とっておきの手土産を教えて

現在23歳、大学3年で就活が間近に迫っている男です。

昨年(2010年)の年末から、死んだら自分はどうなってしまうのだろうという思いがほぼ四六時中、頭から離れなくて心身共に疲れています。

小学校に入学するかしないかの頃から、ふとした瞬間に、死んだら自分はどうなってしまうのだろうと考えて得体も知れない怖さを感じることが度々ありましたが、寝るなどしてしばらくしたら治まっていました。

しかし、今回はすぐに治まらず、死んだら自分の意識は無くなってしまうのだろうか、「無」は何なのだろうか、何の為に生きているのだろうかとか、宇宙について考えてしまったりして、ここ数日は朝になるまで寝られず、起きている間も考えてしまいます。恐怖や絶望を感じてしまい、食事も無理をして行っている感じがします。情けないですが、自分の部屋で声を殺して泣いてしまうこともありました。

また、母親(60代前半)もいつか死んでしまって、火葬が行われるであろうことも考えてしまい、家で母親の顔を見ただけでも、涙が出そうになってしまいます。ニュースなどで人が死んだことを聞いても、その人について考えてしまいます。

先日、ネットで調べて「タナトフォビア」という言葉があることを知り、自分もそれを発症していると思い、ここのような相談サイトを見て回ったのですが、理論的な理解はできても、感情をなかなか抑えられません。少し落ち着いているときと考え込んでしまうときが交互に来ている状況です。

10代の時に強迫観念症(これが正式名かどうかはわかりません)を複数発症したこともありました。(元々、そのような病気になりやすいのだと思います。)そのときは病院には行かず、程度の差はあれ、自分で症状を改善しました。

心が休まりません。どうすれば、タナトフォビアの症状を抑えられるのでしょうか。

強迫観念症の件で家族には迷惑をかけてきており、また、今回は対象が「死」ということもあり、家族には話していません。なので、ここで質問させていただいた次第です。

長文かつ乱文で申し訳ございませんがよろしくお願いします。

A 回答 (6件)

今晩は。



症状を抑えるのも大事かと思いますが、うまく付き合う、それもひとつの解決策かと思いお返事します。

強迫性障害を持っています。死が対象だったことがあります。
死に捉われ、苦労はしましたが、お陰で意識がとても変わりました。
その経験をお伝えします。

なぜ死に捉われるのかから探りました。
実は身近に死が沢山溢れていることに対し感覚がそれを捕らえていることに気付きました。
だから意識が「死」から離れない。死を感じる結果、それを強く意識してしまう。
だから病気だ、というよりも単純に感性が鋭い事が原因なんだろうと思いました。
感性が豊かな人なら大なり小なりタナトフォビックであろうとも今は思っています。
死、はいかなる人であれ未知です。
DNAからは死を避ける行動を取るように恐怖という感情を引き起こすよう書き込まれています。
それなので死=恐怖は自然な感情です。ところが死が溢れているがゆえにいつまでも繰り返し
恐怖を引き起こす、どこかで麻痺するのが通常なんでしょうけれど、麻痺しないことが苦痛となる。
麻痺しないことは間違ってはいないと思うので病気だとは考えません。
ただ麻痺しないから困っている現状がある、それをまず客観的に捉えられるようにしました。

そこで繰り返し引き起こされる恐怖への対処法を考え、実行しました。

何をしたかというと、死、の反対を探したんです。
誕生ですね。意識して、意識を向けた結果、溢れる死と同じように
生命の誕生を至る所に感じられるようになりました。
毎日、毎秒、ありとあらゆる生命が生まれている一方で、死んでいく。
繰り返し、繰り返し、です。その感覚を得てはじめて万物流転をきちんと理解できた気がします。
自分の身に起こる死もまた、肉体が解体され、流転する。自然の流れなんだろうと。
そこに魂を信じる気持ちがあれば、輪廻転生も有り得る事とも思いました。

その一方で、死からも学びを得ました。何よりも如何に命が儚いか、です。
だからやはり誠に、生きて存在しているということ事態が奇跡なのだと知りました。
一期一会という言葉の持つ真の意味に触れることが出来たのも、死を思ったが故に。
今は昔、全ての時計に書いてあった言葉だそうです。メメントモリ(死を想え)と。
その昔は今で言うタナトフォビアが当たり前だったのかも知れませんね。
ちなみに朝生まれ、夜死す、それが繰り返されて日々となる、という考えもありますね。
なによりも人は思ったよりも簡単に死んでしまうものなので
限られた日々を一所懸命生きなさい、という智慧なのでしょう。

いつか必ず死にます。死後の世界の話で困るのは、結局死んでみないことには判らないですし、
折角まだ生きているのに、知りたいから今死のう、というのも違います。
なので死後の悩みは死後のお楽しみとしてひとまず置いておきませんか?
死後も意識が継続していましたら、その時にあらためて考える、としておいて
意識が無かった時は諦めよう、としてみましょう。
問題の死への概念ですが、死の意識を振り払うことは大変です。
だったら死に対してポジティブな意識を持つように意識を変えてみませんか?

私の辿った道のりです。
身近に溢れる命が死んでゆく、その切なく脆い命が故に、命に対しての愛おしさに繋がった。
儚さゆえの愛おしさだとしても、溢れる息吹に感じ入り、懸命に生きる大切さが
死を感じるが故に繰り返し伝わってくる。
その時にはじめて死の概念がそのまま命への慈しみへと変わりました。

残された日々を大切な人たちといとおしみ、生きる。それはかけがえのない日々となるでしょう。
命を見送り、自分の最後の時には、素晴らしい人生を過ごせれた、と悔いなく死ねるでしょう。
思い残すことが無いから安心して自らの命を自然へ帰す。
そんな心を最後の時に持てるよう日々、命を燃やして生きていきたい。
それこそが、死を想うが故に苦しみを生むことに対しての最大の対処法として
僕が今、まさしく実践中の毎日です。

繰り返しますが、命は儚いものです。お母様を想う気持ちは慈しみでしょう。
慈しむ思いがあるのですから、まずはお母様への慈しみの行動を取ってみましょう。
具体的に、日々の感謝の気持ちを手紙としてお渡しするのも良いでしょう。
あなたの笑い顔を見せることも、もちろんとても喜んでくださるでしょう。
何も出来そうになければ、ただ、傍に居る、たったそれだけでもとても大きな喜びでしょう。
愛情こそ、死への恐怖から解き放つ何よりのものではないでしょうか。

私事ばかりで恐縮ではありますが、何か拾えるものがありましたら何よりの喜びです。
長々とお付き合い、ありがとうございました。
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この回答へのお礼

回答していただきありがとうございます。
「死」について完全に考えないというのは難しいと思われるので、
うまく付き合うという方法もありだと感じました。
今はまだ辛いですが同じように
実践していければと考えています。
今回、たくさんの回答をいただき悩みましたが、
quicklunchさんの回答をベストアンサーにさせていただきます。
回答していただいた皆様、ありがとうございました。

お礼日時:2011/01/08 22:12

強迫観念症ですが、たぶん今は強迫性障害という言葉を使っていると思います。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B7%E8%BF%AB% …

今の恐怖の症状も、とても似ていますよね。
精神科医での治療が症状を軽くする手助けになる可能性は大きいと思います。
相性の良さそうで通院を継続しやすいクリニック探しをしておくと良いように思います。

少し気になると言う程度であり、まずは御自身で出来る範囲のことをというお考えでしたら、セロトニンをはじめとする脳内の物質の代謝バランスを良くする生活をまずは試みてはいかがでしょうか?

質の良いたんぱく質を食べる。 朝日を浴びる。 腹式呼吸でのリラックスを意識する。 
リズム運動(疲れすぎない運動、水泳・散歩・体操など体力に合わせて、特に水泳は効果が高いそうです。)を毎日継続する。・・・毎朝5分の朝日を浴びての体操は、とても良いそうです。 
規則正しい生活を心がける。 大声で笑う。 禁煙をする。 深酒はしない。 コーヒーは夕方以降避ける。
などを試みてはいかがでしょう?
(いずれも、安眠・リラックスに効果があると言われています。)

すでに、生活に大きな支障となるレベルでしたら、医師の手助けを請う方が良いと思います。
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この回答へのお礼

回答していただきありがとうございます。
今は金銭的な余裕がないので自分でできることから
始めてみようと思います。
規則正しい生活が送れていないので、そこから
改善していきたいと考えています。

お礼日時:2011/01/08 21:52

輪廻を聞いたことがあるでしょう。

過去セがあるように来世があります。それを理解すれば解消できます。

生というものを今生だけでとらえるから恐怖症になるのです。来世もあるのです。親とはまた来世でめぐり合うから全く悲しくありません。

部今日の概念が強い江戸時代に橋に対する恐怖を持った人はあまりいませんでしたが、今は多いですね。これは西洋思想に洗脳教育された結果ともいえます。

人間一人一人個性が違うのは過去世の結果なのですよ。でなければみんな同じ人生を送っています。

輪廻の勉強してください。明るく。
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この回答へのお礼

回答していただきありがとうございます。
確かに「輪廻」という言葉は聞いたことはありますが、
詳しくは知らないです。
余裕ができれば勉強してみようと思います。

お礼日時:2011/01/08 21:41

死というものも言葉だけの存在です。

タナトフォビアとなるともう専門家だけが存在することを知っていることでも納得できると思います。しかし体が生きているというのは言葉ではないはずです。言い換えると体あっての私と思えばよいということではないでしょうか。具体的に、いわゆる不健康なことをしないとかからだをよく動かすなどのことを通じて、体あっての私ということを実感してみたらどうでしょう。死も幽霊と同じく言葉だけの存在ですからあるかないかといくら考えても答えは出てこないと思います。しゃべったり書いたりすればいつでも存在しますがそうでないときにはどこかに行っている(じつはそんざいしていない)のではないでしょうか。
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この回答へのお礼

回答していただきありがとうございます。
「死に対していくら考えても答えは出てこない」ことについては
その通りだと思います。
なるべく考えないようにしたいと思います。

お礼日時:2011/01/08 21:32

私も軽い神経症で、癖のような感じで普段から症状が出ている者です。


もう昔からなので慣れましたが、たまに寝不足やら体調が悪いときはひどくなってひとつのことばかり繰り返してしまいます。(例えば何回も手を洗ったり物をしまったかどうか何回も確認したり)

それと-Y_Yoshi-さんの症状が同じようなものかどうかはわかりませんが、私の場合は運動をしているときは割と症状が出なくなりました。
あと無理にでもその考えを消し去る。
この手はもう洗わなくていいんだ、今気になっているだけなんだ、と思い込んで行為をやめてしまうんです。
しばらくしたらもう気にならなくなっていますからね。

一度そうされてみてはいかがでしょうか。
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この回答へのお礼

回答していただきありがとうございます。
「無理にでもその考えを消し去る」ことは、10代の頃に
発症した強迫性障害に対して行ったことがあり、
効果はある程度あったような気がします。
今回はなかなか難しそうですが、少しずつしていければとは
思っています。

お礼日時:2011/01/08 21:19

ようするに、神経症および、うつ病系ですよね。

あなたは。

死だけが怖いわけじゃないんでしょう。漠然とした不安とかも、こわいのでしょう。

死を説明するのは、長い文章が、ひつようなので、手塚治虫 の 火の鳥 という

まんがをみつけて、全巻 よんでください。20冊くらいあったかな。わかりやすいです。

簡単に言うと、人間は無から生まれて、人生一生懸命、いきて、勉強して、人生をつくり、

家族を愛し、女性を大切にして、結婚して、子供を作り、年寄りを大切にして、家を作り

いずれ、成し遂げたら、死んでいく、無にかえるだけなのです。もといた、有機物の

せかいに戻るだけのことです。土、水、空気、日光、虫、動物、生、精液、DNA

たったそれだけのことです。だからといって、大学に行く頭があるなら、人生を無駄にしないこと、

これが、人生の目的です。愛 LOVE ツルー トゥルー トラスト、笑えるけど、

人生、大切にしましょうよ。日本の教育は死とか、国を愛することを教えませんからね。

じぶんで、学ぶしかないでしょう。あなたも、母も、わたしも、いずれ歳をとり、運がよければ、

認知症、しえの恐怖がない病気、神様が恵んでくれた病気、また、うんがわるければ、ガン

で、いたみにくるしむ、事故でしぬこともあるでしょう。それが、運命です。人間の命も

たいしたことないけど、宇宙的に考えれば、地球が消滅しない、隕石が、ぶつかるための、

確立も、かなり高いそうです。それなのに、地球ができてからら、何億年も、地球は存在

している。もし、心配になるなら、そういう確率を勉強するのも、楽しいと思うよ。
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この回答へのお礼

回答していただきありがとうございます。
今はまだ余裕がないですが、
余裕ができたら、「火の鳥」を読んでみようと思います。

お礼日時:2011/01/08 21:09

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