天動説から地動説が主流になって、
1992年にようやくカトリック教は、天動説の誤りを認めて地動説を受け入れました。

このとき、カトリック教の信者は、カトリック教に対して不信感を抱かなかったのでしょうか?
さすがに「神の存在は嘘だった!」とまではいかなくとも、なんらかの疑いの目は持たなかったのでしょうか。
それともそんな疑問さえ持たないぐらいに、洗脳を受けているものなのでしょうか。
天動説に関して神が大地を固定した、みたいな話を聞きました。
地動説を認めたとき、カトリック教はどう言い訳したんでしょう?

そもそも神様に関するストーリーが、宇宙を知らないどころか海の向こうさえ知らない存在の視点で書かれているのが滑稽な気がします。
彼らの言う「世界」に地球の外は含まれていないというか、考慮されていないようで、まるで地球の外どころか海の向こうさえ知らない、当時の文明でわかる範囲を基準に一般人が考えた小説みたいですよね。
どれも神様とやらの所業は、なぜか人間に合わせたものばかりな気がします。

他にも探せば「人間の想像力らしさ」が多く見つかると思いますが、それでいてどうして人々は宗教を信じてしまうのでしょうか。
科学的根拠や歴史を無視してでも、見たこともない人伝てとも言える空っぽな言葉に信頼を置くのでしょうか。彼らには勘違いや偶然といった概念はないのでしょうか。
人が不可解な事象に不安や恐怖をいだき、それを解消するために理由や正体を求め、わからないから「想像」で非科学的な存在を使った結論に甘えて妥協してしまう。それが原因なのでしょうか?

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A 回答 (4件)

初めて回答するので、うまくお答えできるか不安なのですが……。



まず、質問者様のおっしゃる宗教や神の概念は、具体的にキリスト教のことを指すと思います。宗教とはいえ、色々とあるので、多神教や仏教なんかだと、かなり受ける印象は変わります。

天動説については、洗脳というより、新しい学説を当時の人々が受け入れがたかったということでしょう。現在では、バチカンも地動説を認めてますし、謝罪もしてます。ただ、それが2008年なのは、遅すぎだと思いますが。

次に、キリスト教が人間に都合よく出来ているというのは、他の回答者様も書かれてましたが、本当だと思います。
「そもそも神様に関するストーリーが、宇宙を知らないどころか海の向こうさえ知らない存在の視点で書かれているのが滑稽な気がします。彼らの言う「世界」に地球の外は含まれていないというか、考慮されていないようで、まるで地球の外どころか海の向こうさえ知らない、当時の文明でわかる範囲を基準に一般人が考えた小説みたいですよね」
その通りですよ!だって、海の向こうさえ知らないときに「人間」が考えだしたものですから。

<化学>と<宗教的事実(天動説など)>の矛盾についてですが……
やはり、どれほど信仰を抱いている人であろうと、<化学>と<宗教的事実>とされていることへの矛盾には悩むみたいです。
また、何か不幸や困難にぶつかった時に、絶対的な権力を持つ神に「こんなに信仰していたのに、どうして!」と思ったり。
信仰と葛藤は必ずセットであります。ただ、それを表に出す人が少ないのと、クリスチャンでない人がクリスチャンと宗教についてお話する機会があまりないのも原因かと思われます。

では、なぜこんなに矛盾を抱えたキリスト教がたくさんの人に今なお支持を得ているかというと、やはり彼らの苦しみを癒してくれる「何か」があるからだとしか言いようがありません。

「何か」とは、色々とあるのですが……

やはり、化学だけでは解明できないことって、この世にはありますよね?
キリスト教に限らず、そういうときに、宗教が答えを示すことって多いと思います。
例えば、死後の世界、世界の始まり&終わり、道徳観の提示、社会的ルールなど……。

厳しく言うと質問者様がおっしゃられたように「非科学的な存在を使った結論に甘えて妥協して」いるということでしょう。
ですが、こうは考えられないですか?「甘えて妥協して」るのではなく、宗教が人に癒しを与えているのだと……。

例えば、お葬式なんかだって、宗教行事ですよね?
お葬式をする、お焼香する、などで死者と生きている私たちは、きちんとお別れができる。
つまり、死者と生者を繋ぐ架け橋って宗教なんです。

また、キリストの説く隣人愛などは、クリスチャンでない私でも感銘を受けます。
もちろん、キリスト教を起因とした紛争(パレスチナ紛争など)なども起きてますし、解決すべき問題は多々あります。(未だに天動説などを受け入れられない人がいることも含め)

最後に!
宗教の捉え方って本当に人それぞれで正解なんてないです!
同じ教会に通っている同じ宗派の方でも、よ~くお聞きすると、キリストや神について異なる考えを持っていたりします。
ですから、質問者様のお考えもそのままで十分正解です。

世の中には、様々な宗教観があります。
森鴎外「かのように」、遠藤周作「青い葡萄」「海と毒薬」、太宰治「駆け込み訴え」、芥川龍之介「西方の人」なんか読むと、キリスト教についてまた違ったイメージを持てると思います。

特に、遠藤周作お薦めです!彼自身、カソリック教徒です。

あと、ミュージカルの「ジーザス・クライスト・スーパースター」とかもかなり面白いです。
キリストとユダの一筋縄ではいかない関係性を描いてます。

質問者様の考えや、宗教に関するイメージはかなり一面的なもので、実際にはもっと複雑です。

教会へ一度足を運ばれるのも手ですが、信用のできる神父さんや牧師さんを探すのは大変だと思いますので、まずはご自身で調べてみてはいかがでしょうか?

きっと価値観が変わります。私もそうでした。

長文+読みづらい文章で失礼致しました。
しかも、かなり生意気なことを言ってしまい、申し訳ないです。
私は個人的な興味から、独学で宗教について学んでいるので、どれ程ご参考になったかわかりませんが、何か感じていただけたら幸いです。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。
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この回答へのお礼

>海の向こうさえ知らないときに「人間」が考えだしたものですから。
私もそう思います。
決め付けるような結論なので控えていたのですが、私個人の意見としましては、神や魂といった考え方は猿から進化した人間に備わった高度な知能による想像力で、自然界が擬人化されたことで生まれたことだと考えております。これは以前読んだ宗教学(タイトル忘れました……)に関する本を参考にしたものですが……。
今でこそ、例えば嵐はどんな仕組みで発生するのかは判明していますが、当時はそんなのわかりません。だから少ない判断材料で、自分たち人間を基準に嵐にも意思疎通ができると考え、「あの嵐に土下座して許してもらおう」みたいなふうに考えたのかもしれません。
自分がそうだから、あれもそうであるといったふうに。

>質問者様の考えや、宗教に関するイメージはかなり一面的なもの
これには同意です。
私はあまり宗教に知識も理解も深くありません。浅い知識からくる偏見といっても過言ではないです。
そして私はあえてそれを根底にすることで、違う価値観との比較という思考実験をしてみたいのです。

結局宗教はたとえ神という存在が否定された現実がやってきても、宗教を弱った心のすがり先にする人は現実なんて認めたくないからその現実を認めないでしょう。彼らから永遠に神が消えることはないでしょうし、人間は猿から進化していないことになるでしょう。
あるいは、道徳観の提示、社会的ルール、芸術などの文化、人心の統制など政治の道具、そして人生の生き方の見本という形で、神が不在になってもそれは様々な形態になり残っていくと考えます。

私は人間の作った神は信じてはいません(ただし宇宙を人間の作った神とは別のなんらかの意思ある存在が作ったかもしれないという理論までは否定しません)が、神というキャラクター、天使や悪魔というキャラクター、魔法という要素を生み出したキリスト教やそれに関連するものは、芸術として文化として尊敬しています。

ご回答、ありがとうございました。
結局、人って、信じたい物しか信じられないんだと思います。
私もそうです。みんなもそうです。
これからも、たとえ神様が否定されるような未来がきても、神様の存在を信じる人は残るでしょうね。

余談ですが、未だに天動説を支持している集団がいるそうですね。

お礼日時:2011/04/23 06:33

ヨーロッパ合理主義の祖デカルトも本気で神のことを語ってますね。

ヨーロッパの歴史的な天才思想家達が神のことを語り続けて来た。数え上げたら切りがない。どう考えたって彼等は普通の人よりも論理的に物を考えことができると思える。そんな連中が、何でこれだけ論理的に不合理なことを語り続けて来たんだろうか。ただ単に古い人達で洗脳されていて、貴方のように筋道を立てて考えることが出来なかった人達だったのでしょうか。そして、貴方の言っているようなことがその原因なのでしょうか。そうかもしれない。貴方の方がその天才と呼ばれていた達よりも遥かに優れているのかもしれない。あるいはもしかしたら宗教に付いて貴方が何か誤解をしているのかもしれない。さあ、どちらなんでしょうか。これって、貴方は馬鹿なのか利口なのかの判断を下す良い練習問題になっていると思いませんか。

誤解なさらないように。ソクラテスの無知の知ってえのもありますから、どんな結論が出て来ようが、貴方が落ち込む必要はありませんよ。また、善人なおもて往生をとぐいわんや悪人をや、なんちゅうソクラテスが手を打って喜ぶような言葉もありますから。まあ、善人か悪人かは利口か馬鹿とは違いますが、言ってることは似たようなもんです。

もう一つの練習問題を差し上げます。新約聖書を読むとイエスが自分の父以外を拝むことを禁じています。また、偶像を造ることも禁じています。ところがカソリックの教会に行くとマリア様の像あり聖人達の像ありで、信者達がその前で拝んでいます。カソリックってイエスの言っていることを全く無視しているのですね。どうなっちゃっているのでしょうか。それはおかしいってんでプロテスタントが出来ましたが、相変わらずカソリックの方が信者の数が多い。カソリックの信者ってそんなに筋の通らない連中なのでしょうか。そして神父達に洗脳されているだけの連中なのでしょうか。そうかもしれない。あるいは、まだ貴方が気が付かないでいる他の理由があるのかもしれない。これが練習問題です。

私は若い頃はキリスト教の中ではプロテスタントの方に軍配を上げていたのですが、人間を長年やって来て、どうもカソリックの方のが余程人間のことを良く知っていると言う気になって来ています。さあ、貴方はこれをどう思いますか。
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この回答へのお礼

二度もご回答ありがとうございます。

そうですね、あなたが最初に仰ったとおり、やはりどのような素材があれど明確な答えはないんだと思います。というより、出した答えの真偽を証明できないといえばいいんでしょうか。
今までわからなくて、神の業や魔術、呪術と呼ばれたものは、今の時代では科学的に解明されているものもあります。しかし一方でまだ証明できず憶測の域を出ず、説明付けることのできないもの、あるいはしていても私たち一般人にとって常識化されていない知識のために、不可解な現象に見える(例えばフィルムのミスなどによる心霊写真など)ものもあります。

世の中わからないことだらけですね、まだまだ。
だからこそ、様々な偉人が悩み、そして色んな千差万別の答えを出してきたのだと思います。

結局は自分なりに納得出来る答え……価値観、あるいは方向性に出会うことで決着付けるしかないんだと思います。

キリスト教には様々な宗派がありますし、キリスト教そのものとカトリック教を安易に比べてもいけない気もしますが、結局は人間というものに対しての捉え方の違いで私にはどちらがどうという答えは出せないですね。恐らくどちらも、「正しい」そして「知っている」のだと思います。

お礼日時:2011/04/23 06:05

あんた、今までに宗教って何だと本気で考えたことないんだちゅうことに気が付いてないんだね。

今回初めてそれを本気で考え始めたんだね。宗教って学問でも理屈でもないよ。んなもんで物事がわかるって皆が思ってるんなら、疾っくに宗教は無くなってるよ。じゃあ、宗教って何なんだろうね。そして、宗教って何のためにあるんだろうね。こう言うのは人に聞くよりは自分で考えるのが一番だ。
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この回答へのお礼

私は今まで宗教について、「どうして見たこともない神を信じているのか。どうして目の前にある科学的根拠や現実よりも、神父の言葉のほうが重要視されているのか。宗教の言葉のどこに価値を見出し、認めているのか」と疑問に思っていました。

また、考えてもいました。(とはいっても、四六時中考えているほど暇ではありませんが)

そして、自分で考えてもわからないことは、他人に聞いて参考になる情報を得ることが重要だと私は考えます。
それに自分だけで考えていては、どうしても考えが主観的に視野の狭いものになり、一つの側面の答えしか出ないように考えます。完全な主観の除外は難しく、どうしても客観的に思考しようとしても、脳の持ち主の主観的な思考が混じります。

だから質問して、参考意見をいただこうかと考えました。

当然、あなたの仰るとおり、最終的には自分で考えて、自分の口から答えを出そうと思っています。誰かの出した答えをそのまま自分の答えとするのではなく、誰かの出した答えで納得できる部分を思考材料に加え、自分の価値観と照らし合わせつつ、矛盾点を解消していきます。
とにかく情報の素材を集めて、今までと違う新しい価値観を見出そうと考えております。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/04/23 00:50

プロテスタントのクリスチャンですが、確かにカソリックの歴史のなかになにがしかの誤りがあり、その誤りに対して、聖書に帰りましょうと反乱(プロテスト)を起こした人たちの末裔が今のプロテスタントの教団や教会を形成しています。



>地動説を認めたとき、カトリック教はどう言い訳したんでしょう?

彼らを擁護するわけではないのですが、カソリックには時代の発見した科学的な事実の前では、前言を翻す柔軟性があったということと真摯さがあったというべきなのかもしれません。

>どれも神様とやらの所業は、なぜか人間に合わせたものばかりな気がします。

全くその通りと思います。聖書によればイエスキリストという神の子どもが人間の姿になって人々の前に現れなければ神という存在を想像することも理解することもできなかったと思います。「私は真理であり、道であり、命です。誰れも私を通してでなければ神を知ることができません。」とキリストは述べております。また、「 わたしを見た者は、父(なる神)を見たのです」とも述べています。キリスト教は宗教ではなく、キリストです。つまりキリストを知ることが神を知ることになります。そのキリストについて書かれているのが聖書です。だから私どもは神を知るために聖書以外の書物に依存しないのです。神は想像力や判断力の未熟なものを救うために具体的な姿で人々の前に現れたわけですから、ご指摘のように実に人間に合わせておられたと言うべきことと思います。

かつて複数の首相経験者や東大の学長を含む多くの大学の学長がクリスチャンでしたが、神様の目から見ますと、彼らでさえ十分すぎるほど未熟で理解力や判断力に不足があったということだと思います。従いまして下のような感想をお持ちになったのは理解できます。

>彼らには勘違いや偶然といった概念はないのでしょうか。
>「想像」で非科学的な存在を使った結論に甘えて妥協してしまう。

私どもは恐ろしく無知で無能です。それだけであれば愛すべき存在なのですが、罪にまみれておりました、何かを考えるとそれは自己中心にとらわれており、何かを行うとそれが罪の行為となってしまいます。何かを語れば、その内容は罪の悪臭で人々を辟易とさせるものであり、善意の中にも巧妙に罪が入り込んでおります。そのようなものにとって自分の都合で偶然を利用したり、無意味な概念をねつ造するなど朝飯前ですし、ご推察の通り自分の安寧のためであれば科学などの提唱する事実や現実などどのようにでも曲解してしまうのが人間なのではないかとおもいます。私どもクリスチャンは自分の内に希望がないということを知っています。また自分の人生も神なしにはおおむね無意味に近いものであると了解しています。

しかし、イエスキリストは十字架で命を捨てたことを知り、突然人であることの素晴らしさに気づきます。イエスのように生きることが最善であることを知ります。私どもはイエスの生きざまを知ることで新しい人生を歩むことができるようになったのです。なにか教えを守ったり、教義を理解したりすることが最重要だとも思っておりません。つまり人生や自分に意味を見出します。それがキリストをしることによりもたらされます。

初めに戻りますが、天動説であるとか地動説であるとかはキリストとは関係ないことと了解しています。聖書を物理の問題を解くための参考書として利用したり、経済学の解説書として読むことは本質を見失います。キリスト者を学問や理論でやっつけてみてもそれは私どもクリスチャンにとってはある意味で本質を揺るがされるようなことではございません。

お近くのプロテスタントの教会の牧師ともしご質問があるのであればお話をされてはいかがでしょうか。そのために牧師は存在しているのです。
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この回答へのお礼

まるでなにかしらの宗教を信じておられる方を怒らせるような質問の仕方をしたのに、ご丁寧にお答えくださり、ありがとうございます。

私は、あまり質問上の文章で表現できなかったのですが、信者の方々は「宗教」の中のどういった部分に価値を見出し、その中に所属しているのか知りたいと考えておりました。

そしておおよその答えを、導きだすことができたように思います。
自分が生きてゆく人生の教科書や道しるべとして、参考あるいは見本にしている、といった具合でしょうか。
神が存在するかしないかといったことを最重要視しているのではなく、宗教が提示する人生の生き方を重要視していたんですね。

その昔、宗教は政治利用もされ、人身統制の道具にされていた時代もありました。
中には過激化して魔女狩りのような悲劇も生まれました。
現代でも政治の道具という形態は一部政治家の支持票集めに利用されるなど、国内外問わず例がありますが、信じる人々にとっての宗教とはかなり形が変わっているふうに感じました。

すがるものから、教科書へと。
「宗教を信じるか否か」といった議論は愚問でもあるように思いました。
暴論かもしれませんが、たとえその宗教の信仰の対象にまつわることが実は本当は創作であったとしても、彼らが提示する「共感できる生き方の例」の素晴らしさに変わりはありません。

もしこの私の見解が間違っていればご了承ください。

お礼日時:2011/04/23 00:39

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Qキリスト教は矛盾していませんか

私は無宗教に近い、葬式仏教の日本人としてイスラム教とかキリスト教とかの宗教にも関心がないのですが、キリスト教が分かりません。
特別な神の子であるイエスが磔で死ぬのはおかしいし、処女懐妊もおかしい。 天地創造の神ヤーウェの力があれは 一瞬にキリストを創造し、無敵の生命力も持たすことができるだろうに、矛盾しています。精霊と神とキリストは一体だと三位一体説もあります。
普通に考えれば、ユダに裏切られたのも、他の弟子に3度知らないと言われたのも、信頼できない指導者であったとするのが自然です。 地域住民がローマ総督に訴えたのもアサハラのような人間であったと考えられます。 奇跡を行ったというのも、詐欺臭い。 復活したというのも騒乱罪で磔になったイエスが失神していて、4日後に意識が戻ったとするのが自然です。
なぜ大宗教になっているのでしょうか。

Aベストアンサー

大宗教になった理由は要するに、「ローマ帝国が国教にしたから」です。ヨーロッパ全土を支配する世界帝国が、キリスト教以外を禁じたのですから、信者が増えるのは当然です。

ではなぜローマ帝国がキリスト教を選んだかと言えば、「一神教だから」です。ローマ帝国は広大な領土をもっており、文化や宗教も多様です。これを1つの国としてまとめるには、土着の宗教を根こそぎ否定して、唯一神への信仰を押しつけるのが手っとり早いです。

一神教でありさえすれば、別にキリスト教でなくてもよかったのだろうと思います。
キリスト教が国教になる前、ローマ帝国は「ソル・インウィクトゥス」(不滅の太陽)という太陽神への信仰を広めようとしたことがあるそうです。太陽は1つしかありませんし、どこでも拝むことができますから、国をまとめる宗教として適当だと思われたのでしょう。ローマ帝国にとって重要なのは、政治に役立つかどうかであって、教義などの中身は二の次です。

ともあれ、それなりに信者が多くないと、ローマ帝国もキリスト教を選ばないでしょう。1~4世紀のローマ帝国で、キリスト教が普及したことには、いくつかの理由があるようです。

1.キリスト教は本来、いわゆる社会的弱者に対して共感的でした。これはどうやら、イエス本人の生前の教えによるものです。「貧しい人こそが救われる」など、社会の底辺で苦しい生活をしている人々に、受け入れられやすい教義をもっていました。そういう人ほど、一度信者になれば熱心に信仰しますから、布教には有利な特徴です。

2.キリスト教には、ややこしい戒律などはなく、簡単に信者になれました。大雑把に言えば、「あなたはイエスがいったん死ぬことで、人類の罪をあがなったことを信じますか?」「はい、信じます」だけでOKです(イエスの死後、パウロという人がつくった教義です)。日本でも鎌倉時代に、「南無阿弥陀仏と唱えさえすれば救われる」といった宗教が流行したことがありますが、あれと似たような感じですね。この手軽さも、広く受け入れられた理由でしょう。

3.これはやや否定的な側面ですが、キリスト教の教義では、「イエスの死と復活を信じない者は救われず、永遠に地獄で苦しむ」とされています。救われる(天国に行ける)方法を1つに限定することで、信者を脅している面があるわけです。いまでもカルト宗教などが同じ手を使うことからわかるように、藁にもすがるような心境の人を入信させるには、非常に有効な方法です。

4.ローマ帝国は特に2世紀から、キリスト教を弾圧していました。が、当時のキリスト教徒の多くは、もともと苦しい生活を強いられていたので、この世にあまり未練がありません。「殉教すれば天国に行ける」と信じていますから、なおさらです。苛酷な弾圧にも耐える人々の姿は感動的なので、「これは何か、すごい教えなのかもしれない」と思う人も出てきます。つまり皮肉なことに、弾圧がかえって信者を増やすというケースもありました。

大宗教になった理由は要するに、「ローマ帝国が国教にしたから」です。ヨーロッパ全土を支配する世界帝国が、キリスト教以外を禁じたのですから、信者が増えるのは当然です。

ではなぜローマ帝国がキリスト教を選んだかと言えば、「一神教だから」です。ローマ帝国は広大な領土をもっており、文化や宗教も多様です。これを1つの国としてまとめるには、土着の宗教を根こそぎ否定して、唯一神への信仰を押しつけるのが手っとり早いです。

一神教でありさえすれば、別にキリスト教でなくてもよかったのだろうと思い...続きを読む

Q宗教って何のためにあるんですか?人はなぜ宗教を信じるんですか?

宗教が原因で世界中で戦争や人殺しやテロが勃発してます。でも、今生きている人の中で神様を実際いることを証明した人は誰もいません。なぜ、実態があるかもどうかもわからないものを人は信じるのでしょうか?宗教を信じる事に何か利益があるのですか?しかも個人的に信じるならまだしもそれが原因で人殺しが起きたり、政治に介入したり、教育や司法、あらゆる場に介入しています。
また、宗教をねたに詐欺や金儲けをしている人が大勢います。宗教って一体 何のためにあるんですか?信じている人はどうして信じるのでしょうか?
何か信じて利益になるんですか?

Aベストアンサー

こんにちは。
私も前の方と同様に思います。

神さまも仏様もキリスト様も結局は人の心の中に存在するのだと思います。

イエスキリストやゴータマシッタルダ(仏陀)も実在の人であったようですが、その後進達によって、実在の姿からかけ離れた姿で言い伝えられています。

教祖は人間でも死去すれば、弟子達によって神格化されてしまうのは、洋の東西によらないでしょう。

結局、宗教で信じているのは、教祖(始祖)ではなくて、神格化された教祖の姿なわけです。

その言葉なり戒めを信じて疑わずにやっていけば、迷う部分が大幅に減り、ストレスなども相当減らせます。
そういう意味で宗教は有益だと思います。

ただ、近頃はやけにお金を貢がないといけない宗教が多いですね。
私はそういうのは宗教だと思ってません。
人の悩みや弱みに付け込んだ詐欺だと思ってます。

Q国民の三大義務と三大権利について

むかしむかし中学で習ったのですが忘れてしまいました。三大義務と三大権利教えて下さい。ちなみに選挙権が入っているのはどちらでしたか?

Aベストアンサー

三大義務は勤労、納税、子供に教育を受けさせることで、三大権利は生存権、教育を受ける権利、参政権です。
選挙権は「権利」になります。(義務だったら、投票率があそこまで低くなることはないかと…)。

参考アドレスも掲載しておきます。

参考URL:http://www.city.miura.kanagawa.jp/index/download/007385;000001.pdf

Q聖書と科学の矛盾をキリスト教信者の方はどう捉えているのでしょうか

宗教というカテゴリーがなかったので、こちらにに質問させて頂きます。新年に神社でお参りし、教会で結婚式を挙げ、死んだら寺の墓に入る無宗教の日本人の素朴な疑問なのですが、キリスト教を信仰してるであろう国の科学者達は(科学者だけではないかもしれません)、聖書の中に書かれている内容と、人類学や科学などで考えられたり証明されたりしている事実との矛盾を、どうとらえているのでしょうか。
例えば、人間は猿から進化したものとされていますが、キリスト教では神が創ったとされています。(正確にいえば人間ではなくアダムですが)学問と宗教で真実が異なるわけですが、宗教を信仰している科学者は科学と相反する教えをどのように捉えているのか、無宗教の私にはずっと疑問であり謎でした。どなたかこの疑問にお答えいただけないでしょうか。よろしくお願い致します。

Aベストアンサー

質問者さんがお書きの
>学問と宗教で真実が異なる
事を多くの人は理解しており、社会生活を営んでいます。
それは聖職者であっても科学者であっても同じ事です。
むしろ科学者のような高度な教育を施された人の方が、割り切り度合いは大きいでしょう。

『神のものは神に、カエサルのものはカエサルに』とは聖書の言葉ですが、
「人が何を信じどう生きるか」と「人がどんな栄養素を採れば生きられるのか」
は別の問題だと、認識しているので矛盾しないのです。
『人はパンのみに生きるに非ず』という聖書の名文句を聞いて
「人には肉体的な満足感だけでなく精神的な満足感が必要だ」という意味で引用する人はいても
「人にはパン以外に野菜や肉も食べないと栄養が偏るよ」という意味で栄養学の教科書に引用する人はいないのです。

以下余談
#5さんがご指摘のようにキリスト教にもイスラム教にも原理主義者はいます。
彼らは「学問と宗教で真実が異なる」事を同じ土俵で解決しようとしているから矛盾するのです。
そして、現実を捻じ曲げて解釈しています。(キリスト教原理主義者たちが『汝の敵を愛し』ているとは到底思えませんがね)
こう考えると、宗教を迷信として無視する科学万能主義者と原理主義者は精神構造が近いのかも知れませんね。
世の中の全ての事はたった一種類の法則で説明可能である、というのは理想でしかないからです。
その法則をE=mc2(二乗)とするか聖書に(あるいはコーランに)求めるのかだけの差という意味で。

では我々日本人は?臆病な科学信奉者とでも言えますでしょうか。多くの日本人が「バチが当たる」という言葉を
忘れて久しいですが、それでも多くの人は結婚式に仏滅の日を選ぶ勇気はないのです。
以上余談。

よって、聖書などに書かれているのは神の言葉であって科学法則ではない、から矛盾しないのです。
もう少し哲学風に言えば、形而上の話と形而下の話を一緒にすれば矛盾するのは当然であるから、です。
お釈迦さんが生まれた時甘茶の雨が降ったとか、産まれた直後に「天上天下唯我独尊」と言ったとかをマジメに研究して甘茶の雨は降る事ができない!とか産まれた直後に直立して自然言語を操る新生児はいない!と否定する日本人はいませんよね?それと同じ事ですよ。

質問者さんがお書きの
>学問と宗教で真実が異なる
事を多くの人は理解しており、社会生活を営んでいます。
それは聖職者であっても科学者であっても同じ事です。
むしろ科学者のような高度な教育を施された人の方が、割り切り度合いは大きいでしょう。

『神のものは神に、カエサルのものはカエサルに』とは聖書の言葉ですが、
「人が何を信じどう生きるか」と「人がどんな栄養素を採れば生きられるのか」
は別の問題だと、認識しているので矛盾しないのです。
『人はパンのみに生きるに非ず』という聖書...続きを読む

Qなんでタバコとか酒って禁止にならないの?

麻薬は、禁止されてるのに、タバコとか酒はなんで禁止にされないのですか?。麻薬が依存性高くて、体に影響あるから駄目なら、タバコとか酒でも一緒ですよね?。タバコなんか依存性しかなくて、ニコチン切れたらいらいらして、八つ当たりされるし、吸った本人も肺がんになったりして苦しむし、周りにも副流煙撒き散らして非常に迷惑だから禁止にしてもいいと思うのですけど・・。
酒とかも依存性強いし、アルコール中毒とかなんかとで、体にも害あるし、近年問題化している飲酒運転の事故のそもそもの原因ですよね?。十分迷惑です
なんで麻薬は禁止なのに、この2つだけはいまだにお咎め無しのがまったく理解できません。
単純に使ってる、飲んでる人ガ多いから規制がめんどくさいから?。それならみんなが麻薬すえば、法律の網を抜けられるんですかね?w

Aベストアンサー

かつて米国で、1920年から1933年までの間
禁酒法が施行された期間がありました。

その結果、多くのもぐり酒場が生まれたり
禁酒法が施行されていない隣国に、多くの
アメリカ人が、アルコール飲料を飲む為に
国境を越えた事で、それらの国の蒸留所と
醸造所が大いに栄えました。

またギャングの多くがアルコールの密造
・密輸販売により大金を稼ぐ事になりま
した。
それが、ギャング同士の利権の奪い合い
と、それに伴う血で血を洗う激しい抗争
を生み、治安を悪化させる事になった。
一方で、禁酒法を取り締まる費用と治安
維持の費用が重大な問題になった上に、
酒税収入が無くなったので、政府税収に
悪影響を与える事になった。
そのため、禁酒法に対する反感が大きく
なり撤廃される事になりました。

結局、下手に禁止して地下にもぐられた
上に治安も税収も悪化させるより、公認
する事で有力な財源にした方が得になる
という事です。


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