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幕末には旗本の身分で、明治維新後に天皇家に仕えた人物はいるのでしょうか。
知り合いの遠いご先祖が旗本出身で維新後に天皇家に仕え(大正天皇の葬儀を執り行う委員?も務めていたそうです)、東京の青山あたりに居を構えていた方だそうで。
それ以外の情報がないので知りたいとの事です。
こうした経歴の人物はいるのでしょうか。また、大正天皇の葬儀を営む委員というのは、貴族や政府高官などの身分から選ばれるのでしょうか。
情報をご存知の方、いらっしゃいましたら教えていただけますと助かります。

質問者からの補足コメント

  • ご回答ありがとうございます。では秩父宮妃や高松宮妃など徳川家ゆかりの姫君が天皇家に嫁ぐ、という事も本来難しいのでしょうか?

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2023/02/26 07:10

A 回答 (4件)

徳川家の家臣は明治維新で無職になったので、救済として徳川家の地元静岡に移り住みお茶の栽培を始めたんです、それが静岡がお茶の産地になったのです。

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旗本家の家系や人物を調べる資料を書いておきます。



1.寛政重修諸家譜
およそ寛政年間(西暦1800年頃)までの資料。大正年間に活字化されて出版されたものが国会図書館からインターネットに公開されています。膨大なものなのでまずは索引を見て見当を付けてください。

2.寛政譜以降旗本家百科事典 東洋書林 1997年
寛政重修諸家譜以降の旗本の家系・人物を調べたもの。近年に発行された本なのでネットには公開されていません。近くの図書館で尋ねてください。

3.武鑑
江戸幕府の役人を役職ごとに掲載してあります。ほぼ毎年出版されており、出版された時の年号を付けて『天保武鑑』とか『安政武鑑』などと称されます。当時のものが国会図書館からネットに公開されていますが、膨大なうえ木版印刷なので捜すのは大変です。

4.幕末の江戸の地図『江戸切絵図』がネットに公開されています。
https://map.goo.ne.jp/history/edo/
筆文字は現代活字になっています。青山あたりは23番の図でしょうか。
元の図は本として出版されました。
『嘉永・慶応江戸切絵図』 人文社 1995年
現在この会社はないようです。古書店では入手できるかな?

初めての人には調べにくいと思います。図書館に行くと調査を手伝ってくれる人がいるので相談してみるとよいでしょう。
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勝海舟とか榎本武昭みたいに旗本も新政府に参加してる。


華族制度は徳川家も大名家も旗本も込みで設計されてるし、幕府も天皇を敵視してたわけじゃないから、薩長閥は気に入らんけど新しい国のために奉仕するのはアリ、だったのかも。

体制側も国内をさっさとまとめて欧米列強に対抗しないといけなかった時代に、出自で能力のある人を阻んでる余裕はなかったんでしょうね。
もちろん細部では出自によって対立や差別もあったようだけど。

侍従には平民もいたみたいだし、一役人とか通訳とか学者みたいな専門の職能で仕える人だと、もっと出自関係なく登用されてたと思う。

旗本なら所属や禄の支給のための幕府の資料があるばずだし、古地図には屋敷に住人の名前が載ってる。
葬儀委員になったほどの人なら宮内省人事録的なものがあれば名前くらいは残っていそう。
大学図書館などでさがして、該当者がいないか付き合わせてみては?

でも、明治時代だけで半世紀近く続いたし、大正天皇の晩年まで現役だったなら、維新当時はまだ生まれてないかせいぜい幼児でしょ。
幕府の資料には名前がないか、あっても○○家男とか幼名だろうからありふれた姓だと難しいかも。
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旗本は徳川家直参ですから徳川の敵である天皇に使えることは考えられません


大正天皇の棺を担いだのは京都の八瀬童子です
葬儀を仕切るのは宮内庁 儀式を司るのは公家の人達です
葉山御用邸で無くなられた遺体を新宿御苑に運ばれ多摩御陵に安置。
この時の設備は清水組 そちらに関係なさったのではないでしょうか
この回答への補足あり
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