復活祭(イースター)については言葉程度に知っています。
実際にもの凄く厳粛な儀式なのでしょうか。
それともお祭り気分の方が強いのでしょうか。
歴史的な背景とか教えてくれると有り難いです!

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (2件)

1。

歴史的な背景は、下記などをご覧下さい。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A9%E6%B4%BB% …
 僕はキリスト教徒ではないので、アメリカに住んでいますが「べつに」という程度です。

2。死んだキリストが三日目に生き返った記念日なので「復活祭」と訳され、その前に断食(と言っても肉を食わないだけ)の期間があります。 「カーニバル」(謝肉祭)はその前の肉の食いだめの祭りです。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AC%9D%E8%82%89% …
 「マルディグラ」(肥った火曜日)カーニバルの最後の日
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB% …
 などで肉をたち(しかしホットクロスバンというパンが食える)「イースター」に又肉が食べられる。

3。信心深い人はやたら厳粛な儀式に行くようです。僕の友人には一年に一度この日に教会に行く、と言うのがいます。だから彼にとっては大切なのでしょう。
 かつてはこの時期の休みを「イースター休暇」と呼んでいましたが、政教分離とかで「春休み」と名前を変えたところもあります。

 食べることばかりで済みません。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

とても面白いお話が聞けました。
現地に住んでいる方のレポートは大変面白かったです。
時代によって色々と変化しているみたいですね。

お礼日時:2011/04/23 01:31

カトリックの国では、クリスマス以上の扱いである場合があります。


特にスペインやスペインの植民地であったラテンアルリカにおいては、クリスマス以上の扱いになります。
クリスマスは、プロテスタント系の国のほうが盛んです。
セマナサンタで検索してみてください。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

聖週間のことをセマナサンタというのですね。
つい最近、ドイツ在住の方から聖週間のことを聞いたばかりです。
あまり熱心な感じを受けなかったのですが、南欧だと盛んなのですね。

お礼日時:2011/04/23 01:34

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q【ハッピーイースター】 イースター♪ イースター♪ ハッピーイースター♪ ……きゃりーぱみゅぱみゅち

【ハッピーイースター】


イースター♪
イースター♪
ハッピーイースター♪

……きゃりーぱみゅぱみゅちゃんが
CMで歌っておりますが、
ハッピーイースターとは
どういう日ですか?

ちなみに私は理解が遅いので、
[Xmas=サンタさんが来る日]
ぐらい、分かりやすく書いていただくと
助かります(*´∀`)

Aベストアンサー

イースター(=キリストの復活を記念する祭典)とは「春分の日を過ぎ、最初の満月を迎えた次の日曜日」の復活祭のこと。

ディズニーランドなんかでも便乗して行われてますね (^_^;)

日本ではハロウィンみたいなモンですかね。

Q生前香典の儀式、またはそれに準ずる儀式について。

 時代劇の子連れ狼を見ていたら『生前香典の儀式』というのをやっていまして、それで気になったので質問します。

 この儀式は、昔本当にやっていた儀式なのかという事と、似たような儀式(西洋、東洋問わない)はあるのかを知りたいです。
 
 よろしくお願いします!

Aベストアンサー

『子連れ狼/生前香典の儀式』の内容自体を把握していませんので、
見当違いなら御容赦下さいm(_"_)m

「生前香典の儀式」を広い意味での「生前葬」と捉え、
あと『子連れ狼』の時代設定が明暦・万治・寛文期頃までとするなら、
当時、可能性の有り得たお話と言えるのではないでしょうか^^

キーワードは「逆修」。
逆修…生前に、自分の死後の冥福のために仏事をすること。
予修。逆善。逆修善。

「生前香典の儀式」までは定かではありませんが、
「逆修」については、下記論文などが参考になるかも知れません。

『大手前女子大学論集6/大手前大学・大手前短期大学/1972』(147-165頁)
◇「逆修信仰の史的研究/川勝政太郎」
http://ci.nii.ac.jp/naid/110000046384
『印度學佛教學研究57(2)/日本印度学仏教学会/2009-03-20』(687-691頁)
◇「中世日本禅宗の逆修とその思想背景/伊藤良久」
http://ci.nii.ac.jp/naid/110007131119

逆修を歴史的にたどると、わが国では平安時代中期以来、
貴族の仏事として華やかに行われたが、
一方大衆を対象とする法界衆生逆修のあったことも無視できない。
鎌倉時代に入って、貴族の風習にならう武士層や名主層などの富裕階級が、
盛大な仏事よりも記念物的な逆修石塔などの造立に熱を加えて行ったが、
石塔の造立は死者の追善や法界衆生の平等利益などが中心であった。

南北朝時代に至ると、逆修塔はようやく数を増すが、
室町時代になると急に様相がかわって、
小石塔、小石仏の増加が庶民の手によって行われ、
その大部分が自身の逆修のための造立という状態になってくる。
民間庶民信仰的な色彩がこくなり、十王信仰、十三仏信仰、
月待信仰などと逆修信仰がむすばれて、
すべてが逆修に塗りつぶされるような錯覚をさえ抱かされる。

しかし、江戸時代はじめからおとろえて、
寛文ごろまでの実例を私は見ているが、
その後はほとんど終息したように思われる。
従って現代の多くの人たちは、私どもの祖先の信仰の歴史の中に、
逆修というものが、長い間行われていたことを知らない。

昔の人が逆修を行うことが盛んであったことは、
寺や僧との結びつきを強いものとし、
寺や僧も人々の生活に直結したのである。
寺が墓を守るものとなって行ったのと、逆修の歴史が終るのと、
時期を同じくすることは偶然ではないようである。

「逆修信仰の史的研究/川勝政太郎」七.結語より

以上少しでもヒントになれば幸いです^^

『子連れ狼/生前香典の儀式』の内容自体を把握していませんので、
見当違いなら御容赦下さいm(_"_)m

「生前香典の儀式」を広い意味での「生前葬」と捉え、
あと『子連れ狼』の時代設定が明暦・万治・寛文期頃までとするなら、
当時、可能性の有り得たお話と言えるのではないでしょうか^^

キーワードは「逆修」。
逆修…生前に、自分の死後の冥福のために仏事をすること。
予修。逆善。逆修善。

「生前香典の儀式」までは定かではありませんが、
「逆修」については、下記論文などが参考になるかも知れません。
...続きを読む

Qイースターエッグとエッグポマンダーの違い

イースターエッグは復活祭と深いかかわりがあるとして、それをなぜ飾りをつけた卵のイースターエッグだけではなくて、ポマンダーにしたのかがわかりません。

イースターと香りになんか深いつながりがあったのでしょうか?または、昔はイースターエッグだったものが、なんらかの理由でエッグポマンダーに近年なったのでしょうか?

Aベストアンサー

イースターエッグ
http://www6.shizuokanet.ne.jp/kishimh/EGGworld/eggworld.htm

エッグポマンダーの歴史
http://park17.wakwak.com/~aam/etc-p.htm

これを見ると、「玉に匂いをつける(ポマンダー)」→「箱に入れる」→「飾りをつける」
それがやがて、イースターエッグと結びついたようですね。(ポマンダー自体は、最初は金持ちのステータスシンボルのような品だったのだと推測できます。)

歴史の古さから言って、最初はイースターエッグとして単に親しい人に贈られていたと思います。
やがてポマンダーが出てきて、ポマンダーのあり方も変わり、やがて「そうだ、においつきのイースターエッグっていいかもしれない」とエッグポマンダーになったのではないでしょうか。おそらく、エッグポマンダーが出始めた当初は、物珍しさとその価値に相当喜ばれたことは想像できます。

ちなみに、昔はお風呂なんてそうそう入れない世です、匂い物(匂い玉、匂い袋、香水など)がどれほど好まれたかを想像してみたら、納得できると思います。

イースターエッグ
http://www6.shizuokanet.ne.jp/kishimh/EGGworld/eggworld.htm

エッグポマンダーの歴史
http://park17.wakwak.com/~aam/etc-p.htm

これを見ると、「玉に匂いをつける(ポマンダー)」→「箱に入れる」→「飾りをつける」
それがやがて、イースターエッグと結びついたようですね。(ポマンダー自体は、最初は金持ちのステータスシンボルのような品だったのだと推測できます。)

歴史の古さから言って、最初はイースターエッグとして単に親しい人に贈られていたと思います。
やがてポ...続きを読む

Q中世の天皇の儀式について

 平安~鎌倉期の天皇の儀式についてお聞きしたいことが3つほどあります。

(1)崩御された天皇の大喪の期間はどれくらいあったのでしょうか。
(2)崩御された天皇への追号は誰が決めて、崩御後どれくらい経ってから贈られたのでしょうか。
(3)新天皇の即位式(大嘗祭ではありません)は践祚の後、どれくらい経ってから行われたのでしょうか。

 勉強不足でおかしな質問をしているかもしれませんが、ご返答頂ければうれしく思います。

Aベストアンサー

1)戦後の皇室典範によれば(天皇が崩じたときは大喪の礼をおこなう)としか書かれていません。
実際に(大喪の礼)についての具体的な規定はなく、
天皇の崩御があった場合にのみ、(大喪の礼委員会)で協議することになっています。天皇、太皇太后、
皇太后、の大葬儀は新天皇が皇后の場合は皇太子が
喪主をつとめるのが原則になっています。
2)崩御された天皇の追号(諡号ともいう)は明治天皇以来、その皇位いた元号をつかうのが通例、明治に
入り1世1元制度(天皇の在位中にはおなじ元号を使い
改めない)が確立してから自動的に諡号がきめられた。また天皇が崩ずると(追号奉号の儀)という儀式
を経て諡号が一定期間公示されてから決定される、それまでは(大行天皇)とよばれる。
明治以前については、いろいろなケースがありd定まっていなかった、といわれています。
3)不明です

以上天皇の本(学研)より

Qミュール

今週末出掛けるのですが、ロールアップジーンズにブーツかミュールか迷ってます(>_<)
まだミュールを履くのは早いですか?
ミュールにトレンチコートっておかしいですか?

Aベストアンサー

kemiyaさんこんにちわ!
ロールアップジーンズにミュールはまだ今の時期は少し寒いとおもいます。
そこで提案なんですが、ロールアップジーンズの中に網タイツを履くというのはどうでしょうか?ミュールにトレンチコートだったら、なおさらマッチすると思いますし、見た目もすごく可愛いい上に、あったかいですよ★
是非参考にしてください!

Q平安時代末の法要(仏教儀式)

平安時代末の法要(仏教行事)がどういう形で行われたのかということを調べたいのですが、
いつも利用する図書館の蔵書検索をかけても、あまりはかばかしい結果が出ません。
ネット上の検索も、言葉を足したりひいたりして色々やってみたのですが、これ!というものにたどりつきません。
情報にたどり着くための方法を思いつく方、あるいは検索の達人の方、お知恵を貸していただけませんか?

Aベストアンサー

まず参考文献について。
もうご覧になったのかも知れませんが芳賀登『葬儀の歴史』、これは名著ですが、しかし包括的でカバーする範囲が広いので、ご期待される内容部分についてはあまり詳細とはいい難いと思います。むしろ、天皇と平安貴族の葬送儀礼については、新谷尚紀『日本人の葬儀』(紀伊国屋書店)、勝田至『死者たちの中世』(吉川弘文館)、水藤真『中世の葬送・墓制』(吉川弘文館)、などをご覧になるほうが具体的なイメージが掴みやすいと思います。
それぞれ重点の置き方は少しずつ違っていて、例えば新谷は11世紀初頭に没した一条天皇の例を引きながら民俗学者として現代につながる習俗の視点で分析していたり、勝田は院政~鎌倉にかけての天皇・貴族の葬送の様子を葬列や葬場の詳細をあげながら概観しているなど、少しテーマが異なりますが、およそ質問者氏の期待されるものはカバーされているのではないかと思います。

葬送についてごく簡単にアウトラインを書き出すと、以下のようになると思います(上記文献に書かれていないところは注を施しました)。

まず、貴人の病床の時点では快癒を祈って真言による加持祈祷が盛んに行われたほか、天皇の場合には大赦や造仏・造塔なども行われました。

(注:大赦は既に律令時代から行われていた歴史のある行為で、当初は一種のアニミズム的感覚にもとづくものでした。つまり死刑の執行など生命を毀損することが農作物の成長を阻害し、ひいては潤滑な国家運営に悪影響をもたらすと考えられたために、鎮護国家と不殺生が結びついて、特定の時期には刑が執行されなかったり、軽減されたりしたのです。ただ、時代が下ったこの時点での大赦は、寺の建立などと同じで権力者にとっての一種の宗教的滅罪のため、と考えたほうが良いと思われます。仏教的作善によって罪穢を落とし、病苦を除こうとしたのでしょう)

死亡が確認されると加持祈祷は終了します。死亡の判断はこの僧侶によって行われるのが専らでした。陰陽師との相談のうえ、入棺の日時や山作所(やまつくりしょ、葬場兼荼毘所のこと)など葬送の詳細が決定されました。枕直しなど一定の儀礼を経て沐浴・入棺が行われます。葬送当日は地鎮が行われ、若干の読経を経て葬列は夜間に屋敷を出発します。これにあたっても塀をこわして出るなど、近年までの民俗事例に通じる、恐らく霊の帰還を怖れたためと思われる儀礼がありました。
棺は左右に高欄を設けるなどした輿や車に乗せられ、松明や香、幡などを手にした者たちと共に、山作所へ向かい、棺を垣や幕などで隠した中で読経・呪願が行われ、荼毘に付されました。火葬にせず、玉殿と呼ばれる施設を設けてここに封印する葬法もありました。宅での読経などよりも、葬場、火葬に際しての読経真言のほうが重視されたのはひとつの特徴です。

(注:日の吉凶や山作所造営の方角の是非など、諸々の占を問うのはかなり重要なことでした。またタブー意識の極度に発達した時代ですから、誰にどの程度忌がかかる(=ケガレを被る)のか、従っていつどこでどのような禊をすべきかなど、関係者にとっては切実な問題だったようです。
喪の一報を聞くと、挙哀(ミネ)などと呼ばれる一定の儀礼が関係者個々に行われることが律令時代から一般的で、内容ははっきりしませんが、服喪の開始にあたり悲しみの儀礼的な表現を行ったようです。ミネは発哭などとも書かれますから、儒教の「礼記」に説く「哭」が形を変えて取り入れられていたのでしょう。出先で遅れて崩御の知らせを聞いたときなど、いつから発喪なのか、どうミネすればよいのかなども大問題だったようですが、既に平安後期には、遺詔によってこれを行わない場合も多かったようです。
火葬以外の葬り方は、古代の殯(モガリ)という伝統的な風葬型の貴人の葬法にならったものでしょう。喪屋を設けて舞楽や供膳などの奉仕を行うモガリは、蘇生を祈った行為、とする学説もありますがこれは実態にそぐわない解釈で、長い場合には何年にもわたりました。貴人の間で火葬が行われ始めるとすたれるのですが、平安末期でもまだその精神的伝統は残っていたと思います)

余談にそれるかも知れませんが、平安時代は「臨終」が重視されるようになった点が重要だと思います。臨終の正念が極楽往生の肝要な条件とされたために、最期まで正気を保てるよう臨終の苦痛を取り除くことが重要になり、勢いそれ以前から写経や誦経など平生の功徳が重視され、逆修(預修)と言われる生前修行が大事になっていったからです。
宗教民俗でいう擬死再生(一旦死んだことにしてそれまでの罪穢を落とす)と通じるものですが、平安時代にはもう大勢の貴族を集めて寺で48日間の講経などをした逆修法要の記録があります。「地蔵本願経」の説くところによって、死後の功徳を生前に積んでおこうとしたものですが、こういう感覚が広まったことは、結果として追善供養、つまり「他人による、死後の作善」を後押ししたことでしょう。

また、最大の功徳ある行為として、臨終の病床での出家が広まったこともとりわけ重要です。
聖武天皇などのように「三宝に帰依」し、生前に出家した天皇の先例は多いのですが、病床での剃髪授戒、つまり出家は(当初祈祷的意味もあったでしょうが)貴族も含めてこの時代にかなり一般化します。やがてこの出家が間に合わず逝去直後に行われることになるのですが、これが儀礼として根づいて「葬儀のなかでの出家」として定式化し、後の鎌倉時代以降の「葬式仏教化」の下地を準備したからです。

以下は追善供養について。
平安後期だと、天皇・貴族の間で一般的だったのは一周忌までの供養でしょう。律令の服忌令では、父母の忌は近親者にとって重服と呼ばれ1年間の服喪となります。これが元となって一周忌までが重視されました。
しかし、だいたい平安時代の中後期頃より、それまでの呪術的な慰霊や霊威への対抗儀礼から、徐々に追善儀礼としての先祖供養のウェイトが高まってきます。これに従って、平安時代もかなり末期の頃になると、いわゆる十仏事の法要が導入されて、仏教主導型の死者供養が行われ始めるようになってくるのです。

十仏事というのは、仏教の中陰(これはあまり正統な仏教思想ではないのですが、中国で確固たるものとなります)に百日目、満1年、満2年の法要を加えたものです。この十仏事は、基本的には儒教の考え方と、地蔵信仰と関係がある「十王生七経」という偽経(中国で創作された経典)に説く世界観をベースにして生まれたものです。
この経典では、冥界の亡者は死亡から七日毎に7回、さらに百日目、1周年、3回忌と合計十回の定められた場所にそれぞれ異なる王のもとに出向いてその審判を受けること、それから審判にあたっては遺族の追善の度合いも斟酌される、ということが記されていて、この経典が中国における追善思想に決定的な役割を果たしたと考えられます。
実際、儒教でも百日、満1年、2年はそれぞれ卒哭、小祥、大祥と呼ばれて重要な節目です(元もとの儒教は「いずくんぞ死を知らん」ですから現実重視でしたが、体系化されてからの儒教では亡者のための祭礼という「孝」が天地の道理と位置づけられたのです)。

その後、鎌倉時代のうちにさらに7、13、33回忌が加わって、15世紀頃には十三仏事が成立します。これが徐々に民衆にまで広まっていくのですが、その成立は、寺院側による教化的、経済的な理由による積極的な働きかけだけが理由ではなくて、むしろ民衆の側の心情によって広まった部分も大いにあります。
詳細は避けますが、結局人々が無意識に信じるところの「死霊から祖霊へと転換していくための期間」が、ちょうど33回忌にマッチするなど条件が合致したために日本では長期の死者供養が根づくことになりました。江戸時代中期までには、17回忌や25回忌も設けられ、「多すぎて負担が大変」などという反省や批判も起こりつつ、追善供養は全国の庶民にも一般化していきました。

天皇・貴族に対し、庶民の葬送儀礼は史料が少なく、不明の点も多くあります。ただ概していうと、葬儀はじめ、儀礼的なことはほとんど行われなかったでしょう。
例えば圭室諦成『日本仏教史』(法蔵館)などによれば、念仏結社であった二十五三昧講などが発展して無常講などという名前で庶民組織が生まれ、庶民の間でいわゆる互助的な葬儀が行われるようになるのがせいぜい室町初期の頃です。追って真言宗ら密教が葬儀に乗り出したとされます。
また禅宗では、私の手持ち史料では、僧でない在俗者の追善のために拈香法語(上堂という説法の際に、香を焚き法語を述べて特定の亡者を追善する)が行われるようになるのがせいぜい14世紀のことです。

現在ある寺院のおおよそが実質的には中世後期以降の成立で、惣村などという一種自立的組織の成立をまって、庶民の葬祭仏教受容が始まったといっていいわけです。従って、平安後期ではやはり僧侶がタッチする庶民の葬儀はまだ行われず、よく言われるようにあまり儀礼を伴わずに死体遺棄に近かったというのが現状でしょう。河原や山すそで、「餓鬼草子」に描かれるような一見かなり粗雑な風葬、場所によっては水葬が行われたわけです。
空也などの系列をひくような半僧半俗の遊行僧、何々聖(ヒジリ)と呼ばれたアウトサイダー的仏教者たちが、鳥辺野など都近くの葬場で供養を散発的に行っていたことは事実です。しかし庶民が仏事を強く相求めたわけではなさそうですし、いわゆる不浄の感覚から庶民の葬祭に関わる僧侶が一部蔑視されたりしたのも歴史的事実です。
(以前に、死体の扱いを含めて墓について簡単に回答していますので、宜しければご参照ください:
http://www.okweb.ne.jp/kotaeru.php3?q=448694 
「お墓の歴史」。また、前掲『死者たちの中世』には死骸の溢れる都市の様子、さらに後代の「坂非人」らが死体運搬など葬送に関与するようになってくることでその死骸が整理されていった、という論考もあります)

長くなったのでこの辺でもうやめておきます(笑)。仏事の歴史も体系的に理解することが大事だと思いますので、是非上記参考図書をご一読なさることをお勧めしたいと思います。

まず参考文献について。
もうご覧になったのかも知れませんが芳賀登『葬儀の歴史』、これは名著ですが、しかし包括的でカバーする範囲が広いので、ご期待される内容部分についてはあまり詳細とはいい難いと思います。むしろ、天皇と平安貴族の葬送儀礼については、新谷尚紀『日本人の葬儀』(紀伊国屋書店)、勝田至『死者たちの中世』(吉川弘文館)、水藤真『中世の葬送・墓制』(吉川弘文館)、などをご覧になるほうが具体的なイメージが掴みやすいと思います。
それぞれ重点の置き方は少しずつ違っていて、...続きを読む

Q2013年イースター休暇(フロリダ、デイズニー)

2013年4月にフロリダ ディズニーに行こうと思ってますが
混雑を避けたいので、イースター休暇を避けたいです。
ネットで見ると、イースター休暇は3月31日から1週間のようですが、サイトによると、4月15日といっているところもありました。2013年のアメリカフロリダのイースター休暇はいつが正しいのでしょうか?

また、イースター休暇後は、ディズニーやユニバーサルはそんなに混雑しないようですが、どんなものかおわかりでしたらあわせて教えてください。

Aベストアンサー

カリフォルニア在住ですので、フロリダとはまた違うのかも知れないですけど、イースター休暇ってないと思いますよ。
聞いたことがないです。

来年のイースターは、Good Friday が3月29日、Easter Sunday が3月31日、Easter Monday は4月1日です。
でも、特別に学校が休みになったりはしません。

ただ、春休み(Spring Break/Recess)がこの時期の前後にあります。
南カリフォルニア最大の学校区であるロサンゼルス・ユニファイド・スクール・ディストリクトでは、3月25日から29日。
フロリダのディズニーワールドのあるディストリクトでも、3月25日から29日が春休みになっているようです。

春休みだけではありませんが、休みはディストリクト毎で違ってきますので、LAUSDとOCPSが同じときに休みだからと言って、全ての学校が同じとは限りません。
因みに、私の子どもたちが通っているディストリクトの春休みは、3月18日から22日までなので、一週間早いです。

近くに住んでいる人たちだと、子どもたちが休みの時は行き易いので、確かに春休みの間は比較的混雑するかも知れないですよね。
となると、3月23日24日の週末と、3月30日31日の週末は避けた方がいいかも知れません。

ご参考まで。^^

カリフォルニア在住ですので、フロリダとはまた違うのかも知れないですけど、イースター休暇ってないと思いますよ。
聞いたことがないです。

来年のイースターは、Good Friday が3月29日、Easter Sunday が3月31日、Easter Monday は4月1日です。
でも、特別に学校が休みになったりはしません。

ただ、春休み(Spring Break/Recess)がこの時期の前後にあります。
南カリフォルニア最大の学校区であるロサンゼルス・ユニファイド・スクール・ディストリクトでは、3月25日から29日。
フロリダのディズニーワール...続きを読む

Q今の若者は戦争を知らない、とご高齢の方のお言葉ですが、その人たちも明治や幕末の戦争を知らない若者

今の若者は戦争を知らない、とご高齢の方のお言葉ですが、
その人たちも昭和16年以前は
明治や幕末の戦争を知らない若者だったとおもいますが

なんで、
それらのご高齢の方々は
戦争の記憶を風化させるななどとお題目は唱えながら
自分たちの何が失敗だったのか
口をつぐんだまま何も話そうとしないのですか?

人間は失敗を次ぎに行かす動物です。

戦争は悲惨です、
とか抽象的な言葉でお茶を濁されても
また失敗を繰り返さないために
次ぎに生かしようがありません。

ご高齢の皆様は、
戦争の失敗の原因として自分たちが能動的にどうか変わっていたのか
主語として、自分たちの過去を語る気はないのでしょうか?

Aベストアンサー

アラフィフのおじさんです。

私も質問者様と同じ疑問をもっており「何が戦争を始めた原因なのか?なぜアメリカと戦ったのか?負けるとは思っていなかったのか?」を質問しましたが、老人たちは口を閉ざすことがほとんどでした。

ちなみの私の父は戦中の生まれですが、まだ小学生程度でしたので、殆どなにも知らず、私が質問したのも祖父や伯父などの戦中から戦前に成人した人々でした。彼らの殆どがすでに他界しています。

なぜ彼らが語りたがらなかったのか、だいぶ調べてみたのですが、今ではこういう推測をしています。それは
「アメリカ開戦は多くの日本人が望んだものだから」ということです。

つまり、戦前の日本人たちは太平洋戦争を望んで開戦し、日本が滅亡するふちまで自分たちで追い込んだ、ということです。

ところが日本を占領したGHQは日本国民の罪を問わず、東京裁判で「軍部と一部政治家の暴走によって、戦争を遂行し、国民はむしろ被害者である」という結論を下したため、かえって恥ずかしくて戦争の反省を口にできなくなった、ということだと考えています。

そう考えると多くの老人が「戦争はいけない、二度としてはいけない」と言う言葉の意味がよく理解できるとおもいます。それは「戦争を望んで勝てるとおもってやってみたものの、多数の死者と多くの犠牲を払って、結局負けたたらなにも残らない。こんなことは二度としてはならない」ということなのではないでしょうか。

そうなると、戦争を語る人々は当然に「日本の戦争の悲惨さや軍隊の恐ろしさを語る人」に限定されていきます。中国や朝鮮に「おまえたちは悪いことをした」と言われても反論できないのは、日本人が戦争に負けて自信をなくしてしまったからです。ようするに「大戦前は日本がアジアの開放をリードできるとおもっていたが、思い上がりだった」ということです。

こういうことを考えているから、そして恥ずかしいから多くの老人は戦争のことを語らなかったのだと思います。

そして、特に最近それを強く感じます。それは、最近の若者の中に「戦争してもいい」という風潮がはびこってきているように感じるからです。

誤解して欲しくないのは「戦争そのもの」が悪いものである、と私は思っていない、ということです。私も今の中国などの動向からすれば、戦争に至る場合もあるだろう、と考えていますし、自衛隊のPKO参加などは積極的にやるべきだと思っています。

しかしながら「中国上等!韓国上等!文句あるならかかって来い」と戦争を煽るような右翼的な人々は「戦争に負けること」を一切考えていないように感じます。今はまだそれほどでもありませんが、今後安倍内閣の下で改憲し、戦争を仕掛けることができるようになったときに日本人は自分から戦争を仕掛けない、といえるのでしょうか。

いや、仕掛けてもいいんです。それで、負けたときにどうするのか、ということが問題なのです。

太平洋戦争の前に戻ると、アメリカに宣戦布告した内閣は普通選挙で選ばれた政府であったのが事実です。つまり、現代と同様(男性だけという違いはありますが)普通に衆議院選挙をおこない、多数を取った議員たちが戦争を遂行する決定を下したのです。つまり当時の日本国民には「戦争を始めた」責任があるのです。

しかし、戦争に負けて、GHQが「国民は騙されたのだ」と東京裁判をおしつけたわけです。

今度日本が戦争をする場合は、そしてもしかしてまけた場合、その責任は「戦争を遂行した政府を支持した国民」にあります。想像してみてください。今の私たちが国民の責任で戦争を始め、そして負けた後に、子供や孫に「なんで戦争したの?どうして負けたの?」と聞かれて「当時の国民である私たちが馬鹿だったからだよ」と素直に言えるでしょうか。

 私はいえないとおもいます。「戦争はしてはいけないんだよ。悲惨なんだよ。君たちもしないようにするんだよ」としかいえないのではないでしょうか。

だから、老人たちは反省を口にできなかったのだと、私は理解しています。

アラフィフのおじさんです。

私も質問者様と同じ疑問をもっており「何が戦争を始めた原因なのか?なぜアメリカと戦ったのか?負けるとは思っていなかったのか?」を質問しましたが、老人たちは口を閉ざすことがほとんどでした。

ちなみの私の父は戦中の生まれですが、まだ小学生程度でしたので、殆どなにも知らず、私が質問したのも祖父や伯父などの戦中から戦前に成人した人々でした。彼らの殆どがすでに他界しています。

なぜ彼らが語りたがらなかったのか、だいぶ調べてみたのですが、今ではこういう推測を...続きを読む

QWindows2000のイースターエッグ

イースターエッグにハマッている者です。
Windows98のイースターエッグは、殆ど開いて楽しみました。
が、Windows2000には、イースターエッグが仕組まれていない、という不吉な噂を耳にしました。本当ですか?
確かに98のやり方は2000には全く通用しませんが、別の開き方があるのでしょうか?

Aベストアンサー

私もWindows2000からはなくなったと聞いています。
WindowsXPではわかりませんが・・・


6万3000以上の既知のバグを含んだまま発売しなければならないほど営業に圧力を掛けられていたしね。(製品の出荷が2年遅れた)
そんな状態でイースターエッグだけはしっかりと完成してたらどうなんでしょうね。
Windows2000とは「企業ユースのPCを9x系から押し上げるためのビジネス用OS」という意味合いが強いですからね。
遊びよりも先に「しっかりした製品」でしょうね。
もしくは「製品寿命の間には簡単に見つからないようなイースターエッグ」とか。

Q祭頭祭とは何の頭

祭頭祭は、年間80回を数える鹿島神宮の中でも一番の祭りとありますが、そもそもなんで頭の祭りなのでしょうか。その説明を調べようとしてもただ、昔の防人の「鹿島立ち」とか祭りの進行・衣装などを説明したものしかありません。もしかした頭は生贄の鹿の頭のことでしょうか。

Aベストアンサー

鹿島神宮は“鹿島立ち”と言われるとおり、旅の守り神として知られ、防人(さきもり)が徴集されると鹿島神宮に集まり、武運長久と旅の安全を祈ったのが始まりとされてるそうです。

また鹿島神宮は農神としても信仰され、祭頭祭は豊穣を祈念する春を告げる祭りでもそうです。

祭頭とは祭りの準備をする頭を神占(かみうら)によって選定することをいうみたいです。

参考URL:http://iron.cocolog-nifty.com/matsuri/2009/03/post-4e1c.html


人気Q&Aランキング

おすすめ情報