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創価学会,幸福の科学,エホバの証人←これらの宗教の信者は相手の宗教についてどのように考えているのでしょうか?

この間幸福の科学の信者である友人にエホバの話をしたら,輸血の話を持ち出して「エホバは非常に危ない宗教だ.かかわらない方が良い」と言われました.自分はエホバの信者ではないのですが,エホバ信者の方とは親しくさせていただいていて,非常に良い人ばかりなので視野が狭いのではないかと思いました.

また,最近付き合いだした彼女が創価学会の信者でした.今のところ本人は隠しているつもりですが,家に行った時に聖教新聞や仏壇などがありすぐにわかりました.

これらの彼女や友人達をお互いに会わせて宗教について話をした場合,どのようなことが起こり得ると考えられるでしょうか?やはり喧嘩になったり議論が噛み合わなかったりするのでしょうか?

A 回答 (10件)

あくまでも私見ですけれど



創価学会  
他教他宗は邪教と見ているようなふしがあります
「他から攻撃されるのは本物だから」 と言ってました 修道者にしては変な言い分です
宗教と言うより政治団体と言った方が相応しいかも知れません
全てでは無いでしょうが「修道」 は無き如くで 「ご利益信仰」 のみ強い気がします
初めの頃は良く解らないでしょうけれど 何時までも「ご利益信仰」ではいけない事に気付けない方が多いのでは無いでしょうか?
一部の方は攻撃的です 日蓮自身がそんな所がありましたからでしょうか?

エホバの証人 
何人かと何度か お話した事あります 知り合いではありません
他宗は邪教とまでは言わないようですが自分達だけが聖書を正しく解釈しているが如くです
聖書の一部について他所と違う事を指摘したところ自分たちのは意訳であると言ってました
意訳は解り易くなる代わりに間違いが起こる恐れがあるのですが

知り合いの小学校女教師から聞いた事です
子供の親は教えに反する?とかで学校のある行事に参加させたくないとか
あれこれ注文付けるのでやり難いとか言ってました でもキリスト教の中では聖書に忠実と感じております 
輸血の話は以前 大きなニュースになりましたのでこの事についてだけ ご存知の方は多いでしょう
でも直接 お話をした事のある方は殆ど居ないでしょう

幸福の科学 
本屋で立ち読みした事があり 我が家にも1度来た時 少しばかり お話した事があります
本で知る限り教祖は霊能者です 霊能者にもピンからキリまでありますが
釈迦の生まれ変りとなっております 本当かどうかは兎も角 霊能で得た情報なのです
何も解らない方には何かの病気に見えるでしょう
この事で以前マスコミを賑わした事がありますが病気ではありません

伝統宗教の開祖 例えば キリスト 釈迦 は霊能者です
現代社会では受け入れがたいのか宗教上は強調してませんが明らかな霊能者です
この お二人に限りません 現代近代の新興宗教でも開祖は大抵霊能者です

宗教は兎角 他所を排斥しがちな部分がありますが指導に何か間違いがあるからと考えます
何事も広く解釈すれば争い事は無くなると思うのです

ある新興宗教の開祖の一人(故人)は言ってます
「宗教やっていて物の見方が狭くなるようでは本物では無い」 

心が広くなって行かなければならないのです 心を狭くしていくような宗教では宗教では無いでしょう
中身(心のあり方)より 形(戒律とか)に囚われる為に 争い事が起こるのだと思います

これら3つは それぞれ目的とする所が違うように思いますので噛み合わないでしょう
言語が違うと言ったら良いでしょうか?
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必ず、喧嘩になります。

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あうち 早速ミス発見。



誤:ライオンのオスにタテガミがあろうか

メスですね、、、
まだ誤字・脱字 ありそうですけど みのがしてぇ~
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参加したいなぁ その対談に。



モーセの律法には一見ルールがあるように見える。
しかしこれはルールというより区分。

<殺してはならない>と訳されているものは、実は「あなたが私の子なら人を殺すことがあろうか、殺すわけがない>というのが本来の意味に近いそうです。

それは<ライオンのオスにタテガミがあろうか>と一緒。
区別なわけです。

この私の子はイスラエル(ヤコブ)の子孫を指すことになっているので、ヘロデ大王のようなエサウの子孫は指して無い。
だからヘロデ大王は「イスラエルの子じゃない者が王になっている」市民から反発くらい なだめるために神殿を作ったわけです。

まっ 十戒で区分された人以外が自分たちを殺しにかかってきたら戒律の縛りは適用されませんので、返り討ちにして殺してもイスラエルの子ではなくなるってことにはならないわけです。
しかし同じイスラエルの子を殺した場合は、「私の子であろうはずがない」に該当するので、イスラエル人がこの異邦人となった元隣人を殺してもいいわけです。


で、、、エホバの証人の信者は、まず自分のDNAを調べるべきです。
現代の科学では、DNAでイスラエルの子孫かどうか男ならわかります。
診断料は日本円にして一万円くらいだったかな? 口の中の粘膜を取って送れば調べてくれる。

そのフラッグを持たない遺伝子だったと判明したら、エホバの子ではないので信仰する権利すら 無 い。
神はDNAに関してうるさいですからね。
騙っている偽者を助ける義務は無い。だって契約してないから。


幸福の科学の人は、教祖の精神状態をもっと考慮し判断すべきです。
著書を冷静に読むと、側頭葉てんかんを起こした人の見る幻覚と酷似しています。
信者は教祖の頭の中でシナプス回路に異常発火が起こった時に現れた幻の世界にひきずられていることになります。


創価学会は、もともと中世の寺のような役目を果たしていたと思います。
国がまだ今のように制度を整えていない時代、共助というシステムが必要だった。
存在していたが、戦争でその共助システムが破壊された。
そのため、新たな共助システムを作り出す必用があると考えた。
ここまでは間違ってはいないです。
同じメンバーであれば裕福な人が貧しい人を支えるというシステムを作り出したわけです。

その一方で宗教に関係なく、人間として共助すべきだがそれでも救いきれない場合は国が助けるべきである という考えを持った人が裁判を起こし、それで生活保護という法律ができた。

共助は人間が共同生活をする限りにおいては、必要不可欠なものですので、国助システムができたところで、消えることは決してありません。
家族だったり近隣住民同士だったりで支えあうことで共存を果たす。
赤の他人であっても、誰かが支えていた場合、国は生活保護を出しません。

金銭的に援助はしたくない家庭がどうするかというと、負担となった家族を家から追い出す。
すると生計とともにしていないとなり、生活保護が受けられる。
家族は自分たちで背負わず、国民全体に背負わせるという、ゆがみが生じたわけです。

これと同じことを創価学会もやった。
口利きで生活保護が受けられるようにしてやり、血税が信者となった人の生活費に当てられ、その血税を創価学会に寄付として収める。
創価学会はそのお金を日本のために使わず、海外にばら撒いてきた。

国は国民から税金を吸い取ってそれを雨のように日本に降らせていたのに、創価学会は吸い取ったお金を日本に還元せず、海外に雨を降らせている。
自分の国だけがよければいいというわけにはいかないという理屈でしょうけど、そのお金は元政治家だった人との対談の謝礼として使われてきた。
金で権威を買っているのと一緒。


こんな持論を持っている私が、私以外が一致団結して、私を血祭りに上げようとするでしょうね。笑
邪悪だとか言って。
真に邪悪で悪魔の僕なのはどっちだ とか、大喧嘩しそう。笑

わかっててやる人はまだ説明すれば理解し反省も少しはするでしょうけど、その能力すらないイタイ人は超危険。
昔はそういうイタイ人を神とか呼んでいたらしい。

7歳までは神の子 という意味は、動物のように本能に沿って行動していたのが7歳までとされたからだそうです。

まあ 宗教信者=イタイ人 と思っており、会話は成立しないとはわかっているんですが、食われきっていないはずだと期待して、人間性に訴えてドンパチやっちゃうんですよね。
< もう人間ではなくなった >とわかったら もう相手を自分と同じ人として扱うことはやめます。
猛獣とか悪性腫瘍を起こすウイルスとみなします。

猛獣・ウイルス同士の会話 みてみたいですねぇ。  
翌日筋肉痛になりそうですが。
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おそらく彼女は話に参加しない。


他の友人の方々も似たり寄ったり。
気まずい雰囲気が流れるだけで議論にはならない。

他人の信仰には触れない、のが常識と思いますが。
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まず申上げたいのは、排他主義と勧善懲悪は全く別のものだということです。


前者は独善であって、他を省みないエゴイズムの思考であり、
また後者は、悪を懲罰して初めて善が証明され得るという、
歴史哲学そのものであります。
この三つの宗教団体は、出来元、成立過程、活動方針、存在目的等、
全く異なっていますので、恐らく議論をしても、一致点を探すほうが
難しい状況と為るでありましょう。
然しながら、その状況を冷静に観察することによって、
質問者さんは、各々の方々の人間性、思考力、慈愛性、哲学の有無等、
判別、選択でき得る経験を持つことが出来るわけで、
まさに千載一遇の機会と言えると思います。
あなたにとって、どの方が最も信頼に、尊敬に値すべき人物か、
その審美眼でもってしか、それぞれの宗教を判断する基準は無いと思われます。
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大体ここら辺の言うのは


「他は古びて過ぎ去った宗教だ!」
と思っているんじゃないのかなあ?

ただ、信者は
「自分で決断したから最後までやらなくては!」
と思っている節が多いようです、、、。

まあ、自分自身も間違って
入ってしまいましたが
最後まで信仰とは何ぞやとか宗教とは何ぞや
とかの議論もしませんでしたので
下っ端はあまり考えてないのだろうと
思われましたが、、、、。

たぶん、違うカルト教同士だと会うのは
かなり嫌がりますよ。
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私の友人は学会の可也上の方です。

エホバの方とは仕事で一緒でした。幸福の方は知り合いにおります。今までのかかわりの中で言える事は、「人による」と言う事です。良い人も居るし、排他的な攻撃的な人も居ます。同じ宗教の仲間でも同じでしょうね。私は幸いな事に皆さん良い人ばかりですが、やはり人それぞれなのでしょうね。

この回答への補足

「人による」本当にそう感じます.エホバの方は元々経営をされていた方で非常に知識が豊富で,話しをすると勉強になることが多いです.幸福の方も理系の博士号を取得されている方で,科学的に宗教について議論することができ,話していて楽しいです.
それに対して,今まで出会った創価の方はあまり科学的・論理的な話が得意でない方が多かったので,あまりイメージは良くないです.

補足日時:2010/08/11 17:18
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>これらの宗教の信者は相手の宗教についてどのように考えているのでしょうか?<



宗教に限らず同業者はお互いの存在を認めていません。

必ず勧誘するときは、他の宗教を悪く言います。
なぜなら自分の宗教はよそより優れたものが無いからです。

創価学会、幸福の科学、エホバの証人これらは皆カルトです。
まだまだいっぱいありますよ。カルト宗教なんて・・・

この回答への補足

>まだまだいっぱいありますよ。カルト宗教なんて・・・

アムウェイの勧誘を受けたことがるのですが,エホバなどよりよっぽど信仰心というものを感じました.

補足日時:2010/08/11 17:23
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相手にもよるけれど私の場合は喧嘩になったり議論したりそもそも無いですね


あなたがその件にかかわらなければいいだけ

>これらの彼女や友人達をお互いに会わせて宗教について話をした場合
わざわざ異教徒を会わせる必要もないでしょう
もし同じ場所に同席するにしてもお互いにそういった話はしなければいいんですね

この回答への補足

>わざわざ異教徒を会わせる必要もないでしょう
>もし同じ場所に同席するにしてもお互いにそういった話はしなければいいんですね

確かにそうですね.ただ宗教論議が好きな自分としては建設的な議論になるならぜひ話しあってみたいという思いがあります.議論することで良い影響を及ぼし合って全員の成長につながるといいのですが.(半分くらいはただの自分の趣味ですが)

補足日時:2010/08/11 17:21
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