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日本を含むアジア圏には、君主に仕える女性が集められたいわゆる『後宮』という仕組みがありましたが、欧州圏の王候貴族にはそのようなシステムはなかったのでしょうか。
アジア圏の皇帝や王、将軍には二桁の妃、側室がザラだという気がするのですが、ヨーロッパ圏の王には大勢の女性をひとつの館でといったイメージがありません。

いまふと思い付いたのですが、キリスト教の教え等も絡んでいるのでしょうか。貞節であるべし、とか。

A 回答 (5件)

辞書を読むとレオ10世(教皇)は、マグダーレン尼僧院を建設したそうです。


役割としては売春組織。
最初がそれで、事業を展開するため、つぎつぎ作ったのだと思います。
やがて各地に尼僧院はできていったのは、レオ10世の功績があってこそですね。


そこに女性が集められ、そこで性行為のサービスをさせられていたってことですね。
これが公娼として聖職者限定に行われていた性処理サービスだったのか、特権階級 例えば貴族限定で行われものなのか、一般人にも開放していた売春サービスだったのかはわかりません。

尼をナンと呼びますが ナンは無という意味ですから、存在を否定されたが実在していた聖娼ってことですね。
女性たちが存在を否定され修道院に集められ性処理サービスをさせられていたのか、社会的に存在を否定された女性が生き残る場所として自らの意思でそこに集まり性処理をすることで、生活援助をすると教皇が提案しそれを受け入れた女性たちが尼僧院のメンバーだったのかはわかりません。

現代でも尼(シスター)が売春をしているという話は聞いたことが無いです。
ただし、ある方とネットで会話したとき、残っている?と半信半疑だけどありえなくもないと思いました。
その人はシスターで(シスターってことはカトリックですね)、膣以外の性行為を快楽としているという発言をされたことがある。
ジョークとかではなく真剣に楽しいと発言していた。

夫と書いてあったが、シスターであれば結婚をしているわけが無く、戸籍上夫であることは無いので、聖職者のことを夫と言っていたのだと思います。

ネットで口論したときも理論で私をやりこめようとしており、その発言内容は聖書にのっとったもので、シスターというのは間違いではないと思ったし、妄想などによる精神障害を起こしているわけでもないと思った。
発言におかしさが無かったので。


ただし、もし本当に長年聖職者の性処理を任務としてやっていたのであれば、父親にレイプされ続け、それを愛だとして外部に訴えることもなく秘密を守り、逆に父親が疑われた父親を必死でかばう娘のような そんな印象を受けました。
そういう人って、会話は普通にできるが、何か奇妙な違和感がありますよね。
心的外傷がみられるが、本人はそれに気づいていない。
自分がやっていることが世間のモラルと反しているとどんなに説明してもわからず、使命感に燃えている。
痛々しいが本人はいたってまともだと言う。
確かにまともだが歪んでいる。

キリスト教でありえないと思ったけど、この人とつかみ合いの大喧嘩をしながら煽って言わせたら、ボロボロでてきて、「マジですかぁ 本当にまだいるんですかー」と思いました。


ほとんどのシスターは売春はしていないと思います。
そんな口の軽い女性は選ばないと思う。
小さい頃からしつけられ、望んで身体を捧げるまでに調教された女性の場合は、棺おけに入るまで秘密は守るのではないかと思います。
狂信者と呼べばいいのでしょうか・・・

昨今、カトリック教会が聖職者が児童をレイプしているという件で訴えられていますよね。
1000件以上の訴訟が起きている。
信者同士ではなくて、信者を導くはずの誰もが一番に信頼している神父が男女の児童を長年レイプしつづけており、それが何十年もたって、ひょんなことから発覚し、ボロボロと聖職者の闇の面が露呈してきている。

人間の俗的な面もよく知っていたレオ10世は、聖職者が一般人に性犯罪を犯さないように、従軍慰安部隊を作って組織的に運営していたのかもしれないですね。

そうなるとシスターはまた、聖娼としての役割を担った方がいいように思う。
聖職者ばかりではなく、信者の相手もしてあげたら、信者が性犯罪を犯すのを防げると思う。
それがこの組織における助け合いだと思う。

一般社会ではセックスボランティアをする人がいるわけですから、キリスト教会もそういうボランティア(自らの意思で娼婦になる)人を募って養えばいいと思います。
いや いるが公にされていないだけか。
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この回答へのお礼

回答有難うございます。
現実にお子さんたちが性的虐待の被害者になったのだとしたら本当に痛ましい事件だと思います。全容解明されこれ以上の被害者が生じないことを願います。

お礼日時:2010/07/11 16:30

どうもNo.3の方がおっしゃるように、跡継ぎの仕組みの違いがあるようです。



既出のイングランドのヘンリー8世ですが、最初のお妃の時代(つまりカトリック時代)に愛人がいて子供がいたといわれています。史実でどうだか分からない(古い時代のことなので記録がはっきりしない)のもあるようですが男子もいたかもしれない。
小説では男子が登場します(ブーリン家の姉妹)
でもその子に継がせようとはせず、王妃との間の男子が重要だったみたいです。

ヨーロッパでも愛人や非嫡出子がいたことはいたし、公式に認められた愛妾というのがあった国もあるし、そういう存在が無いわけではないんです。本当に貞節だったわけではない・・・・・・・でも後宮やハレムみたいな制度は無いですね。

公妾
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AC%E5%A6%BE
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この回答へのお礼

回答有難うございます。

後継の問題はあるにせよ、欧州圏でそのようなシステムが機能しなかったのはなんだか不思議な気がしますね。
英雄色を好むというか、ある程度の身分になった男性が多くの女性を求めようとするのはもはや本能かとも感じますし、案外ハーレムとか後宮を羨ましく思っていたのかもしれませんね。

お礼日時:2010/07/10 16:56

 ヨーロッパに後宮の様な仕組みが殆ど知られていないのは、非嫡出子に家名等の継承が基本的に出来なかったからです。



 アジア圏ならたとえ母親が奴隷出身で満足な婚姻関係すら結べていなくても、父親が正当な自分の子であると認知し、後継者に指名すれば立派な跡取りになれます。
 (ヨーロッパの場合、非嫡出子を後継者にする位なら、会った事も無いような極端な事を言うと外国人でも嫡子で辿れる人を探し出してきて後継者にする。)

 アジア圏なら後継者が絶えない為と言う大義名分で沢山の子供を作る為に、女性を沢山囲めますが…。
 (妻も自分が年老いて来た時に、夫が若い女と仲良くしてたらかなり不愉快でしょう…。下手したら妻が実家に告げ口して、妻の実家が介入してくる口実にされかねない…。ヨーロッパの場合、妻の実家が隣国[外国]の強国である事も多いので扱いには慎重に…。)

 ルイ15世の鹿の園なんてものも一応有りますが…。
   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B9%BF%E3%81%AE% …

 ちなみに、少数の女性を愛人として囲う事は、なかば公然と行なわれていました。

 また、イギリスやフランス等の国には公妾と言う制度が有りました。
   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AC%E5%A6%BE

 諸々の費用を王廷費からの公式に支出され、王妃に代わって国のファーストレディーとして王の傍らで公の場で活動します。

 ポンパドゥール夫人の様に国政に絶大な影響力[オーストリアのマリア・テレジア女帝、ロシアのエリザヴェータ女帝と通じ反プロイセン包囲網を結成←所謂「外交革命」]を行使する事すらあります。
   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%B3% …

 ちなみに王妃が何故ファーストレディーをはたせないかと言うと、先述の通り王妃は家を継ぐ子供を1人でも多く生まなければならない為(彼女にしかそれが許されない)、夫婦間に問題が無いと、ただひたすらに妊娠と出産を休み無く繰り返す事だけの人生に成ってしまいます。
 (気を病む夫人も多かったとか…。)

 まして、王妃になる方全てが、ファーストレディーに相応しい美貌と教養と社交的な性格をしている訳では有りませんし…。

 ちなみに、キリスト教会などは婚姻を承認する権限がありましたから、過去に存在していなかった婚姻を偽造して庶子を嫡子にしたり、その逆を行なったりなど度々、継承に介入しました。
 (極端な事例だと、イギリスのメアリー1世の様に一夜にして王女から庶子になり、しかも後に母違いの妹の召使にまで落とされる…。)
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この回答へのお礼

大変興味深い回答を有難うございます。庶子のお家継承が認められないのであれば、後継者を誕生させるための後宮システムはそもそも必要ないですね。
ヨーロッパの王族の婚姻が王族同士であったというのも目からうろこでした。
確かに下手なことをして王妃の実家を怒らせたりしたら後が怖いですね。

お礼日時:2010/07/10 16:44

中世以降のヨーロッパ圏では、キリスト教の影響大でしょう。


証左の一つとして、イングランドのヘンリー8世が挙げられます。
彼は、離婚をするため、ローマ・カトリックと争い、結果としてイングランド国教会を作りました。
もちろん、国教会制定は離婚問題だけではありませんが、カトリックのままだと離婚できませんから
ヘンリー8世は、カトリックと手を切りました。当時離婚となると、余程の理由がない限り、
カトリックの破門対象となったはずですから、キリスト教の影響は少なからずあったと考えるのが
妥当でしょう。
あとは『後宮』というシステム自体はありませんでしたが、ローマ帝国皇帝やギリシアの王たちが
必ずしも一夫一妻であったわけではありません。

余談ですが、旧約聖書にでてくるソロモンには、700人の王妃と300人の側室がいたと言われて
います。ただ、イスラエルは地理的にはアラブ・アジア圏なので、『後宮』というシステムを知って
いたとしても不思議ではありません(旧約時代には「一夫一妻制が理想だ」という記述は特になし)。
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この回答へのお礼

回答有難うございます。

なんとなく君主になると多くの女性を求めるといったイメージがあるのですが、そういえばヨーロッパ圏では後宮とかハーレムとかないよなと思い質問いたしました。
イングランド国教会創設の経緯は学生時代の世界史で習った覚えがあります。
国によって色々あるんですね。

お礼日時:2010/07/10 16:36

http://bbs.jinruisi.net/blog/2010/05/000800.html
私有婚というような概念で説明しているが、キリスト教は出てきませんね。

少なくとも,古代ローマの非キリスト教徒の皇帝たちにも後宮はありませんでした。
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この回答へのお礼

大変興味深いサイトをお教え戴き有難うございます。

アジア圏やアラブ諸国には当然のこととして存在した後宮、ハーレムシステムが機能しなかったというのはなんだか不思議な話ですね。

お礼日時:2010/07/10 16:28

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