。何を奇跡と感じるかなんて人それぞれだと思うし。
少なくとも私はヘレン・ケラーは奇跡とは違うと思いますね。立派だとは思いますが、奇跡というカテゴリーとは思えないというか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

そうですね。
私も奇跡と思ったことなんて無いです。

奇跡が起きたなどと言う宗教やテレビ番組はみな、信者が欲しいか、視聴率が欲しい連中の嘘です。

ヘレンケラーのケースでは、サリバン先生の信念が奇跡的な偉業をなしとげましたが、奇跡ではないです。

お礼日時:2010/04/19 23:10

お恥ずかしいのですが、実は、私も奇跡と言う言葉の意味を、しっかりと把握していないのですが、薄々は感じます。


とういのも、
たとえば、参考URLをご参照ください。
邦題〔奇跡の人〕ですが、これが、いわゆる奇跡というものであるそうです。(私も、奇跡とは何かを知らなかった時、この作品を例えて奇跡を説明する方がおったので、その例えをそのまま引用させていただいております)

いろいろと絶望的な状況にあって、絶望せず、聡明で、忍耐強く、健気に働いたサリバン先生と、それを必死に学んでいったヘレンの奇跡、と言うことになるでしょうか。

ずいぶんと小さい頃に見た映画なのでほとんど記憶がありません。
近くのレンタルビデオ店に行っても、この作品はおいてなかったので、適度に紹介をするのは難しいのですが、また機会を得てこの作品を見れたらよいと思っています。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%87%E8%B7%A1% …
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

サリバン先生が、ヘレンに水道の水を触らせながら、ワーラー、ワーラーと言いつつ、掌に文字を書いて教える場面の記憶があります。

奇跡は自然現象、物理現象にあるのではなく、人の意思と、その結果に奇跡的といえるケースがありますね。
納得です。

お礼日時:2010/04/19 13:59

僕なりの定義が役に立つかわかりませんが書いてみますね。




「奇跡」とは
その言葉を思考を放つ側の生命にとって

・強い感情を伴い

・想定外の事柄がおきたとき
・原因結果のプロセスが発見できない、理解できない事にであったとき
・期待値どうりか、それ以上の結果に驚いたとき

などに勝手に使う言葉であって、「原因と結果の連鎖よりなる世界において奇跡は存在しない」と僕は思ってます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

私も、自然現象に奇跡が起こるとは信じない人間です。
あとは、認識論として、想定外の事を見たり、経験したばあいに、人が奇跡的と思うのですね。

お礼日時:2010/04/19 13:56

本当の奇跡的、すなわち誰から見ても奇跡的ってのはあるんでしょうか?



本当はあるのだけど誰もそれを奇跡的だと認定しないだけですね。
一般的には同じ世代、又は同じ時代に誰もがわかることは奇跡的とはいわれませんね。でも歴史的には奇跡的といわれることは多いんですよ。
宗教でも科学でも哲学、軍事学なんでもいいんですが、例えば気の利いた物理学者であればニュートンやアインシュタインの同じ時代に存在して講義を聴きたかったと考えるでしょう。その時代を共有した人はいいなと思いますね。奇跡的な人々ともいえますね。物理はあまり奇跡という言葉は使わないかもしれませんが、釈迦やイエスや孔子の時代はどうでしょう。そのような時代を生きた人々は奇跡的といえますね。
でもその時代を生きたほとんどといってもいい人々は奇跡的とは考えていなかったでしょうね。今のあなたや大多数の人々と同じようにね。
でも、未来にならないとわからないだけで歴史の奇跡は現在も起きているはずですよ。
それを理解できるかどうかは一人一人の認識の問題ですね。
私の認識ではあなたもまた「奇跡の時代」を生きている一人だと思いますよ。21世紀の始まりの生き証人としてね。いやそれ以上の存在としてかもしれませんね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

物理現象ではなく、人の意思や能力で、常人を超えた偉業をなしとげたとき、奇跡的といえますね。
奇跡は人の意思にあり、ですかね。
納得です。

お礼日時:2010/04/19 14:02

>では、奇跡的は?




奇跡と言われることを検証すると、奇跡でもなんでもなく、条件がそろったために起こった現象だと解明されていることが多いんですね。

そりゃあ 解明されていないことも多いですよ。
だけど、解明されていないから奇跡かといえば、解明されていないだけの話で、起こったってことは万物の法則に合致したから必然で起こるしかなかったわけで。

だから万物の法則に反するできごと=奇跡 があったら、この世は混沌としたもっとぐちゃぐちゃの世界になって消えているはずです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

奇跡には興味なくて。
奇跡的な事実というのは、誰にとっても奇跡的なのかなと思い、、、。

お礼日時:2010/04/19 00:39

万物の法則に反すること。

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この回答へのお礼

ありがとうございます。

でも、それは奇跡ではないでしょうか?

奇跡=万物の法則に反すること=起きない。

では、奇跡的は?

お礼日時:2010/04/18 21:49

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