これ何て呼びますか

なぜ人は感情的になると、冷静な思考をもてなくなるのか?

好きとか嫌いとか、同情するとか、何かと人は感情的になると
思考が低下するように思う。

例えば、先ほど某アイドル専用サイトでこういう質問があった。
質問「AKB48はいつかは人気が終わる日がくるのでしょうか?」
AKB48とは、今日本で一番人気のあるアイドルグループの事である。

この質問をした人は、おそらくAKB48の熱狂的ファンだと思われる。
感情に支配され、もうすでに、思考能力がなくなっている。
AKB48の人気はおろか、人類の存在でさえいつかは終焉を迎える、と
いう事が理解できていない。

またこういう質問に、こういう冷静さを欠いた回答もあった。
質問「AKBの○○子はゴリラに似てないですか?」
恐らくAKBのアンチが嫌がらせで質問してきたのだろう。
それに対して、冷静さを欠いた回答の一つに、こういう回答があった。
回答「ゴリラでも可愛いゴリラもいるじゃないか!!」
よもや、○○子を擁護しているとは思えない。

と、まあこのように、感情的になれば、冷静な思考がもてなくなるのは
いったいなぜなのでしょうか?

A 回答 (12件中1~10件)

 少しお話させていただきます。



>>なぜ人は感情的になると、冷静な思考をもてなくなるのか?
>>好きとか嫌いとか、同情するとか、何かと人は感情的になると思考が低下するように思う。

 これは、脳の構造上の問題と言えるかもしれません。人間の脳は人間のために独自に設計されたと言うより、進化の過程で古くから使われていた脳の上に新しい脳が乗っかっていくと言う形で進化しています。つまり脳の設計は、古いレコードの機能を持ったまま、新しいiPodを作るようなもんです(笑)こんなことは想像もできませんが、非効率的な作りになっているという事だけお分かりいただければ結構です。

 そしてポール・マクリーン氏の説によれば、脳は大きく分ければ三層構造になっているそうです。第一層を爬虫類脳(トカゲ脳)の上に、第二層を旧哺乳類脳(ネズミ脳)が乗っかり、その上に第三層を新哺乳類(サル脳)が乗っかているといいいます。

 まず、爬虫類脳(トカゲ脳)とは、進化過程を考えますと最も古い時代に発生した脳といえます。脳幹と大脳基底核が中心になります。心拍や呼吸や血圧、体温などの基本的な生命維持と縄張りを持ったりする自己保全のため機能する脳です。

 次に旧哺乳類脳(ネズミ脳)は、進化の時間軸から言えばトカゲ脳の次に現れた脳です。海馬や帯状回と扁桃体等の「大脳辺縁系」と呼ばれる器官がその中心です。個体の生命維持はもちろん「種の保存」という事に役立つ、「快」「不快」の刺激と結びついた情動反応や感情を生み出す機能を担って、危険回避等の原始的な防衛本能を司る脳です。(母性本能なんてものもここに関わってるみたいです)rin00077さんが「感情的」と表現されたのはこの部分になります。

 最後に新哺乳類脳(サル脳)は、進化からいえば一番最後に現れた器官で、人間はここを発達させたことで色々考えられるようになったと言われます。一番外側で右脳左脳に分かれています。私達が脳と言われて思い出すのはたいていこの部分です。言語機能と記憶・学習能力、創造的思考能力や空間把握機能などを中軸とする高次脳機能の中枢をつかさどる部分です。rin00077さんのいう「冷静な思考」というのはこの部分が大きく関わってきます。ただ、最近の研究では「サル脳」だけで「冷静な思考」や判断は下すことは出来ず、トカゲ脳やネズミ脳との関わりの中で生まれることも分かっています。

 そして、ここで重要なのは「古い脳ほど生命維持には欠かせない機能を備えている」という事です。これが何を示すかと言えば、古い脳が本気を出せば、それより外にある脳の機能なんて後回しにできちゃうってことです。つまり、この質問で言えばサル脳は「冷静な思考」には欠かせませんが、より生命活動に重要な役割を果たす「感情」を司っているネズミ脳が本気になるとサル脳はネズミ脳に負けて、ネズミ脳のいう事のほうが優先的に採用されるわけです。これが「感情的になれば、冷静な思考がもてなくなる」理由と考えられます。

 まあ、このトカゲ脳・ネズミ脳・サル脳という分類は、現在の脳科学の世界では厳密なモデルとは言えません。しかし、大まかに脳の構造とその機能を知るためには分かりやすく、しかもおもしろい例え思います。ちなみに私は、akbでは仮面ライダーwに出ているクイーン役の子とあっちゃんが好きです(笑)

 お答えになっているか分かりませんが、急ごしらえのため誤字脱字乱文どうぞご容赦ください。
合掌 南無阿弥陀仏 
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この回答へのお礼

>ちなみに私は、akbでは仮面ライダーwに出ているクイーン役の子とあっちゃんが好きです(笑)

なるほど。そうきましたか。
僕はモー娘の高橋愛、ベリーズ工房の熊井ちゃんが好きです。
AKBの前田敦子さんは、人気もあるがアンチも多いですね。
某サイトでは、悪口のほうがむしろよく書かれています。
最後に、この投稿を読む前にAKBのファンの悪口をいって
しまったことを、深くお詫びさせていただきます。

お礼日時:2010/08/20 09:12

例えばゴキブリを見て気持ち悪い、おぞましい と感じるのは好ましくない感情ですが、それを見た意味とその存在を考えるきっかけとなります。

好ましくない感情もきちんと受け止め、対処すれば好ましくない感情を感じることも、より少なくなってくるでしょう。

感情は自ら無理して弄繰り回すものではありません。体に無理をさせれば体はゆがみ、場合によっては損傷を負うことになるでしょう。

「ハンドルを切って」云々と言う問題ではないでしょう。

いまだに「好ましい・好ましくない」という論理でモノゴトを論じる人の気持ちは解りません。これは単に好き嫌いの問題について言っているのでしょうね。

「好ましい・好ましくない」という言葉を使う人に対する嫌悪感がなければ、それらの人に囚われ、自らもそういった欺瞞に陥ってしまうでしょう。正常なものであり、必要なものである、とも言えます。

 感情に好ましい・好ましくないというものはありません。あるとしたらそれは単に好き嫌いの問題か、現実を見たくない、という逃避から発せられる理想論です。
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 さまざまな回答が寄せられていますが、私もその“さまざま”な回答の一つを。



 答えは単純。
 いわば、力関係。
 感情と理性の。

 理性とは感情をコントロールする、あるいはその状態を判断する能力。
 車の進む方向を選択するハンドルのような役目。

 冷静ならば、ハンドルを操作する力が強ければ、“感情”をコントロールできますが、その力が弱ければ、コントロールできず“感情的”な行動となってしまいます。冷静ではないという状態です。

 また、感情にも好ましい感情、好ましくない感情、とあるように思います。
 だから私は、好ましい感情なら大いに使って育て、好ましくない感情なら使わないように努力しています。
 心は使うほどに育つので。好ましい心も好ましくない心も。

 ちなみに、宗教の世界の“禅”は感情という心の波を静め、理性の働きを高めるという効果があるようです。
 
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そんなことを質問されるあなた自身がまず、感情的になっているのではないでしょうか?



「AKB48はいつか人気が終わる日がくるのでしょうか?」

その質問をした人間が、なぜ、感情的に支配され思考能力がなくなっている人間になるのでしょうか。私には理解できません。

ネット上の話です。
感情的なのかも冷静なのかも、その真意を本当に判断することは不可能なはずです。
それなのにそのことについて質問までされる、あなたが一番感情的な思考に陥っているのではありませんか?
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この回答へのお礼

>そんなことを質問されるあなた自身がまず、感情的になっているのではないでしょうか?

はい。僕はハロプロ(モーニング娘、ベリーズ工房)のファンなので、
AKBのオタクどもがうっとおしくてかないません。

お礼日時:2010/08/20 08:58

釣りなんですかね、、、。


まあいいや

感情とは自分の中のもう一人の自分と考えればいいです
そのもう一人と同調するか?抑えるか?で
感情的になるか冷静的になるかの違いでしょう。

まあ、他も言ってますけど
もう一人の自分が絶対正しいと思い込む人ほど
感情的になりやすいです。

自分は感情的も悪いとは思いません
何故なら感情が無ければ動機もないからです。
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この回答へのお礼

釣り?
いや、僕は単純にAKBのオタクどもに、腹が立ち投稿したのですよ。
奴らは洗脳されているので、前がみえないのです。

お礼日時:2010/08/20 09:00

 感情とはそういうものです。



 自己の主張に感情がプラスされ、その意見が絶対正しいというツノル思いが強く、没入状態になります。
 ですから、客観や、冷静、受け入れという思考態度がなくなります。

 この状態を、人間の動物性ととらえたり、機能の働きを、自己が制御できてないとか、低次元に取り扱いをされます。

 つまりは、熱狂。これが怖いのは、戦争の高揚など。

 感情は、動物性の古い脳の働きで、人間は、そういうものをうまく操縦していくように成長していくんでしょう。
 感情的になってる人の対処は、幼児に対する態度で「よしよし、わかったわかった」と対応するしかないでしょう。
 反論すれば、水掛け論のように出口はないでしょう。

 感情的になると没入し、周囲が見えない状態、つまりは、前頭葉の抑制があまりきかない状態で、これを「おろか」な状態とよんだりします。

 前頭葉の血流不足で、衝動的になりますが、衝動的状態とも見れますね。
 視野狭窄です。

 そういう人はだいたい自分のわがままな意見で失敗したり、笑われることが多いと思います。

 自分が自分で見えてない状態ですが、周囲からは、客観的に主観が絶対だと思っているので、話しても無駄だという状態で、白い目で鼻で笑われることが多いでしょう。しかしそういう人は周囲のそういう目をまったく見えてない、つまりは盲目といえる状態です。

 まぁ感情は誰でもありますが、思いつめると、誰でもそういう状態になります。

 主観的、エゴ、自己中、こういうものが今人間関係を複雑にしてるのが、今の現代人の精神的病理を作る原因にもなってるんでしょう。

 こういう態度の人が多くなれば、周囲は欝にもなりますよ。

 人の話を聞ける大人の世界では、敬遠される人柄ではないでしょうか?
ですから、結論的には、、感情とはそういうものです。としかいえません。
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>AKB48の人気はおろか、人類の存在でさえいつかは終焉を迎える、という事が理解できていない。



冷静になれば「人類の存在でさえいつかは終焉を迎える」と考えなくなると思われます。

>よもや、○○子を擁護しているとは思えない。

 ゴリラはかわいい、と思い込ませることに成功すれば、ゴリラに似ている○○子もかわいいということになります。似ている・似ていないという思いは、他者の感性ですので変える事は出来ません。「似ていない」と言っても、「いや、似ている」と言われれば終わりです。動かしがたい事実と思えることを、別の問題に摩り替えようとしているのです。

 相手が「かわいいゴリラなんていない」と言ってきた時は、それこそ感性の問題ということにして「いや、いる」と言えば、相手が同意しなくても、言い張ることで最悪でも引き分けに持っていくことができます。そこで引き分けにすれば、本題の「ゴリラに似ているかもしれない」という事について議論しなくても済みます。

 天才だと思われますw



 おまけ:冷静になれば、AKB48のほとんどの人は、それほどかわいくないと解ります。AKB48の熱狂的なファンは、人数の多さで騙されているだけで、基本的には冷静でない。と言えるでしょう。
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この回答へのお礼

>おまけ:冷静になれば、AKB48のほとんどの人は、それほどかわいくないと解ります。
AKB48の熱狂的なファンは、人数の多さで騙されているだけで、基本的には冷静でない。
と言えるでしょう。

まったくそのとおりです。
AKBオタクは、本当にどうしょうもありません。

お礼日時:2010/08/20 08:55

感情的なものに支配された状態、とは、自意識に支配された状態と言う意味があります、是は言い方を替えると、負のスパイラルに入るという意味があります。



人間の心の状態で最高な状態とは、自分を忘れた状態です。感情に支配されない状態の事です。それは自我意識と共に働く者と仲良く共存出来ている状態です。その者は冷静に現実を見つめているもう一人の自分と言う意味になります。

現実を全体として把握している者の事です。この者と仲良く出来ていながら、現実に立ち向かうと言う意味になります。もっと正確に言うならば、感情を湧き上がらせている者と言う言い方の方がより正確と思います。

自意識に感情を湧き上がらせている者が、誰の頭の中にも存在しています。ですが『自意識』には把握出来ません、何故なら、意識とは反対の方向性を持った存在だからです。

人間の心は顕在意識である『自意識』と潜在意識である『無意識』が交替制で成り立っています。顕在意識である自意識は、感情が湧き上がるシステムを知らないでいます。如何して楽しくなるのかや、心が如何して苦しくなるのかのメカニズムを知らないでいます。

今の場合、感情に支配された状態とは、無意識からの情報である、情報の虜になっていると言う意味があります。『感情を湧き上がらせる情報』を嫌ってしまって受け取ろうとしないと言う意味になります。

今までは二つの意識によって交互に出番があったわけです。その状態が『意識しない』状態です。その状態で意識したり、無意識に入ったりで『正常な心を維持できています』

片方を(感情を沸かせる者)を嫌ってしまって、湧き上がった感情の受け取りを拒否した状態の為に、『意識した状態』が解けなくなってしまいます。この事を、現実の世界が見えなくなって『妄想の世界で苦しむ』という言い方が出来ます。同じ事を考え続ける、言い方を替えたなら、マイナス思考の悪循環に入るという言い方も出来ます。

物事の見方が『自我意識の計らい』からしか見れなくなるという意味になります。出口が無さそうな見方の事です。出口が無さそうな見方で見ている事から、悪循環になってしまいます。それの解消方法は『現実を認めること』言い方を替えるなら、嫌な事も受け取る見方が出来る事からです。

現実を認めたくないという自我意識の計らいが、もう一つの意識の出番を封じ込めています。嫌な事も受け容れた時に、悪循環から開放されるはずです。感情的になった時とはもう一つの意識の言う事を聞こうとしない事、言い方を替えたなら『心に矛盾を抱えた状態』で、心が片方に偏ってしまう事と言う意味が有ります。

飽くまでも人間の心が正常に働く場合とは、意識と無意識が、『自我意識には、分からなくとも』お互いに交代性が保たれている場合です。意識した時点で『無意識を』封じ込めています。この事が判りにくい事から、『心の問題が』複雑に見えているだけです。

心の問題とは本当は簡単に出来ています。上がり症とは『無意識を無視して自我意識のみで』対処しようとしている事です。全ての神経症の根本も同じです。無意識の力を借りようとしなくなっていることが原因です。

自律神経失調症にしても同じです。自意識の専門外の働きを自我意識が肩代わりをしようとしてしまうことになっています。もう一つの自分に任せる事が出来なくなっています。

心を病むと言った場合も同じ事が原因です。言い方を替えたなら『心の矛盾』を症状として感じていると言う言い方でも可能かも知れません。二つの意識(心)の仲違いが原因という事になります。

交代性が順調に行く事を『健常者』と言う風に呼んでいます。その時には必要以上に『意識』しなくて済んでいます。『意識』する事を『心が停滞している』或いは、漠然とした不安や恐怖感に悩まされている、と言います。

それは、閉じ込められている『無意識』からの無言の抵抗かも知れません。
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rin00077 さん こんにちは。


僕なりに思うところを書いてみますね^^


「私は正しい他は間違っている」という態度で

感覚・思考・現象について「こうあるべきである」と決め付け

現実との軋轢に、「なぜ思うようにならないのか」と

怒り、貪りの不満を抱くというような一連の流れのもと感情は起こると思うので・・・感情自体が極限的な無知な状態なわけで、その状態で何か考えると論理的ではなくなると思います。



★なぜ「こうあるべき」と決め付けるのか
☆その感覚に現象に思考に「執着」するから

★なぜ「私は正しい他は間違っている」という態度なのか
☆「私」というエゴに「執着」するから

★なぜ「執着」するのか
☆満足を求めるが満たされないから

★なぜ満足を求めると満たされないのか
☆諸行無常ゆえ、欲した自分はもういなく、欲した感覚は得られない・・・自分も対象も瞬時に別のものになっているから


こんな思索をしています。

この回答が貴方の思索に役に立てば幸いです。

~幸福であれ~
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感情は衝動的=短絡的なものだからです。

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