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なぜ選挙にいくのでしょう?そしてメディアや知識人はなぜ「選挙に行くこと」を良い事のようにアナウンスするのでしょう?

A 回答 (14件中1~10件)

おはようございます。



国民の権利だからじゃないでしょうか。
私も今日、行きます。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。

国民の「権利」とは具体的に言うと何でしょう?国民の「義務」ならありますが、権利は聞いたことありません。

補足日時:2011/04/10 09:33
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国民の権利だから。

朝一番で投票してきましたよ。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。

国民の「権利」とは具体的に言うと何でしょう?国民の「義務」ならありますが、権利は聞いたことありません。

補足日時:2011/04/10 09:33
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日本の被選挙権は、お金で制限され、財産によって差別されてしまっているので、憲法違反の状態が続いていますから、選挙に意義を感じないのもやむを得ない、と思います。

一部の金持ちの中からしか、選択できませんからね。

このような状況ですから、選挙結果も、正しく開票されているのかどうかも怪しいです。

しかし、国政に携わる政治家には、立法権が与えられ、国家の最高権力が与えられていますから、やつらに、ムチでビシバシ叩かれ過ぎないためには、細々としたお約束ですが、金で議席を買うような極悪人の中から、少しでも悪人でない人間を、捻り出して、一票を投じる、お約束行為を行わねばならない、ということではないでしょうか。

「制限選挙」で選ばれるには、どこまで行っても、議席を金で買う、詐欺師、極悪人ばかりですが。
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この回答へのお礼

hieronさん参考になるご意見ありがとうございます。たしかにこの国では貧乏人にの被選挙権は現実的ではないですね。
たしか太平洋戦争以前の政治家も選挙で決めていましたよね。

お礼日時:2011/04/10 11:14

No.2です。



参政権とも言うけど、政治に参加する権利です。
これを放棄するなら、政治に対して不満を言ったらダメですよね。
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補足ありがとうございました。



権利って、政治に参加する権利じゃないんですか?

私は市議にも府議(京都なので)にも立候補しませんので、私の政治に参加する権利(参政権だったかな?)を「この人なら」って候補者に投票するものだと思っています。

20歳になってから、一度も棄権した事はありませんし、一番乗りして、投票箱が空であることの証明書を書いたこともあります。

この回答への補足

hiroki033さん御回答ありがとうございます。

ただ単に盲目的に選挙に行って、それでおしまい。でよいのでしょうか?
現代日本で「みんなで決めなければいけない事」は税金の配分つまり予算編成ですよね。その予算編成は国会でいろいろやっていますが、基本的な青写真は官僚が製作しています。それを大臣やらが国会で答弁しているだけじゃないですか?つまり議員は官僚のスピーカーみたいなものです。そのスピーカーに莫大な税金を投入しているのが現代の日本です。しかもそのスピーカーに権利を与える為の選挙なんか「ふざけている」としか思えませんね。

補足日時:2011/04/10 11:28
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直接



政治に対して参加できる限られた権利、並びに義務である、と言えるのでは

政治に参加したくても、議会で発言権がなければ、声も届きません。

よって、自身が指示する人物や政党に対して票を入れる、と言う行為では・・・

投票権を棄権していながら、国政にしろ自治体にしろ「こんな制度など納得できない」は通らない道理です。

海外では、義務化されている所も多く、大学を卒業できない、就職ができない等々、社会人として認めてもらえない事もあるようです。

この回答への補足

tec21865さん御回答ありがとうございます。

権利と義務は相反する関係だと思います。言葉の意味を確認して下さい。
投票権を棄権しなくても、政治は何も聞いてくれません。
北朝鮮では投票率が99%らしいです。それを目指しますか?

補足日時:2011/04/10 13:23
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なぜ選挙にいくのか?という本質的な問に対して、お応えしたいなぁと思います。



昔は、個人には自由がありませんでした。

個人一人ひとりは、自ら夢や理想を描く事はそこまで赦されるものではありませんでした。昔々の話です。まだ、社会のプレートが農業社会の頃、そして、社会の中心が王様であった頃の時代です。

個人には、引越しの自由もなく、結婚の自由もありません。

引越しも、結婚も、王様にお伺いを立てて、王様の意に叶う引越し、結婚だけが赦されました。それが、王様の権力であり、王様が得た権利です。

勿論、それが当たり前の社会ですので、その時代では、それが正義と言いますか、正しい事でした。実際、王様の判断基準にどこまで合わせる事ができるかが、その国の力を示すバロメータですし、それが出来なければ他の国が攻めてきて、愛する人も親しい人も、奴隷にさせられてしまうから、それは大変な事です。

ですから、国が強くある為にも王様の判断基準にピッタリ合わせる事がとても大事でした。

ところが、ある時そこに変化が起きます。

天動説から地動説へと意識の変化が起きる事をキッカケに、社会プレートが全体的にゴソッと入れ替わる様になっていきました。それまでは、神・聖書・教会・牧師の理解方式・認識方式に沿う事が正しい事だったのですが、天動説から地動説へと成り代わると、宇宙自然の仕組みを理解する為に、何も神・聖書・教会・牧師を通さなくても良い様になっていきます。

やがて、ニュートン・デカルトがx軸y軸z軸の直交座標や方程式などを開発する事を通して、個人一人ひとりが自ら宇宙自然の仕組みを理解出来る土台が広まりました。これをキッカケに、神中心から人間中心へと全てが移行していきます。

俗に言う西洋のルネッサンスですね。

その流れの中で、フランス市民革命、イギリス産業革命などが起こり、個人主義は益々加速する様になります。王様は、当時の市民たち(多くは商人)によってその地位を追われ、その時の宣言がフランス人権宣言です。

そこには、国の荒廃は、人の権利に対する無知・忘却・軽視によって起きたものだから、自然に人が有する権利に対して守っていこう・・・という様な事が書かれてあります。後世の人が、忘れる事がない様に・・・と血と汗と涙を流しながら記したものです。

フランス市民革命が起きる前には、如何に王様によって市民が苛められて来たかが見て取れる様な文章です。

ですから国を運営する際にも、そのリーダーを選出する権利が個人一人ひとりにあるべきだとするのがフランス市民革命、フランス人権宣言によって生まれてきました。

日本を始めとして多くの東洋の政治は、西洋のルネッサンスをただ輸入して真似たものですので、西洋の国づくりを参考にしている事が多いです。

選挙に行く理由が見えてきますでしょうか?

歴史的な背景や、当時の市民たちの願いを借りるならば、もう二度と個人一人ひとりが有する権利に基づく自由選択意思に対して、無知・忘却・軽視にならない様にしたいとの切なる願いが込められていて、だからそんな社会を創る為の在るべきリーダー像は、一人ひとりの権利を行使する事によって選出しようとするのが選挙ですね。

いわば、どんな社会を創りたいのか、どんな生き方をしたいのか、について表現するのが権利の行使であり、一つには選挙というやり方があります。

如何でございましょうか?

この回答への補足

zakky74さん御回答ありがとうございます。
いろいろと教えて戴きましたが、御説明にある歴史的に民主主義が必要になったという意味は理解できます。しかしこの国には民主主義の前提になる「個人」が存在しません「個人」とはキリスト教が元になっている、一つの人間の生き方だと思います。「個人」が存在しない以上民主主義もありえません。ましてや選挙なんか「おふざけ」も良いとこで、自粛するべきです。日本人は近代化で西洋の習慣(選挙、クリスマスなど)や物を取り入れましたが、結局「個人」という考え方は習得出来ませんでした。だから、買い溜めをしたり、情報を隠蔽したりして自分の手に届く人にしか感心を寄せません。
つまり西洋人より「サル」に近い存在でしょう。自分の所属している群れにしか感心を寄せないんだから。

補足日時:2011/04/10 14:04
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#6です。



いやいや

見識の相違だと思われます。

権利を主張する前に義務を遂行するのが、一般的な社会の構図です。
対価を得るには、その金額に見合った労働が必要です。
共産主義国家であればすべからく平等と唱えていますが、現実は特権階級が利益を搾取し、平民にはチャンスすら認められていない。

民主国家にしても、それすら(義務の履行)しない者には、どんなに大声で権利だと呼びかけても誰も耳を貸し相手にもしてくれません。

また、政治体制の異なる(極端に違いすぎます)国と同意に解釈し議論を展開するのも選挙を棄権をすることで意思を表すよりも無意味であり無駄です。

この回答への補足

tec21865さんたびたびの御回答ありがとうございます。
権利と義務は同意できますが、選挙はやはり権利でも義務でもありません。他の方の補足にも書かせて戴きましたが「おふざけ」以外なにもでもないように思います。選挙という義務を履行してもなんの権利もありませんし、また逆も同じです。つまり「どうでも良いおふざけ」をやっているにすぎません。
北朝鮮は民主主義国家ですよ「朝鮮民主主義共和国」しくみは異なりますが、形式は合っています日本とおなじようにね

補足日時:2011/04/10 15:50
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なぜ選挙にいくのでしょう?_


 一文の得にもならないのに態々出向くはずはない。何かしらの何か餌のようなものがあるのではないでしょうか・・・

「選挙に行くこと」を良い事のようにアナウンスするのでしょう?_
メディア _サクラの情報も選挙の情報もその他の情報もすべて同じ番組枠のトピックとして価値は同じ扱いなのではないでしょうか?

知識人 _何かしらのバロメーターとするはよく訊くところではないでしょうか?

 いずれにしろ見通しが悪いのは、春に種を播いて秋に収穫する農作物と一緒、実ははやく収穫するに越したことはない、とはいえないでしょうか...
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1、何故選挙に行くのか


考えてみればおかしな話です。
候補者の事なんか何も知らないのに、それでも
選べ、と言うのですから疑問は尤もです。
それでも選挙に行くのは、何か良いことをしている
ような錯覚を持たされているからでしょう。
つまり、民主制というものを深く考えないで
良いものだ、と信じているからではないでしょうか。
もはや宗教です。

2,メデアや知識人が良いことのように言うのは
彼らが民主制を良いことだ、と信じている
からでしょう。
知識も素養も情報も持っていない選挙民の意思を反映する
政治がよいことだ、と疑っていないのです。

3,あえて選挙の意義を求めるとすると、それは
選挙に行かないと、政治家が国民に不利な政策を
安易に採用するようになる、ということでしょうか。
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