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この度の大震災で、被災された方々が、必ず復興させてみせる!と意気込んでおられることについて、皆様の意見を伺いたいと思いました。
阪神淡路大震災などと違い、地震よりも津波の被害が大きく、ほとんどの施設や道路が跡形なく流されていて、阪神淡路と同じような雰囲気で復興させるというのは、とても大変なことだし、国民の負担も想像以上のものになると、私は思います。
また、子供達は、余震の度にまた津波が来るのではないかと、恐怖に怯えて、泣き出す子もいるそうです。大人が住み慣れた街で、もう一度頑張りたいというお気持ちは、わかりますが、大人は後少ししか人生ないけど、子供さん達の人生はこれからずっと長いし、彼らの子孫がまた三陸津波の被害にあう可能性が高いのにも関わらず、その場所で復興したいという気持ちが理解できません。
あんなに瓦礫だらけの場所を片付けて、一からインフラ整備してたら、お金はたくさんいるし、そうなると西日本の公共事業がますます下火になり、日本全体が不景気で疲弊してしまう畏れも考えてしまいます。

夫の故郷は、夫が子供時代は、一学年に5クラスずつあったのに、今では学校全体で10人いません。校舎も余ってますし、海も土地もあるし、道路もきれいです。そんな過疎地は、日本にはたくさんあると思うので、被災した街ごと、他県の過疎地に移り住んだ方が、お金も少なくてすむし、子供達が先ず、安心して眠れると思うし、どうせ国民が負担を強いられるなら、お金は被災された子供達の未来のために、教育などにたくさん使ってほしいと、私は考えます。また、道路を作り直すお金を被災者個人に直接支援することもできます。やはり、先立つものはたくさんあるに越したことないですから。
確かに慣れない土地で暮らすのは、排他的な田舎だと人間関係は難しいこともあるし、仕事も見つけるのも大変だろうけど、未曾有の大災害ですから、子供や子孫のために不便は、我慢できないものでしょうか。

西日本の方が気候も暖かいから暮らしやすいと思います。わざわざ雪が積もるとこに、また住まなくてもと思います。この際、こだわりを捨てられないのでしょうか。世の中には、転勤や結婚で、住みたくもない地域に我慢して順応して生きてる人はたくさんいます。
私の考えは、冷たいですか。
それとも、皆様そう考えてるのに、大手ゼネコンの儲けのために、同じ街で復興したい!という被災者のインタビューだけを抜粋して報道してるのでしょうか。

A 回答 (12件中11~12件)

私は、10代のころから色々と転居をしてきたので、何が何でも地元に留まる。

という意志は全くないです。
正直、地元も過疎化してますが、そこを活気づかせようとは思いません。

ですが、東北の方は地元への愛着も深いのもあるでしょうが、今回は友人、家族、家、仕事、と失ったものが大きすぎるのだと思います。
ですから、まだその他の考えまで回らないのでしょう。
色んなものが眠る、ここを復興する。というのが、心の支えになっているのもあるでしょう。

もう少し落ち着けば、他の考えも出てくるかと思います。
また、他の支援の仕方も出てくるでしょう。

住めば都。という言葉は、今でも生きています。
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この回答へのお礼

確かに私の問題提起は、家族を亡くし、生き残った方々が今、充分でない支援物資の中で、必死に生きておられる時にするタイミングでは、なかったかもしれませんね。思いやりにかけりというか、浅はかでした。ニュースの映像では、私には絶望的にしか見えませんでしたが、現地の方々にとっては、復興への希望が今の心の支えになっているのかもしれませんね。でも、この先、落ち着いて現実問題にぶつかった時は、選択肢の一つとして、日本中に何とか手助けしたいとか、一緒に街作りがしたいとか思っている国民がいることを思い出してもらえたらと思います。
物資の仕送りも迷惑になる場合もあったり、遠すぎて、何をどう支援すればわからないので、被災者が近くにいれば、もっと国民はこの問題を身近に感じて、真剣に考えていくとも思います。
冷静沈着なご教示、ありがとうございました。

お礼日時:2011/04/10 17:57

>その場所で復興したいという気持ちが理解できません。



これは、インタビューなどでそう答えている方がいた時に
私も同じように感じました。怖くないのか?sと。

誰しも故郷というものはかけがえのないもので、
その場所が大切という想いもあれば、そこに住む、
親戚、家族、友人、職場、仲間など様々なものに対する
思い入れがあるのだと思いますが、こんな震災の後だから
特にその思いが強く表れたのではないか。という気もします。

ただ、その後の報道を見ている限りでは、
・大半の人は同じ場所で復興するのに恐怖を感じる
・できれば他の場所に移りたい。というものでした。


>我慢できないものでしょうか。

我慢というより、まずはやはり先立つものが必要なのです。
復興にとって一番必要なのは実は仕事だと思います。

西日本に行けば、住むところから、仕事から、将来の生活まで
全て誰かが面倒を見てくれる。それも地域の希望する人間全員で移れる。
ということであれば、そういう考え方をする人もでてくるでしょうけど、

実際は、そういうことはあり得ないと。思います。
基本的には、それぞれが自立自助でそれぞれの生きる道を
立てていかなければならないのではないかと。
そのための国の支援なり、義捐金などは一部の助けにはなっても、
すべてがおんぶに抱っことはなりえないのではないかと。

ゼネコン云々というのは見方としては穿ちすぎだと思います。

それより、現地において災害に強い街づくりを念頭に置いて、
そのグランドデザインは国が描き、それに基づいて住民が
それぞれの暮らしを確立していく方が、現実的だと思います。

もちろん、そんなものを待っていられない。
恐怖が先に立つというような人は、質問者さんの言う通り、
新しい安全な場所に移るという選択肢を選ぶこともあり得ると思います。


>私の考えは、冷たいですか。

別に冷たくはないと思います。
現実に即してどうか。という視点は
実際になってみないとわからないのではないか。
実は、そのほうがより現実的である可能性だって
ないわけではないと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
先立つもの、仕事、一番の問題ですよね。
私は、つい子供さん達の目線でいっそのこと学区ごと、過疎地に移転すれば、友人とも離れなくてすむし、津波の恐怖に怯えることもなく、また、過疎地も少子化問題が解決していいのにと考えました。
九州の武雄市は、役場ごと移転も受け入れるといって、市営住宅やホームステイ先をたくさん提供しているのに、一組しか入居がないそうで、そんなにこちらに来るのが抵抗あるのかなと思ったんです。
大半の方は同じ場所での復興を恐怖に感じられているという報道もあるわけですね。そういう方達には、西日本の人間は出来る限りの受け入れをしてあげれたら思います。

お礼日時:2011/04/10 16:25

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