マンガでよめる痔のこと・薬のこと

吉田松陰も投獄されたという伝馬町の獄について調べています。
当時の獄の様子や囚人の扱いについて、また囚人との面会は可能だったのか、など知っていることがあれば教えてください。
よろしくお願いします。

A 回答 (3件)

小伝馬町のことですね。


上がり座敷、揚がり屋、町人牢、百姓牢に別れていました。
上がり座敷は、畳敷きで、500石以下の旗本のためのもの、500石以上は、他家へのお預けとなるので、不要なのです。
揚がり屋は、御家人、大名、旗本の家来、僧侶などを収容しました。
女性のための女牢もありました。
牢の広さは、150畳くらいで、4~500人収容だそうです。
文政時代にまとめて判決が下り、刑が執行されたり、石川島牢へ送られたりして、小伝馬町ががらがらになったことがあったそうです。
火事の時は、必ず帰ることを前提に釈放されました。
御飯は、もっそう飯というそうです。(字を失念)
ワイロを持って入牢しないと、ひどいいじめにあったりしたそうです。
面会は、いよいよ島送りともなれば、家族に日時が知らされ、永の別れができますが、入牢中は、無理かと思います。
家族がこっそり差し入れをしても黙認してくれたそうです。
ただし、こちらのお目こぼし代が必要でした。
牢は、衛生環境がよくなかったようです。
懲らしめのためのもので、「更正」の考えは、無かったためです。
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この回答へのお礼

賄賂がないといじめにあうなんて、まさに地獄の沙汰も金次第ですねえ。
面会は無理っぽいですか。獄が懲らしめのためにあるのなら、やはり情けは無用だったんでしょうね。
参考になりました。ありがとうございます。

お礼日時:2007/02/23 21:28

>>獄が懲らしめのためにあるのなら…


というよりも、刑を執行するまで、また取り調べ中の者の収容施設です。刑務所というよりも拘置所に近いでしょう。

 牢内は牢名主による一種の自治でした。牢名主や隠居などの牢役人は公的なものではありませんが、奉行所の掟にも記されているので、承認されたもののようです。しかしそのために、強力な階級社会となり、牢内に畳を何枚も重ねていばり、その左右に客分や隠居などが座ります。普通のものは一畳に6人も押し込めて座らせました。入獄の際にはツル(命のつるの意か)と呼ばれる賄賂を持参していれば、待遇が良かったようです。役人も表向きは金品の持ち込みを禁止していますが、実際は黙認していました。差し入れ品なども牢役人の采配で分配されるので、不正行為は当然でした。
 高野長英や渡辺崋山も高額なツルを差し入れしてもらったおかげと学門により、客分につきました。そのおかげで牢内の実態の一部が現在でも記録に残っています。

 しかし、ツルを持ってこなかった者は悲惨で、何かにつけていじめられ、最悪では暗殺。また「いびきがうるさい」「気にくわない」「牢内が狭くなった」などの難癖を付けられて、「作作り」と称し暗殺されました。検死も建前だけで病死として扱われます(検死医には牢名主から心付けがされます)。

 また岡引や役人の手下だったものが入獄すればさらに悲惨で、汚い話ですが糞尿を食わされたそうです。もちろん、数日後には病死します。

まさにこの世の地獄さながらでした。
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この回答へのお礼

暗殺まで起こっていたとは驚きです。牢内では外の世界とはあまりに違うこんな社会が成立していたんですね。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/02/24 19:01

 江戸小伝馬町の牢屋敷ですね。

ここは取調べ中のものや遠島に送る前の者を一時的に閉じ込めておく施設です。2670坪余の土地に数々の牢、獄門蔵、死罪場などがありました。そのほかにも牢屋奉行石出帯刀の住居と牢屋役人の長屋もありました。
 牢屋奉行は町奉行所に所属し、役職を世襲してました。扶持は300俵10人扶持ですので与力よりは多く貰っています。牢屋役人は53人の牢屋同心、38人の牢屋下男、3人の牢屋医師がおりました。
 牢内は身分により分けられ、囚人は南北の町奉行所のほかに寺社奉行、勘定奉行、火付盗賊改からも送られてきて、縄の色でどこから来たのかわかるようになっていたようです。牢内でも牢名主、上座、中座、下座、小座と上下関係があったようです。囚人間でのリンチもあったようです。
 詳細は「歴史群像ライブラリー3江戸町奉行」のP180~185までに載っております。
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この回答へのお礼

2670坪というと、町単位で獄になっていたのですね。てっきりひとつの建物の中に獄やその他の施設が一緒になっていると思っていました。牢屋が身分によって分けられた、というのはいかにも江戸時代って感じですね。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/02/23 21:01

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Q江戸時代の牢慣習について

江戸時代に牢に入ったらウンチを食べさせられるって牢に入る全員ですか?それとも牢名主などに目をつけられる一部の者ですか?

Aベストアンサー

すべての牢でそういうことがあったわけでもありません。またすべての入牢者がそういう目にあったわけでもありません。
地獄の沙汰も金次第ということで、牢名主に金品を贈れるようなものであればお目こぼしはありましたし、人柄などによって牢名主のおめがねにかなえば手加減されたり優遇されることもありました。
また逆に目明し(役人の手先)のように権力の手先になっていたものが何らかの拍子に入牢したりすると、ウンチを食べさせられる程度ではすまず、まもなく病死(実際は殺された)したりすることもよくありました。