電子書籍の厳選無料作品が豊富!

アート系の学校へ行っている人に質問です。先生の自分の作品に対する批評って信用できないと思いませんか?

現在、服飾系専門学校の学生です。

自身過剰かも知れないのですが、私は自分自身のデザイン力に絶対的な自信を持っています。在学中又は卒業後にブランドを立ち上げたいと考えています。

私のデザインした服に先生がもれなく「ここはこうした方がいい」などと修正をします。ほかの生徒の作品に対しても同じです。

私はこういった先生の言葉を信用できません。なぜなら、先生はアパレル業界で結果を出していないからです。例えば、アルマーニやトムフォードに「ここはこうした方がいい」など言われると、もう一度、自分のデザインを考え直してみようという気になります。なぜなら、彼らはアパレル業界で結果を出した人たちからです。しかし、服飾系専門学校の先生は企業デザイナー止まりの人たちで、自分の名前で服を出した事ない人たちです。言い換えれば、アパレル業界で結果を出していない才能のない人たちです。そんな人たちの批評は、消費者が「この服が黒だったら買っていたのに。」とか「もう少しシルエットが細身だったらなぁ。」などという言葉と同じに聞こえてしまいます。

アート系の学校の先生はほとんどがその業界でたいした結果を出していない人たちだと思います。結果を出せるぐらいなら教員ではなくその道のプロ(アパレルで言えば自身のブランドを持つファッションデザイナー)として働いているの思います。。アート系の学校に進学する人たちは自分に圧倒的な芸術的才能があり、それで将来生活できると確信しる人たちだと思います。そんな人たちに私は聞きたいです。

「その業界で結果を出していない先生の評価って信用できますか?」

A 回答 (6件)

私は今デザインの学校とアトリエに通っています。


確かに私のデザイン科の先生はとっても辛口でたとえば
「これじゃ消費者は買ってくれない」とか「白のほうがいい」「もっと丁寧に」とか言ってきますが
結果を出していない先生は何人かいます(爆)
はっきり言ってうざいなっておもいます。
でもその先生の作品はすごくうまく「なんでこんなにうまいのに評価されなかったんだろう?」
と思います。人によって評価は違ってくると思います。
私はデザインの先生に「その業界で結果を出していない先生の評価って信用する?」
とは思っていません。先生の評価はあくまでも第三者からの評価でそれを自分の中でしっかり受け止め
なぜこれはダメだったのか?なぜあのひとのデザインはよかったのか、違いはどこか?改善点は?などを考えてやっています。
だから信用しなくても半信半疑でいいと思います。


参考にならなかったらごめんなさい・・・・
    • good
    • 0

あなたの言葉、学生の思い上がりですね。


>服飾系専門学校の先生は企業デザイナー止まりの人たちで、自分の名前で服を出した事ない人たちです。言い換えれば、アパレル業界で結果を出していない才能の。。。
★この言葉は思い上がり以外の何物でもない。
所詮学生レベルの発言です。
私はアパレルデザイナーとして28年のキャリアがあります。

美大卒後、専門学校でトップクラスの成績で卒業しました。
企業デザイナーのほうが今はなりにくいのですよ。
レベルが高い、競争が激しいのです。
自身のブランドは誰でも直ぐに作れます。
しかし継続するのが困難なんですよ。

世によく言う、ブランドネームのご本人も、沢山のスタッフに助けられ仕事を大成します。
つまり、皆の協力が得られる人物なのかが問題。
今のあなたでは思い上がり以外の何物でもない。
あなたの作る服も、誰か(消費者が)着るのですよね。
第三者が介在しないと成り立たない。
しかも今のあなたは、教えを請う相手さえ馬鹿にして。。。

いいですか、アパレル業界、そんなに甘っちょろいものではないです。

いますよ、頭でっかちの自己ブランドを立ち上げる人物も。
しかし、ぎょうかいは本当に狭く人徳の無い発言、他人を認めない汚い言葉。
回りまわってあなたに降り注ぎます。
それが宇宙の法則。
かわいそうに。。。。
    • good
    • 0

こんにちは。



20年くらい前には、そんなことを考えたことがありましたけれども。


「企業デザイナー止まり」
「自分の名前で服を出していない」
「それらの人の評価を信用できるのか?」


この問いに対する回答はたったひとつしかないと思っています。
「なぜ、結果を出していない(と思われる)人に、教えを請うポジションに、あなたは留まり続けているのか?」って。

そこまで言うならアントワープとかにいなきゃ嘘でしょ?……とか言われたりするんですよ。ま、蛇足ですね。




以下は「結果を出していないと思われる人の言葉を鵜呑みにしなさい」と言っているわけではないことを、念頭において読んでいただきたいのですが。


過去にも服飾専門学校に在籍して、「結果を出していない人」と称される先生の下で勉強をして、現在は「結果を出している人」が何人かいらっしゃると思います。
(何人か、という言い方は、単に狭き門であることを表現しているにすぎません)

その方たちは何をどのように感じ、学んできたのかについて、考えてみていただければと思いました。




>「その業界で結果を出していない先生の評価って信用できますか?」


これについては「先生の評価の根拠」についての探求を進めてください。
消費者の言葉と同じに聞こえてしまうのは「微妙な差を感じ取る感覚が鈍い」わけです。

「修正する理由は、そいつなりに、どこかにあるんだよ」ってことですね。

信じる・信じない、正しい・正しくないは、この際どうでもよくて。

世の中の評価としてそういう「修正の意向」は一定数以上存在するものだ、ということを受け止める覚悟は必要になるんです。

卒業後、あなたは「この服が黒だったら買っていたのに。」とか「もう少しシルエットが細身だったらなぁ。」とかいう消費者とモロに向き合うことになるわけです。

業界にすら足を突っ込んでいない、ただの消費者に、もっとテキトーなことを言われたりするわけです。それはアルマーニもトムフォードも一緒。ただし本人の耳に入るかどうかは知りませんけれどもね。


ですから、信じる・信じないはあなたが決めれば良いのです。

けれども、修正するかどうかは、実際に試してみて、やっぱり自分の方がいいことを確認する必要はあります。それがプロのお仕事です。想像だけで言っても、今のポジションでは口だけ番長で片づけられてしまいますから。

試作に試作を重ねて説得力を持たせる。
自分のスタイルに妥協しないために、やってみて比較して結論を出す。
それをやって初めて見えることがあります。

今の段階(学生)の間にとことんやっておくべきだと思いますよ。
自分の自信のためにもね。
    • good
    • 0

自分に自信をもつことは大切なことです。

しかし、実績の低い人たちのセンスは信用
できないから、自分のセンスを信用するというロジックは、プロとしてまったく実績
の無いあなたにとっては破綻したロジックなのです。
自信過剰とあなた自身がおっしゃるとおり、まったく無根拠な自分への信頼性によっ
て、あなたの破綻したロジックは破綻せずに成り立っているということを自覚すべき
です。
ですから、現時点では自分は知識も経験もない学生身分にすぎないということを念頭
に置き、講師の言葉を頭ごなしに否定せず、まずは聴いて、分析して、自分の思想に
疑いをもち、そしてその思想を洗練させるきっかけにすべきなのです。
講師はむしろ自分と思想や立場が異なるほうがいいぐらいです。



ただ、もう一方で、よい講師もいれば、悪い講師もいるという講師の質問題もあるこ
ともたしかです。
それは担当を変えることができないあなたにとっては不可避な問題なので、学校を変
えるべきか否かという問題にスライドしていくことだと思います。

あなたのアート系の学校の先生の多くはたいしたことがないという意見には賛成しま
すが、それはどこまでも質の悪い名ばかりの専門学校がつくられてしまったことが原
因であり、そうした学校を除外すれば、私の認識では信頼に値する講師陣を集めた専
門学校はありますし、美術・芸術大学などは説明するまでもありません。
(私は美術が専門なのでファッション系の学校の現状については知らない)

私の大学時代は講師陣は海外経験のある現役の作家でしたし、教授陣は国際的な賞の
受賞歴のある人たちでしたから、思想やセンスは違えども、彼らの言葉に対する一定
の信頼はありました。つまり学校が違えば、信用すべきかどうかという問いに対する
答えも違うというわけです。
ですから、あなたがどんなに論理的に考えても、講師の能力に問題があると思うので
あれば、学校を変えるというのが最終的な結論だと思います。
    • good
    • 0

その意気やよし、と思います。



まず美術系の学生だったら先生の言う通りにすること自体抵抗があるはずですよね。
予備校も含めてそういうホイホイと言われた通りにする生徒はほとんど居なかったように思います。

自分のアプローチは間違っていない、だとするならその方法で説得できていない今の作品にはどこか問題があるのかもしれない、だったら誰でも認めざるをえないレベルの物にしてやろうではないか。
とまあこういう思考経路をたどるのが正常と言うか、普通だったと思うのです。
なぜなら先生のとっさの思いつきの通りにハイハイと考えもせずに変えていたら一貫性が生じないから結局勉強にもならないわけですよね。

で自分なりに考え抜いてこれならと言う物ができれば教員も認めざるをえないわけです。
そういうレベルの物になっているのにまだ最初の思いつきにこだわっている先生が居るとすればそれはちょっと問題のある先生と思います。
比べるのは同僚の作品でいいと思うのです。もちろんある程度レベルの高いという前提つきですけれども。
たくさん観ていればこれには負けてるなというアイデアや技術の作品はわかりますよね?

概して基礎科目の先生には美術作家としてオッと言うような人が居ましたけれど、専門科目に限ってなんでこの人がって言うようなレベルの人が居ました。
二年三年ぐらいになったらその辺の自分なりの見切りはつけるべきだと思います。
まあでも課題はちゃんとやっておくべきと思いますが、つまらない教師にかぎって課題もあまり意味が無いようなもんだったように思います。

やはりおとなしくても自分の作品を発表して世に問うている先生は生徒のあいだにも人望がありましたね。

ちょっと気になったのは「アルマーニやトムフォードに ?略? 言われると、もう一度、自分のデザインを考え直してみようという気になります。」という一節。
今の考えで筋を通すならそういうことではいけないと思います。
    • good
    • 0

私とあなたは業界が違うのですが、私の学生時代はあなたと似たような事を感じていました。


それは若いからこそ思えるのもあるし、そう思うことは決して間違ってはいないと思います。



>「その業界で結果を出していない先生の評価って信用できますか?」

仕事のプロと教育のプロは違うので、なんともいえませんが、学生の多くはそう思っているのではないでしょうか?

アニメ業界でよく言われることは、宮崎駿さんは監督としては一流だが、新人教育者としてはたいしたことはない。逆に、大塚康生さんはアニメーターとしてはそこそこだが、アニメ教育者としては宮崎駿などの著名人よりはるかに優れていると言われます。



天才肌の人は、普通の人のことが良く分からないので、教育は下手な人が結構います。
ただし、教育がよいかどうかは客観的実績がつきにくい分野で、自分がその人が良いことを言っているか
を判断しないといけません。しかし、仕事のできる人は、「実績」を観れば一目瞭然で、良し悪しの判断は容易にできます。


そういう意味で、よく分からない教育者より、はっきり「できる実績」が分かる実力者の言葉のほうが説得力があるので、あなたの言い分は当然だと思います。






特に学生時代は、その人が本当に良い事を言っているかどうかの分別はつかない事が多いのです。私もそうでした。今思えば、失礼ながら見下していた講師が良い事言っていたと思えることも多々あります。その判断は当時の私にはできませんでした。それだけ幼い判断基準しかないから、「実績」でしか判断できなかったのです。



多くの学生は、あなたのように思っているのではないでしょうか?
別にそれはそれでよいと思います。

「人の助言を聞かない人」も良くないのですが、「人の言葉を鵜呑みにする人」も良くないのです。

結局自分で良い助言か、悪い助言か、判断しなければなりません。今あなたの状況はその判断基準を鋭く研いでいる段階です。美大を卒業した今の私も、その人が本当に良い助言を言っているかどうかの判断を、100%ついているとは思いません。ある意味それは一生続く事かもしれません。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!