No.2ベストアンサー
- 回答日時:
名目上は銀の世界の総生産量の1/3を算出する国ですから、
ターゲットになっている事は明白です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E8%A6%8B% …
勢力は、
価格の暴落で、香辛料=銀でなくなったオランダからイギリスへ移っていました。
それに遅れてフランスやドイツが参入していました。
ロシアは南下政策。アメリカはモンロー主義の名の下に、太平洋の捕鯨で灯油を得る事に専念します。
捕鯨は南太平洋の漁場から北太平洋の漁場へ移っていました。
貿易が出来る国は植民地とはなりませんでした。
中国の人口は巨大なマーケットであり、列強各国の利権争いの波に翻弄されます。
日本も幕府にフランスが味方し、軍事顧問を送り込みます。
イギリスは自由貿易を基本理念としますので、商人との取引となりました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%BC% …
見ての通り、
蒸気機関車、小銃、軍艦などを輸出出来る日本は植民地化しませんでした。
(実際は利益を半ば度外視したグラバーの功績が大きい。)
坂本竜馬→海援隊→岩崎弥太郎→グラバー→三菱
この構図は大きいと思います。
貿易赤字の解消ではアヘン戦争が起きています。
アロー戦争は中国の人口から考えれば貿易利益が薄い事があげられます。
事の発端は、紅茶の輸入が多いのに、中国は綿布や銃、機関車などを全く購入しなかったからなのです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AD% …
朝鮮や東南アジアは中国の冊封を受けていたのでその度に紛争が起きています。
一部の国は中国に見切りを付けてフランスに保護を求めます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8F%E5%8D%B0
大韓帝国は強くロシア寄りの政策に走った為に併合されてしまいました。
貿易による商業利益が望めない場合には植民地となります。
インドでは工業が盛んでしたが、産業革命の安く、高品質のイギリス製品にはかなわず、
工業自体が衰退してしまいます。(関税0の自由貿易の結果。)
インドは、鉱物資源や農作物などの第一次産業を生産手段とします。
国家経済の破綻。
国家安全の破綻。
生産体制の破綻。
これらが植民地を決定付けます。
No.7
- 回答日時:
戦国時代後期にスペイン、ポルトガルあたりが日本を植民地化しようという意図があったという話は聞いたことがありますが、幕末期に米英仏露が日本を植民地化しようとしていたという話は、聞いたことがありませんが^^;
日本の側が、清国などの状勢を見聞して半植民地化を恐れたのは事実ですが。開港の強要による経済的な支配や実力行使による一部の租借などは考えていたでしょうが、植民地化なんてどこの国も考えてはいなかったと思いますよ。日本の国情に関しては、オランダ経由で案外に知られていたはずですからね。
No.5
- 回答日時:
はじめまして
列強が幕末の日本と軍事的に本格的に戦えば難無く列強側が勝てるでしょう
幕末の日本のように長らく戦闘経験もなくまだ近代的軍事訓練が不十分で指揮する将校も育っていない状態では勝てません
下関の四国艦隊砲撃事件を見ても艦隊側がたいした制圧射もせずに
海兵隊でもない陸上戦闘訓練もたいしてやっていないわずかな水兵部隊が上陸しただけで
本来は職業軍人であるはずの長州藩士らは怯えて戦いもせず
砲も破壊せず遁走して水兵部隊に無傷で砲を捕獲される体たらくでしたから
本題の列強が日本の植民地化を考えていたかという問いには
答えはノーです
日本を植民地化したところで資源や特産物はないし
上級商人や上層武士を除けば殆ど貧しい民でインドのマハラジャのようにとてつもない購買力のある人間もおらず
市場価値もなく、飢饉だけは頻発する
これでは何のメリットもないですね
元々植民地経営というのは赤字経営なんです
英を例にとれば
赤字を解消するために
本来の国際法上政治的支配を認められた植民地(フォーマル・エンパイア)の他に
カナダや豪をドミニオン(自治領)とし現地決済で経営させるところや
アルゼンチンのように独立政府があるが経済的にメリットのある国を資本支配する半植民地(インフォーマル・エンパイア)に
別けたのです
現地治安部隊や官庁の維持費や鉄道敷設や運行経費は莫大です
それに伝統的に志願制軍隊の英軍では足らず、グルカ兵を始めとする傭兵やアスカリ(現地兵)を雇っていたのですから
その莫大な赤字をインドからの原材料輸出による膨大な黒字と資本輸出による債権で補填していたのが大英帝国の植民地経営です
叩いてもホコリしか出てこない日本を植民地化しようなんて思わないでしょ
長文失礼致しました
No.4
- 回答日時:
漫談です。
日本が銀の世界的算出国だったのは江戸中期までです。
まず、ご指摘の通り、日本は欧州から遠いです。極東、Far Eastという言葉は、欧州中心世界地図でみると、本当に東の彼方を実感できます。見てください。
http://everest.co.jp/clock/time_zone_map.jpg
植民地にするしないはおいておいて、各々の国家が日本を目指した理由があると思います。
アメリカは、捕鯨船団の基地として、特に薪と食料の補給基地として日本に関心があります。鯨の鯨油が燃料、食料として重要だったからです。薪は、鯨油を採取するときの燃料に必要だからです。
ただ、アメリカはこのころ国内が奴隷問題をめぐって不安定で、1865年まで南北戦争をしており、その後自国内の復興と開発で、海外植民地までゲットする余裕がありません。というか、自国内の開発でいろいろと事足りたので、日本を植民地にする必要がありません。
明治政府の甲鉄という軍艦は、南北戦争の余剰兵器です。
英国は、実は帝政ロシアとインドでにらみ合っていました。当時英国の最大目標はインド防衛で、そのためにロシアの南下と対立します。ロシアが降りてこないように、自国の拠点を東へ持っていきたい。行き着いた果てが日本でした。ただし、日本を植民地にするための軍事作戦をできる基地が、ありません。
フランスは、英国より国力に劣ります。が、インドシナを植民地にしており、極東へ兵力展開は、やらなくてはなりませんでした。しかし、英国と同じく日本を植民地にする軍事作戦のための基地がありません。
ロシアは、南下したい、不凍港ほしい、のですが、ウラジオストック開発が1860年で、シベリア鉄道開通は19世紀末、完成は日露戦争中なので、明治維新の時には極東に兵力がありません。なんとか英国が北上しないように、ウラジオストックを拠点にがんばっていました。が、日本が英仏とつきあいはじめた時点でもう、地理的に日本に介入できません。また、軍はチェチェンで戦争し、クリミア戦争もしており、結果トルコ国境にも配備せねばなりませんでした。なので、英国かフランスの植民地にならなければいいかな、位です。ロシアが本気で極東に来るのは、義和団の乱からです。
清國という市場があり、アメリカ以外は利権獲得に熱心でした(アメリカはもっと後からきます)。阿片戦争でこの競争は英国がリードしますが、その情報をえていた江戸幕府は陸軍を組織してフランスが接近、幕府と対立することになった薩摩・長州には英国が接近します。会津中心の列藩同盟はプロイセンが支援をします。が、日本人は各勢力とも、清國がアヘン禍などで外国に隙を見せた結果、どうなったか知っていました。
なので、武器と軍事顧問は歓迎しましたが、各勢力とも援助国の軍そのものの派遣要請はしませんでした。
また、日本に軍をおくりたくても、兵力、費用、船が各国にはないです。
で、日本人は御家騒動を自分たちだけで片づけてしまい、各国も、植民地にすることによって日本人や他の国とケンカするのは、儲けにならないと悟ったわけです。
日本人の識字率の高さ(列強よりはるかに高い)、日本兵と日本人指揮官の軍隊は士気が高くまた戦上手だったこと、幕府がトップでも、朝廷がトップでも国内に大規模紛争状態が長続きしなかったこと、社会インフラが清國より整っていたこと、も、植民地にするのめんどくさい、と判断させた大きな要因でしょう。
その代わり、不平等条約を結ぶことに成功し、日本はこれをどうにかするのに苦労することになります。
日本の一部が植民地になりかけたのは、榎本軍が函館政権を樹立した時だけでしょうが、この時すでに英国は東京政府を国家とみなし、東京政府も榎本が外国軍を引き入れる前に函館政権を滅ぼしたので、北海道も植民地にはなりませんでした。
むしろ、太平洋戦争に敗北したときに、ソ連が北方領土の一部を占拠した現状こそ、国家の一部が他国に植民地になっている状態でしょう。この時ソ連は北海道を占領したかったのですが、アメリカが阻止したと言えると思います。
No.3
- 回答日時:
>米英仏露などの各国が、日本を植民地化しようとしたといいますが、それらの国々にとって、こんな極東の外れにある国を自分達のものにすることに、いったいどんな利益があったのでしょうか?
実は世界史上において幕末当時の日本は、金銀一大生産国でした。
ここから、日本を植民地化する意図があったように通説では指摘されますが、その可能性はあまり高くありません。
そもそも、列強が植民地支配を狙う状況になかった、というのが幕末当時の世界情勢と言えるでしょう。
まず植民地支配について以下のような問題から疑念があります
(1)植民地支配を狙うにも既存の植民地統治に四苦八苦していた
(2)極東に大規模駐留の余力がなかった
(3)中央銀行による通貨統制が実現して貴金属の相対価値は逓減していた
(4)通商修好による重商主義の帝国主義の時代を迎えていた
(5)購買地市場として欧州本土から距離が長すぎる
(6)強力な統一政府(江戸幕府)が存在する
(7)植民地間の交易市場を形成するにも日本の情報・実情が不明だった
以上のような状況から考えても直接的植民地支配のメリットは少ないと言えるでしょう。
私見ですが、世界史知識の深い人の多くが、幕末当時の列強情勢と植民地支配の現況からして
「日本の植民地化」については疑問を呈する人が多いようです。(私もそうです)
明治維新において「日本が列強に支配されてしまう」の歴史観が支配的ですが、それらは極めて小さい歴史スケールの評論が多いと言えます。
歴史作家の多くが、当時の世界の植民地情勢に関して、中国事情だけでしか世界を指摘していないのは、視野の狭さと言えるでしょう。
唯一例外として危険性があったのはロシアですが、ロシアは中国利権の確保が最優先だった情勢と考えられます。
実は、詳細に検証してみると、明治維新そのものが列強支援を背景とした内乱工作とも考える余地があります。
構図にすれば
薩長+イギリス VS 幕府+フランス
日本を戦場にした英仏代理戦争の構造は、見事に戊辰戦争によって実現目前になります。
最終的には、慶喜が(ヘタレた?)フランスの軍事支援を断り、幕府は大型内戦を回避する結果になりましたが、仮に継戦となれば、泥沼の内乱となった可能性が高いと言えます。
(肥前勢力が国内戦力の決定打の意見があるが、制海権においては、幕府・奥州側が圧倒していた事実が重要)
同時期に植民地化され最終的に編入されたハワイの歴史はあまり知られていませんが、仮に泥沼の内戦を回避せずに、継戦していれば、そこれこそボロボロの状況で列強を相対することになり、交戦するまでもなく、屈辱的講和などのシナリオが待ち受けていたかもしれません。
実際、最終勝利した新政府軍の海軍戦力は最後まで幕府・奥州列藩同盟側の優勢を覆すことができなかったわけですから、幕府側の早期和解は英断というべき歴史観もあるでしょう
正直私から言わせれば、
新政府側が主導的に内戦化させ、戦争により国内が疲弊し、列強の侵攻を助長しかねなかった・・と言えるでしょう。
日本を守るために、結束するのではなく、守るための中央統制部を混乱させ、なおかつ身内争いを激化させた・・と考えると、新政府側のやり口は、歴史的にも政治的にも下策、というべきでしょう。
もっとも、その下策に対して、徹底抗戦しない方向で踏みとどめた幕府側の英断こそ、植民地支配を回避させた重要な歴史転換点だったと言えるでしょう。
実際に、幕府側の海軍力は最後まで新政府軍を悩ませ、当時作った横須賀海軍工廠が日本の近代海軍整備に果たした役割は大きいことも知られています。
結論
植民地化の目的以前に、植民地化を狙ったという証拠もないし、そのような国際政治環境にもなかった
中長期的歴史視点で言えば植民地統治の可能性は否定できないが幕府による武力統制が一定の効力がある限りは、そうそう植民地化はできなかった
実際、中国・マレーシアなどの植民地支配は列強も当初から計画していた節がありますが、日本の植民地支配の計画は政治レベルでは文書にもありません。
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