人生のプチ美学を教えてください!!

屁蹴る。小便は餓える。女陰。隠毛留守。
蹴る毛凍る。冷陰員。丸苦巣。慰撫栓。
出刈怒。浮浪頓具。痔怒。陰魔損。屁満屁瀬。
便倒便。苦麗具来る。丸等留奴。非民苦餓兵。
ブラブラ陰具。嗚呼陰具。睾丸。盗魔巣男。
舌殺す。巣多鳴呼淋。馬陰露具。浮浪慰怒。

上記は草間彌生著「マンハッタン自殺未遂常習犯」中の記述です。著者が超弩級の著名人を音訳したものです。多少、訛りが窺がえますが作品では振ってある仮名を此処では割愛しました。直接の音訳でなく一捻りしてあると思われる女陰がカントであることだけを申し添えておきます。

さて、著者はこれらの哲学者、革命家、文学者、音楽家、画家、政治家、精神医などと根本の処で相容れないか、少なくともかなりの程度揶揄する気持ちがあるのだと推測します。
著者の言わんとするところが解かる方は誰の如何なる思想に対して納得していないのか、回答下さると有難いです。

よろしくお願いします。
(中にはベートーヴェンに対するように個人を難詰するというよりは、音楽の一義的な価値はあゝした高度の人工的なものにあるのではなく、アフリカに残った少数部族などの肉体全体で表現する原初的なものにこそあるのだという訳で、音楽界の代表として名前を登場させているに過ぎない例もありそうですー本当だろうか?―。
また、ひねこびた理窟屋を十把一絡げで笑い飛ばしているだけの形跡も窺えますが?)

A 回答 (18件中1~10件)

 こんばんは、ひどっちと申します。



 いきなりの回答失礼致します。

> 25名の中には旧弊たる道徳至上主義者が混じっていたりしないのか。こういう疑問がありました。

 真っ先に想起されるのが、カントかと思われます。その概略は以下のサイトにて、愚生の拙い文章を載せております。
 ですが、ショーペンハウエルが師事し、「道徳論の体系」を著した重要人物でもあるフィヒテの名前が挙がっておりません。従いまして、混じってはいるかもしれませんが、少し、論拠が弱いと察せられます。

「カントの道徳哲学って?」
http://okwave.jp/qa/q6449916.html 
 
 その他の考え方も考慮してみました。
(1)芸術観
・カント:美学的価値の序列 → ”詩>音楽>造形芸術(この中では絵画が1位)”(「判断力批判 第1部」から)
・ショペンハウエル:“芸術の頂点としての音楽”(「意志と表象としての世界 第三巻」から)

 ただ、芸術肯定論者等もいましたが、造形芸術は低くみなされていたようでございます(少なくとも、上記25名からです)。確かに、このことも影響を受けているやもしれません。

 ですが、以下にも示してございますように、「権威」的存在が見られることは明らかかと考えられます。

(2)権威主義の一例
・出刈怒、女陰、小便は餓える:「デカンショ」とはデカルト・カント・ショーペンハウエルの頭文字をとったものだという説もございます(デカンショ節は学生歌という経歴を持つことから)。つまり、明治後期・大正の頃から、すでに当時の(旧制高校の)学生達に知られていたとおり、相当の権威が認められていたものと推察できます。
・屁蹴る、丸苦巣、冷陰員、巣多鳴呼淋:1970年代当時の一部のアカデミズムからは熱狂的に支持を得ていました。
・その他の、ジッド、ヘミングウェイ等は“新潮100選”にも選ばれているほど、日本人には、非常に人気のある作家でございます。

 以上から、ANo.11のご回答者様の仰いますように、
「揺るぎない権威主義的なるもの」への嫌悪。そしてこれらを揶揄してみせようという草間女史の試みだったかと考えられます。

 最後まで、お読みいただきまして、どうもありがとうございました。

この回答への補足

締め切るにあたって

些かなりとも、このご回答の価値を割り引くものではありませんが、NO.14の補足欄もご覧下さると有難いです。
お世話になりました。

補足日時:2011/07/07 00:29
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この回答へのお礼

拝読しました。
>>「揺るぎない権威主義的なるもの」への嫌悪。<<
幾つかの視点から、こう読みたいとの説と受け取りました。

これも踏まえて今のところ、NO.14のお礼欄の2に記した通り、特定の個人ではなく、また、25人だけでなく今日の人類の精神文化を築くについて寄与・関与してきた人物全てが対象なのだろう、と勝手に読むことにします。

有り難うございました。
6日(水)中に、初出の質問に直結したご回答が何方様からもないときは当方の勝手次第で閉め切ります。5日、22時、記。

お礼日時:2011/07/05 22:12

No.11,14です。

週末に同著(角川文庫版)を再読したので、改めて回答します。

No.11お礼欄で質問背景を「芸術志向のフランス人青年が作中のヒロインに読書を薦めた際のヒロインの対応の中で25人の名が登場しているのですから」とまとめてくださった箇所です。

そこは草間と同様に自らものちに「アキュミュレーション」を称することになる作家Armanが草間に諭すという結構大事な場面で、
「美術館に連れて行ってやろう。偉大で立派な近代芸術が一杯かかっている。まず芸術の方法論を勉強しないかい。それに、教養のため哲学書、カントやヘーゲル学ぶといいよ。(p308)」
と、翌日早速哲学書や思想書をどっさり買ってきて読めと助言するわけです。

Armanは草間の作品と対峙し開口一番「毎日こんな、点々ポチポチのアキュミュレーションやっているなんてつまらないよ。これは、芸術ではない。」と端的に言い切ります。(p308)
二人は大いに似て非なるわけで、それだけの自負心と差異化の根拠をパピエ・コレ辺りに見据えていたのでしょう。

「アキュミュレーションって何のこと?」と問うもその実彼は、画材代にことかく草間がついに「糞」を筆で床に塗りたくっているのを見るにつけ「もっと芸術家らしく生きなさい。」とピカソやマチスを観るように力説します。
「これは、アートではない。」「芸術を知らなさすぎる。」とも言い放つとあります。
草間の著述そのままに、やはり「彼は心配して(p309)」いたのでしょう。

そして──草間がどのような行動をとり考えたのかは同著の通りです。
Armanの「これは芸術ではない。」「芸術家らしく生きなさい。(p309)」に対抗し得る草間の拠り所とははいったい何だったのでしょう。
質問者様のご見解「草間芸術の本質は自己防衛と自己保存、また、そのための攻撃と睨んでいますが」に照らし、草間は「わたしらしく」「わたし大好き」ゆえの「揶揄」だったのではないでしょうか。

結局、ご質問の25名は「筆頭と末尾のたった2名」に集約できるのではないでしょうか。
その他はArmanの推薦図書著者、当時の時代背景、草間の感じた「理解し難く」「高級」「敬虔さ」(p310)といった教養主義的な作家として名を用いたに過ぎず、大した個別の思想的に抗うような意味性も無さそうに映るのですけれども。

つまり「思想哲学そして《偉大で立派な近代芸術》など屁で蹴る」「あたし精神科医きらい(p311)、浮浪する自分を慰めるがゆえに怒りを剥き出しにするのだ」という、草間自身の「糞喰らえ!」的な反骨精神があのような記述を生んだのではないでしょうか。
それは何よりも同章タイトル「聖なる糞の大叛撃」が指し示している通りではないかと。

参考URL:http://www.arman-studio.com/catalogues/catalogue …
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この回答へのお礼

拝読しました。
仰ることは全面的によく分ります。
作品の当該ページはアキュミュレーションの先駆者としての女史の誇りを述べたものと思います。
どんなに所感色、自伝色の濃厚な作品であっても作中の主人公と作者は別人として読むべきだとの立場に私は立ちますが、当該ページに限ってはヒロインの主張、即ち著者の主張なのだと考えます。

作品の記述からすると’58年頃、アーマンは既に将来を嘱望されていたと読めます。このアーマンがヒロインに対してアキュミュレーションを否定的に捉えて見せます。ところがどっこい、その彼が数年後には盛んにアキュミュレーションを連発するようになります。アキュミュレーションの先駆者としての著者の誇りがアーマンへの攻撃になっているのだと推測します。

ご紹介のURLからも草間女史説の正当性が窺がわれます。
‘57年以前のアーマンにアキュミュレーションは一作も見られません。‘58年に唯一作、電球のアキュミュレーションが紹介されています。’60年以降アキュミュレーション一色です。
即ち、草間氏のアキュミュレーションに触発されて方向を見出したアーマンが、そのことに気づいていないことを揶揄しているものと思います。ひょっとすると、その後の草間氏とアーマンには何らかの確執があったのかもしれませんが、こういう邪推になり兼ねない興味は関心外とします。

有り難うございました。

お礼日時:2011/07/05 22:09

わたしは普通に、多角的かつ分析的に、お役に立ちそうだと思うことを回答してきていますが。

。。
捨て台詞ってなんのことかわかりません。まあ、落ち着いてください。

大筋が伝わったようでよかったです。
草間氏の書くスピードはどうでしょうかねぇ。
統合失調があると、文を書くのは非常に遅いものです。遅いのに破壊的な書き殴ったような文章になります。
薬のおかげで、ある程度のまとまりはつくようになります。ただそうすると硬い文章になりがちですから不自然さは増します。

個人差があるので一慨には言えませんが、推敲は、なかなか出来ないでしょうね。
どんな筆者であれ、本を出すときは編集者が入念に手直しをかけますが、
草間氏の場合、優秀な編集者の手がかなり加わっている可能性が高いかなと思います。
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この回答へのお礼

それでは私の個性に、落ち着きがないことも加えましょう。
頭が固く、生真面目で融通が利かず、心が固く、恩知らずで、読解力が中学生並みの上、健忘癖があって、落ち着きがない。どうやらこれが私の人物像のようです。
私は益々うれしいです。こんな人物の質問に答えて下さる方は、よっぽど人間が出来ているに違いありません。これからも気楽に質問できます。
捨て台詞はどんな文脈で登場した単語か再読するとよいです。

年譜によると特に、1978年の女史は凄まじいです。国内国外の各地の展覧会への出品、何作もの文学作品の発表と只々呆れるばかりです。素人判断では推敲しながら、えっちらおっちら書き進めていたとは思えません。もちろん第一には作品の文体から受けた印象です。この印象と、こんな作品は若い人にしか書けない筈だかと思って年譜を見たところ50歳にもなろうという時期の、しかも女性(これは予備知識としてありました)の仕事で吃驚しました。もしも私が作品だけを切り出して読まない読者ならば、この驚きから持病との繋がりに興味が発展するかも知れません。私は何の予備知識も持たずに作品とだけ対峙して自分勝手に評価すればよいという立場ですから、驚きだけに留まっています。
どうかすれば本を読むことがあるにすぎない者の印象ですから世間に向かって主張する気は全くありません。お礼代わりに感じたままを記しました。

>>どんな筆者であれ、本を出すときは編集者が入念に手直しをかけますが、<<
これ、文学作品の場合も本当ですかね。作家の作品に手直しをかける人物がいたり、それ以上に、それを許す作家がいるというのも俄かには信じられません。資料集めや、字句の適否を調べる助手や秘書役はいましょうが…。
ここで素人談義をしていても埒があきません。心掛けておけば、いずれは肉筆原稿を目にする機会があろうかと思います。
有り難うございました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

7/4日(月)中に初出の質問に直結したご回答が何方様からもないときは当方の勝手次第で閉め切ります。

お礼日時:2011/07/04 07:13

ポイントをたびたび付与してくださりながら名前がご記憶に残らないということもあるのですね。


わたしの名はずっとamaguappaです。退会をしたことがあり再登録して今日に至っていますので、古い投稿はコード名でnoname#96295となっています。

内容まで覚えていませんが、草間氏と他の方が会話しているのを間近に見たところでは、そんなに精力的な話し方はされていませんでした。どちらかというときわめて控えめな真面目な話し方でした。
ただ、静かであっても目の動きや表情や人の話への耳の傾け方など、ぼんやりしたところや悠長なところは感じられない方でした。頭の中に言葉が渦巻いているかどうかは知りません。

わたしの会った美術家の方には、多くの場合共通するところがあります。長年の薬の常用のせいなのか持って生まれた性質なのか判然としない、抑制・鈍と、狂気・鋭の、両極端が共存する気質です。薬か生得かはわからないですね。
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この回答へのお礼

拝読しました。
それでは私の個性に健忘癖も追加しましょう。
私は千里眼ではありませんからamaguappaさんとnoname#96295さんが同一人物だなんてことは判りません。
それにこのシステムは常に一問一答で完結です。過去のよい回答者であっても劣化の著しい人もいます。逆の人もいます。質問者も回答者も日々新たです。

お伝え頂いた内容はよく分かりました。こういう必要にして十分な回答が書ける方なのですから自分の言いたいことを言う前に,先ずは質問文に、しっかり応答なされれば皆に感謝されると思います。
今回のamaguappaさんと私のやり取りは多くの場合、どちらかの捨て台詞で終わります。仮に、この先も二人の関係が続くとすれば100% amaguappaさんの偉さにあります。NO.5、10のやり取りがあった末に、こういうご返事を書ける方は皆無といってよいと思います。

余談ながら、お礼代わりに無駄話を追加します。
読後の叶わぬ希望が二つあって、一つは氏がテーマを自由に決めた講演を聴いてみたいということでした。多分、訥弁なのではないかと推理します。理由は既にお伝えしました。講演を聴く代用としてNO.13のお礼欄の記事になりました。
もう一つは執筆現場を覗いてみたい願望があります。おそらく猛烈な速度で執筆していて、ほとんど推敲していないのではないかと想像します。つまり、ほとんど推敲の必要がないままに完成稿が出来てしまう稀有な人なのではないかと推理します。どちらも異常な速度で言葉が噴出する結果です。そうでないと前へ前へと進むあの文体は生じない気がします。
どちらも勝手な憶測です。作品の批評眼をもたない散文人間は、こうした本質的でない読後感によって楽しむのが精々です。

有り難うございました。また、機会があればご回答を寄せて下さいませ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

3日(日)一杯様子を見て、何方様からも特別な寄稿がなければ閉め切る可能性があります。

お礼日時:2011/07/03 00:02

No.11です。


このたびは文学カテのご質問(草間作品の翻訳)につき、"Manhattan Suicide Addict"がAmazon Frで入手可能とお伝えするための投稿です。

なお、「25名の中には旧弊たる道徳至上主義者が混じっていたりしないのか。」とのことですが、
それを言うなら、草間と同時代に生きる私達が引き摺られ、縛られ、拠り所とするところの《(25名の恩恵をも含有する)旧弊かつ父権的、支配的な文化的価値観、社会通念や道徳観》これこそが、草間の純粋自由な発想の末の作品をありのままに感受し受容することを阻む最大要因の一つゆえに、草間が「揶揄する」「納得していない」「笑い飛ばしているだけ」とみなすのであれば、その矛先は25名の個別の思想作品に向けられているのではないと思われます。

この回答への補足

締め切るにあたって、B.Ans.の件でお詫びします。
奇妙な一群のカイトウが続いた末の、初めて質問に噛み合った回答を寄せて下さったのも、草間作品に仏語訳があるのを教えて下さったのも、アーマンのスタジオのサイトを教えて下さったのも、みなnoname#135940さんです。本来は迷わずnoname#135940さんの3つのご回答の中からB.Ans.を選ばなければなりません。しかしながら困ったことに退会されています。

退会されていようといまいと、それはよいのですが、NO.14をB.Ans.に選んだとき、「退会した会員です。ベストアンサーに選べません」といった表示が出て、それでいて締め切りだけは完了してしまうなんてことがありはしまいか、そんなことがあれば、他の良い回答者にも失礼にあたる。こういう心配をしました。過去に経験がないので、どんな現象が待ち受けているのか判らず、不安で実行できませんでした。何卒ご理解下さいませ。
お世話になりました。感謝しています。

補足日時:2011/07/07 00:26
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この回答へのお礼

拝読しました。
1
お陰様で少なくとも英語で3作品、フランス語で1作品が翻訳されているのが判りました。
何等かの作品が仏訳されていない道理がないと思う一方、草間作品を翻訳するなんて可能なのかという気持ちがあって文学カテに質問しました。今は氏の作品には他の日本人作家のものと違って日本特有の何物をも含んでいないので、逆に翻訳しやすいのかな、とも思っています。草間氏は天から二才を授かった稀有な方だと思います。

>>恩恵をも含有する<<と仰るところが流石だと思いました。
英語も仏語も読めません。ただの野次馬の視点での興味です。折角の情報を生かせなくて済みません。

2
分かりました。特定の個人ではなく、また、25人だけでなく今日の人類の精神文化を築くについて寄与・関与してきた人物全てが対象なのだ、と読むことにします。
有り難うございました。3日(日)一杯様子を見て、何方様からも特別な寄稿がなければ閉め切ろうかなと思います。

お礼日時:2011/07/01 22:48

【(西欧の教会と国家)権力の分散と自由の発達との関係は?】


【ユダヤ民族が言う六つの災いとは? 】
【(ユダヤの慣習)子を認知する方法は?】

わたしがお答えした記憶があるのは、こんなところです。
覚えていらっしゃらなくてもたいしたことではありませんからお気になさらないでください。

ところで、そうですね、、、
わたしが草間氏にはお会いしているのと、在米美術家を取り巻く批評シーンのほうと多少つきあってきましたので、それで、当然お伝えできると思っている気持ちが、噛み合わなさを産むのでしょう。

当然、ご質問中の列挙の知識人が崇められているのではなく貶められていることくらい、ご質問に答える以前の話だと思いましたが、それでよろしかったでしょうか。というのもsono-higurashiさんが中高生ではないように思っていたためです。

思いつくままの知識人の名の羅列は、意味のある選択ではない、と、わたしは書き忘れたのでしょうか?
しかしおそらく、そう読みとってくださったに違いないと思います。岩波知識人という言葉をご存じだと思いますが、まさに、ただの岩波の表紙を並べたような羅列にすぎず、戦前戦中から60年頃までの日本人にとって西洋文化の香り高い知識人といえばそれらの名であることに、わたしは疑いを持ちません。
表記・表層についての問題意識のほうが、好むと好まざるとにかかわらず、注目すべき点であるということについては、前述したとおりです。

「-ん」で終わる日本語は、普通、欧米の言語では、-ngを充てた発音とします。お礼欄に書いていらしたのでご存じないように思い、特筆まで。
ではこれで切り上げます。
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この回答へのお礼

おや、まぁ、こんなにお世話になっていましたか。それでは出世魚の如く偉くなるのにともなって、お名前を変えられるお方なのでしょう。恩知らずなことで済みません。

頭が固く、生真面目で融通が利かず、心が固く、恩知らずで、読解力が中学生並みと分って頂いて、こんな有難いことはありません。これを承知の上でとなれば今後の回答者は伝達能力、対話能力に自信のある方々に絞られる筈ですから無駄なお礼を書かなくて済む私としても大助かりです。

さて、それでは草間氏の肉声を聞いた経験のある方にしか答えられない質問を致します。
作品からの想像ですが、草間氏の脳裏には言葉が速射砲のように湧き出るのだと推測します。こういう方は言葉を吐き出す舌と唇の動きが脳の速度に尾いていけないがために、しばしば訥弁になりがちとしたものです。
草間氏の場合は如何でしたか。短い細切れの会話を交わす場合と、講演のように纏まった話題について長時間話す場合とでは異なるのかもしれませんが、この件について何か印象がおありですか。
口の滑らかさは田中真紀子氏などとは対極にあるように想像するのですが…。このお尋ねは私の読後感が当たっているものやら、そうでないものやら確かめたいだけですから、差支えない範囲で極く軽く、こんな感じであったと仰ってくだされば結構です。
また、これは今回の初出の質問からは逸脱していますから答えられても答えられなくても結構です。
よろしくお願いします(ngの件は分かりました)。

お礼日時:2011/07/01 22:44

その蜩さんの設問のお陰で、今回ゴミ箱アートの一面が少しだけ見えて来たような気がしました。

その蜩さんと雨合羽さんとサイコロさんと草むらさんに感謝します。

草間ちゅう方はきっと幸せでなくって、気持ちがイライラしちゃって、ささくれだちゃって、刺々しちゃったんですね。人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう、ってえのがあたしの考え方で、だから、住みにくい国をとげとげ生きて余計住みにくくするこたあなかろうって思ってんですよね、あたしゃ。かあいそうだね、草間ちゅう方は。

時々いますね、こんな人。きっと色々な事情で世の中まっつぐに見ることが出来なくなちゃってる。あたしの記憶違いじゃなかったら、雨合羽さんは精神病理学の側面からいろいろ分析することに興味を持っているらしいから、まあ、人間の病理を探ると言う意味では、草間ちゅう方は興味の対象になりうるかもしれませんね。

嫌な世に住んでたって、それを笑い飛ばして刺々せずに生きて行ける人は幾らでもいる。ちゅうよりか、世間様は皆そうやって生きてるんだと思う。勿論、救い様の無い不幸な目にあっている人もいないではないが。でもインテリゲンちゃんて言われている連中のなかには、何が何でもやだ~って駄々捏ねる不運な奴も確かに時々いる。今回のやりとりで、もしかしたら、ゴミ箱アートってえのをやる人達も、こんな不運な駄々捏ね屋がやってんのかもしれないと思った。

笑い飛ばすには、その人は不幸じゃ駄目だ。不幸な人には笑い飛ばすなんて出来ない。ただのエゲツナイ皮肉になってしまう。そして、周りの連中も、その不愉快さに引き込んじまうのが関の山だ。笑い飛ばすには、才能がいるんだ。それが出来れば、皆も溜飲を下げて楽しい気持ちなれるんだ。だから、笑い飛ばせる奴は、何処か気持ちのなかで生きていることに満足している。

エゲツナイとこと言って、皆をささくれさせようなんてもんが芸術であるもんか。芸術って芸の術だ。だから、そんなもの芸でもなんでもない。まあ、バケツにムール貝のカラを入れてこれが芸術だと言ったり、5メートルのワイシャツを作ってぶら下げてこれを芸術だと言ったりするゴミ箱アートを見たことあるけど、たぶんそいつらは、そんな不幸をかこっている訳ではなくて、ただ笑い飛ばしたいと思ってそれをやったんだけど、それが見ごとに失敗たってな例なんだろうね。だから、笑い飛ばすには不幸をかこってないと言う条件ばかりでなく、やはり才能がいるんだね。
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この回答へのお礼

これは回答ではなくcyototuさんの対草間芸術観と判断しました。よって、私は関知しません。

お礼日時:2011/06/29 23:31

こんにちは。



>ひねこびた理窟屋を十把一絡げで笑い飛ばしているだけの形跡も窺えますが?
>揶揄する気持ちがあるのだと推測します。

「ひねこびた理窟屋」というよりもむしろその背後に潜むであろう
《揺るぎない権威主義的なるもの》こそを草間は嫌悪したのであって、
《それを》揶揄してみせようと、各界の大家の名前を借りて彼女なりの手法で
十把一絡げに笑い飛ばしてみたのよと読者に伝えているのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

拝読しました。
芸術志向のフランス人青年が作中のヒロインに読書を薦めた際のヒロインの対応の中で25人の名が登場しているのですから、ご回答に即した読み方は成立するのだと思います。

私が迷った理由を記します。
一般に持病のある人は健康な人よりも、その病気に詳しいです。草間氏の場合、フロイトの学説などには案外、通じていて何らかの主張がありはしまいか。また、25名の中には旧弊たる道徳至上主義者が混じっていたりしないのか。こういう疑問がありました。ヘーゲルとは何じゃらほい、ショーペンハウェルとは何じゃらほい、こういう教養不足の凡才の手には負えませんでした。
識者の中には「草間氏が槍玉に挙げるのは分かる、分かる」という方がいるのではないかと思って質問した次第です。
余談ですが漢字の選択がその思想家の思想の核を表していて、音訳のみならず意訳にもなっている人が一人でもいたらばスンバラシイと思いませんか。また、プラトンが浮浪頓でなく浮浪頓具になっているのは何故なのか。英語と中国語の発音に通じている人にはピンとくるものがありはしまいか。こんなことにも連想が働きます。以上、無駄話でした。
有り難うございました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これが模範解答の例です。こういう方向の回答でも結構ですし、「誰の如何なる思想に対して納得していないのか」でも結構です。
何らの前触れもなしに突然閉め切ることはしませんし急ぎもしません。心当たりがあれば回答をお寄せ下さいまし。
よろしくお願いします。

お礼日時:2011/06/29 23:30

>「誰の」、「如何なる思想」へのご返事がなくては回答になりません。

これを記した後、周辺部分にどれだけ触れるかはご自由です。質問文の再読を願います。

どうぞ回答文をお読み取りください。
「自分自身の」、「恥部に囚われた強迫症なる思想」に対して、「納得も折り合いもなく持て余し」て「再認的に演じて」いるという回答内容なのです。
そこに羅列されているいかなる著名人に対するものでもないということを、言葉足らずにお伝えしようとしたのでした。
草間氏にとって、漢字の視覚刺激は、触覚刺激をよびさますのに十分でしょう。snon-higurashiさんにとってはいかがですか。漢字は刺激的な迫力をもっていませんか。ゴツゴツした鎧のように見えませんか。
ささくれを捲り、かさぶたを剥がし、突起を攻撃的に増殖させ、点を強迫的に増殖させ、神経を繋いで連絡させ合うようなアートが、草間氏には特徴的です。
強迫行動の表出ともいえますし、あらゆるものを鎧に変える作業であるともいえます。
それと同じく、ここではアルファベットやカタカナが触知的に感じさせる無機質なおとなしさに、草間氏は漢字の鎧をかぶせたのだと思います。

jacta-alea-estさんが(以下サイコロさん)がわたしの回答に触れておられますので念を押しますが、日本人のアートの需要か受容かの傾向は、日曜美術館にでもまかせておけばよろしく、自伝的解釈などはわたしの視界の外にあります。
大事なのは、草間作品の生成が草間彌生固有の問題を通り抜けたあとの、その先です。
作品が、作家個人の特殊性を離れ、無名性の閾域において、万人に共通する問題をぶら下げ続けうるということです。
わたしは、作家の動機は、外的なものであれ内因的なものであれ、作品を鑑賞する助けになると思いますが、草間氏の強迫神経症などの動機はあくまで動機です。作品を"読み解いた"結論ではありません。すり替えのないように注意すべきだと思います。それゆえ、たとえば作品から「なんでこんなに気色悪い鎧をかぶせた馬鹿みたいなことをするんだろう?」を出発点として、それが攻撃の鎧であると本質的に読み解くことが大切だと思います。これをわたしは"本質"とみます。

sono-higurashiさんとこれまで何度かお話させていただいた記憶では、大変生真面目な、頭の堅い勉強家の方だという印象でおります。ご質問はまさしく、作家の作品の"意味"を、作家の主観・経験・知識・思想形成から"読み解こう"とするものであり、自伝的要素が作品を読む鍵になるという解釈姿勢にほかならないと思われます。作品には何らかの参照点が外にあるはずだというお考えに基づく質問だと感じています。

なぜかわかりませんが、サイコロさんが、「作品など作者のシュミュラークルでしかないのだから、本質など求めても仕方ない」とか「作品という残滓を手掛かりに、作品の外にある本質を求める」「現代アートであるのなら、自伝的に小さくまとまるのではないと思う」とおっしゃっています。
作者のシミュラークルであること(即ち、自分自身を再認的に演じているということ)と、そこに潜む本質とは、同時に見透かすことができるでしょう。わたしは、本質は、作品の表出が物語るものであり、作品の生成が物語るものではないと思っております。
sono-higurashiさんが、草間氏の念頭にある知識や経験や思想といった「自伝的な」人間形成に目を向けて草間氏のアートを意味づけようとするなら、アートはそのような「小さくまとまった」出来事としてしかsono-higurashiさんの前に展開して来ない、ということに警鐘を鳴らしたいと思います。ぜひ、視覚から入る時にも、聴覚、触覚、嗅覚、味覚、第六感へ響くものを、大切に温めていただきたいと思います。


追伸、サイコロさん

> 雨合羽さん、結婚すると性的な強迫観念は治まるものなのですか。

男性は一般にそのような傾向だそうですがいかがですか。
女性である草間氏は、男性器に強い恐怖をおぼえていました。病的に強い恐怖の場合、母娘関係において形成された観念であることが多いですね。
結婚した女性は多少は違和感に慣れてくるのが通常だと思いますが、大好きという人と大嫌いという人を除いた中間層が、なんとなくおちんちんは仕方ない物だと思うようになったといったあたりで、多数派なのとちがいますか。
問題は愛の性質に集約されるでしょう。執着的な愛情を学んだ人間もいれば受容的な愛情を学んだ人間もいます。草間氏の結婚は強迫症同士の結婚でした。治まるどころか、生育環境で学んだ愛を是正することなく、自虐環境を求めての結婚であるといえるでしょうね。
こんなところでサイコロさんへのお答えになりますか。それともわたしと閨房談議でもお望みでしたか。生憎お眼鏡にかないませんで。
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この回答へのお礼

1
>>どうぞ回答文をお読み取りください。・・・・・草間氏は漢字の鎧をかぶせたのだと思います。<<
amaguappaさんは私を>>頭が固い<<と実に適切に評価しています。
頭の固い人間が、NO.5を読んでNO.5が
>>「自分自身の」、「恥部に囚われた強迫症なる思想」に対して、「納得も折り合いもなく持て余し」て「再認的に演じて」いるという回答内容<<
だと受け取るであろうというamaguappaさんの判断力には感心しました。私の頭の固さといったら、そんな水準にはありません。

2
これは著者がヘーゲル以下フロイトまでの25名を何故カタカナで書かずに漢字を当てたかの推理にはなっています。読み方として学ぶべき点があります。しかし、これも質問に答えた上での周辺部の話としてであって、肝心の回答が抜けていたのでは意味ありません。
著者にとってはカタカナで書くか,平仮名で書くか、漢字で書くかの前に、これら25名の名前を出すことが先決だった筈です。この質問は25名がどんな文字で書かれていても成立します。漢字で書いた理由を推理しただけでは質問に応えていません。しかし、1 によるとamaguappaさんは回答したといいます。私には回答に読み取れません。よって、今回の質問に関しては二人の話は止めにしましょう。水準の違いを埋めることは不可能です。

3
>>jacta-alea-estさんが(以下サイコロさん)がわたしの回答に・・・・・・・それが攻撃の鎧であると本質的に読み解くことが大切だと思います。これをわたしは"本質"とみます。<<
これは私への記事なのかjacta-alea-estさんへの記事なのか諮りかねます。私は草間作品をどう鑑賞すべきか他人様に訊ねようとは思っていません。質問文にもない筈です。自分なりの鑑賞眼で用が足ります。質問に答える過程で回答者自身の芸術論を何処まで述べるかは回答者の裁量です。
文学と限らず芸術全てについてですが、鑑賞者は作品とのみ「差し」で対峙すればよく、また作者もそれを望んでいる筈です。生い立ちや持病などは二義的,三義的な要因にすぎません。これはamaguappaさんの説とも一致しているやに読めますが、万一違っているといけないのでamaguappaさんの説とは絡めないでおきます。
草間芸術の本質は自己防衛と自己保存、また、そのための攻撃と睨んでいますが、別段この説を世間に広めようとは思っていません。

4
>> sono-higurashiさんとこれまで何度かお話させていただいた記憶では、・・・・・・<<終わりまで
4-1私に記憶はありません。特徴的なものを感じますので会話を交わしていれば記憶に残りそうに思いますが…。頭も心も固い私の記憶ですから当てになりません。

4-2何でも見通す千里眼には感心しました。頭の固さ以外は全て外れていることに、もっと感心しました。
頭の固いのには困っています。が、柔らかくなりすぎて単純な文章すら読めなくなるよりは、よっぽどいいかなと慰めています。心も固いです。よって車間距離が保てずに人の心の中に土足で入ってくる人や不純な動機の回答は心が受け付けません。何時までガキで困ったものです。

4-3>>自伝的要素が作品を読む鍵になるという解釈姿勢にほかならないと思われます。<<
>>sono-higurashiさんが、草間氏の念頭にある知識や経験や思想といった「自伝的な」人間形成に目を向けて草間氏のアートを意味づけようとするなら、アートはそのような「小さくまとまった」出来事としてしかsono-higurashiさんの前に展開して来ない、ということに警鐘を鳴らしたいと思います。ぜひ、視覚から入る時にも、聴覚、触覚、嗅覚、味覚、第六感へ響くものを、大切に温めていただきたいと思います。<<

大した観察力と、ご忠告です。
私は芸術がなくても生きていけてしまう極めつきの散文人間です。
既に記した通り、「文学を含む芸術全てについて、鑑賞者は作品とのみ『差し』で対峙すればよく、また作者もそれを望んでいる筈です。生い立ちや持病などは二義的,三義的な要因にしかすぎません。」、私の基本姿勢はこれです。
擦れ違いの会話を楽しむ趣味はお互いにないと思うのでamaguappaさんとの会話は切り上げましょう。よって、多くを語らず以上に留めます。
有り難うございました。

お礼日時:2011/06/29 23:26

猪突先生、雨合羽さん、お久しぶりです。

復帰とまでは行きませんが、お呼ばれしてお邪魔することにいたしました。いろいろと不義理、お許しください。なかなか、議論が盛り上がりそうな問いですね。草間弥生ですか。ゴミ箱アートを擁護し、『悪の華』の詩人を語りながら「醜さの中に美がある」とさえした私なら、この作品をどう見るか――猪突先生は私を試してみようということのようですね。

高飛車な物言いをお許しいただくと、私はどうもこの人の作品はあまり好きではありません。覇気がないのです。芸術家の服装だけ極端だが、どうも格好だけに思えてきます。たとえば私のプロフィールの写真と関係あるマラルメが「丸等留奴」となっていますが、これでは意味が通じません。遠慮せずに「魔羅る女」(ペニス付きの女)だとか、派手にやればよかったのです。今一つピリッとしません。
突き抜けた作品というのは、その中身がポルノ的であろうと何だろうと、ソフォクレスの悲劇のように、読んだ後にどっとカタルシスが来るものです。シェークスピアにも「タイタス」のように激しいものがありますが、そこには劣情ではなく、精神的に深いものがあります。私生活では品がなかったと言われるモーツアルトのレクイエムなど、彼らしい脅し的な誇張があると思えますが、出来あがった作品はまさに荘厳です。ミケランジェロやラファエロのように崇高さを求めず、野卑であったとしても、徹底すれば、何か突き抜けたところに行きつくものです。しかしそれは作家の生というものを逸脱します。本当に作品の世界を生きていたら、死んでしまいます。だからこそ、創作はフィクションでなければならないのです。

日本のアート受容は、総じて、アーティストの自伝や生きた痕跡として作品を解釈する傾向があると私は感じています。作品の美を問うのではなく、その人の人生を受け止めるために、読むというものです。雨合羽さんのおっしゃるのはその通りだと思います。そして作品など作者のシュミュラークルでしかないのだから、本質など求めても仕方ないのかもしれません。この点は、ここまで回答者の誰もが、見解の一致をみているようですね。
もっとも設問を否定しては本末転倒だと怒られてしまいそうですから、草間に関心のある質問者さんが、作品という残滓を手掛かりに、作品の外にある本質を求めるのは有意義かもしれない、とは認めておきたいところです。これには草村さんが勧めている著作を読んでも、まぁ、良いでしょう。しかしそれよりは、草間の著作を全部読んだ方が、理解が深まるだろうと思います。

最後に私の個人的な好みを言うと、伝記的な作品というのは、結局は作者の主観の世界だけであって、客観性にまで到達しません。そうなると、上でソフォクレスになぞらえて述べたカタルシスなど、発生しようがないのです。だから私は現代アートであるのなら、自伝的に小さくまとまるのではないと思うのです。それにしても、雨合羽さん、結婚すると性的な強迫観念は治まるものなのですか。ところどころ、自伝的な目配せがありますね。こういうところをクスリと笑いながら、楽しく読ませていただいております。
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この回答へのお礼

>>草間に関心のある質問者さんが、<<
どっこい、そうではないのです。私は芸術がなくても生きていける極めつきの散文人間です。
偶々、『クリストファー男娼窟』を手にする機会があって、この先も当分色褪せない作品かなとの読後感をもちました。ここから2、3手を広げただけです。
『マンハッタン自殺未遂常習犯』はキズが多いと思います。文学で世に出ようという野心のある青年であれば手入れもしましょうが草間氏には、そんな気はさらさらないのだと思います。キズはあっても単なる奇書でないことも感じます。
渡米前から渡米直後までの絵画には悪くないものがあると思います。お礼代わりに感ずるままを記しました。

さて、このご回答も先を急ぎすぎていて「著者の言わんとするところが解かる方は誰の如何なる思想に対して納得していないのか、回答下さると有難いです。」、これへのご返事が抜けています。
それはそれとして、鈍感な散文人間にも含蓄を感じとれるご回答であることは掴めました。
有り難うございました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今後、回答下さる皆様へ
やっと落ち着いたみたいです。ヘーゲル、ショーペンハウアー、キェルケゴール、プラトン…、こういう人物には思想的立場の違いから相応の論敵がいるものと思います。
何らの前触れもなしに突然閉め切ることはしませんし急ぎもしません。心当たりがあれば回答をお寄せ下さいまし。
よろしくお願いします。

お礼日時:2011/06/27 23:38

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