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原始仏教に詳しい方に質問です。日蓮が説いた法華経と本来ある法華経には大きな違いがあるように思いますが、日蓮は法華経を独自に変更したのでしょうか?また、原始仏教と法華経の違いはあるのでしょうか?法華経に
はブッダの考え方が少し残っているように思いますが、日蓮の思想は脅迫的で、罰論なんかはブッダの考えと真逆のように思えます。色々と真実を教えて頂ければ、有り難いです。よろしくお願い致します。

A 回答 (3件)

私は、仏教は専門ではありませんので、一部には間違いがあるかもしれませんが、それを議論しようとは望んでいません。



原始仏教というのは一部の方からは批判がありますので、私は、初期仏教と呼んでいます。
初期仏教から、原始経典を多く用いる上座部仏教とはつながりは強いものの、それが、必ずしもオリジナリティに近いとは必ずしも言えないはずです。それを支える人々や社会体制があったからこそ、今日、東南アジアで受け継がれたものだと考えています。大乗仏教と上座部仏教のどちらが優れているかというよりも、大乗仏教と称される北方仏教は、仏教の純粋性よりも、幅広い思想を取り入れたことと、在家の経済活動を奨励したことが今日の違いとなって現れたのではないでしょうか。

当初は、中国(シナ帝国)は仏教をひじょうに嫌っていたようでしたが、中国人で、自分たちの社会に合うように塗り換えてしまったと思うのです。ただ、私は、様々仏教のセクトを、釈迦ブッダの教えを発端とする「原始仏教」とする向きには、少し無理があるように思うのです。それを信じることこそが、ひとつの信仰だと思うのです。つまり、一部では無神論であり、もう片方では、汎神論に似た汎佛論を展開するのでは、とうてい同じ宗教群とはいえなくなってきてしまいます。

そして、日本では江戸末期、大乗非仏説という研究が発表され、昌平坂学問所や、明治に至り、一部の研究家が、別な方向に走らせる結果になってしまいました。それが、今日の仏教であれ、仏教学の流れではないでしょうか。

法華経は、初期仏教とは特別な関係はないと思います。1世紀~2世紀に成立した大乗仏教聖典のひとつです。ひじょうに、文学性にも優れ、壮大な思想で、大乗仏教の頂点にあるお経であると思います。一条妙法、久遠釈迦、菩薩行道という法華経の指針は、無味乾燥な仏教思想とは大きく違い、また、かつて人間として実在していた釈迦ブッダとは違う、新たな形而上の信仰の対象として高めた概念を作り上げていったのだと思います。

>日蓮の思想は脅迫的で、罰論なんかはブッダの考えと真逆のように思えます。
日蓮宗は、天台法華・最澄とたもとを分けたために、日蓮宗と名乗っていますが、当時は、法華宗と名乗っていた時期もあるわけです。日蓮の行動は、その時代背景にもあるのだと思います。日本仏教の凋落はいかばかりだったかは、ある程度は、現在でも想像はつきます。

大正時代の頃だったと思いますが、法華経がひとつのブームになりました。多くの文人や宗教家が、法華経に感化されましたが、しかし、いつのまにか、まったく違う面を強調した団体が現れて、法華経のオリジナリティとは違ったものにしてしまったのではないかと思っています。仏教徒同士で争ったりいがみ合ったり、まして他の宗教を排斥したりするというというのは、本来の日本型の宗教とはなじまないのです。
『宗論はどちらが勝っても釈迦の恥』
という言葉さえ残っています。別に日蓮宗だけの話ではありませんが、ある程度の年齢の人には強烈な記憶として残す事件を何度も起こしてしまいました。

私は、ご質問者さんのおっしゃる通りだと思っています。聖徳太子の憲法の第一条の「和を以て貴しとなす」も、第十条の「人が自分の意見と違うからといって、怒ってはならない。」いうことも、仏教の法華経から生まれた思想であったからです。
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この回答へのお礼

素晴らしいご回答を本当にありがとうございました。
貴重な御意見を参考にさせて頂き、今後も勉強していきます。

お礼日時:2017/11/18 10:41

本来の仏教とどうして違うのか?


それはさまざまなお経が作られた歴史を見なくてはわかりません。日蓮聖人
が土台としたのは中国の天台大師が確立したもので、現代の仏教学とはかな
りちがいます。
現代の仏教学では、原始仏教がもともとの仏教とされています。そのお経は
「阿含経」という膨大なお経で、その中でもさらに初期に作られたものがス
ッタニパータというお経です。
そこでは血の通ったお釈迦様がいろいろと説法されています。
日蓮聖人が第一とした法華経はそれから数百年もたった時代に成立したもの
で、あくまで大乗仏教徒の信仰の世界を現したものです。
どれもみな空想的で、「この教えこそもっともすぐれたもの」とは書いてあ
りますが、在世当時のお釈迦様の教えを伝えているわけではありません。
ちなみに阿含経がまとめられたのは仏滅後100年ぐらいまでのようです。
アショーカ王時代には阿含経を基にした政治が行われました。
もちろんその時代は仏教だけを守護するという立場はとらず、すべての宗教
を容認していたようです。
日蓮聖人の教えだと、法華経の教え以外の教えを信じるものはすべて地獄行
き、といった厳しいもので、アショーカ王時代の教えとはずいぶん違います
ね。

法華経は紀元後100年ぐらいまでに大乗仏教徒によって原型が作られ、そ
れ以後さまざまな部分が付け加えられたようです。
大乗仏教徒たちは、原始仏教時代から守られてきた本来のブッダの教えに裕
福な在家信者たちが反発し、ブッダの教えを継ぐものとして「菩薩」という
概念を作り出し、発展させたものです。
つまり、菩薩の教えと言ってもいいものです。
菩薩の教えがもっとも高度に発展したものが八千頌般若経であり、法華経よ
りすこし古い成立のようです。さらに新しいもののなかに華厳経というお経
があります。
華厳経のなかに十地経というお経があります。これなどは、菩薩の十地の境
地を純粋に教えるお経で、お経そのものが「これはお釈迦様の教えではなく、
菩薩の教えですよ、」といっているようなものです。

つまり、菩薩の教えは、保守的な出家集団に反発した、革新的な新しい仏教
運動だっわけです。彼らは、保守的な出家集団を「小乗」とよび、自分たち
を「大乗」といいました。
保守的な出家集団はどうしても修行がしやすい暖かいところへと流れていき
ました。スリランカや東南アジアへと伝わり、南伝仏教となり、大乗仏教は
北方へ流れてゆき、ガンダーラで大きく発展します。そしてさらにシルクロ
ードを通って、中国へ伝わり、中国独自の信仰が加わりさらに発展します。
そしてそれが日本に伝わってきました。

であるなら、日本には大乗仏教だけ伝わっているはず、と思うのですが、実
は小乗仏教も伝えられました。それが鑑真(がんじん)が伝えようとした、
四分律というインドの上座部仏教の教えでした。
上座部仏教は実は、大乗仏教が「小乗」として下に見た、保守的な出家集団
でした。
彼らは、お釈迦様の教えを純粋に守っているうちに、戒律ばかりが膨らみ、
原始仏教的な自由闊達さを失ってしまいました。
これから考えると原始仏教の立場がなんとなくわかりますね。

日蓮聖人の教えと法華経の教えとは少し違いますね。
日蓮聖人の教えには、シャーマニズム的なものが入っているようです。それ
は別として「教主釈尊」という存在が強烈な目的意識を作り上げています。
それはあくまで法華経の中のもっとも純粋な仏であり、大乗仏教的な信仰が
作り上げるお釈迦様というイメージです。
つまり神に近い超人的なお釈迦様でしょう。
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この回答へのお礼

ご回答頂き本当にありがとうございます。

お礼日時:2017/11/18 10:42

ブッタが死んでから数千年経ってるので、生き証人は居ませんから真実はわからないでしょう!あくまで個人主観の伝え方が変われば伝言ゲームのように内容が変わるので真実にはたどり着けない質問です。

誰が悪いとか?誰があってるとか?判定できません。
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この回答へのお礼

おっしゃる通り、何千年も経てば変化しますよね。

お礼日時:2017/11/18 10:45

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