冬の風邪予防は「鼻○○○」が新常識!?>>

 おおざっぱな話になりますが。

 ゆづる文化。

 控え目の精神。

 しぶさの美学。

 シャイな交通。

 おもいやりの心。

 地道なものづくり。

 ・・・



 はらからの中でもゾンビとなり果てたしかばねたちを乗り超えて これからの世界にあゆみすすむというのは いかがですか?

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A 回答 (22件中1~10件)

ひかえめなにしなです



おんな日照りですね

二年前と比べ信者が増えましたか。敵も増えてるようですか

わたしもやる気がほしいですが
脱ひきしてリアルで失恋したんです


仕事怠けてる猪突先生をゾンビと呼び挑発するのはいいですが
ツン状態から急に可憐になったあまがっぱさんを「ダニ」って呼んだのは汚点です。やぼです。ばかです。もったいないです。きったない勝ち馬にはのれません

土俵際にあった重箱の隅の袋小路にはまって「ち、が、い、ま、す」なんて発声するあまがっぱさんはとんでもなくあざとく可愛らしいアレでしたのに
まるで萌えを知らないおじさんはやっぱり寂しい人なんだと思いました

萌えたら議論に勝てませんが
おじさん議論つよいんですね
論客コミュニティとかいう議論サイトがあります
遊び場や布教の場を開拓したらどうでしょう

論拠を示すのって面倒くさいんですよね。人からも根拠とか示されませんし大抵

クリヤさんもチョトツさんもずっといて、おじいさんが更に増え、今後ますますお年寄りたちがWebにはまり入り浸ると思います
遺書かわしてるみたいですか


あの、なんていうか

おじさんの世代は精神疾患タブーな世代ですか

心なんてひとりひとり似たり寄ったりで
信仰の物語への共鳴で心を強化してる人でも
誰かが心病むこのせかいで精神病は誰にとっても他人事ではなく

その、なんていうか

病気の有無は仕事をしている方にとって大問題なんでしょうね

……

投影性同一視ってのがあるらしく

境界性のひととか

哲カテでも投影が大流行りで

自他がごっちゃにあべこべに思えちゃったりして

同じサイトにうっかり書き込んで習慣化したお年寄りどうし蟻地獄の底サウナみたいに溶けあい溜まっておばさんなんかがモテモテなら投影性同一視がひんぱんに起きるのかも知れず

ひきこもりを抱える家庭でもいちいちの感情の持ち主が誰なのか曖昧になるんですって

私の父は怒りにとらわれやすく、怒りをがまんできない父がわたし怖いんです
無職のわたしがパソコンに向かって貨幣のないせかいを思い描きながら笑ってると父が激怒して、わたしの精神の異常を父は危ぶんだらしいのですが

感情ってままならず、処方される薬で心を染めてもじぶんの心ではなく、もう薬は飲まないんですが薬を飲んで湧く他人のようなやる気も嘘で
薬なしの実際の自分の無気力もいやなもので

自分の感情は、日常に差し障らない程度に内観し自覚したり言葉で開示したりするとよいそうな

それで、なんというか

父親から共感されずに育った私やおじさんなんですか

ひどっちさんと組んで安定すると能力を発揮しますか


ためらいを感じつつ
仁科っぽい回答をそろそろ書きますと

規模が大きすぎます。ぱっくすやぽにかって

海外の美しい村のような地味で小さな自治体の価値をうたうおじさんなのに

日本とか。国とか。天皇とか。大きなことばかり言って。

日本とか日本人とか愛知県とかでは範囲が広すぎます

人種や民族や国家や道州や都市や県は人がまとまる単位からはずします

分割する範囲が広いと括られる人数が多すぎてヒエラルキアが生じ、疎外がひどくなり寂しいし不穏なので

生活や文化の単位は個人と、家庭と、市町村と、人類で

脱ヒエラルキアを求め洗脳の進み具合を把握しぼんやり楽しむためにも
望ましい自治体の名前と内容を具体的に挙げていくと良いと思います

【つづく】
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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。

 問題と主題は:
 1. 敗残兵をほっぽり出して自分たちだけで前へすすむな。
 ☆☆(趣旨説明) はらからの中でもゾンビとなり果てたしかばねたちを乗り超えて これからの世界にあゆみすすむというのは いかがですか?

 2. 《失恋》と《萌え》

 3. 甘え合いで均衡を保つ現代人の精神(?)

 4. 《脱ヒエラルキア》をその歩みに盛り込め。
 ★ 生活や文化の単位は個人と、家庭と、市町村と、人類で
 ☆ 《人類》を視野に入れているのなら 同じことだと思うけれど?


 さあて:
 ★ 分割する範囲が広いと括られる人数が多すぎてヒエラルキアが生じ、疎外がひどくなり寂しいし不穏なので
 ☆ なんのことはない。おぢさんなる質問者よりもでかいことを思い描いているでないかい?
 ヒエラルキアは 学級の当番と考えてください。級長・日直・給食当番・掃除当番・・・。
 そのになう仕事に応じて 権限は付与されます。権限関係も大事であるはずです。
 権限のある地位に担当をつけてその人のもとに行動をすることは 紛れもなく人びとが疎外されることです。これを代わり番子の当番として みながそれぞれこなして行くようにしたいと思うのですが?
 言わば疎外をみなで手なづける。

 いちばん上の権限に就いた人間が ぼんくらであると 人びとは――つまり疎外を食った人びとは 互いに疎外を手なづけながら――きわめてうまく当番制をこなして行くと思うのですが?
 《ぼんくらであると》に わたし・ぶらじゅろんぬのように とつけ添えたいのですが?
 ★ 海外の美しい村のような地味で小さな自治体の価値をうたうおじさんなの〔に〕。


 ★ 自分の感情は、日常に差し障らない程度に内観し自覚したり言葉で開示したりするとよいそうな
 ☆ 最近と言っても たとえば部屋の掃除をしなくなったり本の片づけをやはりしなくなったりはもう数年前からで あるいはたとえば朝起きないで平気で寝過ごしたり・しなければならないコトを明日に延ばしたりをここ一・二年前からという具合いに 《無気力》を味わっています。
 ★ 薬なしの実際の自分の無気力もいやなもので
 ☆ の――経過もその性質も――ぎゃくの《症状》を味わっています。
 つまり《感情》は もはやちょっとやそっとでは起きないのです 近年のわたしは。
 その心は?
 相手に合わせて鐘が撞かれたその具合いに応じて《感情をむき出しにしたり》しています。《感情》論に限れば その起ち上げは 相手のためである度合いが大きいのです。

 いいや 《〔ぎゃくの〕投影性同一視》なんかではないよと つまり:
 ★ まるで萌えを知らないおじさんはやっぱり寂しい人なんだと思いました
 ☆ ですか? ということは わたしが反応したような《ダニ》呼ばわりは 相手が望んでいることではないのだと。

 そうですね。こうではないかと:
 いちどしっかりときちんと余すところなくそのへその曲がり具合いについて これだけ曲がっているよと言われておくことは欠かせなかったのではないかと。
 つまりは 投影性というけれど 投影するべき姿をまだ自分の内では捉えていなかった。のではないか?
 いや そんなことはないとしたら わたしの勘違いによる反応だったと考えます。

 でもね 虚像が自分について出来上がっていて――いくらかのここでの参加者がそれについて受け容れているという情況も手伝ってか―― えばりんぼうの面子っ子ではありましたよ わたしが出会った初めから。その極端な姿さえ やがて現われ出ましたから。(自分の間違いを正さない。屁理屈を言ってのがれる。それでもわたしは 基本は志があってそれは高いものだと勘違いして 何度かは見逃していたのです)。

 ★ 論拠を示すのって面倒くさいんですよね。人からも根拠とか示されませんし大抵
 ☆ 自分が自由になるため。もしそうでなければ いくら脱ヒエラルキアと言っていても それはやがて出世階段を上って権力者となって君臨したいというその心の裏返しであるかも知れなくなる。ただそういう心理だけで生きているに過ぎなくなる。――そりゃあお父さんが激怒するわけですわ。

 幕末の侍やあるいは明治人は 出世することと脱ヒエラルキアの志とがむしろ一致していた場合が多いとも考えられます。わづかに大昔からの《ぼんくら体制》を敷いたので 必ずしもしかるべき当番制として何もかもうまく行くというわけには行かなかった。
 それは つねに牙を剥いた南蛮人たちがそこらをうろちょろしていたから。それらと同じようになってドンパチをやらかさねばならなかった。それに負けたあとはまづ経済を立ち直らせねばならなかった。やっといま・・・。
 えばりんぼうは要らない。

お礼日時:2011/02/28 05:48

見事に外れです。



静かになるまで見守ろう、という意気込みです。
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 こんばんは、Hidocchiでございます。



 一応、”ものづくり”で生活している者と致しまして、一言述べさせていただきます。

 前の回答に”イノベーション(inovation:技術革新)”という言葉がございましたが、”インベンション(invention:発明)”とは異なる意味合いを持つ言葉かと考えております。つまり、下記の文言のように、発明・アイデアとは異なるものと考えています。

「In business, innovation can be easily distinguished from invention. Invention is the conversion of cash into ideas. Innovation is the conversion of ideas into cash. 」
ソース:http://en.wikipedia.org/wiki/Innovation 

  さらにまた、”ものづくり”とは、どちらにも属さず(どちらかと申しますと、inventuonに近いかもしれませんが)、「日本の伝統技術の延長線上の現代の製造技術」と解しております。
 では、”日本の伝統技術”と申しますと、おそらく、以下の表現が適切かと思われます。

「単純作業での製造ではなく、職人などの手による高度な製造技術」

 つまり、”カンバン方式(カイゼン)”等は、”イノベーション”とは異質のものと考えております(そもそも、革新的・革命的なものは含まれていない ということでございます。例えば、同じT社の車も、日本製と米国製とは品質が異なるとも言われております。単なる”マニュアル”を超えたものがあるのかもしれません)。

 なお、愚生の立ち位置と致しまして、”イノベーション”とは、どちらかと申しますと肯定的には捉えてはおりません。理由と致しましては、以下のものがございます。

1. そもそも、その新しいものの中で日の目を見るのは、実際はごく少数。にもかかわらず、「新しければ、それだけでよい」といった安易な発想に結びつきやすい。
2. 技術革新の意味を間違えると、巨大企業すらも滅ぶことがありうる(イノベーションのジレンマ)。
3. 米国の金融危機後、日本のT社が赤字を出したことで、我が国でも、”ものづくり”は終わったという意見が多数見られたのは事実でございます。しかし、製造業で潤っている国も現実にございます(参考1)。

参考1:「ドイツ:10年は20年ぶり高成長、財政赤字GDP比3.5%」2011年1月12日(ブルームバーグ)

 最後まで、お読みいただきまして、どうもありがとうございました。
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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。

 ええっと ややこしいですね。
 ○ イノヱ゛ーションとインヱ゛ンションとものづくり
 ▲ イノヱ゛-ション(技術革新)は アイディアを実地に実現させることで
 ▲ インヱ゛ンション(発明)は 実験(あるいは実際の製造)をつづけてアイディアを得ること。
 ☆ ですか?
 ★ ~~~~~~~~~~~~
 ”ものづくり”とは、どちらにも属さず(どちらかと申しますと、inventionに近いかもしれませんが)、「日本の伝統技術の延長線上の現代の製造技術」と解しております。
 では、”日本の伝統技術”と申しますと、おそらく、以下の表現が適切かと思われます。

 「単純作業での製造ではなく、職人などの手による高度な製造技術」
 ~~~~~~~~~~~~~~


 ★ なお、愚生の立ち位置と致しまして、”イノベーション”とは、どちらかと申しますと肯定的には捉えてはおりません。理由と致しましては、以下のものがございます。(* 以下は省略しますが)
 ☆ そうしますと:
 ○ 職人らによって経験の積み重ねとして得られている高度な製造技術をまさにつねにカイゼンしていくのであって(あるいはあたらしい製品の製造過程に合わせて作り直すのであって) 必ずしも初めにイノヱ゛-ションありきというかたちで 技術革新をすすめるというものでもないであろう。
 ○ あるいはまた そのカイゼンをとおしてあくまで基本線は 製造技術をつねに磨き高度なものにしていくのであって 何かアイディアの発見・発明を目指しているというのでもない。
 ☆ でしょうか。

 だとすれば 
 ★ 例えば、同じT社の車も、日本製と米国製とは品質が異なるとも言われております。単なる”マニュアル”を超えたものがあるのかもしれません)。
 ☆ となるでしょうね。発明を得て その技術革新をマニュアル化して製造をすすめたなら どこででも同じ製品が出来るというのでもないということでしょうか。


 ★ しかし、製造業で潤っている国も現実にございます(参考1)。
 ▼(参考1:「ドイツ:10年は20年ぶり高成長・・・) ~~~
 「ドイツ経済は7-9月(第3四半期)に危機前の水準に回復する公算が大きい」との見方を示した。

 更新日時: 2011/01/12 18:04 JST
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ☆ しかし我が国は 足の引っ張り合いが目立ちますね。政治の話ですが。

お礼日時:2011/03/06 19:41

お気に召すわけないです。



なぜなら、
「日本により強制された平和」を意味するため、反対者に対する制裁措置を持つ必要があるから。
制裁措置能力があった時とは、大日本帝国のとき。(東・東南アジア限定) 強いてほかをさがすなら、戦後に経済力で圧倒していたとき。

また、強制する内容が
>ゆづる文化。
>控え目の精神。
>しぶさの美学。
>シャイな交通。
>おもいやりの心。
>地道なものづくり。
というような、思想に至っては、政治システムの強制より難しい(それだけ強権が必要)です。

また、思想自体も気にくわない。
>地道なものづくり。
「画期的な新発明」は、どう弁護しても地道とはいわないはずです。
カンバン方式もダメ、コンビニもダメ。(コンビニは、流通革命の代表事例です。)
なにより、日本は「画期的な新発明」の恩恵を受けながら外国に対しては禁止する
というパターンであるのでダメ。

>シャイな交通。
それ何?辞書にもネット検索でもわかりません。いちおう、譲り合い交通としておきます。
譲り合いする必要のない交通のほうがよいです。
たとえば、
歩道ナシで車道も狭い交通なら、自動車は歩行者に道を譲らないとならないけれど、
歩道があって、4車線、6車線で譲る必要が無いなら、そっちのほうがいいです。
また、国によっては、すでに「譲る必要のない交通」が実現されているため、
譲り合い交通は見向きもされません。
※モンゴルの地方幹線道路は、砂利道ながら10車線。ただでさえすれ違いは1時間に1台以下なので譲り合いは完全に無縁。
※※舗装道路2車線のほうが良いのだけれど、予算が無いから仕方なく砂利道10車線、という事情があります。
※※※というわけで、高速道路を廃止し、歩道を通行禁止とし、道路はすべて2車線、信号も撤廃 とすれば、モロに
   譲り合い交通になるんだけどなあ。簡単でしょ?

更なる問題は、思いやりの範囲です。
誰に対して思いやるか?
広く解釈しても、民族としての日本人、じゃないの?

外国に思想を押しつけた結果、「思いやりとは、自民族に対するものでありそれ以外の民族には適用されない」と解釈された場合どうするの?反論できないから認めるしかないのだけど....
日本は単一民族に近いし、他民族が話題になる場合、歴史上の事実では、思いやりなぞあったためしが無いのだけど。。。
たとえば、
関東大震災のときの朝鮮人デマ、現行法での日本帰化の煩雑さ、「ガイジン」という用語があること。
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この回答へのお礼

 まささん こんにちは。ご回答をありがとうございます。

 ★ 強制する内容が ・・・〔趣旨説明のそれぞれのような〕・・・思想に至っては、政治システムの強制より難しい(それだけ強権が必要)です。
 ☆ 誰も強制するなんて言っていないぢゃないですか。いえいえ《共生》ですよ。
 自分たちの心の中から出てくればよいわけでしょ?


 けれどもその内容に気に入らないものがあるとか:
 ★ また、思想自体も気にくわない。
 ★ >地道なものづくり。 / 「画期的な新発明」は、どう弁護しても地道とはいわないはずです。 
 ☆ 《ものづくり》と《新発明》とは 断絶されているとは考えませんが 切り離して捉えてください。それは《地道な〈研究〉》の成果です。

 ★ >シャイな交通。
 ☆ の《交通》は 《まじわり・交際》の意味です。《大雑把な話》ですので どうしてもこうしたいという主張のようなものではないのです。あしからず。

 ★ 更なる問題は、思いやりの範囲です。 / 誰に対して思いやるか?
 ☆ 誰に対しても 自分のことを考えるより一秒前に相手のことを思う これを言います。その結果が大したことでないとしても くせとするということです。

 ★ たとえば、関東大震災のときの朝鮮人デマ、現行法での日本帰化の煩雑さ、「ガイジン」という用語があること。
 ☆ そうですね。もっともっとえげつないことも 確かにあります。明治人が外国からの客人に斬りつけたこととか。難波大輔が 昭和天皇(当時は皇太子)に斬ってかかったこととか。
 たとえば次のような逸話を紹介しておきます。

 ○ ~~~~~~~~~~~
 昔の日本人は立派だったと言わんばかりに 司馬遼太郎は 日露戦争までの日本人を讃えています。特に中国侵略と太平洋戦争時の日本人が異常であるという脈絡で言うのだと思いますが 立派さのほうについては 司馬に呼応して 山折哲雄が紹介している例があります。

 山折の挙げる長谷川伸著『日本捕虜志』からの引用を そのまま掲載します。《日露戦争における上村彦之丞とリューリック〔号〕乗組員救助》の中の話だそうです。

 ● ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 出雲〔号〕に収容されたリューリック乗組員の一ロシヤ将校が 艦内に飼われている小鳥は前々からここにありしかと問うた。

 日本人通訳が いやいやあれはリューリックの溺者を救助にいったものが 救い漏れは最早ないかと 救助艇をあっちこっち漕ぎ廻していると 浮いていた板にあの小鳥がとまっていた。大海の中だし放って置いては 小さい翼では飛べまい 可哀そうだと捕えてきて ああして飼っているのだと答えると 

 ロシヤ将校は涙をうかべ あれは私の飼っていた小鳥でした。われわれは北海で奈古浦丸を撃沈して以来 金州丸・常陸丸・和泉丸と撃沈し 佐渡丸も破壊したのだから その報復を今こそ受けると思いの外(ほか)かくも優遇をうけつつある。日本人はどうしてかくまで義侠なのかといい 神に黙祷を捧げた。

 (長谷川伸『日本捕虜志』昭和37年版 p.169――司馬遼太郎・山折哲雄:『日本とは何かということ―宗教・歴史・文明』1997 所収。)

 ・上村彦之丞→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%9D%91% …
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~


 この質問は その前に次のような挑発的な――しかもあほばか状態になっての――質問をしているので 少しはつり合いを取ろうとしたものです。ただし いい加減――ちょうどいい加減――に大雑把な恰好のままにしています。
 【Q:日本人はなぜあほとばかとが多いのでしょう?】
 ○ 目立つ場合に極論したらということです。(ほかの国の人びととは特には比べていません)。

お礼日時:2011/03/06 13:37

訂正



⇒しつもんしゃが 舌なめずり してオレの回答に対して対応していて、その気色悪さ、キモさを感じつつも ヨダレ教皇であるとちゃんと「認めて」いますよ。

⇒⇒しつもんしゃが 舌なめずり してオレの回答に対して対応していて、さらに ちろちろと下を出しているへびのような印象を若干うけながらも、人としてのヨダレ教皇であると「認めて」いますよ。
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この回答へのお礼

 まだ相手をして欲しいのですか?

お礼日時:2011/03/06 05:14

訂正



 1+2+7=10なのですね。 とか、4÷2×5=10である。


⇒10=1+2+7なのですね。 とか、10=4÷2×5である。



 しつもんしゃが 舌なめずり してオレの回答に対して対応しているのに我慢しながら ヨダレ教皇であるとちゃんと「認めて」いますよ。

⇒しつもんしゃが 舌なめずり してオレの回答に対して対応していて、その気色悪さ、キモさを感じつつも ヨダレ教皇であるとちゃんと「認めて」いますよ。
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この回答へのお礼

 ほんと くだらん。

お礼日時:2011/03/05 21:58

> ☆ 別の質問のほうで 《大人しくなられたような 変身をされたような》ところで繰り返しではなくなった。

んだよ。

 自分を最も非難し、反対している人間こそ、コロッと変わって自分の見方になる、なんて想ってないでしょうね。私はしつもんしゃを非難し、しつもんしゃに反対しているのでははなく、しつもんしゃが 舌なめずり してオレの回答に対して対応しているのに我慢しながら ヨダレ教皇であるとちゃんと「認めて」いますよ。認めているので、変わりません。

>あのやり取りで あくしすくんの出番をつくれなくて ごめん。

 オレが出した回答、たとえば10 という答えに対して、

 1+2+7=10なのですね。 とか、4÷2×5=10である。

 とか言われても、それがどうしたのですか?という感じですね。既に絶対的な意味をもつ数字を使うなら、その過程は大事であるかもしれないが、どうしても解が欲しいと願っている人に教える場合、10 という答えこそが大事であり、解を教えたからこそどのようにその10を導いたかが生きてくる、と想うのですが。「ああ、10だったのか、とすると私の人生は 3+18-11 だったのだ」と言っているだけではないですか。

さも自分が主役である、とでも言いたげな 言葉ですね。


http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6545419.html
参考まで。


>あと味がわるいが 一件落着である。

 ☆と★が目にチカチカして、読みづらく、読む気も失せていて、どのように対応しようか、それともあのまま捨てておこうかと思っている所です。

 それにしても、他者を貶め、自分を高めに見せるテクニックは職人芸、いや本能的な動物芸である。

 と言えますか。
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この回答へのお礼

 ★ ~~~~~~~~~~
 どうしても解が欲しいと願っている人に教える場合、10 という答えこそが大事であり、解を教えたからこそどのようにその10を導いたかが生きてくる、と想うのですが。「ああ、10だったのか、とすると私の人生は 3+18-11 だったのだ」と言っているだけではないですか。

 さも自分が主役である、とでも言いたげな 言葉ですね。
 ~~~~~~~~~~~
 ☆ この最後の一文は ご自分に向けてのものではないのですか?
 その解釈を取るには
 ★ 「ああ、10だったのか、とすると私の人生は 3+18-11 だったのだ」
 ☆ のところをもう少し第三者のことを入れて捉えないとだめですが。つまり
 ○ 「ああ、10だったのか、とすると私の勝負に出た議論は 3+18-11 というようなかたちで 相手に勝ったのだ」
 ☆ といったふうに変えなきゃだめですが。
 つまりは わたしの論争の背後に あなたご自身がすでに結論たる答えを言い置いているかたちで控えていたのだよと あなたは言っているのだから
 ★☆ さも自分が主役である、とでも言いたげな 言葉ですね。

お礼日時:2011/03/05 01:04

 食糧難時代を目先に控えて“ぱっくす・やぽにか”は“希望的観測”で終わりそう。



 日本がたくましく思えるのは経済、そして最近の文化において。
 政治はどうも頼りなくて。

 尖閣諸島や北方領土。
 既成事実を押し付けられても手を拱いているだけで何もしない、できない。

 壁は厚く高くなってきた。
 この壁を乗り越えるのは大変。

 今の日本の外交は引き潮状態。
 そのうち潮の満ちる時が来るとは思いますが、静かな満ち潮では壁は乗り越えられない。

 高波となって押し寄せなければ乗り越えられない。
 ゆえに“ドンパチ”の可能性は否定できない。

 少なくとも威嚇するだけの気構えを持たなければ。
 でも・・・・・日本は世界の「主婦」だからなぁ。

 敗戦後、日本は平和過ぎたか。

 
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この回答へのお礼

 たぶん いまはまだ 戦力を持つ国は おとなしい国に対して そんな状態ぢゃあ ちょっかいを出してもよさそうだとばかにする見込みが残っていると思われます。
 まだいま しばらくはだと思います。

 ですけれども いづれにしても ドンパチは出来ないし しないのですよ。いまの日本は。
 ★ 今の日本の外交は引き潮状態。 / そのうち潮の満ちる時が来るとは思いますが、静かな満ち潮では壁は乗り越えられない。
 ☆ ということは ただひとつ のぞみはこの今の《壁》がいづれのときにか低くなるということではないかと思われます。世界の人びとが その国のありさまに合わせて 殺し合いはしたくないと思い 割りに合わないと考えるようになると見通されます。

 ★ 希望的観測
 ☆ ですけれど おそらくそれよりほかに道はないのではないでしょうか?

 どうなんでしょう。
 ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2011/03/04 23:24

 開国以前は日本の「真」の姿のままでよかった、・・・・・追及されても答えられませんが。


 敗戦は「外の世界」がどんな姿勢で“外交”しているのかを知らなかった故、・・・・・「外交」下手。(“やぽにか”は、外国目線では「お人よしの国」なんだよね)
 戦後は例えれば、浮草、根無し草、・・・・・いや、根っこはあると思うけど。

 その浮草状態で、自立などできるはずもなく、また「質」的にも「妻」的立場が似合ってるようで。
 だから、「身の程」を自覚し「妻」的立場を摂る“べき”ではないでしょうか。


 ☆「べき」についての感想、あるいは蘊蓄を述べたことはないので、人違いかと思います。

 
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この回答へのお礼

 わいわいえいとさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。

 ★ ☆「べき」についての感想、あるいは蘊蓄を述べたことはないので、人違いかと思います。
 ☆ いまほじくり返そうとしませんので そのままを承ります。いちいちこだわってごめんなさい。

 ★ 「外交」下手
 ★ いや、根っこはあると思うけど。
 ★ 「身の程」を自覚し
 ☆ このような寸評のほうにきらりと光るものを見たのですが。

 ★ ~~~~~~~~~~~
 その浮草状態で、自立などできるはずもなく、また「質」的にも「妻」的立場が似合ってるようで。
 だから、「身の程」を自覚し「妻」的立場を摂る“べき”ではないでしょうか。
 ~~~~~~~~~~~~
 ☆ ですから 上の三つの特徴をたとえば考え合わせてみると 一般にはへりくだっているけれども 中には元気のいい者もいるだろうし しっかりと仲間をも集めて将来をにらみつつ充電している者もいるでしょう。
 指導者の資質のじゅうぶんな人間も 中にはいることでしょう。だいじょうぶだと思いますよ。

 たぶん何かひとつのきっかけは あるといいのかも知れません。
 チュニジアとエジプトそれから・・・という波にしても きっかけがきっかけになったのだと思います。もっとも日本にとってのきっかけや そこからの新登場は もはやドンパチをやらかすのでもチャンチャンバラバラを繰り広げるのでもないことは 決まり切っていましょうが。
 若い日本人に どえらい人間が出て来ることでしょう。わたしの八卦見です。どうでしょう?

お礼日時:2011/03/04 20:49

 ぱっくす・やぽにかの意味がなんとなくわかりました。



 その、なんとなくではありますが、そしてありきたりの例えなのですが、
 やぽにかはやっぱり「妻」の立場で生きるしかないのではないでしょうか。

 質問に取り上げられた事柄をみるとそう思えます。
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この回答へのお礼

 そうですね。一般的に・基本的にそうなりましょうか。

 わいわいえいとさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。

 ★ やぽにかはやっぱり「妻」の立場で生きるしかないのではないでしょうか。
 ☆ たとえば《ゆづる文化》と言っていますから――そして ゆづる精神でも ゆづる交通でもよいでしょうし―― そのときには 相手よりも一歩下がっているとすれば そういうことになるでしょうね。
 あるいは 自分のことを思う前に一秒は相手のことを思うかたちで ゆづる。こういう場合にしても 連れ合いの内のイニシアチヴをゆづっているほうの側に立つことになるのでしょう。


 でも 一人ひとり個別にどうであるか これもいろいろであってよいのだとも考えられます。端的に言って イニシアチヴを取りたい 取って引っ張って行きたいという向きも 多くいらっしゃるでしょう。そして 自由なのだと思います。
 指導的立ち場の中に ゆづる精神を発揮するというのもよろしいかと。


 ★ 「妻」
 ☆ は もともと 母屋に対して脇に建てられたつま屋としての脇役をいう意味から来ているのだそうですから――ですから 夫をも 妻からは つまと呼んでいたそうですから―― そういうふうに《ゆづる側》としておきましょう。

 ありがとうございました。

 * 主導権を相手にゆづっているかたちで 自分が主導権を握っているという場合も考えておかねばならないでしょうか。日本のおかみさんは つよくてかしこいですからね。

お礼日時:2011/03/04 10:52

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