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例えば、原発の安全性などは、マスコミで話題になっていますし、これからも大いに議論されると思われます。
身近なところでは、こんにゃくゼリーの安全性なども、政治家が議論したりもします。
薬害で、被害を受けた人なんかがいると、何年にもわたって議論されたりもします。

一方で、われわれは、一年間に数千人の生命を犠牲にしてでも、自動車中心の陸運を維持し続けています。
このことは、誰が議論し、どこで決まったのでしょうか?とても不思議です。

毎日のようにどこかで誰かが死んでいくようなシステムなわけですから、その危険性はこんにゃくゼリーの何万倍だろう・・・?とか考えちゃうのですが、みななし崩し的に納得しているだけなのでしょうか?

例えばある政治家が、「自動車中心の陸運は、社会的に非常に重要なシステムなので、多少の犠牲はやむを得ない」とか発言してくれれば、大いに納得でできるのですが。

A 回答 (10件)

自動車というと20世紀になってから発達しましたが、何もないところからいきなり自動車が出たんじゃなくて、自動車以前は馬車や人力車がその役割を担っていたわけです。


馬車や人力車は紀元前から使われてきました。もしかしたら、文字よりも歴史があるかもしれません。そして当然、有史以来交通事故というものもありました。古代ローマではすでに右側通行などの交通ルールができていました。

「自動車中心の陸運システム」というと近代的な響きがあると思いますが、「車による陸運システム」というと、それを使っていないのは大航海時代以前の南北アメリカ大陸だけとなってしまいます。

あともうひとつの問題は、「議論したところで代替システムが存在するか」という問題があります。原発の場合は原発をやめて風力発電にしようとか、こんにゃくゼリーの場合は別にこんにゃくゼリー以外のお菓子を食べればいいじゃないかとか、薬害問題の場合は他の治療法や仮に治療法がなくても無理にその薬を使う必要はないじゃないかとかの議論ができます。
仮に自動車をやめるとしても、馬車にしたって交通事故は起きます。じゃあ、全部鉄道と徒歩と船にするかといっても鉄道事故だって起こるんですから完全な代替システムとはいえないわけです。

車輪をやめるわけにはいかないでしょ?台車も使えないとなったら右のものを左に動かすのも大変ですぜ。引っ越しなんかどうするのさ。そして車輪を使った輸送システムを使っていれば交通事故は起こります。江戸時代には江戸市中で大八車にひかれて死亡事故が起きたことも記録に残っています。
私や他の回答者さんたちが「自動車中心の陸運は、社会的に非常に重要なシステムなので、多少の犠牲はやむを得ない」というのでは納得できないですかね?政治家である必要がありますか?別に政治家は交通安全のために議員をやっているわけではないと思いますけどね。またそれに対処するために自動車保険というのもあるんですけどね。
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この回答へのお礼

ただいま、質問を締めきろうとしておりましたが、ご回答読ませていただきました。

あまりに、正面きっての回答で、このような回答を読ませていただくと、「そのとおりね」以外何も言えません。

政治家を挙げたのは、このシステムを維持することを決断する人を必要とするとしたら、それは政治家だろうと考えたからです。
何も議論をしなくても、当然の共通認識として皆がシステムを維持すべきと考えているならそれでもいいわけですが、払っている犠牲の大きさを考えると、「皆がそう考えている」というだけではなく、日々その決断を新たにすべきであり、単なる日常にするべきではないと感じます。

ありがとうございました。

お礼日時:2011/04/27 13:41

ほんとうに不思議なんですよね。



交通戦争時代以来、たしかに議論はされて、飲酒運転の罰則が強化されたり警察などの努力によって、運転マナーは向上し死亡事故は一応減ってきています。
しかしまだまだ数千人が毎年、当たり前のように亡くなっています。
道路の上では、今回の津波に匹敵する被害が毎年起こっているようなものなのです。


今までなかった事象によって死者が出ると世間は大騒ぎするのに、交通事故というものは昔からありますので、きっと「仕方のないこと」という感じで麻痺しているんでしょうね。


自動車中心の社会はこれからもまだまだ続きます。だからこそこれ以上被害者を出さない対策を徹底的に取らなければいけないと思います。

しかし実際には、まだまだ歩道の完備は進んでなかったり、この間のクレーン事故など見ると通学路にガードレールがなかったり。

前時代の自動車至上主義的発想から人中心の社会にいかに変えていくかということも、真剣に検討していかなければいけないと思っています。

そういう事を声を大にして言ったり公約に掲げたりする政治家がいないのが不思議でたまらない。
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自動車は、日本の経済を牽引する大事な商品だからでしょう。

政財官報の癒着が激しいこの国では、財界の力も大きいです。

本来であれば、銃刀法違反と同様に、自動車バイク法違反、という法律でも作って、一般人には、人を殺してしまう車やバイクを、持たせてはならないと思います。車やバイクは、マツダ工場暴走事件や秋葉原無差別殺傷事件など、銃刀よりも危険とも言えます。また、車が、人間のコントロールできるスピードや力を超えていることを考えれば、製造物責任法(PL法)にも触れていると思います。もっと出力速度を、絶対値的にも、物理的にも制限し、車体を小さくしたり、車体をやわらかいものにするなどの安全義務を課さなければならないはずです。
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電車で配達すると家まで線路を敷かないといけないですからねー




誰も発言してませんよ
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この回答へのお礼

回答を寄せてくださったみなさん、ありがとうございました。

もう、本欄にて質問をすることは金輪際やめます。

質問に対して、正面から回答してくださる方が少数ですがいらっしゃる反面、そのようには感じられない回答もあり、そのような回答についてはスルーすればよいのでしょうが、ついつい読んでしまって、心底疲れます。

それでは失礼します。

お礼日時:2011/04/27 13:20

モーターリゼーション創世記には現在の2倍強の交通事故犠牲者がありました。

ブレーキとアクセルの理屈で言うとインフラの整備が車の普及に追いつかなかったためです。
インフラとハードの改良には利権が絡みましたので調べると様々な政治家が発言している記録があります。
インフラの代表として立体交差点を紹介すると久保卓也という警察あがりの政治家が関係する省庁との折衝に尽力した記録があります。
ハードはほんのちょっとした事をこれでもかと時間をかけて改正していくのですが笑えない話しとしては現在では当たり前のドアミラーを許可する際のメーカーと許認可者のドス黒い週刊誌ネタもあります。

トラックでの物流に関しては日本の商流の変化で零細の運送業者の倒産が相次ぎ大手業者がモードルシフト化(拠点間はJRや船と提携)しているのでトラックの数は更に減ると予想します。

操縦者の技術の問題は最近でも「落ち葉マーク」の義務違反の罰則がうやむやになったり政治的判断が鈍いので非常に危険だと感じています。
70歳代の投票率が高い限り周囲への安全配慮より政治家の保身が優先されるでしょう。
地方行くと次に曲がる直前で停止し片方だけ確認してから逆方向に方向指示器をつけてから車線無視で曲がる老害ドライバーを沢山みかけます。
免許証を全て取り上げる英断ができる政治家が出てくるか注視しています。
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この回答へのお礼

自動車の普及と経済発展は、ほとんど重なっていたでしょうから、誰もストップがかけられなかったって感じだったのでしょうか。

現在なら、ちょっとした食品に関してさえ、国会が委員会を組織したりするのに。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/04/27 13:06

No.3です。

お礼ありがとうございました。

こちらこそ、何か、私の回答がお気に障ったのでしょうか?

質問者さんが納得されることが一番だと思い、わざわざ回答をしてあげたのに、まるで私の回答が悪かったかのようなお礼になっています。

お気に召されなかったらば、お詫びいたします。
ゴメンなさい。
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この回答へのお礼

私の質問は、要約しますと、そのシステムを維持することを誰がいつ決めたのか・・・?ということです。
その質問に対する回答がなく、かつ、あなたの回答の言い回しが何か上げ足ととるような印象でしたので、何か私のことがきにいらなかったんだろうなあ・・・と感じました。

私としては、普通の読解力を持って読んだつもりです。

お礼日時:2011/04/27 12:33

事故を0にする方法は一つだけです。


全人類を核戦争もしくは疫病などで絶滅させるだけ。

いかなる生産活動にしても輸送手段にしても 万全の安全対策を行っていても事故が0というものはありません
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>…大いに納得でできるのですが


本当なの?
"大いに"と言うくらいだから、本当なのでしょうね。

だったら、もうすでにどこかの政治家がそう言ったと思えば、納得すると思うのですが、違うでしょうか?
それとも私が「どこかで聞いたことがあるよ」と言えば、質問者さんは納得できると言うことなのですよね。
私が言っても「それは信用できない」とただ否定すれば良いと思ってるんじゃないんですよね。

と言うことで
「以前、政治家さんがそんなことを言ってましたよ」
そして、信じるか信じないかは、あなた次第です。
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この回答へのお礼

何か、私の質問がお気に障ったのでしょうか?

回答になっていないと思いますし。

お礼日時:2011/04/27 12:17

世の中には 「絶対安全」 というものが無いからです。



「より安全」というものがあっても、「絶対安全」というものは存在しません。 自動車などの移動手段もそうです。

質問者さんも自動車に限らず、バスや鉄道を利用した事があると思います。 飛行機もそうですね。 外国に行くのに今頃船便を利用する人は、よほどの大金持ちのはずです。

その船にしたって、絶対安全とは言えず、火災事故や衝突、転覆など考え出したらいくらでも危険性をはらんでいます。

原発も自動車もその路線にあると言えるでしょうね。 それ無くしては、この日本社会が成立しないからです。

逆にどんなに危険性をはらんでいるとしても、キチッとした管理がなされていれば事故なんて発生しないし、この上ない利便性を人間にもたらすものは多いです。

従って、それを利用する事による 「メリットとデメリットのバランス」 を判断する必要があります。

現時点では自動車はメリットの方が遥かに多いと考えられていると思います。 デメリット (事故) は人間の不注意から起きるからです。

そのため、自動車の存在の是非を問う議論が存在しないわけです。
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この回答へのお礼

メリットがあまりに大きすぎる、それなしには社会が成り立たない。そのことをみんなよくわかっているから、システム自体の是非については議論しない・・・。

納得できました。
しかし、こんにゃくゼリーなどについての議論を思うと、アンバランスを感じます。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/04/27 12:46

>一年間に数千人の生命を犠牲にしてでも、自動車中心の陸運を維持


交通事故が起きるのは「人」が起こすからですね。自動車自体が起こすわけではありません。
運転する人の不注意や、安全運転をするという意識が欠落した結果起きるわけです。
ですから陸運というシステムも、それ自体にはなんら責任はありません。

飲酒運転について、いつもどこかでニュースが流れています。
だからといって、お酒を製造する業界が悪いわけではありません。
それを飲んで運転する人間が悪いのです。ルールを守らない人間が悪いことになります。
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この回答へのお礼

「人」の不注意や、安全運転に対する意識の欠落も、システムが内包する問題と考えることが質問の前提です。危険性を伴う社会システムの是非を議論するならば、統計的にほとんど不可避的に発生することが分かっている人為的なミスを前提とすることは当然かと思います。

ありがとうございました。

お礼日時:2011/04/27 12:14

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