プロが教えるわが家の防犯対策術!

本来、死語においても生前においても平等であるはずの仏教において、戒名に位があること、またそれがお布施によって変わることがどうにも納得が出来ません。
このため、親戚の法事の際などにお坊さんが話されることが、どれだけ良いお話であっても素直に受け止めることができません。

戒名に位がある、またはお布施の金額によって戒名が変わるということの正当性について、どなたか上手にご説明して頂けないでしょうか?

その際、以下の理由以外のお答えを頂ければと思います。
・戒名制度がそもそも間違っているというご回答
 →戒名制度の是非については既に様々な質問・ご回答がありますので、今回はそこを議論の対象にはしない方向でお願いします。
・お金儲けのためである、というご回答
 →事実はその通りであるかもしれませんが、あまりにもストレート過ぎますので・・・
・戒名制度の由来についてのご回答
 →今回の質問の主旨ではございませんので。

僧侶の方は、もしそのような質問を檀家さんからされたら私ならこう答える、という感じでご回答頂ければありがたいです。
また、逆にこういう質問をしたら、こんな風に上手に回答されたというお話でももちろんOKです。
なんというか、「上手い」ご説明を期待しています。

よろしくお願いいたします。

A 回答 (3件)

戒名料というものが発生してしまっている要因の一つとして、お寺の側だけでなく、檀家の側の問題もあるのではないかと、私は思います。



まず、檀家制度がしみついてしまって、一般の人が仏教の本来の教えに無頓着になっているように思います。
ですから、「お寺=葬式を取り仕切ってくれるもの、年ごとの法事をしてくれるもの」という認識しかない一般の方にとっては、戒名も葬儀の必要経費の一環という認識になっているのではないかと思います。

とにかくお坊さんからいい戒名をもらわないと成仏できない。
死後の世界で少しでも安穏に暮らせるよう高い位の戒名がほしい。
お隣さんは院号の付いた立派な戒名だから、うちも院号を付けてもらわないことには困る。
立派な戒名を付けないと、親の戒名料をケチったと言われてしまう。
などなど。
仏教とは全く関係のない理由で、とにかくお金を払ってでもいい戒名が欲しいという方も、ずいぶんと多いんじゃないでしょうか。

檀家の側が、多少は疑問を持ちながらも、高いお金を払って戒名をもらわないことには、きちんとお葬式をして死者を弔ったことにならないのではという感覚を持っているため、お坊さんもそれに乗っかって、お金儲けをしているという部分も、少なからずあるのではないでしょうか。

もちろん、お金儲けができるから、お坊さんも殊更に本当のことを言わないということもあると思いますが。

戒名は、絶対にお坊さんから付けてもらわねばならないものではありません。
知り合いに禅宗(特に臨済宗)のお坊さんが多いのですが、「そんなもん、自分で付けりゃあいい」と言っています。
自分で付けることができないから、お坊さんにお願いしてしまうのでしょう。

ただ、自分で好き勝手に付けていいという話になると、そもそも戒名って何? 戒名なんていらないのではという話になってしまいますが。

仏教本来の教えの中に、今の戒名のシステムはありません。
お布施の多寡によって位が決まるなんてのは、仏教ではありません。
それがシステム化してしまったのは、お寺さんの欲と、檀家さんの欲の両方が原因のような気がしてなりません。

近頃は、そういうお寺さんに異を唱える人も増えてきています。
今後は、意地でもいい戒名をと願う人と、戒名なんていらないという人と、両極端になっていくのかもしれません。

ご質問の趣旨から外れてしまっていたらすみません。
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 本来なら修行している方などに付けてもらう物だそうです。

仏教系の学校で生前に頂いて居る方もいるようです。ある漫画家さんのエッセイでなんじゃこれ?という戒名を頂いたそうです。
 しかし、そういった事無い方が戒名をつけるとなると修行などしていないので、その分をお金で解決しているだけです。 昔からお金を払えば極楽浄土に行けるなどという話はありますよね。地獄の沙汰も金次第という言葉もあります。
 免罪符とかと同じように。

 実際にはお金のどうのと言う話は関係無いです。ある絵巻物に位の高い女性の死を描いた物があります。どんなにくらいが高くても死ぬときは、貧乏人と同じように骨になるのだからと。

 「地獄の沙汰も金次第」が一番適している回答かなと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
「地獄の沙汰も金次第」というのは、確かに戒名制度を上手く表していそうですね。

ただ、その言葉をお坊さんが言ってしまうと身も蓋もないように思います。
本当に立派なお坊さんだけども、やはり戒名制度をとっている方が、どのように上手にこの制度を説明されるのか知りたい。というのが質問の主旨になります。

わたしの質問の仕方が良くなかったのかもしれません。
申し訳ありません。

「ああ、それならば仕方が無いなあ。確かにそういう事だと仏教の精神に矛盾しないね。」
と納得できるような回答を期待しています。

お礼日時:2011/01/14 19:54

浄土思想に基づき生まれた風習で、


檀家寺に対しての貢献度によって、
亡くなった方に対し、寺の謝意の表れとして始まったのが、
何時からか、布施の額のみに代わっていった。
と知り合いの僧侶から聞いたことがありますが、事実かどうかは不明です。

貢献度とは寺の修繕負担金などの多寡だそうです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
当初は「布施の額」というように直接的ではなくもうすこしオブラートに包まれていたという印象を受けました。
ただ、当初の思想においてもやはり、戒名の位と仏教の平等性は矛盾するように思います。
また、貢献度によってより高い位が与えられるのだとすると、熱心な檀家さんは、より多くの貢献をしようと躍起になるかと思いますので、現在の流れのようになるのは自明かもしれませんね。
やはり寺が儲ける為の制度なのでしょうか?
このあたりをいやらしくなく、俗っぽくなくご説明頂けるとありがたいのですが・・・。

お礼日時:2011/01/14 02:16

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