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旗本の次男以降の者が他藩に仕官したり召抱えられることはあったのでしょうか?

A 回答 (4件)

江戸時代も初期は兎も角、中期以降では各藩では藩士の新規採用は、ほとんどなくなりました。


財政が苦しくなったためです。
寛永期の毛利藩江戸留守居役の  「江戸お留守居役の日記」読売新聞社発行  にも書かれています。
老中からの斡旋でもきっぱり断っています。
No.1の答えのように、養子縁組よるしか、他藩の藩士にはなれませんでした。

旗本は旗本同志の養子縁組が次男以降の者の行き先で、これに成れた者は幸でした。
大身の旗本では生涯独身で部屋住みで終わった者も少なくなかったようです。
武士と町人の婚姻は表向き禁じられていましたが、商人(大店)の養子になった者も少なくなかったようです。
商家も箔を付けるためとか、武士との取引上有利とか歓迎したようです。
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この回答へのお礼

ご教授ありがとうございます。参考にさせていただきます。

お礼日時:2010/05/24 09:50

>旗本の次男以降の者が他藩に仕官したり召抱えられることはあったのでしょうか?



ほかの皆さんのコメントにあるように、姻戚など「コネ」を使った例が多そうです。
家史を調べているとき見かけた一例ですが…。

姻戚関係にある旗本A と大名B の例。
A 家の部屋住みの次男a が、B 家被官(家臣)の D 家へ養子に入り、D 家の分家を起こした。
当然、a は D 家の名字を名乗る。

余談ですが、江戸期の歴代をたどると、ほぼ半数は他家から迎えた養子でした。
  
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この回答へのお礼

ご教授ありがとうございます。参考にさせていただきます。

お礼日時:2010/05/24 09:50

今と同じですよ



子供(跡継ぎ)がいない家にとっては、

病気かなんかで子を亡くしたりでね

大変なことになりますので、とうぜん養子の縁組。

それは入り乱れてね、当然、縁戚関係の構築は

経済的に困窮したりしたとき、なにかと頼りになるものですから

武家のお金の借り先ナンバーワンは 武家同士なんですよ

民間より多い 頼母子講を作るうえにも 養子は有効です

旗本にかかわらずです
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この回答へのお礼

ご教授ありがとうございます。参考にさせていただきます。

お礼日時:2010/05/24 09:50

旗本と言うか


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%A4%9A% …
この人なんか、徳川家と厚い関係がありながら、外様の家臣ばっかりしている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%92%E8%B2%9D% …
幕臣に仕えていたらしい、父親は。

他もいろいろ見たが、養子みたいな感じで、異動しているようです。
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この回答へのお礼

ご教授ありがとうございます。参考にさせていただきます。

お礼日時:2010/05/24 09:51

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