幕領四百万石とされていますが、どこで、そんなに多くの収量があったのか、調べてみたのですが、よく分かりません。
幕府直轄地は、次のURLでは、ほんの少しです。

NAO pieces (NHKビデオ教材 大名配置図―中学)
http://www.naoweb.jp/project/recommended/pieces_ …
ちょっと見にくいのですが、紫色の部分が幕府直轄地です。

手元にある『日本史図表』(第一学習社)を見ますと、「1664年の大名配置図」として上記URLと同じ図があります。

ところが、次のURLに出ている図では、同じ1664年の大名配置図ですが、幕府直轄地として旗本・御家人の領地を含んだ図になっており、この場合は700万石だと思うのですが…。

大名の種類と配置(東京書籍)
http://earlgreyimperial.bufsiz.jp/edo_q/edo_q02_ …

教えていただきたいのは、幕領四百万石とはどこの地域での収量でしょうか。
よろしくお願いします。

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A 回答 (2件)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E4%BB%A3% …


府藩県別身分人員表
これの 府県 というのが旧幕領(天領+旗本領)となります。

県 7,811,887
府  323,514
静岡藩700,000
だいたい 880万石程度
幕末の佐幕藩からの没収したぶんもあるので若干これから下がるかなという感じ。

どのへんでどのくらいの取れ高は それぞれの県をみてください
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この回答へのお礼

これは素晴らしい!
よく解る資料です。
こんな資料があるのですね。
助かりました。
ありがとうございます。感謝!。

お礼日時:2011/04/18 21:32

さっきの資料、始めて見つけたんだが



薩長土肥が、実高がすごいのがわかるなぁ、関係ない話だが。
経済力+経済を成長させた人材
やっぱ これが幕末の勝敗を決したんだろうな
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Aベストアンサー

徳川家は八百万石なのに、どうして江戸の面積は狭いのでしょうか。

日本全国の総石高が3000万石といわれている中、幕府直轄領の石高が400万石(13%)~450万石(15%)、旗本領が約400万石、合わせて800万石(27%)を上回り、全国の30%近くを占めます。面積について乱暴な言い方をすれば、同じ様な比率で直轄領及び旗本領を持っていたものと考えられます。ですから、全国の1/4近くの支配地を持っていたことになります(直轄領だけでいえば1/7程度)。
直轄領は、江戸時代には御料、御領、御料所などと呼ばれ、明治以降は天領と呼ばれますが、天領と呼ぶのが一般的です。全国に散在し、直轄地がなかったのは蝦夷地くらいのものでした。ただ、蝦夷地も、寛政11年1799に東蝦夷地を直轄領とし、文化4年1807には西蝦夷地も直轄領にします。この処置は、文政4年1821に東西共に松前氏に返却しています。
大きな直轄領としては、九州の日田地方、石見東部、愛媛東部、備中西部、播磨西部、但馬西部、大坂・堺・京都周辺、近江南部、大和南部、飛騨一国、中期以降の甲斐一国、三河・遠江・駿河・伊豆の過半、武蔵・安房・下総・上総の過半、常陸南部、会津西部、山形北部、秋田南部など全国に及んでいます。
一般に10万石以上の地域を支配する場合は郡代を、それ以下は代官を派遣して支配をしています。また、一部では譜代大名などに預けている場合もあります。
この他に全国の主要都市を、江戸・京都・大坂以外に、伊勢神宮門前町の山田、貿易港長崎、金山の佐渡、旧貿易港堺、他に奈良、伏見を直轄地として、遠国奉行を派遣しています(幕末には神奈川、下田、兵庫、新潟、函館などの開港地も直轄領化し、奉行を派遣)。
佐渡、伊豆、生野、大森などの主要鉱山も直轄地ですから、全国展開していました。

以上、参考までに。

徳川家は八百万石なのに、どうして江戸の面積は狭いのでしょうか。

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