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霊を肯定する方に。 霊とは生きている人や死に瀕した人の脳から発せられた思念を、五感以外の感覚が敏感な人がキャッチして、その思念がまるで生きているもの、つまり「幽霊」や「生霊」として脳がイメージ化しものではないでしょうか? 

A 回答 (8件)

>ほとんど全ての霊的現象は、超心理学では人間の脳(肉体)に存在するESPやサイによって説明できるそうです(超ESP仮説)。

理屈的には霊を想定しなくても解釈できるそうです。亡くなった人しか知らない領収書の場所も透視力でアカシックレコードから読み取ってしまうといいます。

ESPやサイなどに関しては不勉強で触りしかしらないのですが、要するに、透視能力なのですか?
それは誰にでもできるわけではなく、そういった第六感的な能力を鍛えてる人しかできないのでしょうか?
アカシック・レコードはその人が生きてきた履歴が記録されてるレコードでしょうか?

>こうした超ESP仮説は大変トンデモ論なのですが、霊魂や霊界を想定することも、負けず劣らずトンデモ論だと思います。理屈的な面でつじつまが合わなくなることだらけですよね。

う~ん、そうは思わないのですが、実際に霊界に行った人なら理屈面でつじつま合わせられるのかもしれません。
そのスェデンボルグは没前30年は科学者的立場からの研究を止め、自分の実体験(霊界訪問記録)から新約聖書を解釈しようとしたそうです。
なぜなら彼の父は当時は事実を探求する科学者とは正反対のキリスト教の司祭だったそうです。


>それで理屈の通った超ESP仮説を取るか、あるいはもう屁理屈なしで霊を信じるかどちらかになってくると思います。霊を信じる方は霊的な体験者が多いと思いますが、やはり不思議な体験をするとどうしても信じてしまうのはわかる気がしますが、いろいろ脳の不思議さについても考慮していらっしゃるのかどうか伺いたくてこのような質問を致しました。

彼もイタリアに行って死んだ人間の人体解剖をして探ったそうだ。
どうして彼は霊などそういった魔怪し的なものを見るのか?
どやら聞こえるのも見えるのも自分だけらしい。彼自身の頭が可笑しくなったのか?

自分で自分を疑い、そして発見したそうだ。
自分は霊界に行っていると。小さい頃のベットの上で遊んでいた呼吸法で霊界に行けるようになったそうだ。
今ではヨガの呼吸法と似てることが判ったらしいが。

たとえばある日、地方のPartyに呼ばれました。
スェデンボルグは突然、立ち止まり顔は強張り大汗を描いてたそうです。
フウっと落ち着いたかと思ったら、その時にストックホルムの大火事を見ていたそうで、火は自分の家の前で止まったそうです。
そのPartyに出席していた人たちにその人の家は燃え散った、別の人の家はまだ残ってると告げていたそうです。
その後、その地方の市長に呼ばれ彼が見た詳細を記録取りました。
後でわかったことはそのストックホルムの大火事はスエッデンボルグが発言したのとまったく同じだったそうです。


参考URL:
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/Swedenbolg01. … エマニュエル・スェデンボルグの霊界日記1-死後の世界は実在する
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%9E% …
エマヌエル・スヴェーデンボリ(Emanuel Swedenborg, 1688年1月29日 - 1772年3月29日)はスウェーデンのバルト帝国出身の科学者・政治家・神秘主義思想家


まぁ、人間が使っている脳はわずか3%ぐらいらしいですね。
アインシュタインでも10%も使ってなかったとか。
だから興味深いですよね。

人間の脳をすべて使いきれるならどんな潜在能力があるのか。


霊界は存在するか? その疑問は

 精神世界は存在するのか?

それと同じQuestionだと思います。

私達、個人の精神は存在してる。

が故に 俗に言われる 霊界 は存在して良いと思いますよ。

唯物論だけで済まないでしょ、この世界は。

面白いことに、ベジタリアンは精神世界にとてもSensitiveになります。
逆に肉食は精神世界に気づき難いです。
人それぞれですが。

だから日本文化に以心伝心があったのでは無いでしょうか。
昔の日本人はベジタリアンです。

人が亡くなったらお墓とお位牌にして奉ります。
つまり、肉体はお墓。魂はお位牌。
昔の日本人は知っていたのだと思いますよ。

霊魂の存在を。
がゆえに2元論の世界で生きていたのでしょう。

と私個人の意見です。
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この回答へのお礼

再度御回答ありがとうございます。
参考になるご見解ありがとうございます。
もう少し考えを深めてみようと思います。

お礼日時:2010/05/22 06:59

>再度御回答ありがとうございます。


>参考になるご見解ありがとうございます。
>もう少し考えを深めてみようと思います。

私の意見を考慮に入れてくれてありがとうございます。

ふと気づくと思い白いのが、一度、ベジタリアンになると、日本の”武士道”はベジタリアン・菜食主義から生まれたのでは無いかという疑問が氷解します。
(ごめんなさい、日本語の説明が下手で。汗。)

私と私の彼女の経験で判ったことですが、

肉食(=高いカロリー食を食べると)になると睡眠時間が最低6-8時間必要です。
菜食(=低いカロリー食を食べると)だけになると睡眠時間が最低4-6時間が可能です。

肉食(=高いカロリー食を食べると)だと肌年齢の老化が早いです。
菜食(=低いカロリー食を食べると)だと肌年齢が若いままです。
寿命も低カロリー食の方が長いそうです。

肉食(=高いカロリー食を食べると)だと自分中心の考え方になります。
菜食(=低いカロリー食を食べると)だと人を気遣う考え方になります。


アジア人とヨーロッパ人を比べると判りやすいのですが、自己中心的な考え方の多い白人でも、
ギリシャ人はとても人への気遣いが他の白人よりも高いです。
理由は肉よりも地中海シーフード(低カロリー)を好む人が多いからかもしれません。
(昔、よくギリシャ人の結婚式で働いていた経験で知りました。)

私個人の経験ではベジタリアンになると、いろんな人の雑念が私の頭の中を邪魔して勉強に集中できなく、菜食主義者は止めました。
とても人の概念、想い、精神に敏感になったので。

もの凄く強い、自分という個を鍛え上げなければ耐えられなかったでしょう。
が故に日本では”武士道”とい精神が必然的に鍛え上げられ生まれたのかなと感じました。

と私個人の意見です。
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この回答へのお礼

ご意見ありがとうございます。
自分では考えたこともないご内容なので返答し難いです。
いろいろ考えられているのですね。
再三、回答して頂きありがとうございます。

お礼日時:2010/05/22 16:17

私個人の見解で回答します。



エマニュエル・スェッデンボルグというスゥエーデンの科学者をご存知ですか?
彼は霊界探訪記という日記を残してなくなりました。大英博物館が保存しているそうです。

他にも150冊ぐらい本を残したそうです。
今だと大脳生理学として学問になり理解されますが、当時彼が生きていた頃はまったく理解されなかったそうです。
このように、彼が残した本は多岐に渡っているそうです。

彼はあの世、霊界に意識的に行って、この世現実世界で起こる未来などを知っていたそうです。
存命中、自分では言いませんでしたが、ある教会の神父さんが彼から手紙をもらったそうです。
「半年後にあなたが私に会いに来ることは霊界へ行って知りました。でもその時には私はもうこの世にいません。」

他にも日常で困っている人を霊界に行って亡くなった人に話しを聞いて助けていたそうです。
(例・亡くなった銀行家が持っているはずの領収書の場所など。)

どうやら人間、みな死ぬ時刻が決まっているようです。
私の友達のお母さんもそれは知っていたそうです。
その友達は小さい頃に幽体離脱を意識的にしてたと言っていました。

第六感は持つ人は親、先祖の血で受け継いでいくようです。
私も微かに第六感はあるようですが、今はもう無いです。
物心ついたころはありました。言葉を喋りだしてからその力は無くなりました。

そのスェデンボルグいわく、「霊界とこの世の世界はコインの裏と表のように密接している」そうです。
なので私的には、

精神世界と物理世界と捉えています。

質問者さんもあるように、私という個は存在します。それは精神です。その精神が肉体という道具を使ってこの物理世界に存在しています。

どの物体にも永遠はありません。生があり、終わりが必ずきます。
物体の終わりが死であり、精神は永遠です。肉体という道具が終わってそこから離れた魂を俗に霊と呼ばれるのではないのでしょうか。

強い憎しみなどの思いが地縛霊となり、幸せな思い昇華してあの世にいけるのではないかなと考えられます。
スェデンボルグいわく、あの世には時間という概念はないそうです。永遠だけだそうです。
そりゃそうだ。物体世界ではないのだから。

時間と空間。それは物体世界にしか存在しえません。
精神世界には物体は無いから”人の思い”って飛びますよね?
俗にテレパシーと呼ばれますが、意識すれば可能ですよ。

この感覚はいまでも少しあります。
誰かのことを考えるとその人が現れたり、電話があったり。
何故考えたのか?その人が私を考えたからです。

こういった偶然のようなことでもそれから大きな発明は生まれると思います。
今では日常の携帯電話、カーナビゲーション、他。

こういった先進機器のはじめは俗にいう超能力者?たちがきっかけで科学者達が普遍化しました。
誰しもが第六感ありませんからね。

同時に自分の電話番号も覚えなくなり、そのうち地理感覚もなくなり、科学の進化と同時に人間は退化していきますが。笑。

話を戻します。

要するに、”あなた”という個人がいます。
それと同じように、肉体を持たない人たちは存在してるということです。

人によってはそれが見える人もいたり、感じる人もいます。
それは先祖の血で見えます。無い人は無い人でLuckyかもしれません。
下手に見えると地縛霊がついてしまうので。昇華しないといけないのでしょう。

魂は永遠だと思いますか?
肉体は永遠だと思いますか?

自分でいろいろ考えてみてください。
その答えが真実です。


私個人的に最近気づいたことは、すでに未来は決まっているのか?
ということです。

そうなると、なんだかやる気が失せますが。笑。
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この回答へのお礼

丁寧な御回答ありがとうございます。

ほとんど全ての霊的現象は、超心理学では人間の脳(肉体)に存在するESPやサイによって説明できるそうです(超ESP仮説)。理屈的には霊を想定しなくても解釈できるそうです。亡くなった人しか知らない領収書の場所も透視力でアカシックレコードから読み取ってしまうといいます。こうした超ESP仮説は大変トンデモ論なのですが、霊魂や霊界を想定することも、負けず劣らずトンデモ論だと思います。理屈的な面でつじつまが合わなくなることだらけですよね。 それで理屈の通った超ESP仮説を取るか、あるいはもう屁理屈なしで霊を信じるかどちらかになってくると思います。霊を信じる方は霊的な体験者が多いと思いますが、やはり不思議な体験をするとどうしても信じてしまうのはわかる気がしますが、いろいろ脳の不思議さについても考慮していらっしゃるのかどうか伺いたくてこのような質問を致しました。

どうもご意見、ご忠言ありがとうございました。

お礼日時:2010/05/21 20:13

少し逸れますが、中国には何千もの気功の流派があるそうで、その中には入門テストで試験官が指先から出した気を意念である形にする。


受験者はその形を答える。すると入門が許されるという派があると聞いた事があります。
これは、気は具体化し、且つ気功師の意志で自由に形を変える事が出来ると言う事を意味します。

下の方が言う「業」のお話しも面白いですが、これは「霊」の一面を言い表していると思います(全部がそうではない)。

私は以前頻繁に「見ていました」(霊ではないが霊感で見るもの)が、私が見る時、常に「これは実際にそういう形をしているのではなく、コンセプトをApostleのイメージに従ってApostle向けの形に翻訳し、映像化している幻である」という解説がつけられていました^^
つまり、受取る情報はそのままだが、見ている姿は自分のイメージだと言う事でした。
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この回答へのお礼

ご意見ありがとうございます。
やはり霊は、人間のESPやサイによる現象かも知れませんね。

お礼日時:2010/05/20 07:48

人の死後も、その業は無くならず、微細な物質的なものを帯びて見える事がある・・・これを幽霊と言うのだそうです。


幽霊の正体は、人の業であるというのです。
では業とは何かというと・・・人の全てという事のようです。
体(身)の働き、言葉(語)の働き、心(意)の働きの全てのようです。
単に意識のみと解釈しないところが肝心かもしれませんね。

質問者様が考えておられる、思念だけですと、失礼ながら狭い解釈になってしまうように思われます。
普通の感覚をもった人でも、幽霊を目撃した例があるのではないでしょうか。
イメージだけではないように思います。

業が見える、或いは、業が影響を及ぼすといった事はあるのかもしれません。
また、生きている人の業の働きを生霊というのかもしれませんね。
(こちらも大変怖いそうです)

霊というものの考えは、業という広く人間をとらえた解釈の中に入ってしまうように思います。
詳しくは仏教書をお読みください。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。
参考に致します。

お礼日時:2010/05/20 07:42

質問者さんの考え方は、間違いであるという証拠はありません



科学的には霊の存在が確かめられてはいませんが、科学は唯物論ですので、霊が唯物論の範疇を超えた存在であれば、科学的な立証も不可能です

私は霊を否定はしませんが、唯物論的には存在しないものだと思います
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この回答へのお礼

ご意見ありがとうございます。

お礼日時:2010/05/20 07:39

霊は生活にどんな影響があるかということに関係があると思います。


もともともっている資質、たとえばその人なりのパーソナリティと傾向性です。
じぶんの場合はイメージしてそれを言葉にだすとその通りになります。たとえば
日常の微細なことがらに対して神経を注ぐと、予測したとおりの結果になります。
死者のおもいは 無意識のなかにあるじぶんが投影されたものです。
何を感じるか何を為すべきか 全体脳の領域はまだ解明されていません。あれこれ思うより あるがままを受け入れると より充実した生き方ができますよ。
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この回答へのお礼

ご意見ありがとうございました。

お礼日時:2010/05/20 07:38

私が思う世界での話になるのですが、


ある人が、死んで、そういう世界へ。まーそうでしょう
で、大きい地球の流れからみるとその人が食べたものは元々地球にあり、
固体として存在しているときに、食べ物や物などがその人の意思で移動したわけですね
で、死んだ後その人が抑えていた自分という個性で集められたいろいろなもの
食べた結果として出来上がった血や骨などが、また焼かれ地上に戻り
それらにはその人の意思で集められた念がこもっているというか、
その人だからそうなったという結果が混ざると思っています。
なので、それらが残留思念としてあるのではないかと・・・
ちょい話が下手なので、意味がわからないこと書いたかもでごめんなさい
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この回答へのお礼

ご意見ありがとうございます。
少し難しいですが、概ねわかりました。
ありがとうございます。

お礼日時:2010/05/19 20:45

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