自分のセンスや笑いの好みに影響を受けた作品を教えて

朦朧とした感じというか、頭がぼーっとする感じがあるのですが、離人感とは、頭がぼーっとする感じなのでしょうか?

色々調べてみたのですが、もう少し具体的に知りたくて‥
症状も人それぞれかもしれませんが…

またパッと判断することも困難になったり、朦朧とした感じで、周りの人や物との距離感や感覚が分かりづらくなって、ぶつかりそうになったりするのでしょうか?

私の症状としては、朦朧とした感じが常にあり、普通にパッと判断する力が少し鈍っている感じと、朦朧感があるので人や障害物との感覚が掴めない感じがあります‥

いずれも右側のみなのですが、目や耳、嗅覚味覚なども鈍っている感じがあります‥

朦朧としているので、記憶なども薄くしか残らず、本当に困っています…
同じような症状のかた、や詳しいかたがいらっしゃいましたら、アドバイスをいただけたら幸いです。

A 回答 (4件)

 元カウンセラーです。


 既に回答されている方と同感です。離人とは別の病気を疑った方が良さそうです。
 それ以外で気になるのは、脳外科的なものでしょうか。決定的な麻痺ではないので脳外科的な病気の可能性は低いのですが、左右の感覚に誤差がある点が少々気になります。
 まだ撮ったことがないようでしたら、脳のCT・・・理想をいえば血流のわかるMRIを撮ってもらった方が良いかもしれません。脳外科の専門医でしたら、平衡感覚や感覚の検査もすると思います。
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離人症から完治した経験が在ります、もう既に30年も前の直った経験です。

その事で書いてみますが、今の貴方には良く理解できないかも知れませんので、その場合は心に留めておくくらいの気持ちで読んでおいて下さい。離人感と言うものの正体が分かった時に、私の言う事が腑に落ちると思うからです。

人間の感情は、人間の脳の中に自我意識と共に存在している、自我意識とは違うもう一つの意識からの情報を元に湧き上がる感情です。高い所に上がった時に感じる「もの」、スピードを出しすぎた時に感じる「もの」、納期が迫った時に感ずる「切迫した感情」等です。

意識が感ずる感情や、湧き上がる感情とは、感じさせる者の情報を受けとって、感情として感じています。その者の存在は意識できません。ですが確かに存在しています。その者とは「識られざる神」として誰の心にも内在しています。

その意識は右脳に存在する意識です。命そのものを働かせている人格の事です。お釈迦様が仏性と名を付けたものの事です。キリスト教では神と言う風に呼んでいます。ユダヤ教ではヤーウエーと呼んでいる者の事です。

聖書では人間が一番心安らいだ状態を天国と言う風に表現しています。そうして天国に一番近い存在は幼子、と書いてあります。この事と貴方の離人感が関係しています。そのわけとは『心がまだ一つ』しかないという意味になります。

是は脳の機能が未分化の状態と言う事を意味しています。大人の脳になったと言う事は右脳の機能と左脳の機能の分化が完成に近くなったと言う意味があります。その二つになった意識によって『人間が苦しむようになる』この事を、知恵が付いて天国から追放されたと言う風に表現しています。

つまり『人間の苦しみは心の矛盾』によって生じている、という事を意味しています。それは人間は心が二つになったという意味が有るからです。その解消が『神と和解する』という事になります。

或いは仏教的に言うならば『自分自身を知る』つまり悟りを開く、という事を意味しています。二つになった心が矛盾や対立によって『自我意識に』圧迫を加えてくるといい意味になります。つまり心を病んでいると言う場合その症状とは、もう一つの意識からの圧迫という事になります。

人間の苦しみとは心の矛盾がその原因という事になります。従ってその意識同士の違いが少ない状態が、小さな悩みという事になります。違いが大きい時に深刻な悩みと言うわけです。

人間にとって最大の悩みとは、『死』という事になります。この時に自我意識は最大のピンチを迎えた事になります。その時に自我意識が受け取る圧迫が最大の苦るしみを受け取っている事になります。この解消が『宗教文化』の後押しをしてきたと言う歴史があります。

自我意識の機能は分別をする機能の事です。つまり物事を明快に、計算で割り切って行く機能の事です。この機能のために返って自我意識は苦しむ事になります。何故なら有限の壁を越えられないからです。割り切ってゆく機能と言う事自体が永遠を理解できない機能を意味しているからです。

その苦しみの詳細を書くなら、自我意識の苦しみとはもう一つの意識からの『救いの手を遮っている』事によります。もう一つの意識とは『永遠の存在』そのもので出来ているからです。その者と出会う事によって『自我意識は』自分の無力さを受入れるからです。

自分の考え方の誤りに気が付く事が出来ます。自分自身を苦しめていたものが何であったかが分かるからです。苦しみの元を知る事で、心の矛盾が解消できるからです。それは世の中を『我』で見ていた事に気が付いたと言う事になります。好きと嫌いで世の中を見ていた事に気が付くといい意味になります。

今度は違います、分別を捨てた生き方が出来るようになります。ものの道理に従った生き方が出来るようになります。我を張らない生き方です。物事を素直に受入れる生き方の事です。それはもう一つの意識を上に置く生き方になると言う意味になります。

右脳の意識に出会う事が心の矛盾が解消する事になります。日本ではそのテキストがあります。それは『禅問答』です。言葉を持たない意識右脳の意識が、書いたものです。その意識は無意識と潜在意識の主人公です。人間の自我意識に常に働きかけています。

心を病むと言う場合の『症状』を起こしている者です。従ってその完治とは『症状』を受け入れるところにあります。症状を受け入れる事で完治します。それが神に会って和解することになるからです。

従って『症状』が悪いものではなかったと分る事が分る事が、自分自身が分かったということになります。薬で症状を抑えただけでは、本当の意味では治療にはなりません、本当の完治とは、ストレスを減らすと言う事ではなくて、ストレスにしない生き方という事になります。
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離人症経験者です。



書かれている症状では離人症では無いように思います。
確かにボーっとした感じは続くのですが、距離感が取れないなどはありませんし、ましてや片側だけなどはありません。

五感から入力された情報から得られる感情ってありますよね?
その、五感の入力は通常通りなのに感情部分だけが無くなったり弱ったりしているような感じです。
「今までなら この状況で楽しいと感じていた」など感情の記憶はあるので、同じ状況で表面的な表情を作る事は出来るのですが、症状の出ている時には自分の感情をストレートに受け取る事が難しくなります。


先の回答者さん同様、まずは内科で診て貰うか、神経内科(心療内科にあらず)で診て貰ってはどうでしょうか。
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。

頭が朦朧とした感じなので、感じにくいのはあるのですが、それとは少し違うのでしょうか…

自分が歩いたり、食べたりしている事はちゃんとわかるのですが、頭がハッキリしていないので頭だけ自分の感覚がない?ような感じです。

とりあえず、もう1度、内科と、神経内科でも相談してみたいと思います!

本当にどうもありがとうございました。

お礼日時:2010/06/05 14:35

とりあえず内科に行かれてみてはいかがですか?


離人感ということで、精神的なものを疑っているみたいですが、ひとまず内科に行ってみて、原因がわからなければはじめて精神的なものを疑えばいいと思います。
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。
そうですね、先月、内科で点滴をしてもらって頭のスッキリ感が少しあったので、とりあえず、きちんと内科で相談してみます!
本当にどうもありがとうございました。

お礼日時:2010/06/05 14:30

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