1719年にスウェーデンのファールン鉱山で落盤事故が起こりました。
その復興作業中に、この事故で犠牲となった若き鉱夫の亡骸が生前の姿そのままに
保存された状態で発見されました。
しかし、この遺体を大気中に引き出した途端、石化し、粉々に砕けてしまった。
という、話をモチーフにした作品を探しています。

確か、ドイツ文学(ロマン主義?)だったと思うのですが、なにぶん昔のことなので思い出せません。
鉱山で働く若い鉱夫とその婚約者の話だったと思います。
結婚式の日に鉱夫は事故にあってしまうが、女性はその帰りを待ち続ける。
そして、女性が老人になったころに、鉱夫の遺体が鉱山から発見され、二人は再会できる。
というあらすじだったと思います。

作者とタイトルを探しています。
ご存知の方がいらっしゃいましたら、ご協力いただければと思います。

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A 回答 (1件)

ホフマンの「ファールンの鉱山」ですね。



岩波文庫のホフマン短編集に収録されてますよ。

この回答への補足

回答、ありがとうございます。
ホフマンの「ファールンの鉱山」のあらすじを検索してみました。
地下の女王が出てこなかったような気がしました。

もし、他の作品をご存知でしたら、そちらも教えていただければと思います。

補足日時:2011/05/21 00:17
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同じく、太宰はギリシア神話からも引いていますね。
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順位から云えば、
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http://www1.sphere.ne.jp/sado-bus/pdf/rosen200910kyuu.pdf
こちら見ますと、朝8時ないしは9時両津港着のフェリーのあと、10分後くらいで金山行きのバスが発車しますが、距離的に間に合うのでしょうか?
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佐渡は良いところですが、車がないと辛いです。
定期観光バスなんてどうでしょうか?
http://www1.sphere.ne.jp/sado-bus/course.html

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文学部に進学したら現代日本文学作品を学びたいと思っています。昔から小説を読むのが好きで、古典作品よりも、明治以降の作品(さらに言えば、例えば村上春樹さんのように今リアルタイムで執筆活動をされているような作家さんの作品)の方にに学問的な興味も寄っています。大衆文学でも純文学でも。自分が読んで育ってきた時代のものを研究したいという気持ちが強いです。
ちなみに志望校については、京都大学の学風に大変惹かれており、今のところそれ以外を考えたことがありません。

しかし、その文学部について調べていて引っかかる点が少しありました。
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その東洋文化系の必修科目や専門科目は、
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・中国古典文学・漢文・国語古典文学・インド古典文学
がほとんどという印象でした。
国語学や国文学もありますが、それ以上に外国語や他国の古典文学の授業がかなりを占めていると思います。
さらに国文学の授業でも、古典文学だけを扱うのが文学部の一般的常識だと聞きました。これは本当なのでしょうか。
教授の研究テーマを見ていても、現代日本文学を専門にしていらっしゃる方がいらっしゃいませんでした。
京大以外の国立大も軽く見てみましたが同じような印象を持ちました。

これは、大学の文学部に進学しても現代日本文学を本格的に学ぶことはあまりできず(卒論を除く)、他国のものを含む古典文学・外国語ばかりということになるのでしょうか?

古典文学も外国語も嫌いではありませんが、現代日本文学をあまり学べず、そちらにウェイトがかなり寄っているなら、他学部に進学して独学で文学を学ぶ方が幸せなのかなぁという気がして迷っています。
文学部で現代日本文学作品だけを、とまでは言いませんが、少なくともそれを専攻にしていると言えるようにはなりたいのです。
それが無理ならば、現代日本文学を学びたいという人が、古典文学や外国語をやる意味って何でしょうか?

文学部に在籍経験のある方や、その辺の事情に詳しい方の回答を頂けたらと思います。些細な情報でもかまいません。よろしくお願いします。

文学部進学を選択肢の一つに考えている高校生です。

文学部に進学したら現代日本文学作品を学びたいと思っています。昔から小説を読むのが好きで、古典作品よりも、明治以降の作品(さらに言えば、例えば村上春樹さんのように今リアルタイムで執筆活動をされているような作家さんの作品)の方にに学問的な興味も寄っています。大衆文学でも純文学でも。自分が読んで育ってきた時代のものを研究したいという気持ちが強いです。
ちなみに志望校については、京都大学の学風に大変惹かれており、今のところそれ以外を...続きを読む

Aベストアンサー

 こんにちは。「文学が好き」と「文学を学ぶ」では「文学」というもののスタンスが異なることにお気付きでしょうか。そして「文学が接している領域」がどこまで及ぶか、をお考えになったことがあるでしょうか。高校生を含めての受験生にとってはいささか失礼かと存じますが、敢えてこのような問いを返させていただきます。
 口幅ったい言い方かもしれませんが、「文学」を人間の精神的な営みと理解するのであるなら、それが関わる範囲は「人間が関わる全ての領域」と規定することも可能で、それは社会学や法律学、政治学などの社会科学はもとより心理学や哲学といった思想系、時には人間が対象として観察している自然科学分野にまで及びます。そしてそうした全てをひっくるめた歴史にも脚を踏み入れねばならないことも普通です。
 「小説を読むのが好き」と仰る質問者からすれば、近代以前の作品は「小説」ではないのかもしれません。けれど『蜻蛉日記』や『更級日記』も解釈次第では「小説」でもあるとの事実を忘れてはならないでしょう。両者は共に「私小説」です。それは「私に降りかかった事象」を私の目線で見たこととして「自己対象化」の要件を完璧にクリアしていることによります。
 この要件を近代以後の作品に適用してみるならば、漱石、竜之介、そして公房や由紀夫、健三郎といった作家全てにあてはまることにもなります。
 こうしたことを考えてみると、最初の質問である「文学を学ぶ」とはどの様な意味を持ってくるといえるでしょう。そして具体的な内容はどの様な言葉として説明することになるでしょう。ここまで来た時、一先ずの定義を示すこともできます。少なくとも「文学なるもの」を研究対象とする時にしか、この言葉を使うことが出来なくなるとの話です。
 恐らく今後もノミネートされることはあっても村上春樹さんがノーベル賞を受賞することもないでしょう。それは文学が時空を越えて数多くの人と感動や認識を共有することで認められているからとの「文学の存在理由」との間でかなりの隔たりがあることも作用しています。
 『青が消える』が普遍の問題を扱っているといえるでしょうか。この作品をどの様な視点からターゲットとして観察することができるでしょうか。少なくとも僕には公房と類似するテーマを扱いながら彼の一連の作品を凌駕するとも考えられません。春樹が書いているのは「僕にとっては大切なもの」が他から見れば「さほどの意味はないもの」であるとの描写に留まっている点で、公房の足下にすら及ばない。だからどうしたの?で終わってしまうほどの作品ともいえます。
 質問者は「同時代の作家を対象とした」と肩に力を入れて力説していますが、戦後そして1945年以前の作家が同時代の空気を採り上げていないとの考えならば、それは大間違いともいえます。彼らは全員「自分の目線」とのフィルターを通じて社会そして世界を観察し、それを「言葉」として再び世界に放ち、読者(研究者も評論家も)に投げ返してきた、「社会とは…」「世界とは…」「私とは…」そして「これら私を取り巻くものと私の関係は…」との形で。
 少し厳しい言い方になりますが、質問者は「文学」を全く知らないといっても過言ではありません。公房が海外でF.カフカやS.ベケットさらにはA.カミュ、健三郎がG.グラスなどとの同時代の観察者として考察の対象になっていることをご存知でしょうか。またなぜ和歌や俳句に関する研究で外国の研究者の方がより本質的な部分にまで切り込むことができるのか考えたことがあるでしょうか。
 芭蕉の旅は西行の旅と重なる部分が数多くあります。清少納言や兼好の言葉には李・杜、白居易をはじめ多くの言葉がちりばめられてもいます。これはなぜでしょう。それを読む人からすれば、まさに現代の言葉でもあるからです。雪降る朝の光景が「香炉峰の雪」を想起させると清少納言が感じたから、それを言葉にしたのであり、そうした姿をペダンティックと評するのも一つの解釈です。けれどもそれは「清少納言という人物像に対する評価」であり「『枕草子』に対する評価」とは異質なものといえます。
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 「京都大学の学風に惹かれる」とはあっても、文学部に学風は無関係です。京大文学で「学風」と呼ばれるのは歴史学での「内藤史学」や哲学での「西田哲学」といった「研究スタイル」や「アプローチ視角」での特色です。老婆心ながら誤解されませんように。
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