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 近代のカレンダーが日本に導入される前には、一週間などという日にちの単位はあったのでしょうか。曜日はあったのでしょうか。
 また曜日や一週間という概念が日本に導入された時期やいわれなどをご存じでしたら、教えていただけませんか。
 テレビで時代劇を見ていたところ、役人が「今日は非番じゃ」と言っていたのを見て、ふと日曜日なのかなぁ、と思ったのですが、よく考えてみると日曜日というカレンダーがあったのかな、と思ったのがきっかけです。
 よろしくお願いいたします。

A 回答 (4件)

少なくとも、(江戸)町奉行は、月番制を取っておりました。

今月は北町、来月は南町、というように。北町が当番の時は、南町は非番となります。
非番といっても、結構忙しかったようですが。
また参考URLにあるように老中も月番制。
江戸幕府は基本的に月番制を取っていたように記憶しております。

参考URL:http://www5b.biglobe.ne.jp/~yoropara/tishiki/ks0 …
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この回答へのお礼

教えて頂いたWebsite拝見いたしました。
どうもありがとうございます。

お礼日時:2003/08/28 10:49

曜日は空海が中国からもたらしたという説があります。



その頃から日月火水・・・ と言っていました。

ただしこれは暦の中にそのような記述があって、その日の吉凶を占うのに使われていただけで、現在のように日常生活の中では一般化していませんでした。

現在のように使われだしたのは明治になって外国からの圧力で西洋化を進めてからのことです。

参考URL:http://www.ffortune.net/calen/calen/yomi99/yomi0 …
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この回答へのお礼

ご回答いただきありがとうございます。
 カレンダーのことや、江戸時代の役人の休みの事など、関連しそうな内容で、参考になる書籍をご存じでしたら、ご紹介いただけますでしょうか。専門書、啓蒙書、古い書籍でも結構です。また冊数も問いません。よろしくお願いいたします。

お礼日時:2003/08/23 20:35

七曜の概念が日本にはいったのは、空海が中国より持ち込んだものが最初といわれているようです。


ただしこれは、吉凶占いのためのもので、いまのように生活そのものが7日単位にくぎられていたわけではありません。

明治6年に太陽暦が導入され、明治9年に、「日曜休日、土曜半休」の制度ができました。
それ以前の江戸時代は、10日くぎり、もしくは1日と15日を休みとすることが一般的でした。

役人の「非番」は、曜日ではなく、何人かが交替で休みをとるシステムのことではないかと思います。
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この回答へのお礼

ご回答いただきありがとうございます。
カレンダーのことや、江戸時代の役人の休みの事など、関連しそうな内容で、参考になる書籍をご存じでしたら、ご紹介いただけますでしょうか。専門書、啓蒙書、古い書籍でも結構です。また冊数も問いません。よろしくお願いいたします。

お礼日時:2003/08/23 20:34

平安時代から 七曜というのがあったようです。



参考URL:http://homepage2.nifty.com/o-tajima/rekidaso/cal …
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この回答へのお礼

ご回答いただきありがとうございます

お礼日時:2003/08/23 20:27

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