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今日のわたしと明日のわたしでは何が同じで何が違いますか?

A 回答 (7件)

細胞?



福岡伸一さんの「動的平衡」という言葉はずいぶん流行っているみたいですね。

この回答への補足

細胞が死んで排泄されると自分ではなくなるということですか。

補足日時:2010/05/26 21:48
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今日の私には今日できることがある。


明日の私には今日できることはもうない。

この回答への補足

問題は「今日できること」が自我に含まれるかどうかですよね。
あまり補足すると利用停止になりますので。

補足日時:2010/05/24 04:10
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補足にお答えします。



>自分の戸籍上の氏名を知らない場合それは自我に含まれるでしょうか?

それを知らないという状況には大きく分けて二通りあると思います。

自分の真の名前を含み自分に興味がない→自我がない、自我を持たないということでしょうね
自分の真の名前は戸籍上の名前ではないという認識を持っているひとはそういう認識を自我の一部として保持しているということでしょう。

ご参考になれば。
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あらゆる可能性が考えられます。


どこかの詩人のように超有名になっているかもしれませんし、死んでしまっていないかもしれません。
とりあえず戸籍上のアイデンテティは(死亡届を出すまでは)変っていないと思います。

ご参考になれば。

この回答への補足

自分の戸籍上の氏名を知らない場合それは自我に含まれるでしょうか?

補足日時:2010/05/22 15:15
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行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。


よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、
久しくとどまる事なし。
世の中にある人と住家と、またかくの如し。

有名な方丈記の出だしです。「わたし」は昨日今日明日と
時々刻々と変化し、どこにもとどまることはありません。
世の中の物事はすべて流れていってしまう。
これを無常観といいます。
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絶対的、本質的な違いは、宇宙が膨張していることです。


全ての物理定数の根源(超弦理論においてhから他の全ての
物理定数を二次的に導いた)であるh(プランク定数)=
相補的不確定性が、「相補(ある値を確定するとそれと対を
なして存在性を構成する別の値が“無限”不確定化する)」
において相殺すべき確定性は、宇宙の膨張において拡大し、
即ち、相対的にプランク定数は減少していると言えるのです。
言いかえれば、「宇宙の膨張は、物体の収縮と等価であり、
それは物理定数(h)の変化に還元できる」という事です。

そのhの変化こそが自我仮説性として、時間軸の本質なのです。
全ての存在は、量子的な不確定性に基づいており、無限に
つめこむと存在確率の山が平らになって、無と等しくなります。
この「絶対無=不確定性無限」において、その無限の闇に、
認識体の仮定断面の運動(プランク定数hの収束の時系列化)を
想定すれば、相対的に無の風は光になり、認識体はその光の向うに
自我仮説の補完としての時空仮説=宇宙を認識するのです。

この「宇宙の膨張と物体の収縮の等価性」は、それぞれの時点
では完全に等価ですが、その延長としての起源において、
前者は「ビッグバン=先入的なエネルギーの塊からの爆発」で、
後者は「無=無限不確定性からの不確定性の収束(現在からの
過去と未来の対発生)」になります。
認識によって宇宙が生じる=自己(現在/感受/光速)から
過去(記憶/時間/超光速)と未来(予測/空間/光速下)が
対発生していると考えれば、その基底としての時空が広がる
(時間経過=空間膨張)のは当然のことです。
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あなたのことを知らないのでなんとも答えられませんが、1日歳をとることは確かでしょう。

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