小5の子供から質問されました。
「どうして山椒魚と蛙はお互い罵り合い、悪口を言っていたのに、次の年は両者とも黙っていたのか?」
駄目な母です・・・。山椒魚の気持ちも、蛙の気持ちも、全然分かりません(T.T)
心の中で「死んだフリじゃね?」なんて思いましたが、絶対ちがうな~っと思ったので答えませんでした。
どなたか教えて下さい。宜敷くお願いします。

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A 回答 (4件)

 誠に失礼かとは存じますが、国語の設問には「正解」という存在はありません。

正解のある問題が国語にあるとすれば、それは漢字書き取りであり、「文脈」をどう読み取るかとの点で「傍線部に関して著者が違う表現をしている部分がある。その言葉を書け」という出題はなされます。
 井伏鱒二の『山椒魚』に関して言えば、終わりが2種類あって恐らくは改訂版のテクストだろうと思われます。これは私の理解ですが、前日まで罵りあっていた両者が翌日には沈黙を続けていた、という意味は互いに存在を認め合っていたことが次の段階で言葉を交わすことでの認め合いから「言葉はなくとも認め合っている」ことへの深化、じゃないのかということです。
 文学作品は読者によっても理解の仕方は異なります。夏目漱石が好きな人でも『夢十夜』が好きな人もいれば『心』が好きな人もいます。或いは漱石よりも太宰が好きだという人もいます。どれが「一番イイか」などと決めることは不可能で無意味な問い掛けということはこれだけでもお分かりいただけるでしょう。この意味でこんな設問をする公文はロクな教室ではないことだけは確かです。
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「井伏さんの話によると、この作品はチェホフの「賭」を読んで書いたという。

チェホフは一人の男が絶望から悟りに入るまでを書いている。しかし、「山椒魚」は諦めるところで打切ったという。」(小沼丹「井伏鱒二 作家と作品」)

「井伏文学は悲しみの文学です。山椒魚は悲しんだ。井伏はその処女作から悲しみの文学を書いたのです」(河上徹太郎氏談)

最後のセリフの「今でもべつに…」は、あくまでも「今でも」すなわち最初からであり、であればあれだけ罵り合った経緯からして、続く「べつにお前のことを…」の内容自体、もちろん本心ではあるわけがないという流れを無視され、勝手に友愛やストックホルム症候群扱いされるようなら、確かにカットした方が「あきらめと悲しみ」の意図ががはっきりするということでしょうか。
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これ公文の問題なんですか。

すごいですね。

Netで検索しても、これが「正解」というのはみつかりませんでした。
棲家にしている岩屋から出られなくなってしまった山椒魚が、紛れ込んできた蛙を外に出さないように閉じ込めてしまって口論をしていた。
1年?経つと口論もしなくなった。

ここまでは、「自己のエゴを押し出してばかりいる自分に嫌気がさした」という解釈でしょう。

井伏鱒二はその後、体力もなくなった蛙が「君のことをうらんでいない」といった結末を、「友情の発生」と誤解されるのを嫌って削除したということです。
ですから、学校でどう教えるのかわかりませんが、非常に微妙な問題です。
すいすいとは答えられなくて普通です。



余談ですが、せっかくこの方法があるのですから、お子さんの疑問などをどんどん質問されてはどうですか。
子供の宿題とか、子供の問題集とかのカテゴリーがあればいいのですけど。
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井伏鱒二は「山椒魚」の結末を晩年、喧嘩したままに変えました。


以下の考えは最初に発表された結末がお互いに許し合う方のものに対してのものです。
山椒魚と蛙はもう外に出られないんじゃないか、という自分たちの運命に気がつき始めたから黙っていたのではないでしょうか。
でも認めたくはないから、お互いに何も言わず黙っている。
そしてそれを認めたとき、運命にあらがえない者同士としてお互いを許し合う境地に至る、というのが改訂される前の「山椒魚」だったと思います。
改訂後のものを読まれていたら、すみません。

この回答への補足

申し訳ありません。
改定後のプツンと終るバージョンの「山椒魚」の方なんです。
2人で黙りこくって終るやつです。
削除された最後の所、まったく予備知識が無い状態での、各々の心情を推察するのです。
こんな事って、すごい難しいとおもいませんか?

公文の問題なのですが、もう、お手上げです。

補足日時:2011/04/19 15:10
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Q山椒魚と蛙

山椒魚は岩屋から出られなくなり、泳ぎ回っている蛙が羨ましくなって岩屋に閉じ込めてしまします。岩屋の中で山椒魚と蛙は喧嘩していますが、2年の月日が経ち、蛙の具合が悪くなり、最後に蛙は「今でもべつにお前のことをおこってはいないんだ」と言っています。これって山椒魚が可哀想だと思って怒ってないといったのでしょうか。それとも、友達になったのでしょうか。

Aベストアンサー

補足について。

文学作品にひとつの明快な答を期待するのは無理でしょう。
カエルが『今でも・・・』と言っているのは二年前も怒ってはいなかったという意味でしょうが、カエル自身が本当にそう思っているなら、この物語はなりたたないでしょう。対立や苦悩がなければ単なる童話になってしまうと思います。あの時も『今でも怒ってはいない・・』という妥協のシグナルを送ることによって、実りのない二年間の対立関係に終止符を打とうとしたと理解するのは無理がありますかね。

Q井伏鱒二の「山椒魚」について

井伏鱒二の「山椒魚」について
『井伏鱒二自選全集』に収録する際に、最後の部分を割愛して改稿したのはなぜなのでしょうか?
教えてくださいっ!(つд`)

Aベストアンサー

 井伏自身が何を考えていたかは不明なので、推測するしかありません。

 有力視されていて、まあ、実際それが真相だろうと思われる説は、友情物語として読まれるのが嫌だったから、という理由です。そう読まれるくらいなら、その原因となる部分を削除してやれ、と。

 そもそもこの作品は、意地の張り合いの末に共倒れするという、人間の愚かさを風刺した寓話です。要するに山椒魚と蛙は人間のダメな部分を象徴しているのです。にも関わらず、彼らを肯定的に捉える人が多かったのです。最後に友情が芽生えて良かった、とか。
 確かに変な友情が芽生えたかもしれませんが、彼らは罵り合い、足を引っ張り合った結果、死んでしまうのです。「良かった」などと言える結末ではありません。
 小さな美点のみを取り上げて、大きな問題から目を逸らし、「いい話」として読んでしまう読者達に、井伏は耐えられなくなったのでしょう。だから、自分の作品から徹底的に美点を摘み取って、現実を直視させてやろうとした、というわけです。

Q現代文の山椒魚について教えてほしいです! 「諸君」を使っている意図を教えて下さい! 分かる方いまし

現代文の山椒魚について教えてほしいです!

「諸君」を使っている意図を教えて下さい!
分かる方いましたらおねがいします。

Aベストアンサー

「山椒魚 」は、山椒魚から見た人間社会を描いています。

つまり、実は「山椒魚であるかどうか」の必然性はありません。
「山椒魚」という語り部(ストーリーテラー)が1人称で書かれているため、山椒魚の立場(目線)で「諸君」と書かれているのは、わかりやすく説明すると、「山椒魚」という「あくまでも客観的に人間社会を俯瞰(ふかん)出来る存在として、総じて人間社会を「諸君」と呼んでいます。
山椒魚を、山椒魚では無く、身近な昆虫に例えても、この作品は成立します。
ただ、山椒魚は目が見えない爬虫類なので、その点、他の昆虫などとは違う、という点に心がけて読むと、何故、他の生物では無く山椒魚なのかが理解出来るでしょう。
後は、質問者様の国語力にかかっています。応援しています。頑張って解読してください。

Q井伏鱒二の「山椒魚」の削除された部分

井伏鱒二の「山椒魚」には、削除された部分があると聞き、昭和66年に改稿されて、「ところが山椒魚~いないんだ」の部分だということは、わかったのですが、なぜ井伏鱒二はこの部分を削除したのでしょうか?

Aベストアンサー

以下のURLを参考にしてみてください。

  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%A4%92%E9%AD%9A_(%E5%B0%8F%E8%AA%AC)

  http://homepage1.nifty.com/hamatidori/yodann.2.htm

Q宮澤賢治「永訣の朝」の解釈

宮澤賢治「永訣の朝」の下記部分の解釈を教えてください。

1.「あめゆじゅとてちてけんじゃ」
 あめゆじゅとは霙(みぞれ)のことですか?本当にそんな方言があるのでしょうか。
2.「これらふたつのかけた陶椀に」
 なぜふたつなのか?一つは賢治のぶんでしょうか。とし子が2椀欲しがったのか。
 お金持ちなのに、欠けた陶椀を使い続けてきたのはなぜか。
3.「ふたきれのみかげせきざいに」
 御影石材でしょうか?どうして「ふたきれ」なのか?
 ふたつの陶椀、雪と水とのまっしろな二相系など、意図的に「二」を使っているのか?
4.「わたくしはそのうへにあぶなくたち」
 御影石材が踏み石や飛び石のことならば、あぶなくはないので、これは別のものと考えるべきなのか。
 水のたまるような形状をした庭石のことでしょうか?
4.「松のえだから/わたくしのやさしいいもうとの/さいごのたべものをもらっていかう」
 これは霙じゃなく雪ですよね。松の枝に霙はたまりませんから。
 みぞれがたまっているのは「みかげせきざい」の上。
 みぞれは、「雪がとけかけて雨まじりに降るもの。」広辞苑
 半分溶けた雪のことを「あめゆじゅ」というのか?
 それとも、とし子はみぞれを所望したが、賢治は気を利かせて雪をとってきたのか。
 あるいは、雪ではなく、松の枝から滴り落ちる水を陶椀で受けたのか?
 「たべもの」「アイスクリーム」という表現があるので雪と思いますが。
5.「(Ora Orade Shitori egumo)」
 「おら、おらで、一人、逝くも」と解釈しますが、どうしてローマ字表記なのか?
 「おらおらでしとりえぐも」では通じないと考えたのか、現代的感覚を読者に訴えたかったのか。


けふのうちに
とほくへいってしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
うすあかくいっさう陰惨な雲から
みぞれはびちょびちょふってくる
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
青い蓴菜のもやうのついた
これらふたつのかけた陶椀に
おまへがたべるあめゆきをとらうとして
わたくしはまがったてっぽうだまのやうに
このくらいみぞれのなかに飛びだした
   (あめゆじゅとてちてけんじゃ)
蒼鉛いろの暗い雲から
みぞれはびちょびちょ沈んでくる
ああとし子
死ぬといふいまごろになって
わたくしをいっしゃうあかるくするために
こんなさっぱりした雪のひとわんを
おまへはわたくしにたのんだのだ
ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
わたくしもまっすぐにすすんでいくから
   (あめゆじゅとてちてけんじゃ)
はげしいはげしい熱やあえぎのあひだから
おまへはわたくしにたのんだのだ
 銀河や太陽、気圏などとよばれたせかいの
そらからおちた雪のさいごのひとわんを……
…ふたきれのみかげせきざいに
みぞれはさびしくたまってゐる
わたくしはそのうへにあぶなくたち
雪と水とのまっしろな二相系をたもち
すきとほるつめたい雫にみちた
このつややかな松のえだから
わたくしのやさしいいもうとの
さいごのたべものをもらっていかう
わたしたちがいっしょにそだってきたあひだ
みなれたちゃわんのこの藍のもやうにも
もうけふおまへはわかれてしまふ
(Ora Orade Shitori egumo)
ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ
あああのとざされた病室の
くらいびゃうぶやかやのなかに
やさしくあをじろく燃えてゐる
わたくしのけなげないもうとよ
この雪はどこをえらばうにも
あんまりどこもまっしろなのだ
あんなおそろしいみだれたそらから
このうつくしい雪がきたのだ
   (うまれでくるたて
    こんどはこたにわりやのごとばかりで
    くるしまなあよにうまれてくる)
おまへがたべるこのふたわんのゆきに
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが天上のアイスクリームになって
おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに
わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ

宮澤賢治「永訣の朝」の下記部分の解釈を教えてください。

1.「あめゆじゅとてちてけんじゃ」
 あめゆじゅとは霙(みぞれ)のことですか?本当にそんな方言があるのでしょうか。
2.「これらふたつのかけた陶椀に」
 なぜふたつなのか?一つは賢治のぶんでしょうか。とし子が2椀欲しがったのか。
 お金持ちなのに、欠けた陶椀を使い続けてきたのはなぜか。
3.「ふたきれのみかげせきざいに」
 御影石材でしょうか?どうして「ふたきれ」なのか?
 ふたつの陶椀、雪と水とのまっしろな二相系など、意図的に「二...続きを読む

Aベストアンサー

1.「あめゆじゅとてちてけんじゃ」
 私はネイティブではないですが、岩手県花巻の方言で、「雨雪取ってきて欲しいな」、といった
 ちょっと甘えた言い方らしいですね。
 
2.「これらふたつのかけた陶椀に」
 死去のとき、「妹」は24歳。 病床で彼女と賢治は昔の思い出話などしていたのでしょう。
 「欠けた陶椀」は二人が子どもの頃、あるいはママゴト遊びの中で使用したものと推測。
 1のセリフも、もしかしたらその思い出話の中に出た言葉だったのかもしれないですね。
 その昔の事を再現してくれという願いにも読み取れます。

3.「ふたきれのみかげせきざいに」
 「2」が繰り返されるのは私と妹の「二人」を暗喩する数字でしょう。
 「2」から「1」になるという事を際立たせています。

4.「わたくしはそのうへにあぶなくたち」
 濡れた御影石の表面は滑りやすいので、アブナク、です。

4.「松のえだから/わたくしのやさしいいもうとの/さいごのたべものをもらっていかう」
 「あめゆじゅ」は雨と雪。賢治が採ったのは松の枝に積もったみぞれ交じりの雪。

5.「(Ora Orade Shitori egumo)」
 草稿では平仮名だったそうですね。
 妹の今際の言葉として、文字の意味ではなく「音として記録」した、という解釈ができるでしょう。


~~~
言葉の美しさを愛した詩人で、「永久の未完成これ完成である」なんて言葉が残されてますが、完成した作品に何度も手を入れていたような方です。改稿も本人にとっては「そうしたほうが好ましい文章になった」というだけのことで、作品は彼のフィーリングがその一時結晶化した結果に過ぎない。作品を売って金にしたわけでもなし、彼の念を文書に表せればそれで十分、「解釈」なぞは後の人が勝手にすればいいというのが彼のスタンスではなかったでしょうか。

彼の作品は各人が思い思いに韻を楽しみ、言葉に酔えばいいのでしょう。

参考URL:http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/13616/1/16_p175-191.pdf

1.「あめゆじゅとてちてけんじゃ」
 私はネイティブではないですが、岩手県花巻の方言で、「雨雪取ってきて欲しいな」、といった
 ちょっと甘えた言い方らしいですね。
 
2.「これらふたつのかけた陶椀に」
 死去のとき、「妹」は24歳。 病床で彼女と賢治は昔の思い出話などしていたのでしょう。
 「欠けた陶椀」は二人が子どもの頃、あるいはママゴト遊びの中で使用したものと推測。
 1のセリフも、もしかしたらその思い出話の中に出た言葉だったのかもしれないですね。
 その昔の事を再現してくれという...続きを読む

Qたらしめるの意味を教えて下さい!

国語の教科書で見たんですけど、「たらしめる」ってどういう意味ですか?教えて下さい。

Aベストアンサー

「たる」(たり)+「しめる」で「たらしめる」です。

「~たる」は、「~である」の意味。
「~しめる」は、「~させる」の意味。

つまり、
「たる」+「しめる」で
「そのようなこと(存在)にさせる」という意味になります。

たとえば、

「わが社を世界のトップたらしめる。」
 =(わが社を世界のトップ企業にする)

というような使い方があります。

Q人間は考える葦である とは?

ふと頭をよぎったのですが、、
「人間は考える葦である」とはどういう意味なのでしょう? また誰の言葉なのでしょう? 簡単な質問ですみません。 よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去しました。
  
  残された膨大なメモを元に、パスカルが計画していた著作に似たものを編集することも考えられたのですが、とても、それは無理なので、断片集として、計画のまとまりや、内容の関連性などから、おおまかに断片メモを整理してまとめて、一冊の本に編集したのが、『パンセー』です。当然、パスカルの死後出版されましたし、内容は、緩やかなつながりで、長短の断片文章が並んでいる構成です。従って、本のなかの文章はパスカルのものですが、本は、パスカルの「著作」とはちょっと云えないでしょう。ほとんどできあがっていて、足りない部分などを、他の文章で補ったりして、計画通りかそれに近い本を作ったのならともかく、当初の計画とは違う、「箴言集」か「随想集」のような本になってしまっていますから。
  
  それはとまれ、「葦」が弱いものの代表として人間の比喩に取り上げられているのは事実ですが、何故「葦」だったのか、という疑問が起こります。例えば、「人間は考える蟻である」とか、「人間は考える蝶である」とか、また「人間は考えるクローヴァーである」とか、幾らでも考えられます。
  
  これは、誰かの説明であったのか、わたしが勝手に考えたのか記憶がはっきりしないのですが(おそらく誰かの説明です)、人間が「葦」であるということの比喩は、ナイルの河畔に生える葦は、強い風が吹くと、弱いために、すぐしなって曲がってします。風に抵抗できない。いや抵抗せずに、しなって敗北するのである。しかし、その他方で、偉大な樫の樹などは、風が吹くと、しなることはせず、抵抗するので風に勝利するが、しかし、繰り返し風が襲って来た時、何時か強い風に倒され、根元から折れてしまうのです。しかし、賢明に自らの分を知る「葦」は、風が吹くとそれに身をまかせてしなり、逆境のなかで、一見屈服したように見えるが、しかし、風がやむと、徐々に身を起こして行き、再びもとのなにごともない姿に戻って微風に揺れているということが、人間への「比喩」の意味だったはずです。
  
  少しの風が吹くとしなり、風の前屈して曲がるが、風が去ると、また元のように立ち上がる。人間とはこのように、自然や運命の暴威に対し無力であるが、それに従順に従い、そして暴威をくぐり抜けて、また元のように、みずからの姿で立ち上がる。自然界のなかでたいへん弱く、簡単に風にしなるが、柔軟性があり、運命にも暴威にも屈しない。そして何よりも、「考えることができる」すなわち「精神を持つ」ことで、ただ、自然の力、暴威として、力を無自覚に揮う風に較べて、遙かに賢明で、優れた存在である。……このような意味の比喩ではなかったかと思います。
  
  この葦の比喩は、パスカルという人がどういう人だったかを知ると、パスカル自身のことのようにも思えて来ます。パスカルは、四十に満たないで亡くなっています。彼は、少年の頃から神童と言われたのですが、病弱で、一生、病気や身体の苦痛とたたかいながら、思索し実験し、研究し、晩年は、修道院に入って信仰生活を送ることを決意して、自分自身でも、そのことについて、悩み考えつつ、世を去りました。パスカルは、自分に襲いかかる不条理な病や、身体の不調などと、「たたかう」というより、それを受けて耐え、病の苦しみのなかで思索や研究を続け、「精神」において、自然が与えた病の暴威などを、乗り越えて生涯を送った人だとも云えるのです。
  
  暖めた流動食でないと、喉を通らないというようなこともしばしばあったということは、解説書などには必ず記されているはずです。弱々しい「葦」のように、襲って来る風に身をまかせつつ、思索した精神、それがパスカルなのでしょう。パスカルは「人間とは、運命に従順であるが、しかし、精神で、運命に抵抗し、不屈の意志で、思索することで、運命や自然の暴威を乗り越える自由の存在なのだ」という意味で、この言葉を記したのではないかとも、思えるのです。
  

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去し...続きを読む

Q末期癌~死ぬまでの状況を教えてください。 

末期癌~死ぬまでの状況を教えてください。 
末期癌の母は現在ホスピスケアを受けています。
これから母の面倒を見るのは私の役目なのでこれからどうなるのか不安です。

母がすいぞう癌だと宣告されたのはおよそ1年前です。
肝臓にも転移しており既に手遅れでした。
今年の3月頃までは癌だと思えないほど元気な母でしたが
4月頃から急に階段を転げ落ちる様に容態が悪くなってしまいました。
あらゆる箇所の骨に転移し、強い痛みも出てきました。
肺へも転移し、咳がひどいです。
今ではほんの少し動いただけでも息切れがひどく、時々咳き込んで嘔吐してしまいます。
急に食欲もなくなりました。
一日、一日ごとにどんどん体力がなくなり弱くなっていきます。
母はこれからどうなっていくのでしょうか。
苦しみが増しますか? 
意識は最後まであるものですか?
自分でトイレにも行けなくなったらどうすればいいのですか?
この状態で、あとどのくらいと考えていればいいでしょうか。。。

文章がうまくまとまっていなくてすみません。
少しでも心の準備ができればと思います。
宜しくお願いします。

Aベストアンサー

「人はがんでは死なない」という言葉があります。
がんが特別な毒素を出すわけではありません。
では、なぜ、人はがんで死ぬのか?
それは、がんが増殖することで、臓器に様々な障害が起き、
その障害が引き起こす様々な症状によって、死にいたるのです。

様々な症状の一つには、疼痛もあります。
これは、モルヒネなどによりかなりコントロールできるようになってきました。

気管支のがん細胞が増殖して気管支を塞げば、窒息の危険があります。
肝臓のがんが増殖して、肝臓の機能が低下すれば、体内の様々な化学作用
が止ることになり、肝性昏睡などの様々な症状を起こします。
大きな血管にがんができて、血管が破れるということも起きます。
腎臓の機能が低下すれば……
脳の機能が低下すれば……

つまり、がんがどこにあり、その臓器は、どんな仕事をしているのか、
ということです。
何が起きても不思議ではない、ということです。

「苦しみが増しますか?」
軽くなるということはないでしょう。
出てきた苦しみを押さえるということになります。

「意識は最後まであるものですか?」
わかりません。
先に昏睡状態になる場合もありますし、最後まで、意識がはっきりしている
場合もあります。

「自分でトイレにも行けなくなったらどうすればいいのですか?」
状況によりますが、オムツということも考えてください。
尿はカテーテルを留置することになります。

残酷な言い方ですが、何らかの理由で昏睡状態になった場合、
「それを治療して、昏睡から醒めさせて、延命をする」ということを
しないという選択肢もあります。

末期症状は、医師や看護師がよく知っています。
まずは、医師や看護師と相談してください。

「人はがんでは死なない」という言葉があります。
がんが特別な毒素を出すわけではありません。
では、なぜ、人はがんで死ぬのか?
それは、がんが増殖することで、臓器に様々な障害が起き、
その障害が引き起こす様々な症状によって、死にいたるのです。

様々な症状の一つには、疼痛もあります。
これは、モルヒネなどによりかなりコントロールできるようになってきました。

気管支のがん細胞が増殖して気管支を塞げば、窒息の危険があります。
肝臓のがんが増殖して、肝臓の機能が低下すれば、体内の様々な化...続きを読む

Qイデオロギーって何ですか???

イデオロギーとはどんな意味なんですか。
広辞苑などで調べてみたのですが、意味が分かりません。
どなたか教えてください。

Aベストアンサー

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオロギ-には賛成・反対といった概念がないのです。

例えば、環境破壊は一般的に「やってはいけない事」という一定の考えに
組織されています。つまりみんなが根本的な共通の考え(やってはいけない事)として組織されているもの、これがイデオロギ-なんです。
しかし、社会的立場によってはその「やってはいけない事」を美化して
公共事業と称して環境破壊をする人達もいますけど。
ここでイデオロギ-という概念に対して色んな論説が出てくるわけです。
一応これは一つの例ですけど。

というかこれくらいしか説明の仕様がないですよ~~・・。
こういう抽象的な事はあまり難しく考えるとそれこそ分からなくなりますよ。
この説明で理解してくれると思いますけどね。

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオ...続きを読む

Q卒業検定に落ちた人!

卒業検定に落ちた人!
(ペーパー試験じゃなくて、実技の方)

どの理由で落ちたか教えてください。
あと10日程で、卒業検定です。
参考にさせてください。

Aベストアンサー

一般的なことは,皆様が書かれている通りです
自分は一発合格でしたが
私の卒業した学校であった,変わったエピソードがあります
参考まで

交差点手前でで一台のトラックが止まっていたのですが
検定車5台の内,先頭の運転手が信号待ちと判断
トラックの後ろに停止,残り4台も同様に停止しました
ところが,トラックは信号待ちではなく
交差点近くの電話ボックスで電話する為に停車していただけだった
検定者は誰も気付かず教官に指摘された
ところが,車間距離が近すぎて,免許所持者なら切り返しで
抜けられるところ,未熟なため列から抜け出せず
全員が100点原点で不合格になった(実話ですよ)

ポイントは状況判断ミスと走行不能による検定中断になったため
一般的なことは皆様書かれているようなことで
おそらく,質問者様もある程度予測できていることも
あると思います
上のような,予測不可能な事態に巻き込まれたとき
如何に判断して抜け出せるかだと思います

運とか,こういう場面に出くわす確立とか
ありますが,平常,冷静を保つことが大事です!!

一般的なことは,皆様が書かれている通りです
自分は一発合格でしたが
私の卒業した学校であった,変わったエピソードがあります
参考まで

交差点手前でで一台のトラックが止まっていたのですが
検定車5台の内,先頭の運転手が信号待ちと判断
トラックの後ろに停止,残り4台も同様に停止しました
ところが,トラックは信号待ちではなく
交差点近くの電話ボックスで電話する為に停車していただけだった
検定者は誰も気付かず教官に指摘された
ところが,車間距離が近すぎて,免許所持者なら切り返し...続きを読む


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