
(戦艦大和の装甲) 410mmの鋼鈑の造り方は?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%92%8C_ …
ここの性能諸元の装甲欄に「舷側 410mm」とあります。こうした分厚い装甲は如何にして造るのですか。
製鉄工場の製作過程で厚さが410mmの板と呼ぶべきかブロックと呼ぶべきか、そういう形状にしたのですか。それとも例えば、厚さ7~8mmの鋼板をリベットなり溶接なりで繋ぎ合わせて、最終的に410mmに仕上げたのですか。
よろしくお願いします。
No.3ベストアンサー
- 回答日時:
軍艦「大和」の装甲は、呉海軍工廠の第一甲鈑所の能力を超えていたために、新たに第三製鋼工場が建設され、同工場の七十屯酸性平炉3基をつかって最大200トン鋼塊をつくりだしました。
次いで、この鋼塊を鍛錬圧延するために、当時世界最大能力であったドイツ、ヒドロリック社製1万5千トン水圧機を購入し、同工廠製鋼部長・佐々川技術少将は艦各部に応じて各種甲鈑(たとえばVH甲鈑・NVNC甲鈑・CNC甲鈑など)を使い分けました。艦舷側装甲は、船体構造ではなく、410mm表面硬化VH甲鈑(一枚鋼板)を海上クレーンで取り付けました。固定はアーマーボルトにより、さらに下部舷側甲鈑で抑える方式を採っていました。
資料:歴史群像シリーズ 『超超弩級艦「大和」建造』学習研究社 06年10月による
なお、同書58・59ページには舷側装甲の取り付け状況を3DのCG画像で再現されています。
只今の知識で理解するのは少し難しかったですが、専門用語は定義がしっかりしているので、最終的には分かり易いです。
資料の提示もあって、興味が続けば詳しく調べられるのも、よかったです。
有り難うございました。明朝、9時までに、どなた様からも新たなお答えがないときは当方の勝手次第で締め切ります。
No.2
- 回答日時:
時間がないため、情報を確認する事が出来ず、全くのうろ覚えになりますが、大和は溶接構造ではありません。
戦前の日本では、溶接技術が未成熟で、接合箇所の強度や確実性が不充分なため、一部の重要性の無い箇所以外には溶接は使われ無かった筈です。
構造材や装甲はリベットで接合され、ヴァイタルパートの410mm装甲は、厚過ぎるために接合ぶは鋭角の斜めにカットされて、斜めの部分同士を重ねて、重なった部分を複数列のリベットで固定した様に記憶しています。
又、厚過ぎるために、日本には使える圧延機がなく、同盟国だったドイツから、輸入した機械をつかった様に記憶しています。
急かせたようで済みませんでした。いずれ劣らぬ善意なのに締め切るときに甲乙をつけなければならないのが苦痛で、大筋で納得できる場合は回答が一つのうちに締め切ってしまおうという心理が働いていました。
溶接のみならず各部分の必要な強度に応じて、リベットも活用していたのが分かりました。
有り難うございました。
No.1
- 回答日時:
製鉄工程で延板に加工する際に1枚物として作られます。
それを各パーツ単位でブロック状に組み、ブロックを積み上げるように船体を形づくります。
ただ、溶接技術が無いと溶接できません。船内側で位置合わせをしてV字カットして肉盛りするように溶接します。この技術は現代の造船にも使われています。
よく分かりました。
厚さ410mmもある部材を隣同士並べて単純に溶接しても、表面だけしか接合せず強度が出ないのだと思います。高度な溶接技術が必要なのだと薄々ながら見当がつきます。
有り難うございました。9時までに、どなた様からも新たなお答えがないときは当方の勝手次第で締め切ります。
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