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盛岡駅や仙台駅は在来線の駅にそのまま新幹線駅を作ったのに、新大阪や新神戸のように在来線とは別に新幹線駅を作っている駅があるんですか?盛岡駅や仙台駅は新幹線が入れるような場所があったのですか?

また新青森駅が12月4日に開業ですが、新青森駅の周りはいったいどうなるのでしょうか。
ほかの「新~駅」の周りも開業当時は今の新青森駅のような状態からスタートしているのでしょうか。

A 回答 (15件中1~10件)

#11~13さんが弾丸列車計画の経緯を知らないで書き込まれたようなのでいくつか反対の事実を挙げておきます



新大阪駅は戦前の弾丸列車計画をなぞったために最初から大阪駅での新在接続は諦められていました。これについてはNo9さんの回答が詳しいですね。既に用地も戦前に買収してありましたし大阪駅での開業では金の無駄でした。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%A4%A7% …

名古屋駅は無理やり通したわけでなく、これも弾丸列車計画で新幹線用地を買収済みであったために無理なく名古屋駅の開業が出来ました。


なお、鉄道や道路などのインフラ設備を作ることを「建築」とは言いません。「建設」といいます。「建築」とは駅舎などの単体のものを作る場合に使われます。
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弾丸列車の大阪の駅は、新大阪の位置でなく、東淀川駅の位置でした。


戦争前は本気で九州まで建設予定でした。(朝鮮、満州の領土の関係)

弾丸列車と新幹線の位置はずれているところがあります。 静岡か浜松か
そういうところは在来線と一緒にしてあります。

仙台と大阪の位置関係が非常に似ています。
仙台は、直線の貨物線のところに駅を作る予定でした。地元の要望で在来線に建設した。

人口の多い駅は、ほとんど在来線と同じところ。
新幹線建設の当時の大阪駅の裏口は何もなかった。 ほとんど貨物駅のみ。

新横浜、新神戸は在来線にできないのは地形の関係と大部分の列車は通過予定でした。
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#11追加


リニアーだって、東京ー大阪は建築する予定でけど。 
大阪ー岡山、東京ー仙台なんて、あまり考慮されないで駅が決定されるでしょう。

現在の日本人で、大阪ー岡山、東京ー仙台 なんて建築できる思っている人はいないでしょう。
当時の新幹線でも同じ状況だったはず。
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#11追加


名古屋、大阪、仙台はよく似た駅の関係です。
東京から一定の距離があり、大都市です。
最初から全列車停車する予定だった。
名古屋、仙台駅の近くはカーブがあります。
名古屋は無理して、名古屋駅に乗り入れたので、新幹線の騒音裁判がありました。

このなかで、大阪だけが乗り入れないのが不明です。
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50年前の東京駅は丸の内側より、八重洲口(新幹線)方が混んでいました。


買い物客は、日本橋が近いため、八重洲口の方が多かった。
通勤客は丸の内が多かった。
東京ー武蔵小杉は15kほど在来線と並行して建設しました。

50年前の大阪北口は何もありませんでした。 誰も行く人がいなかった。 
東京より簡単に乗り入れられたと思います。
大阪は全部の電車が停車しますので、カーブは問題ないはずです。
仙台は直線の貨物短絡線のところに建設予定が、地元の要望で仙台駅に乗り入れた。

新幹線建設の段階では、岡山なん建設できないと考えられていました。
東京ー新大阪さえ無用の長物として、国会などで議論されていた。

新横浜、新神戸は純粋に地形の関係と
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>新青森駅の周りはいったいどうなる



上野や東京のように拡張には限界が来ています。

比較的用地がある方が可能性を秘めているし将来性もあります。
拠点駅での今すぐ利便性を求めるよりは
第2拠点を作るイメージで発展性のが良いと思います。

それと
新幹線の駅は
観光地、ショッピングモールみたいに人が集まるところというよりは、
遠方からの人が経由する玄関的なところ、そう思えばいいのでは?。

駅前がそんなに変わってないっていうのは
「新岩国」「東広島」「新尾道」くらいかなあ。
一度下車してみては?。
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新大阪駅は古くて新しい問題です。

新幹線構想当時から50年以上経っているわけですから、現状から判断すると本当の理由は見えてきません。

新幹線は建設時から(本当に実現できると考えたかどうかは別として)山陽方面への延長を想定していました。
京都方面から神戸方面へ向かう場合、大阪へ寄ると、淀川を2回渡り、大きなUカーブとなってしまいます。これは地図等で確認してもらわないと文章でいくら言ってもわからないでしょう。

実は東海道線(在来線)が開通したときも同じ問題を抱えていました。当時も今も大阪の中心地というのは大阪駅よりさらに南の堂島付近、地下鉄の駅で言えば淀屋橋以南で今でも会社の本社、関西支社等は淀屋橋~本町付近に集中しています。
つまり、大阪の中心に駅を作るのなら本来はそのあたりまで乗り入れないとだめでした。
しかし、当時の常識でも今の常識でも京都方面から堂島あたりを経由して再びUカーブで神戸方面へ向かうと言うのはとても無理(というか無駄)な話です。
そこで、当時はまだ未開の地ではあるが、「大阪への入口」と言っても誇大表現とはいえない程度の位置に「大阪駅」を設置したのです。このあたりの地名「梅田」は「田を埋めた」のが由来と言われるくらいですから、いかに開けてなかったかがわかります。
新幹線の構想が具体化したときも、同じ議論が繰り返されました。今度はさすがに、堂島あたりまで迂回する案は検討すらされなかったようですが、大阪駅は何とか経由できないか検討はしたようです。しかし、新幹線としては致命的な急カーブが続き、大阪駅周辺の土地を短期間に確保するのは困難なのは素人にもわかります。
そして、莫大に費用を上乗せしてわざわざ線形を悪くして無理やり大阪駅に乗り入れたとしても、言うほどのメリットはないのです。
今でこそ梅田周辺も栄えていますが、そこには主に私鉄沿線や大阪市内から移動した人が集まっており、新幹線利用者の最終目的地は大阪駅周辺でないことが多いのです。ビジネス目的ならやはり堂島周辺、すなわち地下鉄への乗換が必須となります。
ビジネス以外の目的なら、大阪駅に無理やり乗り入れる意味はなく、乗換手段さえ用意すればどこであってもいいのです。
ということで、明治時代と同様大阪駅へは寄らず、「大阪への入口」と言っても誇大表現とはいえない程度の位置であり、鉄道関係の用地も充分あった現位置へ「新大阪駅」を作ることになったのです。
まさに歴史は繰り返すですね。

その代わり新大阪駅には東海道線の他、市内中心部に直結できる地下鉄も用意しました。繰り返しますが、出張利用者の大半は今でも地下鉄乗継が多く、新幹線が大阪に乗り入れていたとしても大阪(梅田)から地下鉄に乗換が生じる利用です。

逆に東京は今でこそ、新宿などの副都心もありますが、新幹線構想時、新幹線を利用して出張を考えるような企業はほとんどが大手町周辺に集中していました。すなわち、東京の場合はむりやり東京駅に乗り入れると、それをメリットに考える利用者の方が圧倒的に多いと考えられたのです。現状で東京にターミナルを考えるなら、無理して東京駅に乗り入れなかったかもしれません。

新神戸はもっと事情が単純です。新大阪から山陽方面に新幹線を通すとなると、六甲山をトンネルで抜けるのがもっとも単純なルートとなります。実際問題としても神戸市街地に新幹線を乗り入れる余地はありません。
そこで、神戸には駅を作らず、六甲山をトンネルで抜けた明石付近に駅を作ることにしました。
ところが、それを知った神戸市民は、「神戸にも駅を作る運動」を行ないました。そこで、トンネルの設計を一部変更し、トンネルの合間に新神戸駅を作ることになったのです。もともと駅を作る予定がなかったのですから、在来線の近くに駅がないのは当然ですし、駅の位置が争点になることもなかったわけです。(嫌なら駅そのものが作ってもらえないだけ)
しかし、結果論ながら新神戸駅はまだ新駅としてはましな位置にあると思います。

新青森ですが、引き続き北海道に延長することが確定的である以上、それほど大きく開けないままになる公算が高いと思います。しかし、今主流の旅行は新幹線+貸切バスまたはレンタカーですので、そういう意味ではこういう位置にある駅のほうがかえって使いやすいと言う評判になるかもしれません。
実は不便だと思われている岐阜羽島駅もツアーバスへの乗換駅としては非常に使いやすい駅として評判が高いのです。(たとえば関西から高山方面へのバスツアーで時間を短縮したい場合、新幹線岐阜羽島まで利用し、そのあとバスツアーにするなど)
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#4追加


仙台付近は、南も北もカーブがあります。
同じカーブで、大阪だって併設して作れるはず。 
北口は当時でも貨物でしたので、簡単に作れたはず。
新大阪に作らないで、大阪に併設したって、1分も変わらないと思います。

川崎市付近から東京駅間は在来線に併設した。

理由は後からつけたのような気がします。
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新大阪や新神戸は大阪駅や三ノ宮駅の土地の問題もありますが、駅だけでなく山陽新幹線を西に伸ばすのに合理的な線路の場所を選んだ結果ですね。

新横浜や岐阜羽島(政治駅といわれますが、名古屋と関ヶ原の間に駅が必要といのは国鉄にの希望で、岐阜駅への併設にこだわる地元とを国鉄が政治家を使って国鉄の希望場所で納得させたのが真相のようです)の位置選定と似たような事情ですね。新青森や新函館もも似たような事情ですね。

新幹線計画の叩き台になった戦争中の弾丸列車計画でも、大阪の駅は西淀川付近、神戸は駅を作らず六甲山の長大トンネルで抜ける予定でした。

仙台も盛岡も土地がないので駅舎を潰した跡地に建ててます。岡山も同じ手法。東京駅は以前の客車操車場の跡地です。戦前の弾丸列車のターミナルにする構想もありました(有力候補は市ヶ谷だったらしいですが)
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一般的に、市街地は地価も高いし地権者の数が多いので、大規模な施設を作ろうとすれば、既存の市街地から外れた郊外や埋立地の方が有利です。

最近、県庁が移転した事例を見ても、大体そうなってしまいます。

さて、新幹線の駅ですが、「新」の付かない名前の駅では佐久平駅(長野新幹線)が該当します。在来線の(特急「あさま」「白山」全列車が停車した)小諸に対応する駅として、小海線との交差地点に作られました(同時に小海線にも駅が開設)。小諸にしなかったのは、軽井沢から上田へ向かう際の急勾配をできるだけ緩和するため、という理由もあります。

ここは、新幹線開業直前の地図(国土地理院発行 2万5千分の1地形図「小諸」)を見ると、一面の田んぼでした。開業直後はもちろん「駅前は何も無い(区画整理されただけ)」状態です。佐久市の中心市街地にある、小海線の岩村田駅から1キロしか離れていないので、すぐには変化は現れません。

しかしその後、駅前には大型店舗が次々とできて、佐久平は新しい「市街地」になりました。高速道路(上信越自動車道)の佐久ICにも近く、大きな駐車場を作ってマイカー族の需要を見込んでいたようです。新青森駅はどうか?東北自動車道の「終点」青森ICや三内丸山遺跡(駅舎もこれを似せたデザインらしい)に近いので、観光客も地元のマイカー族も集まる商業施設等、環境に配慮しつつも開発される可能性は大いにあります。

ちなみに、台湾の「新幹線」(台湾高速鉄道)にもこういう(佐久平や新青森みたいな、既存の主要駅から離れた場所の)駅は多いんで、駅前がどう開発されるか、興味津々です。
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