10秒目をつむったら…

歴史では楽勝みたいな、でしたが、清の軍艦には欧米軍人が多数いて死闘だったんですね。敵前逃亡した艦もあり日本は辛勝。この勝利で日本は勢いに乗ったから楽勝の印象があるんですか?。黄海の海戦どういう印象を持っていましたか。

A 回答 (4件)

>楽勝の印象があるんですか?



日本が楽勝したという印象は、沈没艦の差と制海権です。
清側が「経遠」「致遠」「超勇」の沈没と座礁による喪失
「広甲」「揚威」の参加12隻のうち計5隻の喪失に対して、
日本側は大破はあったものの喪失艦無しです。
また、以後の清国艦隊は旅順、さらに威海衛へ逃走し、
以後はまともな活動ができませんでした。



>敵前逃亡した艦

「済遠」が敵前逃亡しています。
ちなみにこの「済遠」は豊島沖海戦でも逃走しており、
黄海海戦では「済遠」の逃走で退却命令と誤解した艦がいて
総崩れの原因の一つになったとされています。
艦長の方伯謙は日清戦争前に李鴻章へ戦力の充実を直訴したり
親善艦隊の副長になったりの新進気鋭の将官でしたが、
敵前逃亡の罪で黄海海戦直後に処刑されました。
ちなみに「広甲」も逃亡しまいたが座礁してしまいました。
近代海戦におけるほぼ唯一の敵前逃亡とされています。



・日本の勝因

清の司令官丁汝昌は太平天国の乱などで陸兵を指揮した人物で
海軍に移ってからは壬午軍乱で大院君を護送するなどしかなく
海戦にはほぼ素人同然でした。このため座乗する「定遠」の
初弾発射で転倒してしまい、一時同乗したドイツ士官が代理で
指揮したうえ、その後に被弾した後は旗艦としての機能を喪失し
まともに指揮できませんでした。

日本艦隊は当時常備艦隊と西海艦隊(警備艦隊)を合併して
連合艦隊を組織していました。この中で軍艦を割り振るのに
高速艦隊と低速艦隊に分けて運用しました。
日本側は大型艦の発射速度が遅く命中率の低い大口径砲より
発射速度の速い小口径砲を重視して高速艦で清国艦隊を
翻弄しました。
ちなみに、この高速艦による遊撃戦は以後の海戦において
大きな影響を与えたとされます。

清国艦隊は練度が低く、信号の統一が不完全で艦隊としての
指揮系統に大きな問題がありました。このため不利になると
戦力温存を理由に敵残逃亡する艦があったり、被弾した
「定遠」を逃がすために「致遠」が単艦で日本艦隊に突入して
撃沈されるなど、統一した指揮が取れませんでした。

日本側にも、海軍軍令部長が「西京丸」で見学していました。
「西京丸」は日本郵船からの徴用船で、速射砲をつけただけの
仮装巡洋艦なので、戦力としてはほぼ無い船でした。
このため艦隊運動の邪魔になりました。

また、日本の指揮系統もたびたび信号旗の誤認があり、
旗艦「松島」が被弾して指揮できなくなった旨の旗を誤認し
艦隊が「松島」周辺に集結してしまいました。



・黄海海戦の意義

日本側の損害も大きかったとはいえ、清国艦隊がこの海戦で
事実上その機能を著しく喪失したことで日本が制海権を得ました。
日本は主戦場である朝鮮や満州への補給に海路を使う必要があり
その脅威を排除することで日清戦争の勝利に貢献しました。

と言っても、「朝鮮紀行」などでも清国の陸軍はろくな装備がなく
ヤル気もほぼないので負けて当たり前みたいに書かれています。
清国海軍も開戦前に「定遠」を視察したら海兵がだらだらして
これが最新鋭艦の乗員かといわれるくらいでした。
個人的には日本海海戦と違って資料が少ないので印象が薄い
という思いです。
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この回答へのお礼

詳しくありがとうございます。
Youtube動画で見ると清艦隊はトンデモナイ軍とは思えませんでした。

ウクライナ戦争の戦況をしばしば見ますが、戦争になったら人が死に傷つくという実感に近いものを感じます。どんだけ兵が死んでも消耗品としか考えないプーチンの異常性が恐ろしい。プーチンが中国の独裁者だったら恐ろしいものです。日本は今のウクライナ。

お礼日時:2024/09/05 12:14

歴史では楽勝みたいな、でしたが、


 ↑
日露戦争に比べれば
楽勝だったでしょう。



清の軍艦には欧米軍人が多数いて
死闘だったんですね。
 ↑
戦力的には清国の方が上でした
からね。
清国は、戦艦2隻、巡洋艦10隻。
日本は、巡洋艦8隻。
日本は一隻も失わなかったです。



敵前逃亡した艦もあり日本は辛勝。
この勝利で日本は勢いに乗ったから楽勝の印象があるんですか?。
 ↑
肝心の陸戦では、清国でマジメに戦った
のは李鴻章の私兵ぐらいでした。
他は、賄賂を出さねば戦わない、
なんて将校がいたのです。

独裁国家、てのは、こう点が弱いの
です。
誰が独裁者の為に、命がけで戦いますか。



黄海の海戦どういう印象を持っていましたか。
 ↑
司馬遼太郎「坂の上の雲」
が面白かったです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

皇帝のために死ぬのではなくお金ですよね。中国人が現実主義者と言われるのはお金を基準で物事を判断する。
賄賂出さなきゃ闘わないのは金儲けのチャンスが目の前に来たからですね。

お礼日時:2024/09/05 10:10

楽勝じゃないでしょう。

旗艦の松島を含む4隻が大破されています。

戦いは、巨艦が多い清国北洋艦隊が横列陣を敷き、日本艦隊目掛けて艦首側の巨砲をぶっ放しながら突撃し、艦首をぶつけて小さな日本艦を撃沈しようという作戦。
一方の日本連合艦隊は二手に分かれた単従陣で快速を飛ばし、北洋艦隊の横をすり抜けながら全艦全砲を撃ちまくる作戦。

最初の頃は、日本艦隊が撃った砲弾数が多かったこともあって、的中数も多かったが、次第に日本艦隊も命中弾が増えてスピードが落ちる艦も出始め、その艦を狙う北洋艦隊vsその艦を何とか救おうとした日本艦隊という構図で乱戦気味となった。結果として日本側としては想定外の接近戦となって、双方被弾が一気に増えた。
結局、最後まで指揮系統が乱れなかった日本艦隊が、北洋艦隊主力に集中砲火を浴びせることに成功して、北洋艦隊は隊列を維持できなくなり、2隻の逃亡艦も出て勝敗が決した。

日本が勝てたのは、日清双方の艦隊の特性を熟知したうえでの戦術選択と、兵員の猛訓練の賜物でしょう。

一方の北洋艦隊側は、旗艦定遠の主砲発射時の事故で艦橋が破壊されてしまったが、司令官の丁汝昌も艦橋の指揮所にいて負傷し、艦隊指揮が取れなくなってしまったことが大きく響いてしまった。
丁汝昌は軍人として日本軍人からも尊敬される人物だった。北洋艦隊降伏時には敗戦の責任を執って自決しているが、彼が最後まで指揮を執っていたら戦いはどうなっていただろう。

※清の軍艦に多数いた欧米軍人というのは、観戦武官のことではないのでしょうか。当時の欧米列強は、世界的な巨砲を持つ巨艦定遠・鎮遠の2隻を持つ清国北洋艦隊が圧勝すると思っていたはずですから、多くの観戦武官が北洋艦隊に参加していたと思われます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
観戦武官ってことばあるんですね。
子供頃聞かされた話はシナ兵は逃げるというのは庶民に植え付けられた日本の宣伝なんですね。それを聞いた。
明治政府(マスコミの誇大かも)プロパガンダには気を付けたいですね。

お礼日時:2024/09/04 16:53

初めての対外戦争の本格海戦ですし、日本海軍も手探りでやってきた訓練や作戦が正しいのかわからない状態でやりましたから、かなりドキドキハラハラだったと思います。

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この回答へのお礼

ありがとうございます。
清の軍艦を実質指揮していたのは外国人。海戦経過を見ると互角だが2隻逃亡、艦長は斬首。逃亡が無ければ。

お礼日時:2024/09/04 12:33

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