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まず始めに、私は軍事に関しては全くの素人ですので、詳しい人から見ればくだらない質問に見えるかもしれません。その点、どうかご理解ください…

海軍甲事件と言えば、連合艦隊司令長官の山本五十六さんが戦死された事件でありますが、どうしても気になる事が二つあります。
(1)何故、護衛戦闘機が少数だったのか?
軍事に詳しくないので少数であるのかという正しい判断は出来ませんが、素人目線で見ると、仮にも海軍の現場の最高指揮官が移動するのですから、護衛戦闘機はもっと沢山出さなければならないのではと思ってしまいます…何故、9機だけだったのでしょうか?

(2)宇垣纏さんの救出について
宇垣さんは二番機に乗っていて、不時着したが助かったと聞きます。何故、助かる事が出来たのでしょうか?事故から生還にいたる経緯というのははっきり分からないのでしょうか?例えば、墜落する前に飛び降りたとか…

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A 回答 (2件)

(1)について・・・


山本長官の指示で護衛機は6機となりました。
護衛機を出す第204航空隊では、当初は稼動全機である二十数機を長官の護衛に付けようとしました。
しかし、山本長官は「たかが、護衛のために大切な戦闘機をそんなに使う事はない。6機でよろしい」と断られたそうです。
また、第3艦隊も連合艦隊司令部に高田参謀を差し向け、長官の護衛機を何十機でも提供するという申し出を行わせています。
しかし、これについても「搭乗員達は疲れているだろうし6機で充分であるから」と断られたそうです。
各航空隊は連日の戦闘で消耗し、搭乗員も疲労し、戦力を低下させている事を山本長官は慮ったのでしょう。
例えば当時、第204飛行隊には60機の零戦がありましたが、機体の損傷、搭乗員の負傷や疲労ですぐ飛べるのはその三分の一でしかなかったそうです。

なお、山本長官の護衛に参加し任務に失敗した零戦パイロットの柳谷謙治飛行兵長は戦後に次のような事を言っています。
「通常の護衛は爆撃機1機に戦闘機は1機しかつかず、せいぜい多くても爆撃機2機に戦闘機3機というのが普通の作戦方式でした。事実それで充分なんです。それを陸攻2機に6機も護衛が付くのですから、はるかに重護衛とみていいわけです」
また、敵基地攻撃や強行偵察ではなく、通いなれたブイン街道(ラバウルとブイン間の空路)での護衛ならまず平穏な飛行になるだろうと思っていたそうです。

まあ、山本長官に油断があったという事でしょう。
アメリカ軍の飛行場はガダルカナルにあるわけですが、そこからブーゲンビル島のブインまではかなりの距離があり、途中に島々が幾つもあってニュージョージア島、レンドヴァ島、ショートランド島などには日本軍の対空監視所が設けられており、アメリカ軍の襲来を察知できる体制になっています。
暗号が解読されているとは知らず、そうした対空警戒網があり敵の襲来を察知できると思えば、護衛が少数でも大丈夫だと判断したのでしょう。
しかし、敵は暗号を解読し正確な情報を掴み、艦船用コンパスを戦闘機に積み燃料補助タンクを取り付けて、通常より航続距離を伸ばし、日本の対空監視網のある島々を大きく迂回するなどして、日本軍の裏を掻きました。これはアメリカ軍が一枚上手だった言うべきでしょう。

(2)について・・・
山本長官の乗っていた機は陸上へ墜落しましたが、宇垣参謀長の乗っていた機は敵機の銃撃により損傷を受け、陸から100メートルほどの海上へ着水するよに墜落したそうです。
宇垣参謀長は両手両足を踏ん張っていたため、海上に突入した際は無事でしたが、機体が横転したため、もんどり打って機内の通路に投げ出されたそうです。そして機内に海水が流れ込んできて、もはやこれまでと覚悟を決めたそうですが、気がついたら海面に浮かび上がっていたそうです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!
山本長官がそこまで断っていたのは知りませんでした。また、意外と護衛は少ないものなんですね…

宇垣さんについても詳しく回答ありがとうございます。運が良かったことに尽きますね

お礼日時:2011/04/09 15:49

>(1)何故、護衛戦闘機が少数だったのか?


たかが司令長官の移動に一個中隊の戦闘機を割いているのですから少数とは言えないでしょう。
最前線基地への移動とはいえ、最前線基地とはつまり自軍の勢力圏内です。
この条件で長官機以下の陸攻機が落とされるのはどういう場面なのか、その状況まで想定するのは現実的かという話になるでしょう。
もっと沢山~~というのは襲撃を知っている後知恵目線ありきに見えて仕方ありません。

>(2)宇垣纏さんの救出について
不時着救助ですんで、飛び降りちゃいません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。六機というのは充分だったのですか…まったく意外でした。結果論的になるのは多少ありましたが、私のイメージでは高官は何十機で護衛されているのかと思っていたので質問しました。

宇垣さんは海でしたか…

お礼日時:2011/04/09 15:45

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Q特攻は通常攻撃より有利だったのですか?

「特攻-還らざる若者たちの鎮魂歌」(神坂次郎著)を読んで思ったのですが、
特攻は、通常の飛行攻撃に比べてどう有利だったのでしょうか?
この本に「われ特攻を拒絶せり」という章があり、特攻を拒絶した美濃部少佐率いる芙蓉部隊が奇襲攻撃を繰り返して成果をあげています。
飛行機のまま体当たりするのと、途中で爆弾を落とすのとで、命中精度がだいぶ違ってくるのでしょうか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

>飛行機のまま体当たりするのと、途中で爆弾を落とすのとで、命中精度がだいぶ違ってくるのでしょうか?

急降下爆撃(水平爆撃ではない)の命中率で言うと、日華事変当時の艦爆隊の命中率は60~70%、錬度が頂点に達していた昭和17年のインド洋海戦のころは急降下爆撃命中率は80~90%です。
これはインド洋海戦の九九式艦上爆撃機53機(赤城17機、蒼龍18機、飛龍18機)の巡洋艦への爆弾命中率88%、九九式艦上爆撃機85機(赤城17機、蒼龍18機、飛龍18機、瑞鶴14機、翔鶴18機)から航空母艦への爆弾命中率82%、また17年のコロンボ攻撃などでの江草隊の命中率85%などからも確かでしょう。
恐るべき命中率で、パイロットの高い錬度の賜物でしょう。

ただしその後は激戦を重ねる中で熟練パイロットが消耗し、命中率は低下していったと思われます。
元々戦闘機乗りでWW2では航空参謀、また剣部隊の司令となった源田実は、戦艦・航空母艦の議論の中で、「一方航空機の場合は水平爆撃の命中率が12%,急降下爆撃が50%,雷撃が75%である」と分析していますから、一般的及び充分な錬度での艦爆(急降下爆撃)の命中度は50%ほどと考えるのがいいかと思います。

特攻での命中率ですが、米軍の資料で56%と言う資料がでましたが、これは書類上で正確には命中効果率であり、命中率とは違います。米軍が視認した機数を分母に至近命中まで含んだものです。
下記データの中から
http://www.geocities.jp/torikai007/1945/kamikaze-statistic.html
日本海軍の特攻機(1944年10月から沖縄戦まで)
出撃数 2,314
帰還数 1,086
損失 1,228
の帰還数は戦闘に参加しなかった数なので、損失(未帰還)1228の中で
損害を与えた322を計算すると26%となります。
日本側の特攻初期の推定26~28%と重なりますね。

また安延多計夫大佐の調査での比島作戦~硫黄島作戦の数字、奏功率(奏功率とは命中機数と至近弾機数の合計)27.1%とも重なります。
命中率では19.5%です。
しかし米軍の特攻対策により、大戦末期の沖縄戦では特攻の命中率も極端に下がり、奏功率13.4%、命中率6.8%となっています。6.8%…もうボロボロですね。
http://d.hatena.ne.jp/fuldagap/20070220

ちなみに水平爆撃と急降下爆撃を混同されがちですが、攻撃目標に対してのベクトルをあわせて急降下し500メートルの高度から爆弾を投下すると3秒後には目標に激突しますので、ある程度の錬度の航空隊ならば急降下爆撃の命中度は非常に高いです。

また特攻を始めた時の急降下爆撃のほうが命中率は数%だったようですから、そうなれば特攻のほうが命中率は高いです。
つまりその当時では、錬度の低い兵士を各地に投入せねばならなかった悲しさですね。
その上で軍内部での対立(陸軍・海軍)などもあり、戦果があがらない上層部が「ウチはこんなにまでしているという」という言い訳、責任回避にさせられた面もあります。

戦略面で言うと、特攻は敵との戦闘までいけば死亡率100%ですから、米軍側からすれば、命中しようが海に落ちようが攻撃機はすべて落ちます。つまり敵機迎撃率100%と同じです。

日本側からすれば、攻撃をするごとに確実に機体とパイロットを失い兵力が減少していくわけで、ただでさえ苦しい戦況がその後どうなるかは自明の理です。正に負ける事を前提に、負けに向かって進んで行くだけの時間稼ぎの戦略になります。そんなものに使われた若者たちはたまった物じゃありません。

もちろん「君たちだけを死なせはしない。最後には私も君たちの後を追う」と言って若者を特攻に向かわせた上層部の多くが、戦後に国会議員や政治顧問になっていたりします。
逆に特攻に批判的だった、あるいは責任を感じていた上官が後を追ったり、腹を切ったりしているのは皮肉です。

という事で単純な比較はできませんが、ある程度の錬度の航空隊なら急降下爆撃のほうが命中率が高い。しかも艦船への爆弾の激突時の速度、ダメージも上です。
特攻を始めた当時のみでみれば、体当たり攻撃のほうが命中度が上です。

>飛行機のまま体当たりするのと、途中で爆弾を落とすのとで、命中精度がだいぶ違ってくるのでしょうか?

急降下爆撃(水平爆撃ではない)の命中率で言うと、日華事変当時の艦爆隊の命中率は60~70%、錬度が頂点に達していた昭和17年のインド洋海戦のころは急降下爆撃命中率は80~90%です。
これはインド洋海戦の九九式艦上爆撃機53機(赤城17機、蒼龍18機、飛龍18機)の巡洋艦への爆弾命中率88%、九九式艦上爆撃機85機(赤城17機、蒼龍18機、飛龍18機、瑞鶴14機、翔鶴18機)から航空母艦への爆弾命中率8...続きを読む

Qなぜ真珠湾に米軍空母がいなかったのですか?

なぜ真珠湾に米軍空母がいなかったのですか?

僕は死ぬほど歴史が苦手で、ろくに勉強してこなかったことを後悔しています。

最近知ったのですが、真珠湾攻撃に参加した零戦パイロットの原田要(はらだかなめ)氏(97)は、真珠湾に米軍空母はいなかったと証言しています。

なぜ真珠湾に米軍空母がいなかったのですか?偶然にしては出来すぎではありませんか?

Aベストアンサー

太平洋には3隻しか航空母艦がいませんでした。これはドイツの海軍が大西洋で活動を激化させたのと、英国への武器援助法などのほうが重要だったので、大西洋に重点的に空母を配置したからです。

太平洋にいた空母ですが、サラトガは、サンディエゴで整備をしていました。攻撃後、あわてて真珠湾に進出しましたが1月12日に真珠湾の近くで日本の潜水艦から魚雷を撃ち込まれて大損害をだし、またもや本土のブレマートンで修理する羽目となりました。

同じ型式のレキシントンは、ミッドウェイに飛行機運んでいました。

エンタープライズは、ウェーク島に飛行機を運んでいた帰りに母港の真珠湾が襲われたので、日本艦隊を1隻で探していましたが空振りであります。6隻もいる空母機動部隊に一隻で立ち向かうのですから、温存どころか無謀に近い勇気があるものだと感心します。

航空母艦は英語でCarrier 単なるキャリアーです。文字通り飛行機運びをしていたわけですね。で、戦艦は大事に要塞地帯である真珠湾に温存されていました。

空母が温存、どころか、飛行機運びと修理していただけでです。運んでいただけですから攻撃能力もありません。

空母しか残らなかったので、空母でしか初期の戦争行動ができなかったのが真相で、珊瑚海ではレキシントンまで沈められてしまうし、ミッドウェイでは1隻が半分こわれた状態で使われています。

情勢はガダルカナルが終わるまでアメリカにとって決して楽ではありません。

陰謀とか空母を温存しておいたというウソがこの時代になっても大手をふって出てくるということこそ、歴史を学ぶ上でひっかかってはいけないホラ、都市伝説でしかないことを、見抜けるようになってください。

その証拠に、陰謀を言い立てる人は、証拠を出すことができません。ネタとしても、もう賞味期限切れでしょう。

太平洋には3隻しか航空母艦がいませんでした。これはドイツの海軍が大西洋で活動を激化させたのと、英国への武器援助法などのほうが重要だったので、大西洋に重点的に空母を配置したからです。

太平洋にいた空母ですが、サラトガは、サンディエゴで整備をしていました。攻撃後、あわてて真珠湾に進出しましたが1月12日に真珠湾の近くで日本の潜水艦から魚雷を撃ち込まれて大損害をだし、またもや本土のブレマートンで修理する羽目となりました。

同じ型式のレキシントンは、ミッドウェイに飛行機運んでいました...続きを読む


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