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ニート・引きこもり・あるいはうつなど精神の傾向は ふつうの社会現象であるに過ぎない。


 まづつぎのような随筆を見かけました。その場合は表題としても《精神疾患は社会の病気》というものですが その《病気》の部分を社会思潮であり社会現象だとして読んでみてください。

 ◆ 大野裕:精神疾患は社会の病気 ~~~~~~~
 〔こころの健康学・日経2010・10・08夕刊7面〕
 ――立ち場によって男女比変化

 しばらく前 このコラムでうつ病になるのは女性が多いと書いた。うつ病と診断される女性の数は 男性の二倍であることが分かっている。アルコール依存などは男性が女性の二倍になっている。

 女性にうつ病が多いのは 月経や出産 更年期などの女性ホルモンの変化が影響するからだと考えられている。そうした体の仕組みの違いだけでなく 社会的な立場がそれ以上に強く影響している。

 ところが その立場が変わってくると 精神的変調の表われ方も違ってくる。世界保健機関( WHO )の国際比較研究を見ると 女性の社会進出が進めば うつ病やアルコール依存の男女比の差が小さくなってくる。うつ病では女性の割合が減り アルコール依存といった男性に多い精神疾患では女性の割合が増えてくるというのだ。

 この傾向は国際共通だが 女性が社会進出するようになると ストレスへの対処の仕方が違ってくるのではないかと考えられる。

 社会的な立場が弱いときには 内向的になって心の中で悩む傾向が強くなるが 社会のなかで自分の立場を主張できるようになると 行動を通して悩みを発散する傾向が強くなるのかも知れない。精神疾患は単に脳の病気や心の病気だけでなく 社会の病気なのだと思えてくる。
 (大野裕:慶応義塾大学保保健管理センター教授)
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ☆ さて 一般に上に立つガミガミ役に対して下に身をおくアース役。前者が一般に 意識の排泄をおこない 後者がこれを受けとめる。
 この関係を広く

  《アマテラス( A )公民主導‐スサノヲ( S )市民従属》連関
  
 と呼ぶことにします。これは そもそもふつうの主権在民=スサノヲイズムをさかさまにした連関関係ではないでしょうか。
 この《逆立 A - S 連関制》から成る社会のあり方によって――《アース役》であることを通じて―― 世間でわざわざまちがって《精神疾患》とさえ呼ぶような精神にかんする社会現象のすべてが起きている。のではないか?
 アース役である人たちから 主婦である女性 あるいは 子どもたちへといわゆるしわ寄せが行くのではないか?

 この見方について 見るところ感じるところ考えるところをお聞かせください。

 引用の随筆について解説をしていただける方は おしえてください。

 この質問は
 【Q:ニートや引きこもりは 未来社会への陰画だろうか】
 http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa6191141.html
 
 【Q:・・・うつなど精神疾患は 社会源病だ。】
 http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa6236569.html

 を継いでいます。

A 回答 (24件中21~24件)

方策としては、S者による、このようなインターネットでの散逸的な発言と、プラス、ニートや引きこもりの組織化した当事者団体があれば、発言力が増すのではないかと思います。


A者のほうは、組織風土の改革をすればよいのではないでしょうか。人々のためと尽力してきたA者は、たまには自分達のためという事で、お祭りや休暇を多く摂るという風に。
労働と休暇の中間に位置する活動やレクリエーションなどがあれば、そこがS者との連携の場ともなりえそうです。

指し当たっての問題としては、S者にせよA者にせよ、とてもフラストレーションがたまっている一群の人々と、あるいはとても萎えてしまっている一群の人々に提示されるべき方策と言うものでしょうか。
フラストレーションがたまっている方々には、発言の技術と場が必要であり、萎えてしまっている一群の人々には、明らかな希望と、活力が必要かと思います。その技術と場とは何かと言えば、このようなサイトでも実際に行われているディスカッションでもあり、また、明らかな希望と活力と言うのは、発言や、時に自分のために行動することによって前進すると言うことでもあると思います。

それぞれの気持ちが活きて来るような、場と手法が開発されると良いですね。そして、少しの勇気が広まれば、沈滞化した心も次第に浮上してくるかと思います。
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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。

 ★ 方策としては ~~~~~~~~~~~~~~
 
 § S: S者にはどんどん発言してもらい、

 S‐1:このようなインターネットでの散逸的な発言

 S‐2:ニートや引きこもりの組織化した当事者団体があれば、発言力
   が増すのではないか




 § A: A者にはどんどん地や本音で振舞ってもらえると、良い感じで崩れて、やわらかさが取り戻されるのではないか

 A‐1:組織風土の改革をすればよいのではないでしょうか。

 A‐2:人々のためと尽力してきたA者は、たまには自分達のためと
   いう事で、お祭りや休暇を多く摂る。
  A‐2‐1:労働と休暇の中間に位置する活動やレクリエーションなど
     があれば、そこがS者との連携の場ともなりえそうです。



 §  A・S: S者にせよA者にせよ 差し当たって

 A・S‐α:とてもフラストレーションがたまっている一群の人々に対する方策
   (あ): 発言の技術と場が必要であり:
    ・このようなサイトでも実際に行われているディスカッション


 A・S‐ω:とても萎えてしまっている一群の人々に対する方策
   (い):明らかな希望と、活力が必要かと思います。:
    ・発言や、時に自分のために行動することによって前進すると言うこと

 
 § むすび
   ・それぞれの気持ちが活きて来るような、場と手法が開発されると
   良いですね。
   ・そして、少しの勇気が広まれば、沈滞化した心も次第に浮上して
   くるかと思います。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 団体の結成とその活動 あるいは 組織の改革と風通しとしてのイヱ″ント これらについては ここでただちにどうにか出来るものでもありませんから ちょうどこの質疑応答の場が 活性化や積極性の涵養のためによいと考えられることですから 取り敢えずは 質問でのやり取りをさらに推し進めましょうか。
 哲学だと何でも主題になりますから。やはり何についてでも主題を決めて意見を述べ合い情報を交換するとよいのでしょう。

 ところで 宣伝をしておきましょうか。
 【Q:KY とは 草の根民主制への第一歩ではないか】
  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa6117420.html
  ● 表題どおりです。

 【Q:《自己チュー》とは どういうことですか?】 ~~~~~~~
  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa6110573.html
  ● 逆説的に次のように考えることもして来ています。
  ◆  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「自己」を「中心」にすることができなくなっている、
   のが問題である、
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 とおっしゃっているようにも思えるのですが、わたしの気のせいでしょうか。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 【Q:《アフリカ的段階》について おしえてください。】~~~~~
  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa5972840.html
  ● 日本の古代国家は A-S 連関の成り立ちが 《対話型》である。
  アフリカ型は むしろ市民 S が《暴君型》である。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 【Q:民・在日朝鮮韓国人・暴力団についてのもんだい】
  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa5995036.html
  ● これを解決するという方向は 出ないでしょうか? 出しづらいでしょうか? 考えるべきではないでしょうか?(つまり 現状のまま行くのがよいか?)――と問うている。

 【Q:《オタク》は 他者性を避けているか】
  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa5021239.html
  ● まだ試行錯誤の模索中です。

 【Q:アスペルガーとアマテラス語方言】
  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa5507123.html
  ● 趣旨は この今の質問と同じ方向です。

 【Q:きみはヨブを見たか。】
  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa5684019.html
  ● ヨブの試練を思って みづからを元気づけて欲しい。

 【Q:観念の放射線について】
  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa5269710.html
  ● 意識の排泄。

お礼日時:2010/10/12 13:43

とても希望のある話かと思います。


Sを大切にする人々がAを身に付ければ、未来を開拓していく一団になると思いますし、Aを大切にする人々にSがよみがえれば、柔軟性が社会にもたらされると思います。
問題は、Sを大切にする人々が、極度に排斥されていると言う点と、Aを大切にする人々が、極度に硬直していると言う点であると思います。しがらみの中に居る人は絡めとられて、外にいる人は入れないでいる、そのような構図が浮かびました。S者にはどんどん発言してもらい、A者にはどんどん地や本音で振舞ってもらえると、良い感じで崩れて、やわらかさが取り戻されるのではないかと思いました。そうすると、S者とA者がうまく連携され、よろしい社会になるのではないかと思いました。
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この回答へのお礼

 あぁ よかった。よかったですね。――さらにご回答をありがとうございます。

 少し前までは

  ○ とにもかくにも A 者が・そして A 者公民圏が S 者性を取り戻すという意味での《アマクダリ》を行なわないと 何ごとも観念的なまま運ばれてしまって社会の人びとのあいだの絆といったものが空回りするのではないか。

 ☆ と思っていました。アマテラス公民を悪者扱いする傾きがありました。
 それをたしかに
 ★ Sを大切にする人々がAを身に付ければ、未来を開拓していく一団になると思いますし、Aを大切にする人々にSがよみがえれば、柔軟性が社会にもたらされると思います。
 ☆ と捉え展望してみれば 案外もんだいは簡単にほぐれていくのかも知れません。つまりアマテラス者自身のそのアマアガリ具合いが 固定されていて まさに単独分立してしまっていると見ていたきらいがあります。

 いやぁ あとは展望してもらったとおりの方程式でもあると考えられますね。
 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 (1) 問題は、

  ( a ) Sを大切にする人々が、極度に排斥されていると言う点と、
  ( b ) Aを大切にする人々が、極度に硬直していると言う点

 であると思います。

 (2) ( b ) しがらみの中に居る人は絡めとられて、( a ) 外にいる人は入れないでいる、そのような構図が浮かびました。

 (3) ( a-1 ) S者にはどんどん発言してもらい、( b-1 ) A者にはどんどん地や本音で振舞ってもらえると、良い感じで崩れて、やわらかさが取り戻されるのではないかと思いました。

 (4) そうすると、S者とA者がうまく連携され、よろしい社会になるのではないかと思いました。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ☆ (2-b )は A 者=お二階さんたちが 下の人びとに対して ビビっているという傾向が現われたと聞きました。→【Q:ニートや引きこもりは 未来社会への陰画だろうか】回答No.7。
 アマテラス公民ないし権限を持つ上役の人たちのほうが 身動きが取れないでいるのだと。

 ただし (2-a ) 《外にいる人は入れないでいる》。発言の機会が与えられるというわけでもなく 中に入れられているならまだしも あたかも外に閉め出されているかの状態にある。

 それゆえ (3-a-1 )および(3-b-1 )の方策へとすすもうと。

 ひとつにこの方策の具体化でしょうか。

 そしてさらにほかにも問題点があるとすれば それらを掘り当てておくということ。

お礼日時:2010/10/12 00:26

個性や独創性といわれるものは、Sに内在しているように思います。

自然性と言っても良いでしょうか。
一方、普遍性や、一般性?と言われるものは、Aに在しているように思います。社会性と言っても良いでしょうか。
現代人は、Sが足りていないのかもしれないですね。Sの錠剤なんかがあって、飲めば効くという風なら話は早いのですが。。
いろいろなしがらみがあって、Sが発揮されないならそれはAにとっても損失であろうと思います。
お礼文最後の方は道徳や倫理のお話でしょうか。

Sは自由、Aは平等と言った簡便な役割を与えられそうにも思いました。一人の人間の中で、SとAがうまく融和していると良いですね。
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この回答へのお礼

 ライトヱーヴさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。

 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 現代人は、Sが足りていないのかもしれないですね。Sの錠剤なんかがあって、飲めば効くという風なら話は早いのですが。。
 いろいろなしがらみがあって、Sが発揮されないならそれはAにとっても損失であろうと思います。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ わたしもこのあたりの課題を言おうとしています。

 すなわち言ってみれば
  ○ S から切り離されたかたちでの A 概念( A 語概念)の単独分立
 ☆ が問題になるのではないかというものです。
 《和》という言葉は S 語にもとづく生きた A 語であり得ますが それを概念ないし観念としてのみ扱うことも出来ます。観念のみというかたちは 単独分立です。

 上役や公務員など権限を持つ A 者が《和が大事だ》と言えば 単なる概念であるだけではなく 現実性があるように見えますが それは権限関係が現実であるところから来ているのであって そこで言われた《和》はやはり単なる観念でしかないように考えられます。
 要するにその場合は 《上の者にさからうな》という意味を示すための記号でしかないのではないかと。


 たとえば 《和(やわらか)》とは まづ肉眼で捉え得て感性で知るところのモノ(質料)や身体(質料より成る)のそのような一つの属性である。
 しかるに 《和を以って貴しと為す》というときの《和》は すでに 観念であり共同観念であると思われます。それは S者・身体の運動から切り離しても 語ったり論じたりできるからです。つまり 抽象的でもあります。

 したがって 素朴にあたかもムラ(村)イズムなる共同の生活において この《和》が 主体的に・つまりひとりの《S者‐A者連関存在》によってそれぞれの考えと行為をとおして とうとばれその実現のために気づかわれていたとすれば 現実的です。

 これが すでに掟・道徳・法律などとして論じられ 規範的にも訴えられるときそれは 観念であり共同の観念をかたちづくるに到っている。ただし確かに 観念として それも現実的だと言わねばならないようですが。
 
 ムライズム(《和》)はS者市民的であり 共同体的です。ナシオナリズム(《大和=やまと》)は A 概念の単独分立として観念になっていると考えられます。
 
 ★ 一方、普遍性や、一般性?と言われるものは、Aに在しているように思います。社会性と言っても良いでしょうか。
 ☆ そうなのですが まったくおっしゃるとおりなのですが この A 語普遍概念が S 者(市民性ないし《わたし》であること)から一たん切り離されて単独で分立してしまうと ただの観念になってしまいます。そういう意味で
 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 現代人は、Sが足りていないのかもしれないですね。Sの錠剤なんかがあって、飲めば効くという風なら話は早いのですが。。
 いろいろなしがらみがあって、Sが発揮されないならそれはAにとっても損失であろうと思います。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ この問題が 横たわっていると考えています。
 ★ 個性や独創性といわれるものは、Sに内在しているように思います。自然性と言っても良いでしょうか。
 ☆ これですね。そしてそれはあくまで A を生かすためでもあるはずです。


 ニートも引きこもりも そして うつさえもが この S を大切にしている場合だと考えます。ただしその行動が いわば今は陰画として現われている。自分の考えを述べるというかたちでは 必ずしも 現われて来ない。きちんと自己表現ができて来ると 社会を未来へと引っ張って行くことになるかも知れないというお話です。
 どうなりましょうか。
 

お礼日時:2010/10/11 23:34

波風を立てようのない格差というものが、生まれているように思います。

発言しても、スルーされる立場の人々は、だんだんと弱っていってしまうのではないかと思います。ですが、波風を立てなければ船も進まないし、発言すべきときには社会的弱者であっても強く主張すればよいと思います。
A-S連関では、どこか与えられる感があって、自主性を巧く活用できていないように私は思いました。
AにSが内在していると見て、誰しもがSとして生まれ、それからAに成るなら、今唱えられているような問題も起きないような気がします。
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この回答へのお礼

 ご見解をふたたび披露していただきありがとうとございます。

 ○ 波風を立てようと思ってなら 和を乱すことはなかった。
 ☆ こういう心をともに――すでに人間にあるその心をおもてに出して―― 共有し確立させていきたい。

 ○ 和を以って貴しと為せと言われなかったなら わたしは和を乱すことなど知らなかった。
 ☆ この命題を堂々と胸を張って隠れてではなくおもてに出してはっきりと言って行きたい。


 和を以て貴しと為せと書いたひとは 自分たちが崇仏派ゆえに 排仏派=神道派だった物部氏を殺害したあと権力を握って 上のようにのたまわった。つづけて 《忤(さか)らふこと無きを宗と為せ》と。
 逆らう者がいなくなり権力を握った上でこんなことを言うとなったら ふつうの神経の持ち主なら 顔面が火の海となり 顔のほてりが退いて行かなくなるはずです。けれどもさすがアマアガリしたというからには もはや神々の境地に入り自分はあやまつこと一切無しの存在となったと思いこんだのでしょうか。

 再掲ですが
 ☆☆ ~~~~~~~~~~~~~~~~~
  アマテラス学術語およびアマテラス人格語は およそあやまちを侵すことなどあり得ないというほどに その科学的妥当性および人格の高貴性をほこりますが たしかにそのとき スサノヲ人間語は どこまでも残念ながらあやまち得るという人間およびおのれの存在に立ち へりくだる弱さをほこります。
 けれどももし アマテラス公民の無謬神話がくずれて来たとすれば その《アマテラス‐スサノヲ連関》は たしかに逆立ちしています。頭で立って歩いています。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
 その昔 アマアガリ(成仏。仁徳。あるいは神道流にいわば きよき心の境地)を目指した人たちは それはそれは――優秀であっただけではなく――人一倍も二倍も努力の人でした。これでもかこれでもかとおのれを推してその人間を練り磨くことに努めました。
 ところが 或る日もうこれ以上は人間的な人間はいないと自負できるほどになったとき 周りを見渡すと そんな人格の陶冶といったことには 関心がない。つまりあるいは 何が何でも人格者になるという目的だけを持って生きてはいない。またむしろそこまでするのは やり過ぎだという見方を持っているようだと知る。
 たぶんふつうの人びとは おのれの限界・人間の及び得ないところのことを 初めから 知っていたとも言えるのではないだろうか。《わたし》の弱さを知っている。

 ★ A に S が内在していると見て、誰しもが S として生まれ、それから A に成るなら、今唱えられているような問題も起きないような気がします。
 ☆ 泥の土にもたとえられるスサノヲ( S ) このスサノヲ人間語の中に 普遍的な概念や理念としてのアマテラス( A )人格語が内在している。
 《誰しもが S として生まれ》 そこでそのみづから( S )の中から 学問と人格の光( A もしくは アマテラシテ Amaterasitaet )を開発し磨いていく。人間語( S )の中に 人格語( A )がある。人間は その内面において《 S (基礎・主導)‐ A (公僕・コギト)》なる連関を持つのではないか。
 《良心》とても 良心にさからうならば顔をあからめるという身体性( S )に基礎を置いている。
 《裏切り(不倫)》をしようとする心が生じたときに 心に動揺を来たすのは 身体性である。誘惑に負けやすいのも 身体性だけれど それを ええい誘惑に乗ってやれと蛮勇をふるうのは むしろ精神性( A )のほうではないだろうか。

 まだ熟さないかも知れません。軌道修正が必要かも知れません。こんなところにてです。

お礼日時:2010/10/11 15:19

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