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立正安国論について教えてください。

日蓮大聖人が当時、実質的に一番の権力者である北条時頼に提出した文書である。
また、浄土宗など他宗派を邪宗として厳しく批判している。

これは、、

法華経安楽行品第十四に
「不親近国王王子大臣官長」(国王、王子、大臣、官長すなわち世俗の権力者には近づくな)

「亦不軽慢諸余法師不説他人好悪長短」(他の教えを説く法師を軽蔑したりしてはならない。他人の善し悪しや、長所や欠点を説いてはならない。)
「勿軽罵学仏道者求其長短」(仏道を学んでいる人に対して軽蔑したり長所や短所を探してはならない)
「亦不応戯論諸法有所諍競」(諸所の教えに対して無益に論じて言い争って競ってはならない)
「於声聞人亦不称名説其過悪」(その人が声聞であっても、その名を挙げて過ちや悪をいってはならない)

法華経に反した行いではないのですか?
ご説明ください。

A 回答 (3件)

先ず、日蓮大聖人の『立正安国論』と法華経


安楽行品第十四の文面に対して、「法華経に
反した行いではないのですか?」とありますが、
安楽行品でのというよりは、正法時代は『摂受
(しょうじゅ)』の弘教であり、日蓮大聖人の
世は末法であり、『折伏(しゃくふく)』の時
なのです。

また、浄土宗など他宗派を邪宗として厳しく
批判しているとありますが、仏教が正法、像
法、末法へと移り、場所もインドから中国を
へて日本へと入ってくるわけですが、その間
人師の様々な解釈の中で、本来の仏法が持つ
教えが歪められ、各宗派独自の解釈の中で世
間に広まってしまっている現状があります。

本来、衆生救済のために説かれた『法』が、
勝手な解釈の基、正しい法が失われ、間違っ
た方が広く世間にはびこり、人心をたぼらか
し、その影響で様々な天変地異が起こってい
たのが、『立正安国論』の提出をされた鎌倉
時代だったのです。

この回答への補足

それは法華経が予言していますよね。
予言した上で、私が指摘したようなことが書かれてありますよね。
にもかかわらず、どうしてそれに反した行動をするのですか?
末法の世では折伏をせよ、とは法華経は書いてありませんよね。

折伏とは法華経よりも下位にある経典の言葉ですよね。
法華経が唯一の経典であり、下位の経典の存在は創価学会は認めませんよね。
にもかかわらず、どうして認めていない下位の経典の言葉のほうを重んずるのですか?

補足日時:2010/09/20 01:25
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立正安国論について


法華経に反した行いではないのですか?

○ ご指摘の通り「法華経に反した行い」です。
仏教の本道を外した外道が日蓮ですね。本人もあの世で未だに反省してます。
本人がいくら反省しても日蓮が行なった外道の言動や行為をまねその後生まれた新たな外道を直すことはできないという不思議ですね。
お経に書いてある通りを信じればいいことなのですが、何故か違うことを信じる人が多いのですね。
こういう間違ったことを信じる人が多数を占める時代が末法の時代なのですね。
鎌倉時代は日蓮がどのように悩乱しようと日蓮を信じる人は少なかったですから末法の時代ではなかったのですね。ということで日蓮は地方では優秀とみなされたかもしれませんが本当はあまり賢い人ではなかったということでしょうね。
ということで、まさに「ご指摘の通りです。」
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
実際、日蓮系諸宗派諸団体所属の1000万人が黙して語らないのはそうなのかもしれません。

お礼日時:2010/09/21 08:21

 リンゴックスさん こんにちは。



 応援のことばを投稿します。

 コロンブスについてかれが航海に出なかったとしても いづれ誰かが行ってアメリカ大陸との出会いを果たしたという議論があります。もしその考えによるとすれば いわゆる必然性という主題になるかと思われます。
 すなわち――コロンブスは たしかにコロンブスの卵ということわざにして讃えられたように その進取の精神がとうといものだと考えますが―― 歴史の必然性としては 新大陸への到達は為されるべくして為されたと考えられるようです。

 《絶対》という主題を問い求めた人間は もし手を抜いて手っ取り早い手立てを考案するとなれば――つまりそれは 間違いになるのですが―― やはり《天上天下唯我独尊》ということになるのではありませんか?
 言いかえると 我れのほかには正しく尊いものはないと帰結してしまうのではないでしょうか。

 日蓮もこれを徹底したところは 或る意味で立派ですよね。かれでなくても誰かが一度はそうするでしょうが やはりコロンブスの卵です。コロンブスの名前は なにしろ《キリストを運ぶ》というのですからね。
 天候不順か政治のわるさか 飢饉がひどかったようですね 当時は。それゆえ人びとの気持ちに訴える力があったのでしょうか。あるいは今にまでも続いているというのは やはりコロンブスの卵で ゴータマ・ブッダと同じ路線を取ったところから 曲がりなりにも人びとの心の隙を埋めるところがあるのかも知れません。

 立正安国論は その立てるという正法の捉え方が間違っているのでしょうね。ほかに正しい考えはないという心において。
 すなわち 法華経に反するだけではなく 人間の心のふつうの筋道から外れてしまっている。こう考えます。卵は確かに割らなければオムレツは作れませんが おれが割るのでなければ・またおれのやり方で割るのでなければ駄目だという心は いただけません。ですよね。
 つまりこの割り方にこだわるたぐいのコロンブスの卵は そのコロンブス自身の自殺行為であると考えられます。人間が人間であるかぎりついてまわる欠陥でしょうね。目を覚まして欲しいものです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2010/09/21 13:54

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