一回も披露したことのない豆知識

本当につまらない質問ですみません。歴史通の方には常識かも知れないんですが・・・・。
よく時代劇で奉行所の与力とか同心を「八丁堀」ってあだ名しますよね。中村主水とか。あれはどうしてですか?
今でも東京に八丁堀って駅がありますが、あの場所に与力、同心の集合住宅でもあったんでしょうか?それとも、あそこ辺りが奉行所とか?

どなたか、教えて頂けないでしょうか。宜しくお願いします。

A 回答 (2件)

 江戸末期の地図によると、現在の地下鉄日比谷線の辺りに沿う形で与力や同心が住む御組屋敷、というものが並んでいたようです。


 今の亀島川と日本橋川、首都高環状線に囲まれた一帯です。通り二本分は大半が御組屋敷で占められています。
 但し、高速に近いところ、今の兜町は幾つかの大名屋敷になっていた模様です。
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この回答へのお礼

確かにあの辺りに組屋敷があったんですね。ありがとうございます。

お礼日時:2002/01/26 19:09

>今でも東京に八丁堀って駅がありますが、あの場所に与力、同心の集合住宅でもあったんでしょうか?



住んでいたのは、確かなようです。

http://www.tokyo.yusei.go.jp/dpo/chuo/postoffice …

http://www.nihonbashi.gr.jp/history/history_15.h …
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この回答へのお礼

なるほど、教えていただいたURLを開いたら、やはり与力、同心の屋敷があったんですね。納得です、ありがとうございます。

お礼日時:2002/01/26 19:07

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