【あるあるbot連動企画】あるあるbotに投稿したけど採用されなかったあるある募集

 最近、唱歌集を見て、小学生の時に抱いた疑問が再び頭をもたげてきました。
 ト音記号で上から1線目(F)かその下(E)にフラットが書いてあるのですが、1度もその音が出てこない歌がありました。友人宅で見た唱歌集なので、曲名等忘れてしまったのが残念ですが、そこで以下の質問です。

質問1. フラットを書かない場合と如何なる違いがあるのか。
質問2. 質問1で違いがないなら、何のために書いてあるのか。

A 回答 (9件)


(#ド.♭レ)

(#レ♭ミ)

ファ
(#ファ.♭ソ)

(#ソ.♭ラ)

(#ラ.♭シ)

----
西洋音階、平均律の長調の場合、上のように(12の音から成り立っています)
そして、楽譜のオタマジャクシを見て、(下第一線をドと)読むのは、固定ド唱法と言います。

次に、鍵盤の任意(白鍵でも黒鍵)好きな所からドレミファと演奏した時、始まりをドと読み替える方法が、小学校でも習った、移動ド唱法です。

移動ド唱法で大事なのは、長調の場合(理屈的にはNo4氏が説明されて居る(全全半全全全半)と言う形式を壊すと長調では無くなって仕舞うからです。
--
固定ド、以外の鍵盤をドにした儘、ドレミファを構成すると白鍵盤だけではドレミファが構成出来ませんので当然#なり♭が必要に成って来ます。
--
♭、1つの場合長調ですと、へ長調(Bフラットとも言う)←此の場合F音の所が、ドに成りますが、作曲の都合でファの音を使わない事もあり得るのですが、曲としては、へ長調なので移動ど唱法的にはFがドレミのドに成りますので、楽譜を見回しても♭の位置に音符が無いから、Fをファと発音したとすればへ長調では無くなって仕舞います。
---
    • good
    • 0

多くの回答が出ていますが、私からは、調号の有無によって、作曲者がどんなことを表現したいのか、ということがわかる具体的な例を挙げようと思います。




(1)モーツァルトの幻想曲ハ短調K.475

この曲はハ短調であるに関わらず、楽譜には調号が書かれていません。
http://imslp.info/files/imglnks/usimg/f/fe/IMSLP …

曲はハ短調で始まり、様々に転調を繰り返しながら一旦ニ長調に落ち着くのですが、このニ長調の部分にも調号が書かれておらず、全て臨時記号で記譜されています。
変ロ長調のなる部分でようやく調号が登場しますが、その後、再び調号がなくなり、冒頭のハ短調の主題が再現されて、ハ短調のまま終わります。


何故、この曲でモーツァルトは調号を使わなかったのか。おそらくモーツァルトはこの曲の楽譜を書くときに、複雑な転調をするこの曲を、一つの調に押し込めるような書き方をしたくなかったのだと思います。
私達は、モーツァルトのこの曲の楽譜を見て、モーツァルトが、調号から解放された自由な表現を目指していたのだろうと推測する事が出来るのです。

たとえ、出てくる音は同じだったとしても、楽譜には作曲者の意図や思いが込められています。
その曲を演奏する者は、その「楽譜」から、作曲者の意図を汲み取らないといけないのです。

特にこの曲においては、調号というものが、作品を理解するための非常に大きなメッセージとなるわけです。



(2)ショパンのマズルカ ハ長調Op.24-2

調号がないハ長調の曲であるに関わらず、途中で何故かシの音にナチュラルが付けられています。

http://216.129.110.22/files/imglnks/usimg/4/48/I …
2曲目(3ページ~)です。該当の箇所は3ページ目の終わりから3小節目と、4ページ目2段目に出てきます。

これは何故かというと、この箇所は「リディア旋法」という教会旋法(中世ヨーロッパの教会音楽で使われた音階)が使われていることを示すためにナチュラルが付けられているのです。

リディア旋法は、ピアノでいえば「ファソラシドレミファ」とFから白鍵をたどってできる音階であり、これはヘ長調のB♭を半音上げてナチュラルにした音階に相当します。つまり、ここでショパンはわざわざBにナチュラルをつけることで「ここはヘ長調じゃなくてリディア旋法ですよ。間違えないでくださいね」と念を押しているというわけです。


ショパンはマズルカにおいて、民族的な要素を多く持ち込みました。その中でも、長調・短調の枠組みから離れた「旋法」という音階を多く用いました。

ショパンはこの曲の楽譜で、わざわざ「ここはヘ長調ではなく、リディア旋法を使っています」と宣言しているのです。
なので、演奏者がこのメッセージを無視するわけにはいかないわけです。
なお、この曲の主部はハ長調とイ短調とリディア旋法が使われており、すべて白鍵で書かれており、黒鍵は一度も使われていない、という珍しい音楽となっています。

聴いていてわからなくても、楽譜を見れば、この「珍しさ」が一目瞭然でわかるので、やはり楽譜というものは作曲家にとって、重要な表現手段であるのです。



以上、とりあえず2曲の例を挙げてみましたが、(1)のモーツァルトの曲のように、調性があるからと言って、必ずその調の調号を用いなければいけないという決まりはないのです。
記譜習慣も時代によって変化します。例えば、バロック時代は実際の調よりも調号を一つ少なくして書く、ということがよく行われていました。これはおそらく、調号が一つ少ない調への転調が頻繁に行われていたからだと思われます。
なので、時代によっても記譜のあり方などは変化する以上、絶対的な基準もないわけです。

しかし、一貫して言えることは、記譜の仕方や調号の付け方によって作曲者がどう考えていたかを知る事ができるということです。

もし、質問者さんが言っているように「調号がついた音を使わないのならばいらないんじゃないか?」と作曲者が考えたのであれば、作曲者がそのように書いても間違いではありません。
しかし、質問者さんが持っている楽譜がそうなっていない以上、作曲者が「やはり調号は必要だ」と考えた根拠があるということです。楽譜からそのような作曲者の意図を読み取る事は、演奏者にとって必要不可欠なことです。
    • good
    • 0

質問者さんの疑問の回答となるかどうか自信はありませんが、書いてみます。



フラットを書く場合と書かない場合で何が違うのかといえば、調が変わります。
譜面の最初にシのフラットが表記されていれば、それはヘ長調かなあということになります。


他の方の回答のお礼として書かれている「調を宣言する意味は何か?」という件に対する回答は、
「調が決まらないと使うべき楽器が決まらないことがあるから」となります。

他の方の回答において、全音・半音などについては理解されていることかと思います。
そこで、1オクターブが周波数的にはちょうど倍になっていることも知ったと思います。

では、「純正律」「平均律」などはご存知でしょうか?

少し前置きが長くなります。
例えばピアノなんかで弾く「ドミソ」の和音ですが、これを聴いて「音がぶつかってる!気持ち悪い!」と思う人はあまりいないと思います。(ピアノの調律が狂っていなければ)
これは、ドミソの和音がきれいに聞こえるだけの理由があるからです。
「ド」の音を鳴らした場合、純粋にその音だけが鳴っているわけではなく倍音(周波数が整数倍の音)もなっています。
2倍音はちょうど1オクターブ上の「ド」
3倍音は1オクターブ上の「ソ」
4倍音は2オクターブ上の「ド」
5倍音は2オクターブ上の「ミ」
になります。
そうすると、「ドミソ」を引いた時、ソの2倍音はドの3倍音と、ミの4倍音はドの5倍音と一致することにより、非常に融け合ったような響きになります。

ところが、現在のピアノは平均律で出来ているので、周波数が対数軸上で等分になるように音が並んでいます。
そうすると、ソの2倍音とドの3倍音は厳密には一致しません。一致させるためには、ソを少しだけ(半音の15分の1ぐらいだったと思います)高く取る必要があります。
同じように、ミの4倍音とドの5倍音も厳密には一致しないので、一致させるためにはミを少し(半音の10分の1~5分の1ぐらいだったと思います)低く取る必要があります。
これがうまくはまると、ピアノで弾く「ドミソ」よりも「ドと、少しだけ高めのソと、少し低めのミで作ったドミソ」の方がより混じりけのない響きになります。

「じゃあそういう風に(ミは低め、ソは高めみたいに)調律すればいいじゃん」って話になりますが、そうすると他の調を弾くとぐちゃぐちゃになってしまいます。
別の調の曲を弾く場合は調律しなおすか、楽器を変えるかする必要があります。
そんなことから、昔のものすごいお金持ちな人はピアノを12台持っており、それぞれの調に調律して曲ごとに変えるというようなことをしていたそうです。(本当かどうかはわかりませんが)

前置き終わります。

何が言いたいかと言えば、厳密には「ハ長調の第5音の「ソ」」と「ト長調の第1音の「ソ」」は違う音(であるべき)なんですね。
ということは、今弾く曲の調が何なのかがわからなければ、それぞれの音の音程をどのように取ればいいのかがわからなくなってしまいます。
本当かどうかはわかりませんが、各調に合わせて調律した12台のピアノを用意している場合、どのピアノをチョイスすればいいのかがわからないということです。

あまり話がまとまりませんでしたね…すみません。
また、「和音の調和」に関する話も私の感覚的な理解で書いているので、本当のところは違うかも知れません。

参考になれば幸いです。
    • good
    • 0

音楽の世界以外の方にはそのような疑問があるのですね。

勉強になります。

結局、調号は調性を知らせるためのものです。

私を含め、音楽をしているものにとっては、楽譜を読む上で調性判断は第一に行うことであり、
調号はその判断のための重要な要素となります。
調性を把握することは、主音、属音、導音という、音階中の重要な役割を担った音を把握することにつながり、
演奏においても重要な要素となります。
一番大きな要素は主音の把握であり、それは「始まりと終わりを明確に感じる」ことであると思います。
これが、調号がある場合、ない場合=調性が分からない場合の違いですね。
簡単な説明としては、以下のサイトが参考になりそうです。
http://initmusic.web.fc2.com/ongaku-riron/ongaku …

ただ、調号は、元は利便性のためにできたものだと思います。
へ長調、ト長調程度なら調号は一つですので、臨時記号もそう頻繁には出てきませんが、
これがロ長調とかになり、#や♭が5つとか6つになってくると、臨時記号だらけになり、
楽譜を読むのも書くのも面倒になります。これを解消するために、最初に調号を書いて、
一々臨時記号を付けなくても良いようにしたんだと思います。
そのため、別にどうしても書かなくてはいけない、というものではない気もしますが、
今確立されている音楽理論としては、調号を書くことが「そういう決まり」となっているので書いているだけですね。

現に、調号がなくても(=ハ長調・イ短調)、例えばト長調だったりということがあります。
調号がなく、ハ長調の曲でも、途中で転調した場合にそのまま臨時記号をつけてト長調等をあらわします。
必ずしも調号が必要というわけではありませんが、あった方が親切ですし、調性がはっきりするわけです。


質問者さんが仰っていることは、例えば
「この肉、豚か鶏か牛か分からないし、部位も知らないけど、美味しいから良いか」
なんかこういう感じかな~と思います。
上記例えは、何肉か分からなくても、食べれば一緒、美味しいし。そんな感じです。
音楽も一緒で、調性が分からなくても演奏することはできます。しかし、音楽を突き詰めていくと、
ただ演奏すれば良いっていう問題ではなくなってきます。
調性によってそれぞれの音の役割が変わり、演奏法が変わってきます。
表現の幅を広げるため、より音楽性を高めるため、調性は大事になってきます。
肉だって、何肉のどの部位かによって、適した調理法、味付けってありますよね?音楽も同じだと思います。

調性を示す意義が分からないとお感じでしょうが、意義はあると思います。
その調性を示すために調号があります。

>「伴奏のピアノのない唱歌を作りました。ヘ長調だけどシ-フラットは使わないから書かないよ」
これは受け入れられない気がします。
西洋の音楽理論を元に作られた曲には、「和声」というものが存在します。
例え単旋律の曲であったとしても、調性がある以上、何かしらの和音の上に成り立つこととなります。
ト長調の曲で、旋律に「F#」が出てこないとしても、5度の和音上に成り立つメロディーがあれば、
そこでは「F#」が使われるわけです。調性がある以上、単旋律であっても和音が意識されます。
その意識が、曲の起承転結を表すこととなります。旋律上にその音がなくても、見えないところで使われています。
これが調性であり、調号の必要性です。

後、唱歌集に載っているような曲であれば、調号の♭がEのみなどありえないと思います。
第3線(H)に♭1個のみか、第3線、第4間の♭2つかの見間違え・覚え間違えだと思います。


乱文になってしまいました。このような文では質問者さんは納得させられないのでしょうね。
音楽の説明とは難しいものです。
    • good
    • 0

>使いもしない変化記号を書く



ですから、使っているんです。音階を明示するという意味で。
    • good
    • 0

おはようございます。

ANo.1です。

簡単にいうと、調を調号で明示することは主音が何かをしめすことです。

半音と全音という音程差はご存じでしょうか。
ドレミファソラシドの音階の中でドとレの音程差を全音、ミとファの音程差を半音といいます。

ソレミファソラシドのなかでこの音程差がどう並んでいるかというと、

ド レ ミ  ファ ソ  ラ  シ ド
 全 全 半  全 全 全 半

これはハ長調の場合ですが、他の調も同じで、必ず音階は

全全半全全全半

という並びになっています。この並びの先頭の音が主音で、旋律の中で重要な役割をします。

簡単のため長調に話を限定すると、調号が一つもついていなければ主音がドの音、
フラットが一つ付いていれば主音がファの音、フラットが二つ付いていれば主音がシ♭であることがわかります。

主音がわかると、そのつぎに大事な音である主音の五度上の属音(ドに対してソ)、その次に大事な主音の五度下の下属音(ドに対してファ)なども決まっていきます。つまり、調を明示することでその曲の骨格がわかり、同じ音でもその旋律の中でどういう役割の音なのかを知ることができます。

たとえば、同じファの音でも調号になにもついていなければ、これはハ長調の下属音、フラットが一つついていれば、ヘ長調の主音、フラットが二つ付いていれば、変ロ長調の属音ということがわかるわけです。

調号はこのような旋律の構造を示す役割をしているものなので、♭や#がついた音が使われていなくても、
作曲者がどういう意図でこの曲を書いたのかを明らかにするために必要なのです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

簡単にいうと、調を調号で明示することは主音が何かをしめすことです。

> 半音と全音という音程差はご存じでしょうか。
> ...
> この並びの先頭の音が主音で、旋律の中で重要な役割をします。
 いまWikiで調べました。半音の定義も音律によるようですが、多分この質問では十二平均律なるもので考えればよさそうだと判断しました。周波数の対数をとった場合、全音の半分になるわけですね。ドレミは7音階ですが、対数周波数で1オクターブ(2倍)を12等分したものを半音と呼ぶようですね。ですから、当然半端な音階が2か所出ることも理解できます。

> 簡単のため長調に話を限定すると、調号が一つもついていなければ...
> 調を明示することでその曲の骨格がわかり、同じ音でもその旋律の中でどういう役割の音なのかを知ることができます。
 どうやら、主音なる音から数えて1, 3, 5, 6, 8, 10, 12番目の半音だけを原則使う様ですね。それが小学生が学習する五線譜と同じである場合がハ長調と考えて良いでしょうか。そして、主音をずらしたければ対応した場所に変化記号を付けて調整するが、それがハ長調以外の調となりそうです。当然、12ある半音の内不均一に7音を拾い上げているので、曲の骨格が分かるということは合点がいきます。

> 調号はこのような旋律の構造を示す役割をしているものなので、
> ♭や#がついた音が使われていなくても、
> 作曲者がどういう意図でこの曲を書いたのかを明らかにするために必要なのです。
 骨格を示すのってなんとなく重要な気がしますが、やっぱり使わないんなら表記しなくても良い(主音がドの7音でも良い)のではないかという気もします。「門外漢にが即座に納得いくような説明はできない」伝統的な約束事の域を出ないような気がします。「12半音のうち7音拾い上げて変化記号付きの五線譜を用意したけど実はそのうち5音しか使いませんでした」と言うなら、「じゃぁ残りの2音(特に五線譜に変化記号を書く音)は拾い上げなくていいよ。変化記号を書くだけ無駄だから。変化記号を書かなければハ長調記載と同じになるけど出る(使う)音は一緒だから良いね。」ということにはならないんでしょうか。もちろん専門家がそう思わない(それが作曲者の意図なるものなのでしょう)ことは予想できますが、使いもしない変化記号を書く「強力で門外漢にも理解し易い」理由は無いものでしょうか。
 例えば、とある地域とか分野では十二平均律から別の音律に翻訳して演奏するが、使わないものであっても変化記号がつくと、同じ音階列(メロディー)でも翻訳文法が変わる(変わらなきゃ意味がない)とかそういうのですね。

お礼日時:2010/12/29 14:26

>伴奏や(他の)複旋律で使うからという結論で良いのでしょうか



#1の方のお礼にも同様のことをお書きになっていますが、これは違います。本質は調を表示することにあります。確かに調号を書かない、もしくは調合と調が合っていなければ伴奏はめちゃくちゃになりまた(調号によらず)きちんとしようとすると臨時記号(楽譜の、特に伴奏部分のあちこちに#や♭をいちいち付ける)ことになり不経済です。しかしこれは本質ではありません。

>使わない限りは何調であるか知る/知らせる必要はないし
>「ヘ長調のつもりで作ったけど使わなかったから書かなくていいや」

伝統的な西洋音楽理論、学校で習う曲のような範疇では合理・不合理ということではなく「ヘ長調なら♭1個付ける」というのが約束になっています。ヘ長調のつもりで作ったのなら♭を1個付けるのが楽譜を書くときの決まり事なのです。
大体が、楽譜を読み書きするのは何らかのプロかそうでなくとも音楽を趣味としている人だけです。そういう人にとっては「調(ポピュラーではよくキー key と言います)」は重要なことなので、調号をむげにはできません。それには、クラシックはもちろんポピュラー音楽でも今日ではその多くが西洋音楽に基づいたものであるため、それを記すための楽譜の約束事に背くことはあえてしません。ということは楽譜を読み書きすることをしない人にとっては理解し難いことでもあります。何事も自分が関わっていないことの決まり事には納得いかなかったり不合理(なくてもいいじゃない)と思うことはあります。

一つ、特殊な例を挙げてみます。
http://www.traditionalmusic.co.uk/mandolin-tab/E …

この曲には#も♭もありません。ではハ長調かイ短調かというとそうでもありません。結論から言うと「ニ短調っぽい」のです。「っぽい」とどういうことかと言うと、シのところに全く♭がありませんから伝統的な学校で習うようなニ短調ではない、民族音楽に基づいたものです。
こういう伝統的な理論から外れた「っぽい」ものに対応した「調号」はありませんから(少なくとも誰にでも認められたものは)、書き方がいくつか出てきます。
リンク先のものは経済性を優先したもので、「シが♭しないのなら調号はいらないじゃない(=ハ長調と同じでいいじゃない)」という考えです。しかし一方、「ニ短調っぽい響きなのだから一応♭は調号で付けておいて、シのところには一々ナチュラル(#・♭を無効にする記号)を付けるべきだ」と言うこともできます。記号類が多くなって見にくくなりますが、伝統理論に当てはめようとする考えです。
これらのどちらが正しいかは一概に決められません。しかし伝統的理論から外れたものには自由な書き方が許される余地があると言えます。

結局のところ、文法や正書法と似ていて、伝統的な理論にかなったものを書く・作る限りはその「お約束」に従わなければならない、しかしそれにとらわれないものにはある程度の自由があるということです。「そういう」をいくら発音通りにするからといって「そうゆう」とは、少なくとも作文や公共的な文章では書けない。しかし、個人的なかしこまらない文脈では使うこともできる。それと同じことで(厳密な意味で)ヘ長調という理論に一旦乗っかったのならその書き方の約束には従わなければならない。しかし伝統にとらわれない自由な音使い、ヘ長調っぽいがちょっと違うとなれば必ずしもシの位置に♭はないかもしれないし、別のところに♭がつくかもしれない。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>>伴奏や(他の)複旋律で使うからという結論で良いのでしょうか

> 本質は調を表示することにあります。確かに調号を書かない、
> ...不経済です。しかしこれは本質ではありません。

 ありがとうございます。両方の理由があっても良いと思うのですが、いずれがより重要なのかも知りたいと思っていたので、参考になります。そこで、より重要な後者については、以下。

> 伝統的な西洋音楽理論、...「ヘ長調なら♭1個付ける」というのが
> 約束になっています。...
> ...何事も自分が関わっていないことの決まり事には納得いかなかったり
> 不合理(なくてもいいじゃない)と思うことはあります。
 そういう約束事は、多くの分野にあるのは分かります。しかし、一見門外漢には不合理に思えることでも、歴史的に・場合によっては現在でも納得のいく理由があるのではないかと予想した次第です。更に、門外漢にも即座に理解/納得のいく説明が可能な約束事であれば、それは高級な(意味のある/理論的に美しい)約束事で、そうでない物は低級な約束事だと私は考えています。もちろん、私は作曲もしないのでその約束事に反するつもりはありませんが、個人的な理解として約束事の重要性(客観的な/多数者にとっての重要性というよりは、個人的等級とでもいいましょうか。)を把握したいと思っており、その一助となるのが皆様のご回答なと思っています。(高級/低級とは私が定義しそう呼んでいる言葉なので、何を以て高級なのかということは説明しません。)


> 一つ、特殊な例を挙げてみます。
> ...こういう伝統的な理論から外れた「っぽい」ものに対応した
> 「調号」はありませんから(少なくとも誰にでも認められたものは)、
> 書き方がいくつか出てきます。
> 伝統的理論から外れたものには自由な書き方が許される余地があると言えます。
 伝統的理論に則れば、やはり必要で、その理由として重要なのが、前記約束事(I)で、比較的重要でないのが、伴奏や他旋律の便宜(II)と把握させていただきました。
 出来れば、約束事Iの「腑に落ちる」理由を知りたいと思いますが、可能でしょうか。私の個人的価値観として、なるべく世の中の約束事は前記「高級な」約束事であってほしいと思うからです。#4御回答を読んで考えてみます。

お礼日時:2010/12/29 13:35

まず次の2つのことを頭に入れておいてください。



・この譜面の左端にある#とか♭は「調号」と言い、その曲が何調であるか宣言する


>ト音記号で上から1線目(F)かその下(E)にフラットが書いてあるのです

これはおそらく「その下(E)」が正しく、「上から3線目」のシにも♭があり、二つの♭をもつ「変ロ長調」か「ト短調」であるはずです。

リンク先でいえば円形図の一番上のハ・イのところは#も♭もありませんが、全然ないことがハ長調かイ短調であることを宣言しています。

調号http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%BF

伝統的な西洋音楽理論で説明できる曲は全て、譜面では調号によって曲の調を宣言しています。調号のない曲はないし(前述のように何もついていなければハ長調かイ短調)、調合と調が一致しないものはありません。


・音階の音が全て使われるとは限らない

#1の方と重複しますが民謡など5つしか使わないことも珍しくありません。

譜面1「蛍の光(ハ長調)」http://www.google.co.jp/imglanding?imgurl=http:/ …
譜面2「蛍の光(ヘ長調)」http://www.google.co.jp/imglanding?imgurl=http:/ …
※4部合唱になっていますが今は一番上の主旋律だけを見てください。また音符の長さが全部譜面1の半分になっていますがこれも今回は気にする必要はありません(音符の長さだけではテンポは決まらない)。

譜面1を見ていただくとシとファが全くなく5つの音しか使われてないことがわかります。譜面2は音が全部3つ上がっています(正確には4度上と言います)。ここでは便宜上1のハ長調を3つ上げてヘ長調の2に変えたとしましょう。調が変わってしまったので、♭1個という調号で「変わった」ことを宣言しています。譜面2では♭に引っかかるところはありませんが、だからと言って♭を付けないとそれはすなわち「ハ長調のままである」ということになりヘ長調であることを示しません。調を示すためには使う使わないにかかわらず調号の#や♭は必要なのです。

単旋律で伴奏やハモりのない曲を作っても、「調」がある限り調号は必要です。シ♭を使わないからといってヘ長調で調号なしというわけにはいきません。「調」は重要な情報であり♭を省くことは無駄を省くどころか調を知るのに譜面を一通り見るという手間を発生させることになります。

なお、#1の方の言う「伴奏で使う」というのはここ(譜面2)では「ハモりで使う」になりますが、主旋律は5つしか使ってなくても伴奏やハモりはさすがにそれでは貧弱で7つ全部を使うものです。このときヘ長調ならヘ長調の音階を使うことになるので♭がシに付きます。譜面2から♭を除去すると非常に変な響きになります。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。以下の点でもう少し疑問があります。
> ・この譜面の左端にある#とか♭は「調号」と言い、その曲が何調であるか宣言する
> 調を示すためには使う使わないにかかわらず調号の#や♭は必要
 これは何となく分かりいましたが、何調であるか宣言する意義はどこにあるのでしょうか。伴奏や(他の)複旋律で使うからという結論で良いのでしょうか。
 もし、単旋律で伴奏やハモりのない曲を作曲したらあるいは確率は低いが伴奏やた旋律でも使わないとしたら、使わない限りは何調であるか知る/知らせる必要はないし(もちろん知らせたければ知らせれば良いと思います。この場合は、調合の存在意義は単なる趣味ということになるのでしょうか。)、調号と(作曲者が勝手に頭の中で考えている)調が一致しなくても良いということになるのでしょうか。「ヘ長調のつもりで作ったけど使わなかったから書かなくていいや」という感覚は、不合理なのでしょうか。

> これはおそらく「その下(E)」が正しく、「上から3線目」のシにも♭があり、二つの♭をもつ「変ロ長調」か「ト短調」であるはずです。

 実は、記憶で確かなのは、フラットが1個所だったんです。つまり、wikiの参照ページのいずれにもあたらない調でした。いずれにしても恐らく回答内容には変わりないので、(回答に影響を与えない条件を煮詰めても無駄という意味で)どっちでも良いのですが。

お礼日時:2010/12/29 02:37

それは調というものを表します。


歌の旋律にはなくても伴奏のピアノなどでは使っているはずです。

#も♭もついてない場合はドからはじまる音階で

ド  レ  ミ  ファ ソ  ラ  シ  ド

フラットが一つつくとシがフラットになってファからはじまる音階

         ファ ソ  ラ  シ♭ ド  レ  ミ  ファ

フラットが2つつくとミとシがフラットになってシ♭からはじまる音階

                   シ♭ ド  レ  ミ♭ ファ ソ  ラ  シ♭

ということがわかります。(長調の場合)

上から、それぞれハ長調、ヘ長調、変ロ長調という名前がついています。

この音階にはド~シまで7つの音が有りますが、民謡とか唱歌とかなんとなく日本的に感じられる曲はいわゆる『ヨナ抜き音階』と呼ばれる5音階が使われていることが多く、4番目と7番目が有りません。したがって、上の三つでは

ド  レ  ミ     ソ  ラ     ド

         ファ ソ  ラ     ド  レ     ファ

                   シ♭ ド  レ     ファ ソ     シ♭

という音階となり、2番目ではシ♭が、3番目ではミ♭が旋律に出てこなくなります。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。当方なにぶん知識がないので、ちょっと専門家とは考える経路が違うかもしれませんが、質問させてください。

1
結論としては、
> 歌の旋律にはなくても伴奏のピアノなどでは使っているはずです。
だからということでしょうか。

2
> 民謡とか唱歌とかなんとなく日本的に...以降について
> 2番目ではシ♭が、3番目ではミ♭が旋律に出てこなくなります。
出てこなくなるなら、音楽を離れた一般的価値観(情報は過不足なく記載する)を重視すれば、変化記号を書かない方が良いと考えてしまうのは間違いでしょうか。それにもかかわらず書く理由は何でしょうか。やっぱり「伴奏のピアノで使っているはず」なのでしょうか。
 もしそうなら、「伴奏のピアノのない唱歌を作りました。ヘ長調だけどシ-フラットは使わないから書かないよという、とある唱歌作曲家の言い分は一般に受け入れられるのでしょうか。

お礼日時:2010/12/29 01:06

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!