第二次世界大戦で日本は絶対勝てなかったのでしょうか
もし日本がミッドウェーで勝利しアメリカ空母艦隊が崩壊したうちに
ハワイ・パナマを占領しアメリカ西海岸を爆撃、細菌兵器をアメリカ本土にばら撒き、
結果アメリカ国民の世論を反戦に動かし、日本が有利な形で講和できなかったのでしょうか。

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A 回答 (9件)

当時の帝国海軍及び陸軍の致命的な欠点の一つとしてあげられるのが「補給の軽視」です。


そもそも海軍の対米戦略は「艦隊決戦による早期講和」でそのために艦隊の整備を行って来ました。

長大な航続距離と偵察機を装備した「イ号潜水艦」はその典型で「艦隊決戦を行う前に敵艦隊の戦力をすり減らすため」といった通商破壊を主とするWW2での各国の潜水艦戦略とは大きく異なった運用法からも見てわかるとおり、「潜水艦はあくまで補助戦力」といった考え方から抜け出せず、米軍の魚雷の劣悪な性能も相まって「輸送・補給船団が潜水艦に攻撃されたとしても大した損害はないだろう」、「護衛は旧式駆逐艦でもつけとけばいいだろう」と考えた結果もともと少ない輸送船及び護衛艦は大損害を出し、次第に作戦遂行に影響を与え始めます。

昭和18年11月になってようやく「海上護衛総司令部」を設置し12月には護衛空母4隻を編入するなど、それなりの体裁を整えますが、主力となるはずの駆逐艦は「峯風型」や「神風型」といった旧式艦ばかりでした。

帝国海軍の駆逐艦は対潜戦闘よりも上記の艦隊決戦構想のため対艦戦闘と主眼とした装備で対潜性能が低く、狩るはずの潜水艦に逆に沈められるケースも多く、もっとも米潜水艦による駆逐艦の損害が多かった昭和19年だけでも30隻の駆逐艦が撃沈されています。

長々と書いてまいりましたが、
(1)日本海軍は開戦初頭に占領したウェーク島の補給が限界地点だといわれており、ウェークよりもさらに遠いハワイやパナマを占領し維持し続けるための輸送能力及び護衛戦力があるのか?

(2)ガトー級だけでも200隻あまりを計画し大戦中にほとんどを整備した米国の造船能力・潜水艦戦力に対抗できるのか?

(3)北方(ソ連)を重視し、泥沼の中国戦線を抱え、南方に戦力を割かなければならない状況を苦々しく思っていた陸軍からハワイ・パナマを占領し維持するために必要な戦力を抽出することが可能か?

等々、ハワイ・パナマを占領し維持するだけでも「日本軍には不可能」と言わざるを得ません。


西海岸の爆撃ともなると防弾性能の貧弱な日本軍機が、管制された雲霞のような米軍迎撃機群、対空砲火網を突破し、爆撃し、帰還出来る機体が何パーセントあるのか、など考えるだけでも恐ろしい損害を出すことが予想されます。

細菌兵器の使用に関しては昭和19年から実行された米本土爆撃作戦(ふ号作戦)で計画されたものの作戦内容を知った天皇陛下によって細菌兵器の使用が禁止されたことがあるため、今回のケースでも実行されることはないと思います。

長文失礼しました。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
パナマを封鎖できても維持するだけの輸送能力も無く細菌兵器も天皇陛下の一声で使えない。
その間に週刊空母と言われる驚異的な造船能力でアメリカ空母艦隊は数ヶ月で建て直し
忠実と同じルートを辿りそうですね・・・

皆様ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/08/05 22:22

実際の戦史で、太平洋上の米空母がたった一隻になるまで追い詰めた瞬間がありました。


1942年9月15日に伊19が空母ワスプを撃沈しましたが、この時点で、太平洋上の米海軍の可動空母はホーネットただ一隻です。
(サラトガ8/31被雷小破、エンタープライズ8/23第2次ソロモン海戦にて小破、ヨークタウン6/5ミッドウェー海戦にて沈没、レキシントン5/7珊瑚海海戦にて沈没)
この当時はガダルカナル争奪戦の最盛期でしたが、可動空母がたった一隻の米軍に対し日本が優位に立つことはありませんでした。
南太平洋戦線では既に米陸軍などの航空基地が建設されており、時すでに遅しだったとの見方もありますが、ひとつの事例です。
いずれにせよ、戦線が延びきった日本軍には小兵力でも対抗できるということです。
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この回答へのお礼

ミッドウェイで日本の空母艦隊が壊滅した後の出来事ですね
ミッドウェイで勝っていたらアメリカの艦隊は空母を沢山所有している日本空母艦隊に手も足も出ないと思います。

お礼日時:2010/08/05 20:50

>ミッドウェイ海戦で勝ち、アメリカ空母をゼロにすると2年以内に色々できると思うのですが。


何でこれに拘るの。
もしもしでつないだら、絶対勝てましたよ。
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この回答へのお礼

すみません。質問タイトルに書けばよかったですね。
日本がミッドウェイで米空母を撃沈できたらアメリカに勝てますかね?

お礼日時:2010/08/05 20:40

開戦当時1年以内なら勝てると判断し、開戦しました。


1年の理由は単なる物資不足があったからです。
絶対に無理でした。
原子爆弾の開発も遅れていました。
呉付近で開発していました。
もしなら、原子爆弾が先に開発されていたら勝ったでしょうね。
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この回答へのお礼

>開戦当時1年以内なら勝てると判断
山本五十六の言葉ですね。たしか2年は存分に暴れられると。(連合艦隊が)
物資不足ですが43年までは忠実でも持ったみたいですけど。
ただ忠実では連合艦隊が壊滅し制海権がなくなりニューギニアに物資が送れず大量の餓死者を
だして敗北したんですね。

ミッドウェイ海戦で勝ち、アメリカ空母をゼロにすると2年以内に色々できると思うのですが。

お礼日時:2010/08/05 20:18

歴史にもしもはありえないし、絶対に勝てませんでした。


圧倒的に物量作戦でかないませんでした。
ニューギニアは酷いもんですよ。2年以上食料、武器、弾薬なしでどうやって戦えというの。
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この回答へのお礼

今回の質問は「もし」の話です。
ニューギニアで苦戦したのは制海権が取れなかったからですよね
もしミッドウェイ海戦で勝っていた場合アメリカの空母はゼロ。
その場合制海権は日本にあるので物資を送れるとニューギニアどころかサモアまで攻略できたと思います

お礼日時:2010/08/05 19:12

仮に幸運が重なり、上手く戦況が進んだとしても結果は見えています。


非戦思想を説くつもりはありませんが、戦争とは外交の延長線上にあるものであり、政治の一手段に過ぎません。
それを履き違え、軍部主導に走った当時の日本に勝算はないでしょう。
質量共に劣る日本軍は、拡大した戦線を保持することも、大々的な攻勢に出ることも難しかったのが実情です。(真珠湾も、大義名分を得るため、あえて日本軍に攻撃させたという説もあります。)

行くも地獄、戻るも地獄の状態です。

仮に、細菌兵器を本土に撒けば、アメリカ国民の感情を逆なでし、更なる報復に遭うのがオチです。
日本全土に原子爆弾が投下され、莫大な負債を背負わされた可能性の方が高いでしょう。
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この回答へのお礼

忠実の日本は政治的にアメリカの手の上で転がされて戦争に入ったんですよね

質量ともに劣るといいますが1942年ミッドウェイ海戦の時は空母の数で上回り艦載機もゼロ戦が
活躍していた頃と思います。ミッドウェイで負けたのは作戦ミスです。

ミッドウェイで勝っていれば原子爆弾が実用化される前に核施設爆撃できそうな気がしますが。

お礼日時:2010/08/05 19:20

すでにいい回答がでていますが、太平洋戦争はアメリカに仕掛けられてやむなく開戦した側面と、ドイツという勝ち馬に乗ろうとした側面があります。


ドイツがイギリスを倒しアメリカと対峙する状況にならないと、日本はアメリカに対する勝ち目はありません。
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この回答へのお礼

ドイツからも攻めてもらわないと勝てないということですね。
ありがとうございました

お礼日時:2010/08/05 19:26

ドイツがソ連との不可侵条約を守っていればそれだけで非常に有利に展開したと思う。

英国は恐らくドイツに降伏していただろう。
アメリカは両面で戦わなければならず、日独に譲歩する形で休戦していたと思う。
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この回答へのお礼

そうでしょうね。
ドイツは調子に乗りすぎましたね

お礼日時:2010/08/05 19:23

寡兵を以て大軍を破った戦略家は...


大きなところでは、太公望、韓信、アレキサンダーでしょうか。
彼らは結果として周、漢(王は劉邦)、マケドニアという、
後世に残る(マケドニアは分裂しましたが)大国を作っています。

彼らには大義名分と新しい国を作る意欲がありました。
戦争ではどちらの国にも大義名分があるのですが、彼らの場合は
相手国にも自分たちへの同調者がかなりいました。

それに対して当時の日本はどうでしょうか?
日本の防衛戦をかってに他国につくり、それに含まれる朝鮮、
台湾、満州を併合しました。国際的に日本に同調してくれる
国はほぼなく(ドイツ・イタリアは戦略の都合上の同盟)、
日本に賛同する個人もほとんど無かったと思います。

ミッドウェー海戦にボタンの掛け違いで勝っていたとしても、
敗戦までの期間が1年延びただけのように思います。
細菌兵器でアメリカを攻撃するのは最悪の方法です。
これによって生き残ったアメリカ人は残りの人生を日本を
攻撃することに使うようになるでしょう。反戦の世論などは
全く考えられません。NYの貿易センタービルの事件は見ましたか?
あれによって、世論が一気に戦争へと傾いたはずです。

また、無人のアメリカ大陸を手に入れてどのように使うという
のでしょうか。人間の賛同があってこその国家です。
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太平洋戦争や、第二次世界大戦を起こしたのは、本当に日本なんですか?

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第二次大戦のヨーロッパ戦線はすでにドイツにより
開始されているので、おいておくとして、
太平洋戦争(対米英戦争)は、日本が米英に攻撃開始し、宣戦布告しているので、
日本が起こしたのは間違いない。
日本が米英を攻撃し、宣戦布告するように仕向けたのは米国だとの評価がありますが、
そうだとしても、日本が攻撃開始し宣戦布告した事実はなくならないため、日本が起こしたのでよいはず。
英米が起こすよう仕向けたとして、仕向けたことをもって起こしたと表現することがあってもいいかもしれないですが、その場合でも、日本が起こしていないというのは不正確だと思います。

Qもし日本が第二次世界大戦で勝っていたら、日本の国民性は今と違っていたのでしょうか?

もしもの話は無駄といわれればそれでおしまいでしょうけど、
今の日本人は、
平和ボケ、
愛国心(国の為に戦う気持ち)がない、
左翼的、
自虐教育的
というイメージがありますが
これは日本が先の戦争で負けたため
GHQによって洗脳された民族性なのでしょうか?

もし日本が勝っていたらこのような国民性ではなかったと思いますか?

Aベストアンサー

どうでしょう?まだ全体的に平和だった昭和初期の話だそうですが、後に提督となるある海軍軍人がもちろん制服姿でバスに乗ったところ見知らぬおっさんが軍人である彼の姿を見て「税金泥棒」と独り言をいったそうです。んで、その方はおもいっきりそのおっさんを殴りつけたとか。
日本はその歴史上外国から攻められたのは元寇の一回(回数としては二回)だけなので、本質的に平和ボケなんです。平安時代といい、江戸時代といい、国内が統一されると軍隊というのが解散してしまうんですね。制度上は兵部省とか武士は一応軍人であるとかあるんですがね。

自虐教育については、まあ古今東西を問わず新国家は旧体制を否定しますからね。例えば、江戸時代は「農民は生かさぬよう、殺さぬようだ」と絵本のベロ出しチョンマみたいな悲惨な生活をしていたといわれていますが、あれは明治政府のプロバガンダで、実際は結構おおらかだったし幕末近くになると幕府や藩の求心力が低下してきて農民が一揆を起こしたら実質的に農民側の主張がほぼ全面的に受け入れられたなんてことも結構あったようです。幕府にバレるとお取潰しの口実になるので知られてないことが多いようです。

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Q太平洋戦争と第二次世界大戦

太平洋戦争と第二次世界大戦とは同じものでしょうか、違うものでしょうか?
同じだとしてその接点はどこにあるのでしょうか?

Aベストアンサー

世界大恐慌で植民地を持っている国はブロック政策で自国産業を保護しましたが、
持たざる国であった日独伊は苦しくなり、植民地を持つ国々と戦争をおこします。
この主要国同士の争いを第二次世界大戦といいます。

第2次世界大戦も一般的な開始は1939年の9月1日にドイツがポーランドに侵攻したことです。
この9月1日が開戦日ですが、英仏の立場からすれば宣戦布告した9月3日ということになります。

太平洋戦争は主要国アメリカと日本が戦った期間をいいます。
日本は12月8日に真珠湾攻撃を仕掛け、この日が開戦日になっています。
同日には英国領マレー半島を急襲しており、こちらはあまり知られていません。
日本の功績はどちらかというと英・蘭を駆逐したこと方が大きいので、
真珠湾よりマレー半島上陸作戦の方が価値が高いといえます。

日本だと主に真珠湾攻撃~終戦記念日の8月15日までを第2次世界大戦として扱い、
この期間はアメリカとの戦いでもありますので併せて太平洋戦争といいます。
ですが、実際には8月15日以降もソ連参戦など戦いは続いています。

このように国によってスタンスが異なりますが、世界史というグローバルでみるなら、
1939年9月1日~日本が降伏に調印した1945年9月2日をもって第2次世界大戦の期間、
1945年12月8日~1945年8月15日をもって太平洋戦争といえるでしょう。

世界大恐慌で植民地を持っている国はブロック政策で自国産業を保護しましたが、
持たざる国であった日独伊は苦しくなり、植民地を持つ国々と戦争をおこします。
この主要国同士の争いを第二次世界大戦といいます。

第2次世界大戦も一般的な開始は1939年の9月1日にドイツがポーランドに侵攻したことです。
この9月1日が開戦日ですが、英仏の立場からすれば宣戦布告した9月3日ということになります。

太平洋戦争は主要国アメリカと日本が戦った期間をいいます。
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Qどの程度の現代戦力を送り込んだら第二次大戦に勝利できたか

戦時史には詳しくありませんが、大戦末期に各地の都市がB29の爆撃に晒されたり、長崎・広島の原爆投下の際も、現代の地対空ミサイルさえあれば何十万、何百万の犠牲は出なくて済んだのに考えられずにはおられません。戦艦大和が撃沈されたのもそれ以前の海戦で主力空母が撃沈されたのも兵器の能力の差があったと思うけど、現代の装備と人間をどの程度の規模で当時にタイムマシンで送れたら第二次世界大戦に日本は勝利できたのでしょうか?

Aベストアンサー

 開戦前に陸海空自衛隊のタイムスリップに成功した。移動場所は駐屯地と同じ場所
 航空自衛隊はフィリピン、重慶、シンガポールを攻撃するため、高雄、サイゴン、漢口に移動した。
 海上自衛隊はそのまま連合艦隊に編入された。最新鋭の防空システムと対潜能力を持った護衛艦は第一艦隊に配属され、戦艦長門以下主力艦の護衛が任務となった。潜水艦隊はクエゼリンに回航された。
 陸上自衛隊普通科師団は、シンガポール、フィリピン、インドネシア、ビルマ、北満州に配備された。90式及び74式戦車は輸送する手段(重すぎて輸送船に載せられなかった)がないため駐屯地警備に回された。

 昭和16年12月8日、開戦の朝を迎えた。
 自慢のF15、F2は格納庫へと納められた。F4は約2/3が出撃した。F15、F2は燃料と部品が不足したためである。F4は1/3を部品取りに使用して貴重なケロシンをかき集めて出撃した。
 海上自衛隊は主力艦隊を守らんと呉に集結していた。潜水艦は敵艦隊を撃破するため、真珠湾、サンンディエゴ間に展開した。
 南方に配属された陸上自衛隊は目的地に上陸、バイクで偵察しつつトラックとメガクルーザーで進撃した。フィリピンはコレヒドールへと向かったが、続々と降伏するフィリピン軍を後方に輸送するためトラックとメガクルーザーを転用した。対戦車ロケットは続々と敵軽戦車を撃破した。シンガポールでも対戦車ロケットは続々とブレンガンキャリアに命中した。

 昭和17年5月27日、護衛艦は遂に出撃した。旗艦・大和と共に主力艦隊を護衛するためである。6月4日、イージス艦のレーダーが遂に米海軍機動部隊と攻撃隊を捉えた。しかし無線管制がひかれてるため前線の南雲部隊には伝えることが出来なかった。そして、虎の子の空母4隻は撃沈された。そして作戦は中止された。

 8月、米軍がガダルカナルを急襲した。援軍に西方普通科連隊、各師団のレンジャーを抽出して編成した特別隊がガダルカナルへと送り込まれた。彼らは弾の無くなった89式、ミニミなどお代わりに99式小銃が与えられていた。機関銃は50キャリバーの弾薬をフィリピンで鹵獲していたため継続使用した。空自のパイロットも再訓練を終え、新たに支給された100式重爆に搭乗してポートモレスビーの爆撃へと参加した。そして、西方普通科と特別隊はガダルカナルで全滅した。

 昭和19年6月、サイパンを守るため護衛艦は小澤機動部隊と共にタウイタウイを出撃、途中に潜む潜水艦は全て撃破した。イージス艦のレーダーで米国艦隊を捉え、アウトレンジ戦法を開始した。しかし、練度が低い搭乗員では米国艦隊の敵ではなかった。一方反撃に出た米軍もミサイルの前に壊滅した。艦隊決戦は両者損害なしで終結した。そしてサイパンは陥落した。

 10月、米軍はレイテに集結した。これを迎え撃つため護衛艦は栗田艦隊に同行した。シブヤン海では襲い来る敵機を貴重なミサイルで撃破、損害なしで突破した。サマール沖で敵護衛艦隊を発見、対艦ミサイルで護衛空母と輸送船を次々と破壊したが、レイテ突入直前に転進命令が下り、呉へと帰還した。小澤艦隊はほぼ壊滅し、機動部隊は完全に失われた。この作戦により北満洲から沖縄に転属していた普通科師団は台湾に転属、フィリピンにいた部隊は山岳地帯でゲリラ戦をしていた。また、ビルマからインドに進んだ部隊は飢えとマラリアに苦しんでいた。

 昭和20年3月、B29が大挙して東京に襲来した。爆弾を積載した敵機をパトリオットで次々と撃墜し、伊豆沖の藻屑とした。沖縄近海に接近した米国艦隊を撃滅するため部品をかき集めて編成したF15、F2、F4部隊は貴重なケロシンは半分だけ搭載し出撃した。切っ先にはレーダーの代わりに爆弾が搭載されていた。レーダーは地上の防空システムに転用された。彼らは沖縄の海に特攻作戦の尖兵として消えていった…

 昭和20年4月、沖縄を守らんと大和と共に残存護衛艦は出撃した。最新のレーダーはあるものの対空ミサイルはほとんどなくあるはCIWSのみであった!続々と襲い来る米軍艦載機、必死に抵抗するが、大和以下全イージス艦が撃沈され、防空型護衛艦の大半は失われた。

 昭和20年4月、5月、6月と日本は幾度となく空襲に見舞われ、それを撃破せんとパトリオットを使用、遂には使い果たしてしまった。

 呉も続々と空襲され、護衛艦や潜水艦は大破着底していった。

 昭和20年8月6日、広島に原爆が落とされた。8日、ソ連が満洲に侵攻、残っていた陸自は必死に抵抗したが数に優るソ連軍の前に敗退した。9日、長崎に原爆が投下された。そして15日、玉音放送がなり戦争は終結した。


 あなたは日本の敗因の最大理由を知らなさ過ぎです。どんな良い兵器があろうと運用が下手だったら意味がありません。最新の護衛艦は大和以下主力艦隊の護衛に回され、輸送船団や機動部隊の護衛には回されません。航空機に至っては燃料の調達方法がないし、精密部品を彼らの腕で作る(だいたい原材料が手に入らない)ことは出来ません。
戦車は日本から持ち出せないでくの坊です。銃も弾薬供給が出来ず、ただの飾りにしかないません。

 開戦前に陸海空自衛隊のタイムスリップに成功した。移動場所は駐屯地と同じ場所
 航空自衛隊はフィリピン、重慶、シンガポールを攻撃するため、高雄、サイゴン、漢口に移動した。
 海上自衛隊はそのまま連合艦隊に編入された。最新鋭の防空システムと対潜能力を持った護衛艦は第一艦隊に配属され、戦艦長門以下主力艦の護衛が任務となった。潜水艦隊はクエゼリンに回航された。
 陸上自衛隊普通科師団は、シンガポール、フィリピン、インドネシア、ビルマ、北満州に配備された。90式及び74式戦車は輸...続きを読む

Q太平洋戦争と第二次世界大戦の情報戦略について

戦争をやる上で、敵国の情報を仕入れることはとても重要なそうですが、例えば第二次世界大戦や太平洋戦争では各国はどのように情報を得て、それをどのように活かしたのでしょうか?教えてください。

Aベストアンサー

情報戦の雄は英国です。  これは第一次世界大戦の教訓もあり普段から外交電文の蒐集、解読技術の開発を心がけていました。
戦時は殆どの命令や連絡が暗号電文で飛び交うのでこれらの傍受、解読は緊急業務で特別の機関あ編成されました。
英国は日中戦争中から日本軍の電文を蒐集し、解読していました。

この情報をアメリカに提供し、アメリカも同様な機関を設けたのです。
従って日本の外交電文、軍事電文は内容が相手国に筒抜けの状態でした。
米英はこの事を極秘にしていましたから日本は開戦後も暗号を変更する事なく気付くこともありませんでした。
真珠湾攻撃、南方戦略、山本連合艦隊司令官の迎撃、ミッドウエー海戦の悲劇はいずれも英米の情報戦の勝利でした。
日本軍は暗号の強度を過信し最後までこの事に気付きませんでした。

南方島嶼の攻撃前に、空中偵察により日本軍守備隊の宿舎、トイレの数を分析し、正確に兵力を算定し殆ど差は無かったといいます。 これも日本軍がトイレの使用人数を一定に定めている事を利用したのです。
そしてこれに数倍の兵力を集中して攻撃しました。
また日本兵の戦死者の日記やメモを蒐集分析し部隊の出身地、移動の履歴なども調べ、関東軍の精鋭が南方戦線に移動し、満州が弱体化している事実も探知していました。
この為に日本の方言の研究訓練も要員に施していました。  またこれからヒントを得てナバホ族の言葉を暗号に取り入れて使用し解読不能にする事も行ったといいます。

空中偵察写真の精密分析技術も英国は傑出しており、それを逆用してアフリカ戦線で兵力の移動の痕跡を隠し、都市の位置を変更し爆撃を無効にしたのは有名です。
ドイツのロケット研究所の発見も空中写真の分析からで、正確な爆撃でドイツは多数の研究者を失いロケット開発が一時ストップした事も有名です。

対日爆撃にも航空機工場の位置は正確に把握されて攻撃されました。

情報戦の雄は英国です。  これは第一次世界大戦の教訓もあり普段から外交電文の蒐集、解読技術の開発を心がけていました。
戦時は殆どの命令や連絡が暗号電文で飛び交うのでこれらの傍受、解読は緊急業務で特別の機関あ編成されました。
英国は日中戦争中から日本軍の電文を蒐集し、解読していました。

この情報をアメリカに提供し、アメリカも同様な機関を設けたのです。
従って日本の外交電文、軍事電文は内容が相手国に筒抜けの状態でした。
米英はこの事を極秘にしていましたから日本は開戦後も暗号...続きを読む

Q第一次世界大戦と第二次大戦

第一次世界大戦はどういう経緯でおきたのですか?
あと第二次では中国はアメリカ側だったのに、なんで日本より中国は発展が遅いんですか? 日本はアメリカに負けて戦争終わってからどんどん成長してきたけど、中国はもっとまえからアメリカとはそこそこの関係?(一方的かな?)だったのになぜですか?人口が多すぎるからですか? 教えてください。歴史の知識が薄いのでお願いします。

Aベストアンサー

>第一次世界大戦はどういう経緯でおきたのですか?
ぎりぎりの緊張した場所がひょこっと誕生し、どこも望んでもいない戦争が突然発生して、ヨーロッパ中を巻き込んでしまった、という雰囲気ですね。
>あと第二次では中国はアメリカ側だったのに、
>なんで日本より中国は発展が遅いんですか?
欧米以外で先進国になった国は日本だけです。中国が不思議なのではなく、日本にヨーロッパ的な要素がもともとあったということでしょう。日本がなぜ発展できたのか、米国のアフリカ系の社会学者とか大変興味をもって研究しているとか聞いたことがあります。そこはもう、社会学・経済学の奥深いところに答えがある気がします。

Q第二次世界大戦ものの映画の魅力ってなんでしょうね?

戦争映画が大好きなのですが、
ベトナム戦争や、中東戦争、近未来戦争、
第一次世界大戦、日露戦争、などの映画にはほとんど興味がありません。

しかし、こと第二次世界大戦(太平洋戦争もですね)の映画になると
もう、たまらなく好きです!^^
このまえも、「ワルキューレ」最高でした!^^(一緒に観た連れは重苦しい映画だったとの感想でしたが^^)

そこで、第二次世界大戦ものの映画の魅力ってなんなのか?
みなさまの思うところを教えてください!
(他の大戦の映画を勧めるのは、このさい無しでお願いしますね^^)

Aベストアンサー

「ワルキューレ」がどのような内容の映画なのか観ていませんから知りませんが、昔の戦争映画ならお答えします。
先ず、名画『眼下の敵』独逸・潜水艦と米国・駆逐艦の壮絶なbattleのお話です。ラストシーンが自爆寸前の潜水艦の艦長(クルト・ユルゲンスだったかな)を駆逐艦へ救い揚げるシーンが、ラグビーのノー・サイドの感じです。ミッドウェー、若き日のケネディー大統領が活躍する"魚雷艇109(数字は?)"とかも素晴らしいです。マニアックなものなら、日本映画の"キスカ"ですかね。
私は、闘いの中の友情とか、国家に対する忠誠心とか、美しく見えるから、好きなのかと思います。
しかし、実際に戦争に行った人は、裏側を知ってますから、二度と戦争へは行きたくないと言ってますね。

Q第二次世界大戦での日本海軍の空母について

第二次世界大戦での日本海軍の空母について素朴な疑問があります。

なぜ、アメリカの様に、同型式の空母を(大量)量産しなかったのでしょうか。

飛行機については量産のしやすさを検討せずに設計されたと何かの書物で
読んだのですが(ゼロ戦はP51の3倍手間がかかった等、、、、)、船舶に
ついても、あまり量産を意識しての設計ではなかったのでしょうか。。

Aベストアンサー

詳しくは専門書をお読みください。

いくつかの理由があります。
まず生産力がなかったため戦争後期になるまで量産効果を考えなかったということがあります。
なにしろ、量産できない→個艦性能を追求する→量産性無視でも高性能艦とか、
最初から大量生産できないから、量産という選択肢も、考えも、思想もなかった(というか少なかった)というのはいえるでしょう。
その最たるものが、戦艦大和です。
一艦で、一撃で敵戦艦を多数沈めるという設計思想ですね。

次に技術力がなかったということがあります。
何しろ初期のころは、電気溶接する技術力がなく、リベット止めに設計を戻したというような話もあります。
つまり量産性はリベットでは溶接よりは少ないので、その分量産ということを考えられないということです。

次に戦争思想というか、戦略思想です。
長期作戦を日本海軍は考えていませんでした。
ですから補給艦、工作艦といった補助艦艇が少なく、いわば日本海海戦の一発勝負の戦争を目指してきたということがあります。
それは国力から長期戦争が出来なかったということや、日本海海戦タイプのに心引かれすぎたためとかあります。
そのため、海上護衛戦が出来ずに、商船を守る事が出来ない、守る思想がないため、短期決戦しか出来なかったということもあります。
そのため基本的に戦争前に、条約に守られた隻数のなかで、いかに攻撃力がある艦艇を建造するか、またそこでも対米7割以下の艦艇で完膚なきまでに叩き潰す攻撃力を求めたので、個艦性能を上げるという思想があり、そのため同じ設計の艦艇を作るよりも、たくさんのタイプの艦でも、攻撃力のあるほうが良いという考えでした。
また攻撃力を重視した設計なので、長期航行性、居住性などは低く、建造後にすぐに改装した艦艇も少なくないです。
またそのために拡張性がなく、武装以外のたとえば通信を増強するために船体までもいじるような設計の余裕のなさもありました。

一方アメリカは戦争前は日本ほど新型艦艇に熱心ではなく(それでも建造数は日本より多かったですが)、どちらかというと戦争初期に日本に沈められまくったので、量産性を考えざるを得なかったという実情もあります。
また逆の意味で、短期間に大量の艦艇を生産できるので、量産性に優れた艦艇を設計するということもいえます。

ざっくりいってこんな感じですかね。

詳しくは専門書をお読みください。

いくつかの理由があります。
まず生産力がなかったため戦争後期になるまで量産効果を考えなかったということがあります。
なにしろ、量産できない→個艦性能を追求する→量産性無視でも高性能艦とか、
最初から大量生産できないから、量産という選択肢も、考えも、思想もなかった(というか少なかった)というのはいえるでしょう。
その最たるものが、戦艦大和です。
一艦で、一撃で敵戦艦を多数沈めるという設計思想ですね。

次に技術力がなかったということがあります。
何し...続きを読む

Q第二次世界大戦初期の日本経済の状況

第一次世界大戦では、日本経済は特需により非常な発展をとげました。
第二次世界大戦勃発の1939年9月1日から太平洋戦争勃発の1941年12月8日まで
の日本経済は活況を呈したのでしょうか?
資源のある仏印進駐などもあり、好況だったのでしょうか。
それとも軍需産業にのみ資金がまわり、一般企業の業績は悪化したのでしょうか。
あるいは統制経済体制の影響で第二次世界大戦の影響はさほど受けなかったのでしょうか。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

http://www.eurus.dti.ne.jp/~freedom3/ww2-gdp-sai-axx.htm

こういう感じらしい

Q第一次世界大戦後、日本はアメリカ、イギリスに次ぐ大国になったのでしょうか

第一世界大戦後、戦勝国が軍拡競争を推し進めましたが、無秩序な競争を止めようということでワシントン海軍軍縮条約が取り決められました。

その際の戦艦の保有比率を見て驚いたのですが、英:米:日:仏:伊が5:5:3:1.67:1.67となっており、日本の保有数がアメリカ、イギリスに次いで3位となっていることです。

現代の世界においては経済力によって国力が決まりますが、帝国主義の当時の世界においては軍事力によって国力が決まり、特にハイテクな海軍はその花形でしたので、当時の日本はアメリカ、イギリスに次ぐ大国だったといってよいのでしょうか。国力に加え、アメリカ、イギリスに次ぐ戦艦保有を世界に認めさせた政治力も見事なものです。

当時の日本はアメリカ、イギリスという覇権国家に次ぐ大国であり、フランス、イタリアといった欧州の大国に勝るとも劣らない力を持っていたと考えてよいのでしょうか。
陸軍は貧弱だっただろと批判する人もいるでしょうが、海軍力で優っていれば少なくともおあいこにはなるはずですから。

Aベストアンサー

№3です。丁寧なお返事をどうも。
>私は1940年でなく、第一次世界大戦後を聞いており、大正10年前後のことです。
 ⇒1940年だって第一次大戦後でしょうに。戦艦の保有数なんかを引き合いに出してこられるからてっきり第二次大戦前夜の話かと思ってしまいました。大正10年ならそう書いていただければ。

 で、大正10年(1921年)当時のおよそのGDPは、日本が約900億ドル、ドイツは1100億ドル、イタリアは950億ドル。アメリカは6000億ドル、イギリスが2000億ドル、フランスは1300億ドル、ソ連は(おそらく)2400億ドルです(諸説ありますが)。
 単純に国力(これはGDPだけじゃないですが)で比較するとアメリカ・ソ連・イギリス・ドイツ、フランス、イタリアに次ぐ7番目ということになりますね。海軍力では国力に比較して不相応なほどであったということは事実のようですが。
 
 戦争は最終的には歩兵が相手の領地を占領することで決着がつくともいいます。海軍力が強いから大国だ、というわけではなさそうです。だからアメリカ・イギリスに次ぐ大国というのはちょっと無理筋かもしれません。

>その当時はドイツが戦争に負け、またロシア革命直後でもありましたから、日本のGDPはドイツよりもソ連よりも上だったでしょう。
 ⇒実態としては国がぐちゃぐちゃのドイツやソ連にも負けてますね。貧しかったんだなあということを実感します。

>世界3位の日本をビリと書いているのもどうかと。フランスやイタリアも海軍に力を入れていましたし、スペインやオランダなんかも海軍国でした。
 ⇒確かに3番目をビリと書くのは失礼でした。栄えある3番目ですね。ただしその他の国はフランスは超ド級が3隻、イタリアは超ド級はゼロ。スペインは19世紀末の対米戦で海軍が壊滅、再建途上で超ド級どころじゃない、オランダも似たようなもので海防戦艦(1万トン以下)を数隻保有するだけ。
 これらを海軍国って言うのはちょっと無理があるんじゃないですかね。

№3です。丁寧なお返事をどうも。
>私は1940年でなく、第一次世界大戦後を聞いており、大正10年前後のことです。
 ⇒1940年だって第一次大戦後でしょうに。戦艦の保有数なんかを引き合いに出してこられるからてっきり第二次大戦前夜の話かと思ってしまいました。大正10年ならそう書いていただければ。

 で、大正10年(1921年)当時のおよそのGDPは、日本が約900億ドル、ドイツは1100億ドル、イタリアは950億ドル。アメリカは6000億ドル、イギリスが2000億ドル、フランスは1300億ドル、ソ連は(...続きを読む


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