アース役のごみ処理方法について
は 次の記事があらすじをしるしていると思うのです。それを解読してみてくださいませんか。
◆ 悪霊に取りつかれたゲラサの人をいやす ~~~~~~~
――ルカによる福音書8:26-39 ――
26 一行は、ガリラヤの向こう岸にあるゲラサ人の地方に着いた。
27 イエスが陸に上がられると、この町の者で、悪霊に取りつかれている男がやって来た。この男は長い間、衣服を身に着けず、家に住まないで墓場を住まいとしていた。
28 イエスを見ると、わめきながらひれ伏し、大声で言った。
――「いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。頼むから苦しめないでほしい。」
29 イエスが、汚れた霊に男から出るように命じられたからである。この人は何回も汚れた霊に取りつかれたので、鎖でつながれ、足枷をはめられて監視されていたが、それを引きちぎっては、悪霊によって荒れ野へと駆り立てられていた。
30 イエスが、「名は何というか」とお尋ねになると、「レギオン」と言った。たくさんの悪霊がこの男に入っていたからである。
31 そして悪霊どもは、底なしの淵へ行けという命令を自分たちに出さないようにと、イエスに願った。
32 ところで、その辺りの山で、たくさんの豚の群れがえさをあさっていた。悪霊どもが豚の中に入る許しを願うと、イエスはお許しになった。
33 悪霊どもはその人から出て、豚の中に入った。すると、豚の群れは崖を下って湖になだれ込み、おぼれ死んだ。
34 この出来事を見た豚飼いたちは逃げ出し、町や村にこのことを知らせた。
35 そこで、人々はその出来事を見ようとしてやって来た。彼らはイエスのところに来ると、悪霊どもを追い出してもらった人が、服を着、正気になってイエスの足もとに座っているのを見て、恐ろしくなった。
36 成り行きを見ていた人たちは、悪霊に取りつかれていた人の救われた次第を人々に知らせた。
37 そこで、ゲラサ地方の人々は皆、自分たちのところから出て行ってもらいたいと、イエスに願った。彼らはすっかり恐れに取りつかれていたのである。そこで、イエスは舟に乗って帰ろうとされた。
38 悪霊どもを追い出してもらった人が、お供したいとしきりに願ったが、イエスはこう言ってお帰しになった。
39 ――「自分の家に帰りなさい。そして、神があなたになさったことをことごとく話して聞かせなさい。」
その人は立ち去り、イエスが自分にしてくださったことをことごとく町中に言い広めた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ ガミガミ役からの意識の排泄としてのゴミを みづからの内的に棄てるということ。こうだと思っているのですが ご見解を寄せてください。
No.1ベストアンサー
- 回答日時:
ふうむ。愛の伝道師からこんどは 労働者の救世主に?
リトルキスさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。
そうですね。またふるい議論を持ち出して来ましたねぇ。
引用文のあとの図式を見てください。
▲ (【第5節 「倒錯視」とは何か】) 労働生産物が使用価値を捨象した価値を本質とする商品になりうる論理
▲ (同上) 「このような置き換え Quidproquo (→倒錯視)によって、労働生産物は商品になり、感覚的であると同時に超感覚的である物、または社会的な物になるのである。」
☆ このような命題を説明しうると思われます。
○ アマテラス・スサノヲ概念による図解 ~~~~~~
スサノヲ------アマテラス
Susanowo・・・・・・・・・・・Amaterasu
S者・S語(人間語)・・・A者・A語(学術語・人格語)・A語概念
↓ ↓
具体的・有用的労働・・・・抽象的・人間的労働
↓ ↓
効用(使用価値)・・・・・・商品価値(交換価値)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ ふつうにおこなう仕事。この《労働》が 二つの側面に分けられる。
S : そのままふつうに具体的に力をそそぐ側面として あたかもスサノヲ人間語( S 語)に当てはまるかたちで 《具体的・有用的な労働》である。
A : このふつうに為される仕事としての労働の側面がどうであるかにかかわらず その後流通し交換に出されるその商品としての価値をけっきょく貨幣なら貨幣で測るかたちにすることによって《抽象的》な側面を見ることになる。あるいは 素朴には労働時間がどれだけ費やされたかで測る象(かたち)を抽(ひ)き出したところの《抽象化した人間的労働》の側面。
S 語的労働の側面は 労働生産物にあって《使用価値つまり効用》となる。ふつうの仕事というのは 靴なら靴を 机なら机を作ったという具体的・有用的労働であり 靴や机という効用を持つ。
A 語的労働の側面は 労働生産物にあってすでに商品価値の側面を受け持つことになる。靴であろうと机であろうとそれらが商品となるということは 抽象的にして人間的な労働といった物指しですべて統一的に価値を測ることを意味する。すなわち《抽象的・人間的労働》の側面が 《交換価値つまり商品価値つまり価値》となる。貨幣価値として現われる。
資本主義社会においては 人間は労働の結果そのみづからの生産物を商品とすることをつうじて社会にデビューする。
▲ 商品として労働生産物の第一義存在性格が効用でなく価値であることを意味しており、商品が人間として人間関係を取り結ぶことを意味している。
☆ というのは どこまでそうであろうか。
貨幣がものを言うなら 効用がどうであれ 交換価値つまり貨幣価値つまり価値が 第一義となるという。労働をおこなった人間が 商品の価値となって社会にデビューするのだという。
商品社会では 人間が商品となるという。人間関係は 商品としての関係であり 貨幣価値で測る関係になるという。
S 語の仕事( quo )に対して( pro ) A 語で仕事の値打ちを測ること( quid )が置き換えられ( quid pro quo ) 効用(使用価値)に対して交換価値(商品価値・価値・貨幣価値)が置き換えられ 人間とその労働に対して商品ないしお金が置き換えられ 人間はお金と倒錯視されるという。
お金がではなく 人間と錯覚されたお金が・つまりその観念が あたまの中にこびりついて来ると 《悪霊》になると言う。これが イエスに出会うと そのあたまの持ち主の中で 狂ったように暴れた。イエスよ 来ないでくれ。近寄らないでくれと。
◆ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
31 そして悪霊どもは、底なしの淵へ行けという命令を自分たちに出さないようにと、イエスに願った。
32 ところで、その辺りの山で、たくさんの豚の群れがえさをあさっていた。悪霊どもが豚の中に入る許しを願うと、イエスはお許しになった。
・・・
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ とさ。
No.2
- 回答日時:
質問の主旨が全く分からないのですが、
「悪霊」と「恐れ」とを、同じ部類だとして読み下すなら
39以降の話として、たとえば
40 「恐れ」に取り憑かれていた人々は、底なしの淵へ行けという命令を自分たちに出さないようにと、神(ないしイエス)に願った。
41 ところで、その町の周りには、たくさんの人々が様々な町をつくっていた。「恐れ」が他の町の人々の中に入る許しを願うと、神(ないしイエス)はお許しになった。
42 「恐れ」はその町の人々から出て、周囲の他の町の人々の中に入った。
43 すると、他の町の人々は「恐れ」に取り憑かれて、崖を下って湖になだれ込み、おぼれ死ぬ夢をみた。
44 40に戻る
となり、キリスト教(ないし一神教)が広まっていく本質を表しているのかも知れませんね。。。
この回答への補足
* 上下の順序が逆になりますが ここはお礼欄からのつづきになります。
☆ 一方で《初めの町の人びとからは恐れが出た》 そして他方で《次の町の人びとは その恐れがどうなって欲しいかを別に何も願ってもいないかたちで 恐れがかもしくは人びとがか あるいはその両者もろともがか 崖を下って湖になだれ込み、おぼれ死ぬ》という《夢をみた》。
どうなんでしょう。上に触れたように 風邪を人に移すごとく《おそれ》が感染して行くというのでもないでしょうか? 《宗教が広まっていく》という規定がある割りには そうでもないらしい。
この《夢見》はいったいどういうことか? この説明を俟ってでしか あとは評価も批評もおこなえない。こういったところでしょう。
おそらくこのように考えて来るなら ここに提起された続編の物語についてその内容は 海のものとも山のものともまだ分からない。こうなりませんか。どうでしょう。
ふむふむと読み継いで と言ってもまだよくは分からないのですが 違った視点からのご回答をありがとうございます。
★ 「悪霊」と「恐れ」とを、同じ部類だとして読み下すなら
☆ の《恐れ》は
◆ 37 そこで、ゲラサ地方の人々は皆、自分たちのところから出て行ってもらいたいと、イエスに願った。彼らはすっかり ≫恐れ≪ に取りつかれていたのである。そこで、イエスは舟に乗って帰ろうとされた。
☆ この《恐れ》とつながっているのでしょうか。
でもこの37節の《恐れ》は 《36:悪霊に取りつかれていた人の救われた次第》を知ったときの異様さや不思議さあるいはそして《そんなことがちょっとやそっとで起こるはずがない》というようなうたがい から来るものでしょう。
★ 40 「恐れ」に取り憑かれていた人々
☆ の《恐れ》は ふつうに人が生きるときに感じる人生や社会についての不安――つまりその中身がはっきりしないまま抱くに到るような心の落ち着きの無さ――を言うのではないでしょうか?
だとしたら その場合の《恐れ》はけっきょく広く取って《悪霊》と同じようなものですね。
逆に 聖書の文意と違うと思われるところは 誰が・何が《命令を受ける》かだと思われます。
★ ~~~~~~~~~~~~~~~
40 「恐れ」に取り憑かれていた ≫人々は≪、
底なしの淵へ行けという命令を自分たちに出さないようにと、
神(ないしイエス)に ≫願った≪。
◆ ~~~~~~~~~~~~~~~~~
31 そして ≫悪霊どもは≪、
底なしの淵へ行けという命令を自分たちに出さないようにと、
イエスに ≫願った≪。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ 《命令を受ける》のも 《願う》のも 同じ主体(主語)だという意味で 《願った》のほうにカッコをつけましたが それはそのように受け取ってもらうこととして その主語は明らかに 互いに違いますよね。聖書では 《悪霊に取り憑かれた男》は 《命令を受ける》のでもなければその内容を《願った》のでもありません。
言いかえると
★ キリスト教(ないし一神教)が広まっていく本質を表しているのかも知れませんね。。。
☆ というときの《キリスト教(ないし一神教)が広まっていく》ということを イエスとその弟子たちの行動に限るなら――すでに ヤハヱーという唯一神は《広まってい》るのですから―― まったく事態が別です。言いかえると その後ローマ教会が――今度はやがて個人にとっての主題であるだけではなく組織をともなった教団の行動として――その宗教を広めるときの事態については そうであるとも あるいはむろんのこと違った側面もあったとも 言わなければならない歴史だったのでしょう。
☆ そういった文意と史実にかんする分析としてよりももっと大事だと思うところを明らかにしましょう。
★ 42 「恐れ」はその町の人々から出て、周囲の他の町の人々の中に入った。
☆ もし《恐れ》が すでに初めに捉えたように《社会の中に生きるという人生において人がおのれの内からも外からも持つに到る悩みや不安》を含む《悪霊》と同じようなものだとすれば 《その恐れが人びとから出る》ということ このこと自体が大問題だと言わねばなりません。
(1) もし《悪霊が人から出る》ということを意味するのならば まづその《出る》こと自体は 人にとってよろこばしいことでしょう。
(2) けれどもそもそもその《悪霊が出る》ことは どのようにして起こったか。これも大問題です。はっきりと知ることが必要です。つまり あとに継いだ物語において〔も〕明らかにすべきことでしょう。
(3) つまり――ことはややこしいのですが――
★ 42 「恐れ」はその町の人々から出て、周囲の他の町の人々の中に入った。
☆ というように《他の町の人びとの中に入った》ことも重大問題なのですが まづはそうではなく そもそも《初めの町の人びとから恐れもしくは悪霊が出た》ということ このこと自体について その中身をくわしく人は知らねばならないでしょう。
知った上でやっと 他の町の人びとへ《風邪を移した》ごとくの感染について それがどういう事態であるかを判断することになります。
(4) これら全体の説明されるべき課題が課題であることの証しとしては 次のように続編としての物語には 《夢》という事態が現われて来ていることが挙げられます。
★ 43 すると、他の町の人々は「恐れ」に取り憑かれて、崖を下って湖になだれ込み、おぼれ死ぬ ≫夢をみた≪。
☆ それは どういうことか。
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