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明治の女性名はなぜ二文字のカタカナなのですか
明治の女性の名前を見ると、セツとかトセとかコノとかチカとか、カタカタ二文字の名前が多いですが、
何か意味があってカタカナ二文字なのでしょうか。
明治時代に漢字の名前だった女性もいると思いますが、例えばどんな名前でしょうか。

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A 回答 (3件)

江戸時代から続いた男尊女卑の影響と漢字の読み書きが出来なかった事情があったと思います。


江戸時代の武家は、篤子や雪子のように女の子に漢字を使ってましたが、民百姓(一般人)に苗字はなく、漢字の読み書きすら教育されてませんので、カタカナぐらいしか読み書き出来なかったのです。
男の子には〇左衛門や〇之助のような漢字を苦心して名付けたようですが、女の子の名に漢字は恐れ多いと思う一般人が多かったのだと考えられます。
キンさんギンさんのような名前は、おキンさんやおギンさんのような呼ばれ方をしてました。
しかし、江戸時代に武家に育った親は漢字の読み書きが出来たので、節子や竹子のような名前を付けてました。
医師でもあり文豪でも有名な森鴎外は、長女に茉莉(まり)次女は杏奴(あんぬ)と名付けてます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
大変参考になりました。

お礼日時:2010/10/15 21:17

明治時代は「男尊女卑」の傾向が顕著でありました。

それと並行して平安時代の国風文化により「カタカナ」が誕生しますが、これは主として女性が用いる文字として使用されています。その流れがずっと明治に至るまで続き、女性でも読める「カタカナ」の使用が多くなった、という説があります。都市部より農村部が多かった様です。実際、津田塾大学の創始者は『津田梅子』、幕末に人身御供の様な形で外国人の世話をさせられた女性の名は『福』と『吉』(唐人お吉で有名)、伊藤博文の妻は『梅』、坂本竜馬の妻は『竜』と漢字表記されています。ですから、カタカナ二文字の名前が多い様な印象がありますが、この様に身分がある程度高い女性、福や吉の様に特別扱いされた女性は「漢字表記」されているのです。またこの時代の傾向として女性の名前の前に「お」を付けて呼ぶ習慣がありました。出所は不明ですが、先に挙げた福と吉がいい例で、二人とも「お福」「お吉」で通っています。「ウメ」「ヨウ」「セツ」にしても始めに「お」を付けて「おウメ」「おヨウ」「おセツ」と呼ばれていた様です。多分、物と人の名前を区別する為に「お」を付けたと思われますが、定かではありません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
大変参考になりました。

お礼日時:2010/10/15 21:18

大体前の方の回答が的を得ているかなと思います。


私の父方は武家の流れを汲んでいるので、女性も漢字で名前がついています。
明治45年生まれ(本人は大正元年と主張する)のおばは「節」、明治20年生まれの祖母は「静」、江戸時代の生まれの曾祖母は「鹿乃」といいます。
母方は地方の大地主で、祖母の名前は「ハナ」、祖母の両親が「花」にしようか、「華」にしようかと相談しているうちに、祖母の祖父が役所に届けてしまったそうです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
大変参考になりました。

お礼日時:2010/10/15 21:18

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Q明治や大正ロマンかおる、レトロな女性の人名

明治/大正ロマンかおる、レトロな女性の人名ってどんな名前がありますか?
袴をはいて女学校に通っていたようなハイカラさんの時代。
そんな時代に流行した、今では少し古風な雰囲気のする女性の名前をおしえてください。

Aベストアンサー

こんにちは。
維新後にはそれまで皇室・公家・大名家などでのみ用いられていた「~子」型の名前が庶民にも広がっていきました。
明治五年生まれの樋口一葉の「夏子」、同八年生まれの大塚「楠緒子(なおこ)」、同十一年生まれの与謝野「晶子」、同十九年生まれの平塚雷鳥の「明子」などにもそれがあらわれているかと思います。
明治生命調べによると、その後大正に入り元年・四年には「千代」がその年に生まれた女性名の第一位だそうですが(「改元」の影響を受けての命名と思われます)、二年は「正子」、三年は「静子」、五年は「文子」、六年は「千代子」、七年は「久子」と、このようにずっと「~子」型の名前が一位を占めています。
何か特別「大正ロマン」の香りがする名前という感じでもないかもしれませんが、実際流行した名前はこういうものであったようです。
ご質問の趣旨に合うかわかりませんが、ご参考までに。

Q江戸時代の女性の名前

江戸時代の女性の名前について質問させていただきます。
よく名前の前に「お」をつけた名前が女性の場合多いのですが、それは愛称だと聞きましたが、それ以外に「お」をつける理由はあるのでしょうか?

また、江戸時代に女の子に名前をつける場合、どういう付け方をしていたのでしょうか?現代ですと名前をつける時、本で姓名判断をしたり流行の名前をつけたり等の選択肢がありますが、江戸時代の人たちはどういった経緯で名前を考えて命名していたのでしょうか?

どなたかご存知の方がおられましたら、御回答の程よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

 おっしゃる通り、江戸時代に「お○○」という女性の名前はよく見かけます。
 しかし、本当の名前に全部が全部「お」がついていたのかどうか、疑わしいところがあります。
 他人が呼ぶ場合に、丁寧、尊敬の接頭辞の「お」、あるいは質問者さんがおっしゃる愛称的な「お」がついている場合が多く、書き残された史料で見る「お○○」さんの本当の名前は、単に「○○」の場合と「お○○」の場合の両方があると見た方がよろしいでしょう。
 下のURLには明治生まれの女性名前が出ています。江戸時代風の名前も多くあります。この方達には「お」はついていませんが、お互いに呼び合うときには「おとくさん」のように「お」をつけて呼んでいたことが多いと思われます。また明治生まれの人で、実際に戸籍上「お○○」の人もいました。
http://www.vill.miho.lg.jp/pr/back/2001/10/000.htm
 江戸時代に姓名判断が流行ったということについては存じません。
 また名前に流行があったかどうかも不明です(明治の末頃から「○○子」という名前が流行りはじめましたが)。
 親は子供の長寿や幸福を願って「ツル」、「カメ」、「ふく」、「まつ」、「たけ」、「うめ」など縁起のいい名前や、生まれ年の干支「トラ」、「タツ」、「トリ」など、その他誰かにあやかるとか、いろいろあったと思います。
 まあ、現代人のように、名付けに凝るということは、あまりなかったような感じがしますね。
 

 おっしゃる通り、江戸時代に「お○○」という女性の名前はよく見かけます。
 しかし、本当の名前に全部が全部「お」がついていたのかどうか、疑わしいところがあります。
 他人が呼ぶ場合に、丁寧、尊敬の接頭辞の「お」、あるいは質問者さんがおっしゃる愛称的な「お」がついている場合が多く、書き残された史料で見る「お○○」さんの本当の名前は、単に「○○」の場合と「お○○」の場合の両方があると見た方がよろしいでしょう。
 下のURLには明治生まれの女性名前が出ています。江戸時代風の名前も多くあ...続きを読む

Qカタカナを多用していた時代

私の祖母の時代(明治)の女性の名前はほとんどカタカナです。マツとかウメとか。
それでふと思ったのは、そういえばその頃の手紙文もカタカナ(+漢字)をつかっていたような気がするのですが、実際ひらがなよりもカタカナのほうを多用していた時代というのはあったのでしょうか?そうだとしたら理由はなんでしょう?
なんだかあいまいな記憶のもとで質問してしまっていますが、ご存知の方いらっしゃいますか。

Aベストアンサー

「カタカナ」は、漢字の一部を省略したり、簡略化したりしてできました。「阿」→「ア」、「伊」→「イ」など。

「ひらがな」は、漢字の草書体をくずした草仮名が元になっています。現在は「あ」は「安」が元になったものを使っていますが、「安」のほかに「悪」「阿」などからきたものがあります。

ひらがなが現在の形に統一されたのは、明治33年(1900年)の文部省『小学校令第十四号』と『施行規則』によってです。それ以外の仮名は、排除されましたが、「変体かな」として残っています。それまでは、小学校でも「変体かな」を教えていました。当時は、「変体かな」ではなく、それも含めて「ひらがな」でした。
「変体かな」の一覧表でもないかと探したのですが、適当なものが見つかりませんでした。以下のURLに一部ですが載っています。
http://kan-chan.stbbs.net/word/hentai.html
http://www.dx.sakura.ne.jp/~kameno/omikuji/kana.html
「変体かな」は、今でも、「そば屋」の暖簾や看板で見ることができます。

「カタカナ」「ひらがな」とも、明治から戦前にかけての小学校で教えていましたが、より簡潔であった「カタカナ」を先に習っていました。これは、昭和22年に国民学校がなくなり、新しい学制がはじまるまで続きました。
http://s-lib.sap.hokkyodai.ac.jp/shiryou/kokutei/shiryou.html

法令などの公文書は、文語体(漢文調)で書かれ、漢文の訓読に使われて来たカタカナ混じりの文章でした。
新聞も同じ紙面の中で、堅い記事はカタカナで、柔らかい記事はひらがなで書かれていたものもありました。
http://pweb.sophia.ac.jp/~kuwaha-k/jaasi1.htm

参考URL:http://s-lib.sap.hokkyodai.ac.jp/shiryou/kokutei/shiryou.html

「カタカナ」は、漢字の一部を省略したり、簡略化したりしてできました。「阿」→「ア」、「伊」→「イ」など。

「ひらがな」は、漢字の草書体をくずした草仮名が元になっています。現在は「あ」は「安」が元になったものを使っていますが、「安」のほかに「悪」「阿」などからきたものがあります。

ひらがなが現在の形に統一されたのは、明治33年(1900年)の文部省『小学校令第十四号』と『施行規則』によってです。それ以外の仮名は、排除されましたが、「変体かな」として残っています。それまでは、小学...続きを読む

Q明治時代の婚姻について

先日75歳の女性の方に伺った話ですが、
彼女の祖母は13歳で結婚したのだそうです。

彼女は「明治だから」といっていましたが、
いくらなんでも早すぎると思い、帰ってインターネットで調べたところ、
明治の民法上結婚できる年齢は15歳でした。

「田舎だから」とも言っていましたが、
田舎では13歳で結婚するのは普通だったのでしょうか?

江戸時代の時代劇で見かける「奉公」みたいなものかなぁと想像してみてますが、
明治でもそういうのあったりしますか?

また、明治時代では読み書きできないのが普通なのですか?
明治でも義務教育はあったようですが、それでも学校に行かないものだったでしょうか?

Aベストアンサー

>誕生日
江戸時代までは庶民は自分の誕生日を特には意識する習慣がありません。従って現代人が言う所の正確な「年齢」と、本人が口にする「自分の年齢」には最大で±3年ほどの誤差があるのが普通でした。人によっては10歳近くズレがあったのですが、当時は特にそれでも問題ありませんでした。だって風営法も18禁も無い時代ですから(笑)。

結婚は?と思うかもしれませんが。明治どころか、日本では昭和の前半(戦前、1945年以前)までなら、通常は結婚は当人達の合意では無く。両家の親同士、それも家長である男性(父親ないし、それに準ずる立場の年長男子)の考えのみで決定されるのが普通だったので。やはり当人の正確な年齢とかどうでも良かったのです。

確か明治30年頃に富国強兵(=徴兵制)と言う事で、特に平民男子の正確な肉体的年齢を国家として管理する必要が初めて出て来たので。慌てて日本でも全国的に「子供が生まれたら正確な誕生日を役所に届けるべし」とのお達しが出され、それ以降から日本人に「誕生日」という考え方が一般的になったのです。

昔から日本人がむしろ記録に残して拘ったのは、生まれた日ではなくて、むしろ「死んだ日」です。お墓とかにも誕生日では無く、何年何月に死んだと書く習慣が昔からありました。昔は乳幼児死亡率が以上に高かったので、いちいち子供の誕生日を記録しても無駄になる事が多かったからかもしれません?一応、身分の高い貴族や皇室の方々、大名クラスの武家だと誕生日を記録に残し現代風に祝う習慣がある地域もあった様です。

また非常に重要な事ですが。江戸時代までは仮に本人が正確な誕生日を記憶していたとしても、今の現代人が言う年齢とは違います。何故なら昔の日本では「歳が増えるのは誕生日の時では無く、生まれて何回目の正月かで計算した」からです。さらにややこしい事に、昔は“生まれた瞬間が1歳”と計算するのが通例なので。冬場、例えば12月31日に生まれた赤ん坊は、翌日の元旦には2歳になる計算でした。

…と言う訳なので、そのご婦人の御祖母様が13歳と言うのなら、それ以上の意味はありません。まあ明治20年代以前に生まれたのなら十中八九、実際の年齢よりは1つ~2つは若い可能性があります(つまり小学6年生で嫁に行った!?)。


>読み書き
江戸時代は「読み書きソロバン」と言うくらいに子弟教育に熱心だったのですが。明治時代になって重工業化は進んだのですが、それまではその地域自治体に当たる藩主大名たちが行っていた子弟教育システムが維新によって崩壊してしまったので。東京などの一部を除けば、逆に教育はほぼ壊滅状態でした。

また個人家庭で勉強させていた場合でも、それまでの学問の筆頭であった朱子学などの儒教の教典を暗記する勉強が。明治になって一転、時代遅れのアジア学問という扱いになったため。富裕層でも子弟教育のあり方に混乱が生じていました。

で、教育に関するお触れは割と早い時期に出されるのですが。それは国民皆教育ではなく、あくまでも国家エリートを養成するための教育令だったので。長らく「義務教育」に関して放って置かれました。その後、やはり前述の徴兵制に関連して、戦場で使い捨てる兵卒候補としての幼年学校が必要と考えられ。え~っと確か明治22年?に「小学校令」というのが発布されます。ここから日本に於ける近代義務教育が始まる訳です。

一応、発足当時から男女共学だったのですが。特に農村部では女子に教育は必要無いという考え方が支配的だったので、例文の御祖母様の様に学校に通わせて貰えなかった女子児童も当時は多く居ました。またいわゆる戦後になるまでは、日本の近代女子教育には高等教育が無かったため(大学とかは男子校だった)。将来性が無い女子教育に金を掛けるのは無駄という考え方も一般的でした(そんな暇があったら針仕事の一つでも覚えさせろ!~的な)。

後、これも非常に重要な点ですが。明治33年(1900年)までは日本では、義務教育と言いつつ“有料サービス”だったので、授業料を払えないorケチな親だった場合は当然ながら男女を問わず学校には通わせて貰えませんでした。当時は毎月25銭~50銭を徴収すべしと法令にありました。昔の貨幣価値を現代に換算するのは非常に難しいですが。大体、月々5000円~1万円程度って感覚でしょうか?

逆に1900年以降は小学校が全国無料になったので、当時の資料でも就学率が90%に達した喜ばしい~と書かれています。

あともう1つ、これまた現代人には理解し難い点がありまして。当時の義務教育制度では修学年齢というモノが決めてなかった!つまり今みたいに満6歳になったら小学校へ~的な制度では無くて。あくまでもそれぞれの御家庭の事情に合わせて、好きな年齢の時に入学すれば良かったのです(一応、6歳~14歳の範囲で)。

なのでピカピカの1年生でも、同じクラスの同級生には6歳の子もいれば、妙にガタイの良い10歳の子も居るのが普通でした。後、今と違って義務教育中でも“落第”がありましたので。もう今年で3回目の1年生だよ!~みたいな落ちこぼれも居ました。

で、落第があると言う事はその逆、つまり“飛び級”もある訳でして。優秀な生徒は小学校を最短で4年で卒業する事が可能で(つまり10歳で中学へ進学可能)。逆に落第ばかりの劣等生だと、単位を取れなくても14歳になった時点で強制的に義務教育は終了させられました。

P.S.
いわゆる「ゆとり教育」という言葉が囁かれて久しいですが。明治時代にも言葉こそ無けれど、同じ様に教育の中身に関しては現代以上に行ったり来たりの試行錯誤だった様で。日露戦争当時には「最近の兵士はちゃんとした教育を内地で受けていないのか!?簡単な足し算引き算さえ出来ない馬鹿が多くて困っている!」と言う様な主旨の報告書が、現場の指揮官から送られています(笑)。

>誕生日
江戸時代までは庶民は自分の誕生日を特には意識する習慣がありません。従って現代人が言う所の正確な「年齢」と、本人が口にする「自分の年齢」には最大で±3年ほどの誤差があるのが普通でした。人によっては10歳近くズレがあったのですが、当時は特にそれでも問題ありませんでした。だって風営法も18禁も無い時代ですから(笑)。

結婚は?と思うかもしれませんが。明治どころか、日本では昭和の前半(戦前、1945年以前)までなら、通常は結婚は当人達の合意では無く。両家の親同士、それも家長である男性...続きを読む

Q自分が在日かどうか調べる方法

今年で21才になりますが、自分の起源がどこにあるのかわかりません。

今まで運転免許を取ったり、引っ越ししたり、分籍をしましたが、特に苦労したことはありませんでした。
それに親からも在日外国人の家系である、というような事を言われたことはありません。

しかし確実に、ここ数世代のうちに、外国人が混じってはいない、という確証がありません。


ということで自分が在日外国人の流れをくんでいるか調べたいです。
この場合、どのような手段を取ればいいのでしょうか?

自分の本籍地で戸籍謄本(全部証明)を取れば両親のこともわかるのですか?
母親の祖母が在日で帰化していた場合、その事はどの世代まで表記されるのでしょう?

ちなみに私は両親の戸籍から分籍(転籍)しており、本籍は東京ですが、出身および両親の本籍は大阪です。


在日か調べたい→戸籍を取れ、という解答はよく見るのですが、
具体的な方法が見つからず困っています。


また在日がどうのという質問に非難が集中している様子を見ることがありますが、
まぁ私のアイデンティティを明確化させたいだけですので、今回はご容赦ください。
日本生まれの日本育ち、ここ数世代の直系は全員日本人の日本人!と、
日本生まれの日本立ち、でも曾祖母は朝鮮人だから87.5%はチョッパリニダ!では、
やはりちょっと心持ちが変わるので、はっきりさせたいのです…。

今年で21才になりますが、自分の起源がどこにあるのかわかりません。

今まで運転免許を取ったり、引っ越ししたり、分籍をしましたが、特に苦労したことはありませんでした。
それに親からも在日外国人の家系である、というような事を言われたことはありません。

しかし確実に、ここ数世代のうちに、外国人が混じってはいない、という確証がありません。


ということで自分が在日外国人の流れをくんでいるか調べたいです。
この場合、どのような手段を取ればいいのでしょうか?

自分の本籍地で戸籍謄本(全部証...続きを読む

Aベストアンサー

・コリア系の帰化人には
『沢=澤・浜=濱・斎、斉=齋、齊・辺=邊、邉・薮=籔、藪・塩=[旧字、パソコンでは出てこない…]など』の旧字体漢字が使用できません。
『渕、蔦 、[旧字体](高)など』も使用できません。
※ただし、在日外国人なら、日本の戸籍規則に縛られないので通名としてなら上記の漢字は使用できます。


朝鮮人の方々が日本に渡って来だしたのは明治43年頃の韓国併合のときから(鎖国解除後の42年までの間はせいぜい年に0~20人程度)。
明治43年から太平洋戦争が終わるまで韓国併合政策により在日朝鮮人はもとより、朝鮮半島にいる朝鮮人まですべて大日本帝国臣民扱いで法律上、外国籍ではなかった(両者とも本籍は半島にある)。
昭和20年の終戦を迎え在日の多くは半島に帰国しましたが、日本に残ったり、また朝鮮から戻ってくる人達もおりました。
明治時代から昭和26年までの間に朝鮮より日本へ渡って来た朝鮮人達は昭和27年にそれまであった日本の国籍を失って正式に外国籍となる。そして、在日朝鮮人の日本国への帰化が始まったのも昭和27年。

古来からの日本人家系なら苗字漢字に制限なく明治時代からの苗字漢字を継続できます。
在日朝鮮人の帰化が昭和27年に始まり、名前の漢字制限(上記)は昭和23年に始まってますから、朝鮮籍、韓国籍から日本に帰化した者は旧字体漢字で帰化するチャンスがなかったんです。

簡単な調べ方としては『住民票』での苗字名前漢字が旧字体で表記されてるなら明治時代からの日本人家系。
新字体ならば、
「戦前の家系状況が分かる戸籍みせて」と役所に言ってみること。
戦前の家系状況が記されていて朝鮮人を思わせる記述がなければ日本人。
戦前の家系状況が分かる戸籍を見せてくれない場合や戦前の戸籍が日本以外にある場合は帰化人だと判断できます。

戸籍取得方法は先に回答されてる方法をやるといいでしょう。

ただ、例え純粋な日本人でなかったとしても質問者さんが日本が大好きで在日の方々のように反日感情を露わにされるのが不快に感じるなら、心はちゃんと日本人ですよ。

…私も可能性はあるかもしれないんで経済的に余裕が出来れば戸籍を追ってみたいです。


以上、参考程度に

・コリア系の帰化人には
『沢=澤・浜=濱・斎、斉=齋、齊・辺=邊、邉・薮=籔、藪・塩=[旧字、パソコンでは出てこない…]など』の旧字体漢字が使用できません。
『渕、蔦 、[旧字体](高)など』も使用できません。
※ただし、在日外国人なら、日本の戸籍規則に縛られないので通名としてなら上記の漢字は使用できます。


朝鮮人の方々が日本に渡って来だしたのは明治43年頃の韓国併合のときから(鎖国解除後の42年までの間はせいぜい年に0~20人程度)。
明治43年から太平洋戦争が終わるまで...続きを読む

Q明治から昭和初期の住み込み使用人の一生

明治から昭和の敗戦までも、貴族や商家、豪農、あるいは官吏や高給取りの家には、住み込みで使用人が働いていました。
こうした人たちの多くは未婚や単身であるように想像するのですが、そうした人の一生のイメージが湧きません。 住み込み使用人といっても多種多様で地域や主家の事情でも異なるのだと思いますが、代表的なケース例ではどのような一生なのでしょう。
代表的と思える数ケースなどをお教えください。
 
1)中流以下の農家や都市部の下層民の家族の中で誕生し、15,16歳あるいは成人後何かの事情で住み込みで働くようになるのでしょうか。
2)どういった仲介などの方法があったのでしょうか。
3)住み込み使用人を求める側は、住み込み使用人が欲しいことをどのようにしてアピールし、実現させたのでしょうか。
4)住み込みで働くとき、藪入りのような形で里帰りするのだろうと思うのですが、例えば5人の住み込みを使用している主家では、全員がいなくなってしまうようなこともあったのでしょうか。日程をずらすのが普通でしょうか。ほとんど主家に住み込んだまま、時々休暇で私用をたすような人も多かったのでしょうか。
5)住み込みで働いていた人が100人いた場合、何人くらいが結婚したのでしょうか。住み込ん後ではもう結婚しないで一生を終えた人はどのくらいいたのでしょうか。 (感覚的な割合で結構です)
6)住み込みを辞めるということもあると思います。結婚してしまうから。通いに変更するから。単に使用人であることができなくなったから。死んでしまった。 住み込みの主家で一生を終えるというケースはどの程度あったのでしょうか。
7)住み込み使用人が事故、疾病、老齢などで死んでしまった場合、主家は葬儀や遺体にどの程度関与したのでしょう。【住み込み使用人に実家や身寄りで遺体引き取りをしそうな類縁がいないケースの場合で、どうだったのか】 主家はどう扱うことが多かったのか。 葬儀、埋葬や墓はどうしたのか。

明治から昭和の敗戦までも、貴族や商家、豪農、あるいは官吏や高給取りの家には、住み込みで使用人が働いていました。
こうした人たちの多くは未婚や単身であるように想像するのですが、そうした人の一生のイメージが湧きません。 住み込み使用人といっても多種多様で地域や主家の事情でも異なるのだと思いますが、代表的なケース例ではどのような一生なのでしょう。
代表的と思える数ケースなどをお教えください。
 
1)中流以下の農家や都市部の下層民の家族の中で誕生し、15,16歳あるいは成人後何かの...続きを読む

Aベストアンサー

 回答者は昭和前期の生まれ、東京のごく普通のサラリーマン世帯で育ちました。

 家には女中と母の妹が同居していました。商家は別ですが、普通の家庭には男子住み込みの家事使用人はまず居なかったと思います。運転手を置くならともかく、かれらの仕事がありません。

 当時は地縁、血縁の結びつきが強固でした。女中は父親の郷里から嫁入りまでの約束でやってきて、礼儀作法、料理、裁縫、子育てに至る女子一般の知識を学ぶことになっていました。こうした知識を教えることは主婦の義務であったと考えられます。

 また身元がしっかりしていることが条件なので、あまり斡旋所(桂庵)などの利用はなかったと思います。

 大家族制で、未婚の弟妹が同居しているのが普通でした。女中が里帰りしていても、家事に差し支えることは少なかったのではないでしょうか。

 詳しいことは、たとえば小泉和子『女中のいた昭和』などがお役に立つと思います。末尾にある読者の書評も面白い。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4309727921/chickensoupwi-22/

 回答者は昭和前期の生まれ、東京のごく普通のサラリーマン世帯で育ちました。

 家には女中と母の妹が同居していました。商家は別ですが、普通の家庭には男子住み込みの家事使用人はまず居なかったと思います。運転手を置くならともかく、かれらの仕事がありません。

 当時は地縁、血縁の結びつきが強固でした。女中は父親の郷里から嫁入りまでの約束でやってきて、礼儀作法、料理、裁縫、子育てに至る女子一般の知識を学ぶことになっていました。こうした知識を教えることは主婦の義務であったと考えられま...続きを読む

Q可愛い、変った、きれいな名前 教えて下さい。

タイトルの通りですが、
最近は可愛い名前や変った名前の人多いですよね。
「聞いた事がある」 「見た事がある」 印象深い名前教えて下さい。
何でもアリの漫画,アニメの名前は除いてください。
「柴咲コウ」は漫画の登場人物の名前が由来だそうですね。
私が聞いた事があるのは「カノン、フーガ」兄弟「クウガ」くん(仮面ライダー?)
「らいおん」くん 「アルファ、ベータ、ガンマ」兄妹(有名漫画家のお子さん)
「はなみや」ちゃん「レン、リン」兄弟は音がきれいだなと思いました。
ウチに男の子が生まれたら「美女丸」(びじょまる)って付けようと思っています。
 

Aベストアンサー

数年前新聞の「新生児誕生おめでとうコーナー」に載っていた、今でも忘れられない名前がひとつ、御座います。

『羅武』

……読みはまんま「らぶ」です。
ご両親は(確か)19と17才。
………仕方無いとは思いますが、自分がこんな名前でしたら自殺してしまいそうです(笑)。

Q女性の名前に「子」がつくことについて

歴史に疎いので質問させてください。

本日、NHK大河ドラマ「義経」を見ていてふと思ったのですが、
女性の名前に義経の時代は「子」がつくことが多かったみたいです。

例:平家の「時子」「能子」、その他大勢。「北条政子」など。

しかしついていない人もいます。
例:義経の生母「常盤」、義経の想い人「静」など。

義経の時代は「子」がついていますが
江戸時代になると「お○」という名前が多くなり、
「子」がつく名前はあまり無かったのですよね?

昨年の「新撰組!」ではたしか女性は殆ど「お○」という名前でした。

これまたテレビのドラマの話で恐縮なのですが
フジテレビの「大奥」でも「お万の方」「お楽の方」など「お」がついた名前が多かったような気がします。

「子」のつく名前があった時代があり、
またあまり使われなくなった時代もあったようで、
そして現代は復活しています。

何故なのでしょうか?

詳しい方、宜しくお願いします。

Aベストアンサー

女性の名前で「○子」というのは、#2さんが印象で答えていらっしゃるのが正解に近いですね。
「○子」というのは、位を貰うときにつけられる名前なので、当然ながら位をもらえるような、「宮廷の貴族の女性に多かった」ということになります。

ちょうど、今年の大河ドラマ「義経」を引き合いに出されていますので、平家物語からお話しますと…。
平家物語の原文を読んでも、女性の名前って殆ど出てこないんですよ。
「女」としか書かれていなくて、名前がついているのは位を貰っている、高い身分の女性だけなんです。
すなわち、女性が後宮などで「女官」として働くる場合(天皇の后(皇后、中宮、女御、更衣)なども一種の女官)、従三位典侍や従五位命婦という位と官職をもらっていたので、その時には名前の登録をしなければならず、その時に「○子」とする-となっているのです。

大河ドラマの「義経」は、宮尾登美子さんの小説がもとになっており、女性の名前も宮尾先生が考えられたものもありますので(朝日新聞社刊「平家物語の女たち」にも載っていますのでごらんください)、そのまま全ての名前を史実として話されると困るのですが…。
「時子」は、二位の尼ともいわれるように、「二位」という位を貰っているので、記録に「時子」という名前が残っています。
「徳子」も高倉天皇の中宮になっていますのでこちらも記録に「徳子」と残っています。
ですから、「時子」も「徳子」も、生まれたときから「時子」とか「徳子」という名前だった訳ではないのですよ。
また、「能子」は、宮尾先生がつけられた名前で、「平家物語」では「廊御方」としか出てきませんし、歴史関係の書物でも「名前」は出てこないのです。

いつの時代においても、庶民は、位を貰って女官になる訳ではなかったので(将軍の大奥や武家の奥向きに勤めにあがるからといって、位や官職がもらえる訳ではありません)、○子という名前がつけられることはなく、家族からは「○」、近所の人からは「お○さん」とか「○ちゃん」と呼ばれていたのです。

「常盤」も「静」も本名ではありません。
「常盤」は九条院に雑士女として使えていたときの「候名(さぶらい-な)」ですし、「静」は芸名に近いものでしょうね。
江戸時代における将軍側室の「お万の方」や「お楽の方」は、本名から派生した「局名(つぼね-な)」です。
庶民出身であるが、将軍の側室となったので、一種の尊敬語(?)として「お」と「方」を付けた-といったところです。
ついでに書けば、豊臣秀吉の正室・おねも、位を貰っていますから記録に残っています。その名前は「豊臣吉子」です。

明治以降に「○子」が流行したのは、「○子」だと高貴な人と同じような名前で気分がいい-程度のことではないでしょうか?
ただ、明治期か大正期には「○江」も流行したと聞きましたが…。
しかし、最近「○子」ってお名前、同世代以外では見かけなくなりましたね。
私も「○子」ですが…。

最後に、#6さんの「清和天皇の母親は「明子」と書いて「あきらけいこ」と読みます。」ですが、この方は、ちゃんと読み方まで記録に残っているのですよ。
この人と「高子(たかいこ)」さんと「多賀幾子(たかきこ)」さんだけは。

専門は平安期の日本史で、近現代の事情には疎いもので、中途半端な回答になってしまい失礼いたしました。

女性の名前で「○子」というのは、#2さんが印象で答えていらっしゃるのが正解に近いですね。
「○子」というのは、位を貰うときにつけられる名前なので、当然ながら位をもらえるような、「宮廷の貴族の女性に多かった」ということになります。

ちょうど、今年の大河ドラマ「義経」を引き合いに出されていますので、平家物語からお話しますと…。
平家物語の原文を読んでも、女性の名前って殆ど出てこないんですよ。
「女」としか書かれていなくて、名前がついているのは位を貰っている、高い身分の女性だけな...続きを読む

Q明治時代の服装について

明治時代の服装についてなのですが、私のイメージでは江戸時代までは男性も女性も和服(男性=袴、女性=着物)なのですが、明治時代に入ると西洋化も進んで、男性はズボン、女性は袴?みたいな感じでして。
このイメージは合っているのでしょうか?
この場合、男性で袴を穿いていたり、女性で着物を着ているというものはなかったのでしょうか。
あと、男女の学生の服装も教えていただけると嬉しいです。
お願いします。

Aベストアンサー

今の「着物」のイメージは、明治から昭和初期にかけての物です。
女性は、江戸時代には、今の着物で一般的な太鼓結びもしていませんし、帯締めもしていません。訪問着と呼ばれるものができたのが明治時代、つけ下げや名古屋帯など、現在主流の着物のほとんどは、もっと後です。
男性も「着流し」と言って袴をつけない着方がほとんどです。本当のフォーマル、大名が江戸城にご機嫌伺いなどの場合は、裾を引きずる長い袴ですしね。

明治時代には、庶民は着物。
軍人や華族の一部エリートが洋服。しかし、この時代の洋服はいわばフォーマルであって、日常の衣服は着物だったようです。
女性の袴姿というのは、明治30年頃に、女学校から始まったそうです。着物でいすに座ると、どうしても裾が乱れます。裾を乱さないために袴を使う。つまり、この時代には女学校に行くような特権階級のお嬢様でも、日常は着物だったわけです。この時代の女性の洋服というのは、すなわちドレスのことだったんですね。

大正になって、庶民にも洋服を着る人が出てきます。モボとかモガとか言われる人たちですね。大正末期から昭和初期です。
もっとも、この時代でもまだまだ着物が主流です。特に女性は。今「アンティーク着物」と呼ばれている物は、大正から昭和の物ですから。
男性は、外では背広、家では着物、になっていたようです。
大正12年に関東大震災が起こり、東京では、これをきっかけに洋装化が進みます。というのも、この後、建てられたアパート類に、洋室が取り入れられはじめたためです。明治の女学生同様、着物で椅子は、裾さばきが面倒ですから、必然的に洋装化が進みます。
と言っても、まだまだ着物も残っていますけれど。

昭和初期も、まだまだ着物が主流ですが、戦争が度重なり、絹や木綿を確保することが難しくなっていきます。必然的に布が少なくて済む洋服へシフトしていきます。
もちろん、動きやすいというのもあったでしょう。

明治から昭和初期の服装を、イメージしたければ、マンガがお勧めです。もちろん、本当に研究されるなら、その元になった専門書にあたるべきですが。
「着物」とか「洋服」と言っても、その時代のスタイルが今の物とはかなり違います。あまり、ご存じでない方が具体的なイメージを持つには、文章だけでは難しいでしょう。
一番よく言われるのは、「サザエさん」昭和初期の庶民の服装です。20台前半のサザエさんや子どもたちは洋服、お母さんのフネさんは家でも外出でも着物、お父さんは家では着物で外出は洋服。
私がお勧めなのは、市川ジュン氏の「陽の末裔」「天の黒 地の紅 海の青」「新編懐古的洋食事情」ですね。特に最後の作品はイメージがしやすいです。

今の「着物」のイメージは、明治から昭和初期にかけての物です。
女性は、江戸時代には、今の着物で一般的な太鼓結びもしていませんし、帯締めもしていません。訪問着と呼ばれるものができたのが明治時代、つけ下げや名古屋帯など、現在主流の着物のほとんどは、もっと後です。
男性も「着流し」と言って袴をつけない着方がほとんどです。本当のフォーマル、大名が江戸城にご機嫌伺いなどの場合は、裾を引きずる長い袴ですしね。

明治時代には、庶民は着物。
軍人や華族の一部エリートが洋服。しかし、この時代の...続きを読む

Q「ら」と読める女の子向けの人名漢字

6月に2人目の子供が生まれます。
女の子であることは既にわかっており、「さら」という名前を候補の一つに挙げていますが、「ら」と読む適当な漢字が「良」くらいしか思いつきません。
なお、「さ」は「紗」にしようと思っています。
あまりにも当て字すぎるものや、人名としてふさわしくないもの以外で何か候補はありますでしょうか?

Aベストアンサー

6月が楽しみですね!
おめでとうございます!

私は蘭か良がいいかとおもいます。
・蘭(花言葉)優雅な人

可憐で淑やかに振る舞うもの。
華やかに光り輝くさま。
清々しく爽やかなさま。
明快な気質を現すもの。
器量よく風流な趣きを現すもの。
人とよく仲睦まじくするもの。

その人がいるとみんなが仲良くすごせてまわりを明るくするような感じでいいかと思います。

・良
優雅な人
技量よく巧みに事を成し得るもの。天性のすぐれた才能を持つもの。上品に富んだ気質を持つもの。
利巧で出来栄えよく事を成し得るもの。
天運よくめでたい事柄を得るもの。
温厚な気質を現し、人とよく和み合うさま。
篤実善行な好人物。
賢く物事の真偽を見極めるさま。

紗良、漢字がやわらかくてやさしいイメージでこれも凄くいいと思います。

なお咲蘭にした場合
咲という字は、花が開く。笑う。笑の古字らしいので
いつもにこにこしている女の子って感じでいいのでは?

参考URL:http://www.ht-net21.ne.jp/~natural/imi_betu.htm

6月が楽しみですね!
おめでとうございます!

私は蘭か良がいいかとおもいます。
・蘭(花言葉)優雅な人

可憐で淑やかに振る舞うもの。
華やかに光り輝くさま。
清々しく爽やかなさま。
明快な気質を現すもの。
器量よく風流な趣きを現すもの。
人とよく仲睦まじくするもの。

その人がいるとみんなが仲良くすごせてまわりを明るくするような感じでいいかと思います。

・良
優雅な人
技量よく巧みに事を成し得るもの。天性のすぐれた才能を持つもの。上品に富んだ気質を持つもの。
利巧で出...続きを読む


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