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「個人は無力」と思いますか?

個人は無力、と思った段階で、既に即物的価値観に毒されている。
個人は無力なパーツであると同時に宇宙を顕在化させるKEYでもある。
(量子論的に)

上記のような「説」もありますが、
皆様はどう感じますか?
自由な文体でどうぞ。

A 回答 (2件)

 はじめまして、こんばんは。



 状況や人にもよりますが、個人の力は大きいと私は思います。

 一つのグループの中で誰かが変われば、多かれ少なかれ周囲の人間は影響を受けます。それが全体に広がってグループの性質そのものを変えてしまう場合もあれば、わずかな人間に変化を与えるのみに留まる場合もあります。
 どちらにせよ、個人の力によって何かが変化したことには変わりありません。

 何事も集団になる以前に個人から始まっていると、私は考えます。



 なにより、「個人は無力」という考え方が苦手でして……どんな小さなことにも希望を持っていたいという思いから、個人の力も信じようとするのだと思います。本当に些細なことが、あるいはその積み重ねが、実は大切なことだったりしますしね。

 量子論的な内容はよくわかりませんが(すいません)、希望的観測について言っているのかなと勝手に解釈しました。そうだとすれば、私も同じ考えです。

 希望を抱くことは、とても大切だと思います。
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その個人にとって認識論的に宇宙を存在させているのが個人であって、


即物的価値観等々も含めてその全体の態様が量子論的であるということだと思っています。

とすると、個人は無力と思うかどうかについて、個人は無力であるという結論や、あるいは、
個人こそが唯一有力であるという、他方を否定する結論にはならないと個人的に思います。

その個人が無力なのか有力なのかその個人に真実は知り得ない・・だからこそその個人が存在する。
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