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日中戦争の拡大について質問したいです。(#^.^#)
中国の様子として、国民政府(チャンチェシー)と共産党(マオツートン)が対立するのですが、国民政府ってなんですか(・・?
共産党ってなんですか(・・?
チャンチェシーってなんですか(・・?
マオツートンってなんですか(・・?
全然わかりません。
教えて下さい。
あと、説明される時に、色々用語を使われると思いますが、
出来れば、用語を使うよりも、小学生に教えるような説明の方が、わかりやすいです。(#^.^#)
よろしくお願いします(#^.^#)
回答がすごく長い説明でもかまいません。(#^.^#)
できるだけわかりやすくお願いします。(#^.^#)

A 回答 (4件)

こういう歴史についてはその国だけ見ていても分からないことがあります。

世界はいろいろ連動して動いているからです。

日中戦争と国民党・共産党の説明の前に、ヨーロッパの話をします。もちろん皆さんが知っているような話です。

ヨーロッパは16世紀になると、世界中に植民地を作り始め18世紀になると蒸気機関などができて産業革命が起きます。そしてこの間に市民革命も起きています。

じつはこの流れは日中戦争もそして現在も続いている歴史の流れの大元にあることなのです。

で、大航海が始まると世界中が植民地になり、植民地の労働者が本国の人々の仕事を奪うということが起き始めました。産業革命が起きるとどんどん工場ができ、農地から人が流出して労働者になりました。そして船がどんどんよくなってくるので、植民地に工場を作る=本国の労働者が職を失う、植民地から人がやってくる=本国の労働者よりも安い賃金で働く、ということが起こるようになりました。
これにより「労働者」の生活がだんだん成り立たなくなっていったのが、20世紀の初頭だったのです。
また市民革命によって、普通の庶民(多くは労働者)も選挙権を持つようになっていましたので、政府に対する不満も多くなっていましたし、貴族時代からのお金持ちや工場や商売で成功したお金持ちなどは、労働者を搾取することでさらに豊かに(労働者はさらに貧困に)なっていたからです。
第一世界大戦は各国のこのような不満を背景にして起きた戦争といえます。

この第一世界大戦の最中に参戦国ロシアで革命が起きます労働者が帝政に不満をもち、帝政を打倒して一気に共産国を作ったのです。共産主義とは資本主義とは違って、労働者が自分たちで国を豊かにするというやり方で、それまでの資本主義(お金がある人が資本を出して工場などで儲け、労働者は賃金で働く経済のやり方)で疲弊したヨーロッパの労働者を見ていたロシアだからできたことでした。

ここで日中戦争に戻ります。
上記の共産革命は第一次世界大戦の後にも続いていくことになります。最初はヨーロッパ各国が中心だったのですが、だんだん植民地にもそれが広がっていきます。中国は帝政でしたので(しかもヨーロッパの言いなり)独立国家にしようという機運がどんどん高まっていきました。
そのときに革命後の国のあり方として共産主義を目指したのが(中国)共産党の毛沢東(マオツートン:もうたくとう)、資本主義(民主主義)を目指したのが国民党の蒋介石(チャンチェシー:しょうかいせき)でした。
このときの中国は日本と戦争状態であり、実質上日本が戦っていたのが共産党と国民党の合同軍だったのです。

そしてだんだん戦争が拡大し日中戦争から太平洋戦争(第二次世界大戦)に突入していき、日本が負けることになります。

このときに見るべきなのは、ドイツの戦後処理(西ドイツ=民主主義、東ドイツ=共産主義)に分かれてしまったことです。日本の戦後処理はソ連と中国を除いてアメリカを中心とした資本主義国で占領することになったのです。

そしてこのころ中国は戦争に勝って独立国を作ることができるようになっていたのですが、共産党と国民党が対立していきます。内戦の結果、国民党は台湾に逃げて中国政府を作り、勝った共産党は北京に中国政府を作ります。最初は国民党政府(台湾)を支持していたアメリカなども共産党の力を認めて、共産党中国を国連の一員にすることに決まりました。
これが今の中国政府であり、国連の常任理事国になっています。

このあと、ソ連や中国の政府は他の国の独立を支援して共産国家を増やそうとしました。もちろん資本主義のアメリカなども資本主義の国(民主主義の国)を増やそうとしました。
その結果、日本から独立したはずの朝鮮は北朝鮮(共産党)と大韓民国に別れ、ベトナム戦争の結果ベトナムは共産主義国になり、カンボジアは1990年代まで内戦が続くことになります。
カンボジアの内戦が1993年に終わるのですが、これはソ連が崩壊し援助を受けられなくなったことが関係しています。北朝鮮が貧困状態なのもソ連の支援がなくなり、中国がなんとか支援していますが中国も政治は共産主義(たとえば土地は国の所有で国民は借りるだけ)で経済は資本主義になり、援助が少なくなっています。

中国だけ見ていると、日本と対立する勢力が二つあるように見えますが、世界中がだんだん二つの勢力に分かれるようになっており、その後ソ連の崩壊まで資本主義対共産主義の冷戦が続くことになったのです。
ちなみに台湾は今でも国民党政府ですが、中国本土があまりにも経済的に発展したため、統一するか独立したままでいるか、国民の間でも意見が対立するようになってきています。
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 国民党は辛亥革命で清朝に代わって孫文たちが作った中華民国の政党。

少し遅れて中国共産党が発足。 当時は軍隊を整えたいくつかの馬賊(軍閥)が中国北部(旧満州)に大きな勢力を持っていたため、国民党と共産党が一緒になって(第一次国共合作)北伐(満州の馬賊を討つ)を開始し、馬賊から北平(今の北京)を取り戻した。
 その頃、国民党を作った孫文が死に、没後国民党を率いた蒋介石(チャンチェシー)は反共主義(共産主義に反対する立場)から上海でクーデターを起こし、共産党の幹部の多くをとらえて弾圧。逃れた共産党のメンバーは都市を放棄し、中国南部から西部の辺境を逃走しつつ体制を立て直した。(長征)
 その途中で共産党の実権を握ったのが、毛沢東(マオツートン)
 そのどさくさにまぎれて、日本が満州事変を起こし、中国の正規軍を満州から駆逐し日本の傀儡(あやつり人形)である満州国を建国し、上海事変でさらに中国内に侵攻した。
 当初、蒋介石の国民党は日本と正面戦争を避け、国内統一を優先して、共産党壊滅に躍起となっていた。当時の国民党の内部には北伐の際に党内に取り込んだ軍閥がいくつかあった。その中の一人に関東軍(満州国に駐留していた日本軍)に列車爆殺された張作霖の息子、張学良がいた。
 張学良は自分の故郷、満州を日本に取られ、更に中国国内に侵攻してくる日本軍と戦おうとせずに、共産党としか戦おうとしない蒋介石に業を煮やし、蒋介石を監禁し内戦の一時停止や救国会議を求めた(西安事件)ことで、再び国民党と共産党が手を組んで、今度は日本と戦うことになった。(第二次国共合作)
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国民政府は、今の台湾(中華民国)政府の母体となった政府です。

昔は中国全域を支配していました。なお、台湾は沖縄諸島の南にある島です。
共産党は、今の中華人民共和国を作り、現在同国を指導している政党です。国民政府と戦い、中国の内、今の台湾以外の地域を中華人民共和国の領土にしました。
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チャンチェシー:蒋介石(しょう かいせき)


マオツートン:毛沢東(もう たくとう)

ですよ。
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