天動説から地動説が主流になって、
1992年にようやくカトリック教は、天動説の誤りを認めて地動説を受け入れました。

このとき、カトリック教の信者は、カトリック教に対して不信感を抱かなかったのでしょうか?
さすがに「神の存在は嘘だった!」とまではいかなくとも、なんらかの疑いの目は持たなかったのでしょうか。
それともそんな疑問さえ持たないぐらいに、洗脳を受けているものなのでしょうか。
天動説に関して神が大地を固定した、みたいな話を聞きました。
地動説を認めたとき、カトリック教はどう言い訳したんでしょう?

そもそも神様に関するストーリーが、宇宙を知らないどころか海の向こうさえ知らない存在の視点で書かれているのが滑稽な気がします。
彼らの言う「世界」に地球の外は含まれていないというか、考慮されていないようで、まるで地球の外どころか海の向こうさえ知らない、当時の文明でわかる範囲を基準に一般人が考えた小説みたいですよね。
どれも神様とやらの所業は、なぜか人間に合わせたものばかりな気がします。

他にも探せば「人間の想像力らしさ」が多く見つかると思いますが、それでいてどうして人々は宗教を信じてしまうのでしょうか。
科学的根拠や歴史を無視してでも、見たこともない人伝てとも言える空っぽな言葉に信頼を置くのでしょうか。彼らには勘違いや偶然といった概念はないのでしょうか。
人が不可解な事象に不安や恐怖をいだき、それを解消するために理由や正体を求め、わからないから「想像」で非科学的な存在を使った結論に甘えて妥協してしまう。それが原因なのでしょうか?

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (4件)

初めて回答するので、うまくお答えできるか不安なのですが……。



まず、質問者様のおっしゃる宗教や神の概念は、具体的にキリスト教のことを指すと思います。宗教とはいえ、色々とあるので、多神教や仏教なんかだと、かなり受ける印象は変わります。

天動説については、洗脳というより、新しい学説を当時の人々が受け入れがたかったということでしょう。現在では、バチカンも地動説を認めてますし、謝罪もしてます。ただ、それが2008年なのは、遅すぎだと思いますが。

次に、キリスト教が人間に都合よく出来ているというのは、他の回答者様も書かれてましたが、本当だと思います。
「そもそも神様に関するストーリーが、宇宙を知らないどころか海の向こうさえ知らない存在の視点で書かれているのが滑稽な気がします。彼らの言う「世界」に地球の外は含まれていないというか、考慮されていないようで、まるで地球の外どころか海の向こうさえ知らない、当時の文明でわかる範囲を基準に一般人が考えた小説みたいですよね」
その通りですよ!だって、海の向こうさえ知らないときに「人間」が考えだしたものですから。

<化学>と<宗教的事実(天動説など)>の矛盾についてですが……
やはり、どれほど信仰を抱いている人であろうと、<化学>と<宗教的事実>とされていることへの矛盾には悩むみたいです。
また、何か不幸や困難にぶつかった時に、絶対的な権力を持つ神に「こんなに信仰していたのに、どうして!」と思ったり。
信仰と葛藤は必ずセットであります。ただ、それを表に出す人が少ないのと、クリスチャンでない人がクリスチャンと宗教についてお話する機会があまりないのも原因かと思われます。

では、なぜこんなに矛盾を抱えたキリスト教がたくさんの人に今なお支持を得ているかというと、やはり彼らの苦しみを癒してくれる「何か」があるからだとしか言いようがありません。

「何か」とは、色々とあるのですが……

やはり、化学だけでは解明できないことって、この世にはありますよね?
キリスト教に限らず、そういうときに、宗教が答えを示すことって多いと思います。
例えば、死後の世界、世界の始まり&終わり、道徳観の提示、社会的ルールなど……。

厳しく言うと質問者様がおっしゃられたように「非科学的な存在を使った結論に甘えて妥協して」いるということでしょう。
ですが、こうは考えられないですか?「甘えて妥協して」るのではなく、宗教が人に癒しを与えているのだと……。

例えば、お葬式なんかだって、宗教行事ですよね?
お葬式をする、お焼香する、などで死者と生きている私たちは、きちんとお別れができる。
つまり、死者と生者を繋ぐ架け橋って宗教なんです。

また、キリストの説く隣人愛などは、クリスチャンでない私でも感銘を受けます。
もちろん、キリスト教を起因とした紛争(パレスチナ紛争など)なども起きてますし、解決すべき問題は多々あります。(未だに天動説などを受け入れられない人がいることも含め)

最後に!
宗教の捉え方って本当に人それぞれで正解なんてないです!
同じ教会に通っている同じ宗派の方でも、よ~くお聞きすると、キリストや神について異なる考えを持っていたりします。
ですから、質問者様のお考えもそのままで十分正解です。

世の中には、様々な宗教観があります。
森鴎外「かのように」、遠藤周作「青い葡萄」「海と毒薬」、太宰治「駆け込み訴え」、芥川龍之介「西方の人」なんか読むと、キリスト教についてまた違ったイメージを持てると思います。

特に、遠藤周作お薦めです!彼自身、カソリック教徒です。

あと、ミュージカルの「ジーザス・クライスト・スーパースター」とかもかなり面白いです。
キリストとユダの一筋縄ではいかない関係性を描いてます。

質問者様の考えや、宗教に関するイメージはかなり一面的なもので、実際にはもっと複雑です。

教会へ一度足を運ばれるのも手ですが、信用のできる神父さんや牧師さんを探すのは大変だと思いますので、まずはご自身で調べてみてはいかがでしょうか?

きっと価値観が変わります。私もそうでした。

長文+読みづらい文章で失礼致しました。
しかも、かなり生意気なことを言ってしまい、申し訳ないです。
私は個人的な興味から、独学で宗教について学んでいるので、どれ程ご参考になったかわかりませんが、何か感じていただけたら幸いです。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>海の向こうさえ知らないときに「人間」が考えだしたものですから。
私もそう思います。
決め付けるような結論なので控えていたのですが、私個人の意見としましては、神や魂といった考え方は猿から進化した人間に備わった高度な知能による想像力で、自然界が擬人化されたことで生まれたことだと考えております。これは以前読んだ宗教学(タイトル忘れました……)に関する本を参考にしたものですが……。
今でこそ、例えば嵐はどんな仕組みで発生するのかは判明していますが、当時はそんなのわかりません。だから少ない判断材料で、自分たち人間を基準に嵐にも意思疎通ができると考え、「あの嵐に土下座して許してもらおう」みたいなふうに考えたのかもしれません。
自分がそうだから、あれもそうであるといったふうに。

>質問者様の考えや、宗教に関するイメージはかなり一面的なもの
これには同意です。
私はあまり宗教に知識も理解も深くありません。浅い知識からくる偏見といっても過言ではないです。
そして私はあえてそれを根底にすることで、違う価値観との比較という思考実験をしてみたいのです。

結局宗教はたとえ神という存在が否定された現実がやってきても、宗教を弱った心のすがり先にする人は現実なんて認めたくないからその現実を認めないでしょう。彼らから永遠に神が消えることはないでしょうし、人間は猿から進化していないことになるでしょう。
あるいは、道徳観の提示、社会的ルール、芸術などの文化、人心の統制など政治の道具、そして人生の生き方の見本という形で、神が不在になってもそれは様々な形態になり残っていくと考えます。

私は人間の作った神は信じてはいません(ただし宇宙を人間の作った神とは別のなんらかの意思ある存在が作ったかもしれないという理論までは否定しません)が、神というキャラクター、天使や悪魔というキャラクター、魔法という要素を生み出したキリスト教やそれに関連するものは、芸術として文化として尊敬しています。

ご回答、ありがとうございました。
結局、人って、信じたい物しか信じられないんだと思います。
私もそうです。みんなもそうです。
これからも、たとえ神様が否定されるような未来がきても、神様の存在を信じる人は残るでしょうね。

余談ですが、未だに天動説を支持している集団がいるそうですね。

お礼日時:2011/04/23 06:33

ヨーロッパ合理主義の祖デカルトも本気で神のことを語ってますね。

ヨーロッパの歴史的な天才思想家達が神のことを語り続けて来た。数え上げたら切りがない。どう考えたって彼等は普通の人よりも論理的に物を考えことができると思える。そんな連中が、何でこれだけ論理的に不合理なことを語り続けて来たんだろうか。ただ単に古い人達で洗脳されていて、貴方のように筋道を立てて考えることが出来なかった人達だったのでしょうか。そして、貴方の言っているようなことがその原因なのでしょうか。そうかもしれない。貴方の方がその天才と呼ばれていた達よりも遥かに優れているのかもしれない。あるいはもしかしたら宗教に付いて貴方が何か誤解をしているのかもしれない。さあ、どちらなんでしょうか。これって、貴方は馬鹿なのか利口なのかの判断を下す良い練習問題になっていると思いませんか。

誤解なさらないように。ソクラテスの無知の知ってえのもありますから、どんな結論が出て来ようが、貴方が落ち込む必要はありませんよ。また、善人なおもて往生をとぐいわんや悪人をや、なんちゅうソクラテスが手を打って喜ぶような言葉もありますから。まあ、善人か悪人かは利口か馬鹿とは違いますが、言ってることは似たようなもんです。

もう一つの練習問題を差し上げます。新約聖書を読むとイエスが自分の父以外を拝むことを禁じています。また、偶像を造ることも禁じています。ところがカソリックの教会に行くとマリア様の像あり聖人達の像ありで、信者達がその前で拝んでいます。カソリックってイエスの言っていることを全く無視しているのですね。どうなっちゃっているのでしょうか。それはおかしいってんでプロテスタントが出来ましたが、相変わらずカソリックの方が信者の数が多い。カソリックの信者ってそんなに筋の通らない連中なのでしょうか。そして神父達に洗脳されているだけの連中なのでしょうか。そうかもしれない。あるいは、まだ貴方が気が付かないでいる他の理由があるのかもしれない。これが練習問題です。

私は若い頃はキリスト教の中ではプロテスタントの方に軍配を上げていたのですが、人間を長年やって来て、どうもカソリックの方のが余程人間のことを良く知っていると言う気になって来ています。さあ、貴方はこれをどう思いますか。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

二度もご回答ありがとうございます。

そうですね、あなたが最初に仰ったとおり、やはりどのような素材があれど明確な答えはないんだと思います。というより、出した答えの真偽を証明できないといえばいいんでしょうか。
今までわからなくて、神の業や魔術、呪術と呼ばれたものは、今の時代では科学的に解明されているものもあります。しかし一方でまだ証明できず憶測の域を出ず、説明付けることのできないもの、あるいはしていても私たち一般人にとって常識化されていない知識のために、不可解な現象に見える(例えばフィルムのミスなどによる心霊写真など)ものもあります。

世の中わからないことだらけですね、まだまだ。
だからこそ、様々な偉人が悩み、そして色んな千差万別の答えを出してきたのだと思います。

結局は自分なりに納得出来る答え……価値観、あるいは方向性に出会うことで決着付けるしかないんだと思います。

キリスト教には様々な宗派がありますし、キリスト教そのものとカトリック教を安易に比べてもいけない気もしますが、結局は人間というものに対しての捉え方の違いで私にはどちらがどうという答えは出せないですね。恐らくどちらも、「正しい」そして「知っている」のだと思います。

お礼日時:2011/04/23 06:05

あんた、今までに宗教って何だと本気で考えたことないんだちゅうことに気が付いてないんだね。

今回初めてそれを本気で考え始めたんだね。宗教って学問でも理屈でもないよ。んなもんで物事がわかるって皆が思ってるんなら、疾っくに宗教は無くなってるよ。じゃあ、宗教って何なんだろうね。そして、宗教って何のためにあるんだろうね。こう言うのは人に聞くよりは自分で考えるのが一番だ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

私は今まで宗教について、「どうして見たこともない神を信じているのか。どうして目の前にある科学的根拠や現実よりも、神父の言葉のほうが重要視されているのか。宗教の言葉のどこに価値を見出し、認めているのか」と疑問に思っていました。

また、考えてもいました。(とはいっても、四六時中考えているほど暇ではありませんが)

そして、自分で考えてもわからないことは、他人に聞いて参考になる情報を得ることが重要だと私は考えます。
それに自分だけで考えていては、どうしても考えが主観的に視野の狭いものになり、一つの側面の答えしか出ないように考えます。完全な主観の除外は難しく、どうしても客観的に思考しようとしても、脳の持ち主の主観的な思考が混じります。

だから質問して、参考意見をいただこうかと考えました。

当然、あなたの仰るとおり、最終的には自分で考えて、自分の口から答えを出そうと思っています。誰かの出した答えをそのまま自分の答えとするのではなく、誰かの出した答えで納得できる部分を思考材料に加え、自分の価値観と照らし合わせつつ、矛盾点を解消していきます。
とにかく情報の素材を集めて、今までと違う新しい価値観を見出そうと考えております。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/04/23 00:50

プロテスタントのクリスチャンですが、確かにカソリックの歴史のなかになにがしかの誤りがあり、その誤りに対して、聖書に帰りましょうと反乱(プロテスト)を起こした人たちの末裔が今のプロテスタントの教団や教会を形成しています。



>地動説を認めたとき、カトリック教はどう言い訳したんでしょう?

彼らを擁護するわけではないのですが、カソリックには時代の発見した科学的な事実の前では、前言を翻す柔軟性があったということと真摯さがあったというべきなのかもしれません。

>どれも神様とやらの所業は、なぜか人間に合わせたものばかりな気がします。

全くその通りと思います。聖書によればイエスキリストという神の子どもが人間の姿になって人々の前に現れなければ神という存在を想像することも理解することもできなかったと思います。「私は真理であり、道であり、命です。誰れも私を通してでなければ神を知ることができません。」とキリストは述べております。また、「 わたしを見た者は、父(なる神)を見たのです」とも述べています。キリスト教は宗教ではなく、キリストです。つまりキリストを知ることが神を知ることになります。そのキリストについて書かれているのが聖書です。だから私どもは神を知るために聖書以外の書物に依存しないのです。神は想像力や判断力の未熟なものを救うために具体的な姿で人々の前に現れたわけですから、ご指摘のように実に人間に合わせておられたと言うべきことと思います。

かつて複数の首相経験者や東大の学長を含む多くの大学の学長がクリスチャンでしたが、神様の目から見ますと、彼らでさえ十分すぎるほど未熟で理解力や判断力に不足があったということだと思います。従いまして下のような感想をお持ちになったのは理解できます。

>彼らには勘違いや偶然といった概念はないのでしょうか。
>「想像」で非科学的な存在を使った結論に甘えて妥協してしまう。

私どもは恐ろしく無知で無能です。それだけであれば愛すべき存在なのですが、罪にまみれておりました、何かを考えるとそれは自己中心にとらわれており、何かを行うとそれが罪の行為となってしまいます。何かを語れば、その内容は罪の悪臭で人々を辟易とさせるものであり、善意の中にも巧妙に罪が入り込んでおります。そのようなものにとって自分の都合で偶然を利用したり、無意味な概念をねつ造するなど朝飯前ですし、ご推察の通り自分の安寧のためであれば科学などの提唱する事実や現実などどのようにでも曲解してしまうのが人間なのではないかとおもいます。私どもクリスチャンは自分の内に希望がないということを知っています。また自分の人生も神なしにはおおむね無意味に近いものであると了解しています。

しかし、イエスキリストは十字架で命を捨てたことを知り、突然人であることの素晴らしさに気づきます。イエスのように生きることが最善であることを知ります。私どもはイエスの生きざまを知ることで新しい人生を歩むことができるようになったのです。なにか教えを守ったり、教義を理解したりすることが最重要だとも思っておりません。つまり人生や自分に意味を見出します。それがキリストをしることによりもたらされます。

初めに戻りますが、天動説であるとか地動説であるとかはキリストとは関係ないことと了解しています。聖書を物理の問題を解くための参考書として利用したり、経済学の解説書として読むことは本質を見失います。キリスト者を学問や理論でやっつけてみてもそれは私どもクリスチャンにとってはある意味で本質を揺るがされるようなことではございません。

お近くのプロテスタントの教会の牧師ともしご質問があるのであればお話をされてはいかがでしょうか。そのために牧師は存在しているのです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

まるでなにかしらの宗教を信じておられる方を怒らせるような質問の仕方をしたのに、ご丁寧にお答えくださり、ありがとうございます。

私は、あまり質問上の文章で表現できなかったのですが、信者の方々は「宗教」の中のどういった部分に価値を見出し、その中に所属しているのか知りたいと考えておりました。

そしておおよその答えを、導きだすことができたように思います。
自分が生きてゆく人生の教科書や道しるべとして、参考あるいは見本にしている、といった具合でしょうか。
神が存在するかしないかといったことを最重要視しているのではなく、宗教が提示する人生の生き方を重要視していたんですね。

その昔、宗教は政治利用もされ、人身統制の道具にされていた時代もありました。
中には過激化して魔女狩りのような悲劇も生まれました。
現代でも政治の道具という形態は一部政治家の支持票集めに利用されるなど、国内外問わず例がありますが、信じる人々にとっての宗教とはかなり形が変わっているふうに感じました。

すがるものから、教科書へと。
「宗教を信じるか否か」といった議論は愚問でもあるように思いました。
暴論かもしれませんが、たとえその宗教の信仰の対象にまつわることが実は本当は創作であったとしても、彼らが提示する「共感できる生き方の例」の素晴らしさに変わりはありません。

もしこの私の見解が間違っていればご了承ください。

お礼日時:2011/04/23 00:39

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q以前他の人から、カルト宗教には注意で教えていただいた、統一協会、生長の家、モルモン教、大本教、立正校

以前他の人から、カルト宗教には注意で教えていただいた、統一協会、生長の家、モルモン教、大本教、立正校成会、幸福の科学、世界真光文明教団、その外に、怖いカルト宗教はありますか?マインドコントロールの怖さも教えて下さいお願いいたします。

Aベストアンサー

No.1です。

「フランス カルト教団指定」で検索されると創価学会の

カルトについてよく解りますよ。

昔の生長の家は、様々な宗教の中で

「天皇国家日本」を掲げていますね。

今は、三代目になって変わってしまいましたが、、、。

Q各宗教・宗派の信仰について

宗教についてお聞きしたいのですが。

天国、浄土へ生まれること。悟りを得ること。など。
各宗教、各宗派によって目的は様々だと思うのですが。

目的を達成するに当たってどのような信仰をしているのかを「ざっくりと」知りたいです。

私が本・インターネットで調べられたものは2点しかなかったのですが、
お詳しい方がいらっしゃいましたら、回答していただけるとありがたいです。

■仏教・浄土真宗
1.目的
(1)死後
(2)悟りを開く
=浄土に生まれる

2.手段
信心を得る→念仏する
(信じてただ念仏)

3.禁忌・してはいけないこと

五逆・誹謗正法

■仏教・曹洞宗や臨済宗などの禅宗系

1.目的
(1)この世で
(2)悟りを開く

2.手段
座禅


・解りやすくこの形式で答えていただけると嬉しいです。

Aベストアンサー

各宗教・宗派の信仰についてというご質問ですが、宗教ということになる世界三大宗教のキリスト教・イスラム教・仏教のほかにヒンドゥー教や道教などいろいろありますし、
さらにその中での宗派となると、無数にありすぎてとてもいちいちは説明しきれません。
それぞれの概要はウィキペディアなどでざっと見た方が早いと思います。

ですが、基本的な三つのポイントをおさえてそれぞれを見ていけば良いと思います。
つまり、世界の宗教は、一神教か多神教か無神論かの三つに大別されるということです。

キリスト教・イスラム教は一神教。
ヒンドゥー教や土着的な道教は多神教。
仏教や老荘思想に基いた道教は無神論。

大雑把にみるとこのくくりで良いと思います。
そういう基本的なことをおさえた上でそれぞれ見ていくとわかりやすいと思います。

一神教は最終的には主となる神のみこころにかなうことをめざします。
多神教は万物のありように敬いと畏れをもって接することによって成り立っています。
無神論は一切の真実を見極めることをもってその教えが成り立っています。

キリスト教・イスラム教は主となる神のみこころから人が離れてしまったがゆえに、そこに回帰することが目的です。
そのために、預言者があらわれて主となる神のみこころを伝えることによって、宗教が成り立っています。
つまり大切なことは、主となる神のみこころを知ることなのです。

ヒンドゥー教や土着的な道教は万物にはその万物を司る存在を認めて、その存在を受け入れて調和をもっていかに世界で暮らしていくのか。
一般的な日本神道もその中に入れて良いと思います。

仏教や老荘思想に基いた道教は本来は人格神的な特定の超越したものの想定はしません。
ただ、この世界が成り立っている道理を深く追究していきます。

では、仏教で仏に対して様々な信仰があるのは、という疑問がおこりますが。
もともと仏とは悟れる者という意味です。
つまり先に真理を得た者に教えを請うという形で教えが成り立っています。
つまり我々が学校などで先生に学問を学ぶように、仏に教えを説いてもらって真理を学んでいくのが仏教なのです。
ですから浄土の門で極楽浄土に往生するのも、それが最終目的ではありません。
最終的には仏と成るための修行をするために、極楽浄土に往生するのです。
仏教に様々な宗門があるのも、すべてそのためです。
そこに至り成するための方法が違っているだけです。
東京から大阪に行くのに、新幹線で行くか、飛行機で行くかの違いのようなものですね。

こうして見ていくと、宗教というのはつまるところ世界を学ぶということなのです。
一神教においては、世界の創造主である主なる神のみこころにかなうということにより、世界を知り、
多神教においては、万物を司る存在を通して、世界を知り、
無神論においては、一切の真実を見極めることをもって、世界を知るのです。

つまり我々が、ふだん社会を学ぶのに似ていますね。
一神教は親を通して社会というものをおそわり、
多神教は近所のおじさんやおばさんを通して社会というものをおそわり、
無神論は本を読んだり学校で先生にならって社会というものをおそわる。

質問者のいった形式と違いますが、このような視点で宗教一般を見ていくと、どのような宗教であってもわかりやすいと思います。

各宗教・宗派の信仰についてというご質問ですが、宗教ということになる世界三大宗教のキリスト教・イスラム教・仏教のほかにヒンドゥー教や道教などいろいろありますし、
さらにその中での宗派となると、無数にありすぎてとてもいちいちは説明しきれません。
それぞれの概要はウィキペディアなどでざっと見た方が早いと思います。

ですが、基本的な三つのポイントをおさえてそれぞれを見ていけば良いと思います。
つまり、世界の宗教は、一神教か多神教か無神論かの三つに大別されるということです。

キ...続きを読む

Q怖さを克服したい

私は合気道を習っているのですが、投げ技などの前受け身が怖くてできません。投げられるときに、躊躇してしまい、受け身ができないでいます。
顔面や頭部を打ってしまうという怖さが先だって受け身ができないでいます。
どうしたら前受け身の怖さを克服できるのか教えていただきたいと思います。
自己暗示や催眠術も探して試してみたのですが、いざ稽古になると、怖さが先にきます。
私は怖さを克服したいです、お願いします。

Aベストアンサー

これはもう精神的な部分ですね。

とにかく、恐怖の原因を探って、深く深く探求してください。
なぜ顔面を打つのが怖いのか。
痛いからですか?
たぶん、識以下の心の部分に
死というものがあって、それがもっとも怖い部分だと思いますが、

もう一つよくあるパターンとしては
頭を打つことによって一生涯回復のできない
身体障害が残るかもしれないという恐れもあるのかもしれません。

この部分でしたら誰も手を貸してくれないので頑張って自分で追求して
克服してください。

さて、上記部分でないなら頭の中で反復練習(イメージトレーニング)
を積んだあと、人の手を借りて練習するのが一番早いと思います。

イメトレはとにかく身体の細部にわたって受身をしているイメージ
をします。やったことなければ、必ずイメージモーションがぼやけてきます。それをとにかく明確になるまでやってみてください。
結構難しいです。
次に、人の手を借りる方法です。
誰か自分の前にうずくまってもらいます。(団子状態)
そしてその上に乗っかった状態から前受身をやって見ましょう。
転がる感じです。怖さが半減するはずです。
いいですか、乗っかった状態から転がって背中をつける所の軌道(軌跡)までイメトレで整理しといてください。

私が推測するところ、あなたはたぶん運動というものを学生時代に
やってこなかったので、体の使い方が十分できてないかと思います。
(間違っていたらごめんなさい)
それが未知の恐怖を呼び込んでいると思いますので、

他の方法として、トレーニングセンター
や友達と十分汗をかく運動を週に3回以上やることを
オススメします。
なぜ3回以上かと言うと基礎体力をつけるためです。
合気道は基礎体力がなくても誰でも手軽に出来るということは
言うまでもありませんよね。
身体能力が上がってくると受身なんぞは
反射で出来るようになるのです。
それには汗をかいて筋肉をつければ、
たぶんですが、今みたいな心配は取り越し苦労になると思います。

ちなみに合気道の受身はオーバーアクションで
ここまで飛ぶ必要ないのに・・・って思いますよね。
これにはきちんと意味があるのです。
実践になった場合、当然合気道の技なんぞ簡単には決まりません。
なぜなら普通は殴り合いになるからです。

しかし、万が一合気道の技や他の技を受けて
転んでしまった場合は相手の足元に転ぶよりも
離れて転んだほうが相手の蹴りや追撃を受けるまでの
時間的な余裕があるからです。(ご存知かもしれないですが)

全ては意味があるので頑張って練習してください。

これはもう精神的な部分ですね。

とにかく、恐怖の原因を探って、深く深く探求してください。
なぜ顔面を打つのが怖いのか。
痛いからですか?
たぶん、識以下の心の部分に
死というものがあって、それがもっとも怖い部分だと思いますが、

もう一つよくあるパターンとしては
頭を打つことによって一生涯回復のできない
身体障害が残るかもしれないという恐れもあるのかもしれません。

この部分でしたら誰も手を貸してくれないので頑張って自分で追求して
克服してください。

さて、上記部分で...続きを読む

Q信仰と宗教の違い

 
「神仏を尊び神仏に頼らず」、これは信仰として成り立つかと問うてみた。

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8749349.html

その結論として、「神仏を尊び神仏に頼らず」は立派に信仰として成り立つと結論できました。
しかしながら果たして神仏への願いを伴わぬ宗教がこの世に存在するであろうか。
わたしが知る限りではおよそそのような宗教が存在するとは思えない。
では信仰と宗教の違いとは何か。
神仏への願いを伴わぬ信仰は信仰として成り立つが、神仏への願いを伴わぬ宗教は有り得ないのであれば次のように結論できるのではないか。

信仰は神仏を信じ尊ぶが、必ずしも神仏に願うことはしない。
宗教は神仏への願いを伴う信仰である。
 

Aベストアンサー

言葉遊びをしているのではないとして、

日本語の「宗教」の熟語はまだ使用の歴史が短いそうです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%97%E6%95%99#.E8.AA.9E.E6.BA.90
「宗教」の熟語の意味はそれほど明確ではないのでしょう。
質問者さんやその他の方が「宗教は神仏への願いを伴う信仰である」と定義をすることはご自由でしょうが、一般の日本語の「宗教」の使い方とは不一致のケースが出てしまうと思います。

「信仰は宗教を内包する。宗教ではない信仰も存在するが、信仰ではない宗教は存在しない」というようなことを主張したいのでしょうか。

太陽信仰のような用語の使い方を認めた場合、太陽は神仏なのでしょうか。太陽神というから神なのでしょうか。神仏と日本語でいう場合、個人に何かの働きかけをするものを私はイメージしますが、太陽神にはそうした神仏機能はないのが基本形のように思います。
 
(現世利益の享受のバーターとして礼拝し勤行を勤め、あるいは供物などを供する)信仰形態を日本ではしばしば見かけます。 水神信仰、雷神信仰、地蔵信仰、菩薩信仰、観音信仰、○○詣でなどたくさんあり、一括する一般名称は民間信仰、民俗信仰、庶民信仰でしょう。 もちろんこれらを宗教と呼んでも構わないのでしょうが、教義もない、創唱者も、指導者もはっきりしないのは宗教ではないと思っている人は少なくないので、用語の混乱を大きくするだけだと思います。
 
畏敬や服属、戒律の遵守などが、信仰や宗教では基本にあることが多いと思います。

『世界宗教事典』ではリューバの分類・分析を踏まえ、また、宗教を成立させている基本要素が超絶的ないし超越的存在(神、仏、法、原理、道、霊など)をみとめる特定の観念であることを踏まえつつ、宗教とは人間の力や自然の力を超えた存在を中心とする観念であり、その観念体系に基づく教義、儀礼、施設、組織などをそなえた社会集団であるとまとめているのだそうです。
儀礼、祭祀の仕方、祭祀や儀礼を行う場所がある程度固まっているなら、山岳信仰でも、巌(岩)や樹木を信仰するのも信仰と言って、多くの場合の用語使用例にそぐわないことはないと思います。
ただ、一般例では、やはり教義の中心、教義の体系を備えていることが、宗教と呼ぶ必要条件のように思われることが多いと思います。 もちろん、教義の不明確な神道や道教のようなものも宗教とすることが多いから、儀礼、施設、組織などが確立し、その祭祀などを主導するプロが専任でいると、教義はなくても宗教と呼ぶのだと思います。
創価学会は、その点微妙なところがありますが、一般には宗教と呼ぶでしょう。

宗教や信仰を考えるときに、あまりに単純化したいくつかの条件だけで考えたら、現実を見て切り分けることも、考えることも出来なくなると思います。
「信仰は神仏を信じ尊ぶが、必ずしも神仏に願うことはしない。宗教は神仏への願いを伴う信仰である」も、単純化しすぎるやり方だと思います。

言葉遊びをしているのではないとして、

日本語の「宗教」の熟語はまだ使用の歴史が短いそうです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%97%E6%95%99#.E8.AA.9E.E6.BA.90
「宗教」の熟語の意味はそれほど明確ではないのでしょう。
質問者さんやその他の方が「宗教は神仏への願いを伴う信仰である」と定義をすることはご自由でしょうが、一般の日本語の「宗教」の使い方とは不一致のケースが出てしまうと思います。

「信仰は宗教を内包する。宗教ではない信仰も存在するが、信仰ではない宗教は存在しない」という...続きを読む

Q宗教か詐欺の勧誘の断り方

こんにちは。
大学生の男です。

宗教か詐欺の勧誘で困っています

先日、買い物中に男3人に話しかけられ、
少しおかしいと感じながらも立ち話をしました。
そして、携帯の番号を聞かれ、教えてしまいました。

3人に囲まれて、教えないと逃げれない雰囲気になってしまったので。。。
っで、予想通り、今度の休み会いませんか?と連絡がきました

我ながら、バカなことをしたなと思いながら、
このまま会うわけにも行きません。

学校や学科名、住んでる市町村までバレているので、
怖さが異常です。

今後の対応として適切な行動を教えて下さい。


考えられる選択肢としては、
1, 無視
2, 返信して、連絡してこないように言う
3, 2に加え、こちらの番号を消してもらう。
4. 警察に相談

これぐらいしか思いつきません。

この中に適切な行動はありますか?
なければ、より適切な行動を教えて下さい。

どうかよろしくお願いします。

Aベストアンサー

答えは簡単、何か言って来たらはっきり断わる。二度と連絡しないように言う事。
その際にどこの誰なのかをキチンと聞きましょう。

そもそも大学生にもなって、知らない相手に電話番号を教えるほうがおかしい。
騙されたのならともかくも、宗教か勧誘かもわからないではあなたに非があるとしか言えませんよ。
「大学生だから」ではありません、「大学生にもなって」です。

その上で連絡してきたらすぐに警察に連絡、相談として受けてもらう。
更に言って来たら、被害として警察にどとける。強い言い回し、後へは戻れないみたいな事を言われたり金を要求されても同じ。この場合はキチンと長所をとってもらうこと、適当に済ませようとしたら警察を脅してもいい。
親や友人らに経過を細かく話し、そのことを警察に言うこと。
恥ずかしいと誰にも話さないと、警察も動きませんよ。貴方の動向を知る人を作ることです。

毅然とする事が第一で「今度かけてきたら警察に言うぞ」などと脅すようなことは言わない。かけてきてから「執拗なので親と友人と警察に相談した」というべきものです。
通常ならここで、状況を知る人が多いことに反応してやめると思います。
電話が着たらすぐに相談した相手に状況を伝える事。本当に相談しているか確かめるためにもう一度電話してくる可能性もあります。
相談した相手が不在でも適当に5分くらいは通話状態にしておく事です。

できれば携帯を取り替えるくらいはしてもイイと思いますけどね。
面倒だからと思うなら、最初から人に教えない事です。
その場しのぎが以下に面倒かということを知るべきでしょうね。

答えは簡単、何か言って来たらはっきり断わる。二度と連絡しないように言う事。
その際にどこの誰なのかをキチンと聞きましょう。

そもそも大学生にもなって、知らない相手に電話番号を教えるほうがおかしい。
騙されたのならともかくも、宗教か勧誘かもわからないではあなたに非があるとしか言えませんよ。
「大学生だから」ではありません、「大学生にもなって」です。

その上で連絡してきたらすぐに警察に連絡、相談として受けてもらう。
更に言って来たら、被害として警察にどとける。強い言い回し、後へは...続きを読む

Q信仰義認説と絶対他力について

ルターの信仰義認説は「意図的な行為によっては救われずただ信じることでのみ救われる」という点で親鸞の絶対他力と似ている、という認識に誤りはあるでしょうか?
宜しくお願いします。

Aベストアンサー

 こんにちは。

 ▲ わがはからひにあらず。
 ☆ という親鸞の表明において 《信仰義認》と同じであると言っていいのではないでしょうか。

 ▲ (親鸞:自然法爾の事) ~~~~~~~~~~~~~~~~~
  http://www.asahi-net.or.jp/~yi9h-uryu/qa/s-zinenhouni.htm

 「自然(じねん)」といふは、
 「自」はおのづからといふ、行者のはからひにあらず、
 「然」といふは、しからしむといふことばなり。しからしむといふは、行者のはからいにあらず、如来のちかひにてあるがゆゑに法爾といふ。
 「法爾」といふは、この如来の御ちかひなるがゆゑに、しからしむるを法爾といふなり。法爾はこの御ちかひなりけるゆえに、およそ行者のはからひのなきをもつて、この法の徳のゆゑにしからしむといふなり。
 すべて、ひとのはじめて はからはざるなり。このゆゑに、義なきを義としるべしとなり。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 もし 《義なきを義としるべしとな》る《絶対他力》に近い表現を探そうと思えば 次のようだと考えます。
 ◆ 風は気ままに吹く。
 ◆ 神は憐れもうと思う者を憐れみ 慈しもうと思う者を慈しむ。
 ◆ わたしは〔双子の兄弟であっても〕エサウを憎み ヤコブを愛した。

 ☆ 旧い約束のほうで言われているものですから キリスト・イエスの出現とことばで包まねばならないでしょうが 信仰は 非思考において 受け身から始まることを示していると考えます。

 こんにちは。

 ▲ わがはからひにあらず。
 ☆ という親鸞の表明において 《信仰義認》と同じであると言っていいのではないでしょうか。

 ▲ (親鸞:自然法爾の事) ~~~~~~~~~~~~~~~~~
  http://www.asahi-net.or.jp/~yi9h-uryu/qa/s-zinenhouni.htm

 「自然(じねん)」といふは、
 「自」はおのづからといふ、行者のはからひにあらず、
 「然」といふは、しからしむといふことばなり。しからしむといふは、行者のはからいにあらず、如来のちかひにてあるがゆゑに法...続きを読む

Q宗教について

脱会するなら、お前とは縁を切るからな、と言われました。

どんな宗教を信仰すれば、身内が身内にこんなことを言うようになるのでしょうか

両親から、信仰すれば良いことが絶対にあるからと言われ、どういう理屈で? と訊くと、口ごもります

幼い頃から祈りを強制されてきました。

その時間も、無意味で理不尽な拘束としか思えませんでした。

両親や親戚のことは嫌いではありません。

ですが、熱心に祈っているみんなを見ていると、宗教の怖さという言葉や、ニュースで取り上げられる過激な宗教家たちのことが頭をよぎります。

幼い頃から、違和感を抱いてはいましたが、最近、なんだか怖いんです。

ネットの全てをうのみにはしませんが、火のないところに煙も立たないとはおもうんです。

もちろん、ニュースで取り上げられる過激派たちのように、ネットにあげられる事例も、何千万や、十何億人いる信徒のごく一部なのだと言うことはわかっています

芸能人の誰それも、私達と同じ宗教を信仰しているんだよ、と言われても、それが? としか思えません

私の周りにいる、誰も、両親や親戚の進行している宗教を良いものだとは言っても、具体的に何がどういいのかを、説明してくれず、ただ、一心不乱に、良いことが起こるから、絶対ためになるから、としか言わないんです

両親とも、それほど熱心ではないし、私自身、数年前に行われた親族の葬式以来、祈りの言葉を唱えてもいません

祈りの最中における、瞑想のような状態が心に与える効果なら理解出来ますが、彼らのあの、熱心な、猛進ともいえる形容が、どうにも怖くて仕方なく、正直、それほど愛着もないので、抜けようかと思い、脱会しようかな、と会話の間に挟んでいってみました。

すると、顔を真っ赤にして、脱会したら、お前とは縁を切るからな、私達を裏切るのかと言われました。

両親は、二人とも優しくて温厚な人ですし、私を養ってくれ、愛してもくれました。

そんな親から、そんなことを言われ、とても、ショックで、悲しくなりました。

愛情ではなく、家族の一員だからという意識からでもなく、私は家族ではなく、その宗教の一員だったのか、一員として、育てられたのか、などと思い、とても悲しくなりました

両親にそんなことを言わせる宗教が、憎くもなりました

両親には秘密で、その宗教を抜けようかとも思い、手続きなどを調べてもみました。

脱会の際に、なにかされたりするんじゃないか、家族が酷い目にあわされるんじゃないか、どこかから両親に情報が漏れて、一方的に縁を切られるんじゃないか、などと、不安が頭の中を埋め尽くしています

その宗教を熱心に進行している人たちには、大変申し訳ないのですが、幼い頃から、両親に強制されたり、根拠のない論説で頭を混乱させられたりなどと、その宗教には、本当に、良い思い出がないのです

私はまだ、幼いですし、狭い視野でしか物事を判断できません

しばらくはこのことが頭から離れないでしょうし、もしかしたら、今の気持ちが変わることもあるかもしれません



学会の方々には本当に申し訳ないと思います
ですが、回答を得るためにも、名前を出させていただきます

創価学会です

脱会した人たち、その後に家族の皆様との関係がどうなったか、など、教えていただけると幸いです

それ以外のことに対してはお訊ねしません

宗教を否定する人の言葉も、肯定する人の言葉も、怖くて、聞きたくないんです

色々と読みにくい場所や、首を傾げてしまう場所もありましたでしょうが、回答お待ちしております

脱会するなら、お前とは縁を切るからな、と言われました。

どんな宗教を信仰すれば、身内が身内にこんなことを言うようになるのでしょうか

両親から、信仰すれば良いことが絶対にあるからと言われ、どういう理屈で? と訊くと、口ごもります

幼い頃から祈りを強制されてきました。

その時間も、無意味で理不尽な拘束としか思えませんでした。

両親や親戚のことは嫌いではありません。

ですが、熱心に祈っているみんなを見ていると、宗教の怖さという言葉や、ニュースで取り上げられる過激な宗教家たちのこ...続きを読む

Aベストアンサー

人生経験が短い高校生がご回答をしてしまい、おこがましいと思われますがお許し下さい。

わたしはキリスト教を信仰しています。
わたし自身からではなく、母方の祖父母からの信仰だったようなので、わたしは自然に生まれた時からキリスト教を信仰しなさい、といわれていました。
ですが、強制ではなく、神様(イエス・キリスト)を信じられる様になったら信じればいいよ、それまでは神様のお話を聞いてみないかな、という感じでした。

わたしはなかなか信じることが出来ませんでしたが、とあることがきっかけで中学2年生の時に信じようと自ら思いました。

そのきっかけの時に出会った女の子は、家が無宗教でおまけに家にいて家族といたくない、という理由でキリスト教を信仰していたそうです。(教会へは彼女一人でいっているそうです。)

どんな宗教(悪いものは除きますが。)でも、本人が信じていればそれでいいと思います。
ですが、それを信じられなかったり、不安、不満に思うようなら素直に信じなくていいと思います。

質問者様には厳しいかもしれませんが、自分を犠牲にして家族との縁を守るか、自分を守って家族との縁を犠牲にするか。
きっと今の質問者様はこのような状況にいるのだと思います。

わたしは質問者様に自分を大切にしてほしいです。
気付いた時にはもう後戻り出来なった、なんてことは宗教事ならよくあることです。
最悪の場合は自分が泥沼に沈んでいることにさえ気付かないまま沈んで行った、なんてことになるかもしれません。
この様な最悪のケースは自分では分からなくなっており、他人でないと分からないことがほとんどです。
もしも、本当に嫌ならば嫌だ、とはっきりいわないと後々大変なことに巻き込まれることもあるかもしれません。


その宗教を自分がどう思ったか、それを本当に信仰して行くのか、その宗教に一生を捧げられるのか。

これらをまずは考えて見てはどうでしょうか?


長々と長文、また勝手な見解を失礼致しました。
質問者様にとってよい方向に進みますことを祈っております。

人生経験が短い高校生がご回答をしてしまい、おこがましいと思われますがお許し下さい。

わたしはキリスト教を信仰しています。
わたし自身からではなく、母方の祖父母からの信仰だったようなので、わたしは自然に生まれた時からキリスト教を信仰しなさい、といわれていました。
ですが、強制ではなく、神様(イエス・キリスト)を信じられる様になったら信じればいいよ、それまでは神様のお話を聞いてみないかな、という感じでした。

わたしはなかなか信じることが出来ませんでしたが、とあることがきっかけで中...続きを読む

Q宗教は 個人の信仰という蝉のその抜け殻である。

次の説明によって標題の成立を問います。

1. ひとは 《かみ》ということばを持った話。

老いた人間が或る日或る朝起き上がらない。いつまで眠り続けるのかと思っていた
ら 臭い。蛆虫がたかっている。

あぁ われらの精神はいくら高いこころざしを持ったとしても移ろいゆかざるを得
ない。
初めの心に立ち戻ることは出来る。
ただしそうしても 身はやがて朽ちて行かざるを得ない。

このようにままならぬ人生と世界から自由な――たとえばその不老不死なる思いを
鏡に事寄せて願いながら――《もの(つまり お化け)》を 人びとはその思いの
中に得た。これを《かみ》と呼んだ。

自分たちを相対的な存在であると思い知ったゆえに 絶対を神として持った。

2. 神とわれとの関係は 信じる(そのままを受け容れる)と呼んだ話。

神とのカカハリは 絶対だと知った。

もし仮りにその神が やっとさづけてくれた息子を いやいや初穂としていけにえ
に差し出せと言ってきたら あなたはどうするか?

アブラハムというぢいさんは なやんだ。くるしんだ。ひどくあたまも心をも痛め
た。朦朧とした精神のなかで それでもその長子で独り息子を やはり神にゆだね
ねばならないかと思って そのいけにえの場まで連れて行った。そのときふと《ひ
とは 自分をも他人をも ころさない》といったヒラメキを得た。と言います。

これが ひとつの信仰の動態であると言えましょう。

3. では 宗教とは何かの話。

モーセという男は 個人としてはアブラハムぢいさんと同じように 神を心にいだ
きつねに基本的に重要なことは神からのヒラメキにしたがって決断し行動していた。

ただし 周りの人びととの人間関係において・あるいは はらから(同胞)との間
のマジハリにおいて 互いの不平や苦情やケンカをどう扱いどう処理するかをめぐ
って こんどは考えなければならなくなった。

そこで――早い話が―― アブラハムの信仰の内容を表わした言葉があったのを捉
えて たとえば 《なんぢ ころすなかれ》(不殺生戒)という命題とし規範とし
た。人びとのあいだの秩序を 個人の内面の信仰とは別に 重んじた結果である。

この倫理規範が オシへであり これを人びとが守るべしというオキテとなれば
宗教が成立する。

ほんとうは 個人の心の内面における《神とわれとの関係》が 何よりも大事で
ある。ただそれをも守るために 表向きの秩序を或る意味で優先させた。そのと
き出来たのが 宗教である。

ほんとうは 宗教は 個人の信仰という蝉のその抜け殻である。

次の説明によって標題の成立を問います。

1. ひとは 《かみ》ということばを持った話。

老いた人間が或る日或る朝起き上がらない。いつまで眠り続けるのかと思っていた
ら 臭い。蛆虫がたかっている。

あぁ われらの精神はいくら高いこころざしを持ったとしても移ろいゆかざるを得
ない。
初めの心に立ち戻ることは出来る。
ただしそうしても 身はやがて朽ちて行かざるを得ない。

このようにままならぬ人生と世界から自由な――たとえばその不老不死なる思いを
鏡に事寄せて願いながら――《...続きを読む

Aベストアンサー

表題は成立していると思いますが

1と2が飛びすぎている間はあります
1で相対的な人間に対し、絶対という神を、その内面(精神)に作った

ここで神は絶対無比のただの思い(思念体)となっているのに

2では、その自分の思念体が、何故に自分の子供をイケニエにしろというのか
絶対無比の存在から、自分の思念とは別の相対的な絶対の存在となっています
ということは相対的な存在にランクダウンしています
ここで1との矛盾があります

でも神が絶対でも相対でも、どのポジションにしても
アブラハムぢいさんの信仰を命題としただけで宗教は蝉の抜け殻という事は成立していると思います

標題は成立していますが、1と2と3が繋がっていない

そんな感じに私は見えますね

Q橋龍元首相がアメリカの怖さを言った?

普天間問題が連日ニュースで取り上げられていた時期にテレビで見たのですが、
しっかり見ていなかったので、少しでも詳しいところを知りたいです。

橋本龍太郎が首相だったときに、当時の沖縄の知事か市長か誰かが「貴方はアメリカの怖さを知らないから」と橋龍から言われたと話していました。

アメリカの怖さについて言ったのは確かに橋龍と聞き取れましたが、それを聞いたのが誰だったのかうろ覚えで気になります。

また「アメリカの怖さ」というのは漠然とそうだろうなとは思うのですが、具体的にはどんなことでしょうか。

Aベストアンサー

橋本龍太郎 OR 橋本首相 OR 橋本元首相 沖縄 "アメリカの怖さ"
としてサーチしてみました。

http://kokuminrengo.net/shinro/2009/08/post-8.html
アメリカの核の傘から抜け出し核兵器廃絶をめざそう
元広島市長 平岡 敬 さん

>私が広島市長だった1997年8月6日、平和宣言で「日本政府に対して『核の傘』に頼らない安全保障体制構築を要求する」と主張しました。他国から見れば、アメリカの「核の傘」に入っていることは、核保有国と同等です。
.....
>同席していた当時の橋本首相が「できっこない。市長はアメリカの怖さを知らない」と声をかけてきました。「何が怖いんですか」と聞いても返事はありませんでした。日本の首相はアメリカに気を使い、アメリカが怖いのでしょう。戦後の日本はアメリカに占領され、「独立」と同時に日米安保条約を締結し、アメリカ追随が続いています。日本は本当の意味で「独立」できていないと感じました。

以上の通りです。


一般的な情報しか知りませんが、田中角栄氏、鈴木宗男氏、小沢一郎氏(小沢氏秘書)など、日本とアジア各国の平和交渉を進めたり、アメリカと中国他との等距離外交や独自の資源外交、北方領土の二島先行返還等を目指そうとされた人々は、官僚、経済界、そのバックのアメリカ等からの強い影響力の下にあるマスコミからのネガティブキャンペーンや特捜部の国策捜査、検察審査会の強制起訴等が図られ、捏造証拠により有罪判決を受けられ、或いは受けられようとしています。


鈴木宗男氏や小沢一郎氏のようにはっきりとした意見を持ち、外国と対等に議論し日本の国や国民の為に尽くす力を持った議員が、アメリカの影響を強く受けて次々にマスコミや特捜部、証拠ではなく一方の証人のみの疑惑の証言の元、推認により有罪判決を行う元検事の登石裁判長の冤罪事件等に巻き込まれ、国政が歪められてしまっています。

このままでは最後の砦の筈の裁判所が、判検交流を繰返し元判事の登石裁判長が推認で小沢氏秘書の有罪を判決し、同じく元外務省高官が裁判長として鈴木宗男氏の北海道長官就任祝いを強制的に賄賂と判決して刑に服させる事になりました。

これで民主主義国家と言えるのでしょうか。

"鈴木宗男 裁判長 元外務省 次官" にてサーチ ==>

http://www.asyura2.com/10/senkyo94/msg/421.html
鈴木宗男追放キャンペーンを張った、竹内行夫元外務事務次官が、
何と今、最高裁の裁判官(岩上安身Twitter)

"登石裁判長 元検事" ==>
http://blog.goo.ne.jp/ysnfd/e/311767ed52394dfa41d29ab4b28b94d4
登石郁朗氏は札付きの裁判長  過去に手がけた裁判にも批判の声


清廉潔白だが大した活動をしない議員、或いは疑惑はあるが既得権益層に尽くしマスコミや特捜部の庇護の元問題点を追及されることなく、TPP推進で関税自主権を放棄し農業/医療/金融/政府調達/労働など殆ど全ての24分野に渉り日本を外国に売り渡すに等しい行動や原発推進ないし擁護を図る勢力に日本が牛耳られた先にはどんな状態が待ち受けているのでしょうか。
格差や失業率の拡大、非正規雇用の拡大、企業の海外への逃避、マネーゲームの金融界など資本主義の限界が来ているのではないでしょうか。


"田中角栄 コーチャン証言"
==>
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/kakuei/rokiido_coochankaicorokuco.htm
「コーチャン証言、クラッター証言をどう見るべきか」考
「『コーチャン回顧録』から見えてくるもの」考

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=157878
アメリカCIAにより仕組まれた「ロッキード事件」
~田中角栄の賄賂だけを欧米のマスコミに騒がせるよう工作

http://ja.wikipedia.org/wiki/ロッキード事件


"鈴木宗男氏 北海道開発庁長官就任祝い 賄賂認定 有罪判決"
"北海道開発庁長官就任祝い 賄賂認定 有罪判決 やまりん OR 島田建設"
==>
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/seitoron/seijikasotuishi/suzukimuneoco/saibanco1.html
鈴木宗男議員のその後の裁判闘争考

鈴木宗男氏は活発な議員活動をされていたし、特捜部や裁判の問題点、取調べの可視化の必要性等に関しても鋭い指摘をされていました。このような有力議員に活躍されると北方領土問題の解決やソ連やアジア地域の相互協力や安定化が図られ、それらを良しとしない既得権益層やその裏に控える外国からの強い影響を受けて、議員の活動を妨害されているとしか考えられません。

http://www.muneo.gr.jp/html/page001.html
ムネオ日記

"鈴木宗男 youtube" でサーチし鈴木宗男氏の発言を聞いて下さい。

また、日本の首相は次々に変る、何で辞任するのか分らないと言われますが、これらもある筋からの圧力で日本の国民の為にならない資金協力や軍隊派遣、米国債買入れ圧力等に反発して辞任されたと言われています。

"辞任理由 福田康夫" でサーチ
==>
http://www.asyura2.com/09/senkyo58/msg/939.html
http://electronic-journal.seesaa.net/article/112214327.html
福田首相が辞任した本当の理由 ~渡辺喜美案「日本の外貨準備を米国に提供する」直前


世界情勢について詳しいサイトに次等がありますので参考にして下さい。
http://tanakanews.com/
田中宇の国際ニュース解説 世界はどう動いているか

次のサイトは軍事経済金融政治等の数多くの分野で、世界の主要マスコミ等が取上げようとしない、隠そうとしている問題等についての詳しい分析がなされています。
福島原発事故等の日本関係の記事も詳しいです。

http://globalresearch.ca/index.php
http://tv.globalresearch.ca/
カナダの独立系情報サイト

以下のような情報も参照下さい。

911事件
http://okwave.jp/qa/q6066706.html
アメリカ同時多発テロ事件 911テロ事件
1時間以上に亘って他の民間機は着陸指令の下、テロリストの乗った航空機?自動操縦機のみが首都圏上空をスクランブル発進機の妨害や強制着陸や撃墜を受ける事も無く自由に飛びまわり、ツインタワーやペンタゴンへ突入したとの世にも不思議な物語です。

首都圏防衛の責任についての追求を受けた担当者や上官は誰も居ず、責任追及委員会を作ろうともせず、全員順調に昇進していったとの事です。

このような事が当局者の関与無しに実行できる事は全くありません。
偽旗作戦 false flag operationの明白な実例です。


天安艦事件
http://www.asyura2.com/10/warb6/msg/457.html#c2
韓国米国共同の対潜水艦攻撃訓練中にヘナチョコ北朝鮮潜水艦がノコノコと繰り出し、韓国の軍艦を魚雷攻撃して沈没させ、見つかる事も無く無事基地まで帰還する事が出来たとの御伽噺です。こんな事が本当に起ると誰が考えますか。

訓練中に起きた単なる衝突事故、或いは残留機雷との接触事故にしか過ぎないのに、肝心の衝突事故発生事故前後の熱像監視装置のビデオは衝突前後数十秒間の部分のみは何故か軍事秘密?複数個の監視装置がその間のみ都合よく別の方向を見ていたとして公開されていません。

韓国、米国の当局者、日本の防衛省や官僚マスコミ等はやはり米軍に助けてもらわなければとして国民を洗脳し、鳩山元首相も騙されて普天間基地の辺野古沖への移転問題を五月末迄に解決できず辞任に追い込んでしまいました。

リビア事件
http://okwave.jp/qa/q7064230.html
シリア動乱について (及びリビア情勢について)

>民主化運動は意図された政権転覆工作であり、邪魔者となったカダフィ大佐を殺害し、その後指導者のいなくなったリビアを支配下におくための計画であることは誰の目にも明らかである。
リビア情勢の真相は石油利権と通貨の問題だ。

橋本龍太郎 OR 橋本首相 OR 橋本元首相 沖縄 "アメリカの怖さ"
としてサーチしてみました。

http://kokuminrengo.net/shinro/2009/08/post-8.html
アメリカの核の傘から抜け出し核兵器廃絶をめざそう
元広島市長 平岡 敬 さん

>私が広島市長だった1997年8月6日、平和宣言で「日本政府に対して『核の傘』に頼らない安全保障体制構築を要求する」と主張しました。他国から見れば、アメリカの「核の傘」に入っていることは、核保有国と同等です。
.....
>同席していた当時の橋本首相が「できっこない。市長...続きを読む

Q宗教を強く信仰している人には悩みや後悔など無い?

人間には色々な場面で悩みが付き物なのですが、これって考えてみると、困難な問題でも自分で判断し決断しなければいけないから悩むのですよね?

つまり右に行くか左にするか、どちらが良いか分からないのに自分で決断しなければいけないから、悩みやストレスが生まれるのだと思います。

だとすれば、何でも良いのですが、ある特定の宗教を強く信仰している人は 「これは神(あるいは仏)が決めた事だから仕方ない」 と考え、全て成り行きに身を任すのであれば、悩みとかストレスとか関係の無い人生を送っていると考えられるのですが、実際どうなのでしょうか?

よく人生につまずいた人が新興宗教に嵌りやすいと聞きますが、信者になって何か胸のつかえが取れるから嵌るのではないかと思うのですが ・・・

例のオーム真理教も未だに信者が離れないと聞きます。

強く信仰している信者には、悩みやストレスなど無く、みんな幸福なのでしょうか? 何か大きな失敗をしても 「神の思し召しだ、仕方無い」 と、スパッと諦めがついて後悔する事など無いのでしょうか?

もし、どんな宗教の信者でも悩みやストレス、それに後悔から解放されないのであれば、宗教を信仰する意味が無くなるように思うのですが ・・・

ちょっと気になったので質問してみました。 あ、それと私は特定宗教の信者でもありませんし、また勧誘するような立場でもありません。 一般論で結構ですので、ご意見を伺いたいと思います。

人間には色々な場面で悩みが付き物なのですが、これって考えてみると、困難な問題でも自分で判断し決断しなければいけないから悩むのですよね?

つまり右に行くか左にするか、どちらが良いか分からないのに自分で決断しなければいけないから、悩みやストレスが生まれるのだと思います。

だとすれば、何でも良いのですが、ある特定の宗教を強く信仰している人は 「これは神(あるいは仏)が決めた事だから仕方ない」 と考え、全て成り行きに身を任すのであれば、悩みとかストレスとか関係の無い人生を送っている...続きを読む

Aベストアンサー

>人間には色々な場面で悩みが付き物なのですが、これって考えてみると、困難な問題でも自分で判断し決断しなければいけないから悩むのですよね?

ご説の通りだと思います。私はプロテスタントのクリスチャンですが、激動する時代にあって、ご自分の力だけを信じて、真っ暗な海に放り出されて荒波を超えてゆくようなのが人生ならば、その人生は極めて心細いものと思います。私はしばしばクリスチャンで無い方々の中に実は尊敬に値する行いをしている方々をより多く見出します。

一方クリスチャンは日々の生活を神により与えられたものとして受容しておりますので、心配事や悩み事を神にあずけて、知らずに危険なことをしている場合があります。それがたとえば人のためであるとしても、それはクリスチャンにとってなにか誇りではございません。自分の力で行っているわけではないからです。

>悩みとかストレスとか関係の無い人生を送っていると考えられるのですが、実際どうなのでしょうか?

悩みやストレスがないという世界からは程遠いと思いますが、もしクリスチャンとしてイエスキリストを知ることがなかったら、おそらくその悩みやストレスは地獄の苦しみだったのではないかと思います。若い時に突然イエスキリストに出会って、イエスキリストのように生きてみたいと決断した時のことは30年以上たった今も忘れることができませんが、それは大きな悩みの世界から大きな歓喜の世界に突然移された体験です。自分の力ではないと思います。聖書では「人にはできないが神にはできる」という世界だと思います。しかしながら悩みやストレスが無いということはキリストの世界を知らない方々に誤解を与えてしまうと思います。つまり聖書では次のように述べています。

「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。」(ヨハネ14:27)

これはイエスが死ぬ前に語られたことであり、その弟子たちにとっても自分の命が失われるかもしれない状況で語られています。

>もし、どんな宗教の信者でも悩みやストレス、それに後悔から解放されないのであれば、宗教を信仰する意味が無くなるように思うのですが

その通りと思います。死に直面した時に平静でいられるかどうかということは非常に重要なことですが、実は少しばかりのことですぐに動揺してしまうものとしては、大きなことが言えません。ただしクリスチャンの喜びのある部分が実は自分が死んでゆくということに起因していると気づくことがあります。家族やこの世のもろもろの事柄を後に置いて旅立つということはさびしいことですが、と同時に喜ばしいことと感じてしまう感情を湧いてくることを抑えることができません。

ご質問者さんの多くの疑問にこたえるために教会があり、牧師がおりますので、尋ねてみてください。

>人間には色々な場面で悩みが付き物なのですが、これって考えてみると、困難な問題でも自分で判断し決断しなければいけないから悩むのですよね?

ご説の通りだと思います。私はプロテスタントのクリスチャンですが、激動する時代にあって、ご自分の力だけを信じて、真っ暗な海に放り出されて荒波を超えてゆくようなのが人生ならば、その人生は極めて心細いものと思います。私はしばしばクリスチャンで無い方々の中に実は尊敬に値する行いをしている方々をより多く見出します。

一方クリスチャンは日々の生活を...続きを読む


人気Q&Aランキング

おすすめ情報