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屁蹴る。小便は餓える。女陰。隠毛留守。
蹴る毛凍る。冷陰員。丸苦巣。慰撫栓。
出刈怒。浮浪頓具。痔怒。陰魔損。屁満屁瀬。
便倒便。苦麗具来る。丸等留奴。非民苦餓兵。
ブラブラ陰具。嗚呼陰具。睾丸。盗魔巣男。
舌殺す。巣多鳴呼淋。馬陰露具。浮浪慰怒。

上記は草間彌生著「マンハッタン自殺未遂常習犯」中の記述です。著者が超弩級の著名人を音訳したものです。多少、訛りが窺がえますが作品では振ってある仮名を此処では割愛しました。直接の音訳でなく一捻りしてあると思われる女陰がカントであることだけを申し添えておきます。

さて、著者はこれらの哲学者、革命家、文学者、音楽家、画家、政治家、精神医などと根本の処で相容れないか、少なくともかなりの程度揶揄する気持ちがあるのだと推測します。
著者の言わんとするところが解かる方は誰の如何なる思想に対して納得していないのか、回答下さると有難いです。

よろしくお願いします。
(中にはベートーヴェンに対するように個人を難詰するというよりは、音楽の一義的な価値はあゝした高度の人工的なものにあるのではなく、アフリカに残った少数部族などの肉体全体で表現する原初的なものにこそあるのだという訳で、音楽界の代表として名前を登場させているに過ぎない例もありそうですー本当だろうか?―。
また、ひねこびた理窟屋を十把一絡げで笑い飛ばしているだけの形跡も窺えますが?)

A 回答 (18件中11~18件)

猪突先生、文化である地口と認めるには「品」が足りんということですか。

うーむ。確かに品はないですね。野卑な言葉が悪いというんじゃなくて、それをどう使うかという点について、透徹した考えがあるとは思えない。ポストモダンの思想にふれて、思い付きで書いてみた程度じゃないですか。僕もだから、あんまり称賛はしないのです。あくまで「面白がってみせた」という程度です。「おもしろきこともなき詩を おもしろく……」が現代アートの心だと僕は思っていましてね。
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この回答へのお礼

これはkusa-muraさんとkusa-muraさんが猪突先生と呼ぶ人との問題と判断し、私は関知しません。

お礼日時:2011/06/27 22:51

>私は回答をテンプレートとして活用させて頂いただけです。

これが罵詈雑言であるならばテンプレートが罵詈雑言だということです。私に言われても困ります。直接NO.1のお方に仰って下さいまし。

テンプレートであるから、それをしたご自分に悪意など無いとおっしゃっているように読めましたが、そうなんですか。ふーん、この理屈を当てはめたら、あなたならずとも、誰しも残酷な物言いが許されるでしょうね。それでいいんでしょうか。削除依頼を出せとのことですが、僕は面倒なことはしません。適当に切り刻むなりなさるとよろしいでしょう。
削除依頼って、普通はできないんです。一回投稿したら、それっきりです。不快極まりない投稿やお礼が通報されて、削除されるというくらいです。かくしてどの回答も俎板の上の鯉なので、切り刻む側にも、惻隠の情のようなものが求められているというわけです。
――まぁいいですよ。もう言うべきことは言ったし、これを書いていたら、猪突先生が先に反論をお書きになってしまった。ただ先に、質問者の質問にお答えしておきたいと思います。

どうやら、読書指南をしてくれということのようですね。となると、僕は回答の方向性を間違っていたことになりますか。僕はてっきり草間の詩を読んでみようという話か、草間の詩を評価しうるとしたら、どういう文献を読めばいいか?という問いだと思っていました。

もう気付いていそうなことを書くと、思想家の列挙をみると、左翼思想家が6人以上います。草間の詩集も出版年も初版が1878年、六十年代の左派運動を振り返る時期にあたりますね。その中で、神のように崇められていた人ばかりです。あまりに当然過ぎて指摘するまでもなかろうと思ったわけですが、この詩が揶揄しているのは、左派運動でしょうし、マルクスが「丸苦巣」で腹を立てる人といえば、左派活動家です。ただ時代を振り返って「ありゃなんだったんだろうなぁ」と思う人は、ニヤッと笑うでしょう。マルクスなど「苦悶の巣」に他ならんというわけです。なぜベートヴェンやジッド、ヘッセなのかと考えると、これはちょっと答えにくいですね。しかし非常に日本的な選択ではあります。ヘッセなど、日本でこそ知られるが、本国のドイツではそれほど人気がないのです。まぁ左翼で、それが好きだった人の顔は思い浮かびますが、あまり左派運動に還元し過ぎると読みを貧弱にしてしまうのでもあります。

こうした左派運動の潮流を知りたければ、吉本隆明や柄谷行人の著作でもお読みになることがお勧めです。あまりにありきたり過ぎて、もう読んでいるというお返事が来る可能性もありますが。あるいはまったくそのような思想家に触れたことが無くて、「何かマルクスって怪しい響きだなぁ」と思う時は、逆に三田誠広の「僕って何?」(芥川賞受賞作)を読むと、雰囲気がわかるかもしれません。大学内のセクトを性格のゆるーい「僕」という学生の視点から描いています。左派運動に巻き込まれて、「僕って何?」という疑問を発する男の子の話です。残念ながら思想的な深みがある小説とは思えませんが、普通の小説として気を抜いて読んで、笑えます。

またNo2の回答と関連して、表意文字と表音文字の違いから、左派的な思想の支柱になった思想を紹介しておくと、それはデリダの脱構築の概念です。デコンストラクションって、建築の様式などで、聞いたことがあるのではないですか。これの大本は『グラマトロジーについて』です。ただこれは草間が否定している対象というより、むしろ草間が参考にしたであろう思想と言えるでしょう。加えて、ちょっと面倒なんですけれどね、読むのが。
最初は、ジョナサン・カラーなどの概説書にあたられることをお勧めします。スピヴァクの解説書は、勝手に持論を展開しているし、彼女自身が言っていることが難しいので勧めません。脱構築は概説書で要点だけ抜いてもらい、説明の上手い専門家の解説を聞いても、理解するのに一カ月くらいかかると思います。しかし一世を風靡した思想なので、少し苦労しても、触れてみるのはいいかもしれません。

追記)No2ですが、僕は誤字をやりました。「この詩は【表音】文字をもつ文化でこそ出来ることであって、表音文字というアルファベットの文化じゃ置き換えて訳すことはできません」の括弧の箇所ですが、【表意】文字とするのが正確でした。おそらく文脈でわかったかもしれませんが。
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この回答へのお礼

1
>>テンプレートであるから、それをしたご自分に悪意など無いとおっしゃっているように読めましたが、そうなんですか。ふーん、この理屈を当てはめたら、あなたならずとも、誰しも残酷な物言いが許されるでしょうね。それでいいんでしょうか。<<

「ように読めましたが、」とありますが、こんな弱い受け取り方では困ります。そう言っているのですから、そう読んでくれなくては困ります。NO.1の回答欄とお礼欄は品位に於いて同水準なのです。水準を決定したのはNo.1の回答者です。お礼欄は回答欄をテンプレとして活用しただけです。お礼欄が悪意を含んでいるとすればテンプレたるNO.1が悪意を含んでいるということです。私に苦情を言われても困ります。立派な先生、猪突先生と呼んでいる間柄ですからNo.1に直接言って下さい。

2
>>削除依頼を出せとのことですが、僕は面倒なことはしません。適当に切り刻むなりなさるとよろしいでしょう。<<
出せなんて命令していません。NO.2を投稿したことに後悔しているとNO.3で言うから柄にもない親切心でお勧めしただけです。
切り刻むについては切り刻むだけの価値ある対象でなくてはなりません。さて、NO.2の価値は如何ほどと値踏みしますか。

3
>>どうやら、読書指南をしてくれということのようですね。となると、僕は回答の方向性を間違っていたことになりますか。僕はてっきり草間の詩を読んでみようという話か、草間の詩を評価しうるとしたら、どういう文献を読めばいいか?という問いだと思っていました。<<


勿論、間違っていました。
諄いようですが質問は「著者の言わんとするところが解かる方は誰の如何なる思想に対して納得していないのか、回答下さると有難いです。」、これです。
回答を、どう活用するかは私の自由ですから述べていません。読書の指針にするのは有力な活用法の一つです。
言葉は論理ですから偏頗な先入観があると文章通りには頭に入らなくなります。原文を忠実に追う習慣をつけられると今回の悶着が生きてkusa-muraさんの対話能力が向上すると思います。
私としてもkusa-muraさんの成長の手助けをしたみたいに錯覚出来て嬉しいです。

4
序盤を除く残りの3/4は軌道に乗っています。しかし、この単純な質問文が何故すっと通らないのか、非常に不可解です。ひょんなことから興味ある副産物を得ました。

5
草間作品の当該部分は詩なのでしょうか。そうかもしれませんが私には判断できません。この質問には関係ないので読み流しました。

6
kusa-muraさんの表現に従えば、著者は左翼思想家に対して何等かの見解をもっているものと推測します。これは質問文の回答になっています。

7
>> No2の回答と関連して、<<
NO.3に於いて、No2を投稿して>>後悔している<<というのですから、また、NO.7に於いて、>>削除依頼って、普通はできないんです。一回投稿したら、それっきりです。<<というのですからNO.2はないものとして私は読みません。武士の情です。よってNO.2絡みの話には関知しません。

8
私は誤字には無頓着です。偶々使い慣れたPCではなく臨時の不慣れなPCを使っていることも加わって、今回の私の書いたものには文字の脱落が目立ちます。

お礼日時:2011/06/27 22:49

雨合羽さん、最近サイコロさんが復帰して来たようです。

この辺りのテーマを是非、雨合羽さんとサイコロさんの議論辺りか、何かものしてもらいたいですね。サイコロさんよー、これ見ているかなー。

あと、「セックスに対する重度の強迫観念をお持ちであり」と言うのは、宜なるかなと思いました。私が高校生の頃、強迫観念ではなくてまだ知らぬ性へのどうにもならない動物的な好奇心から、この草間さんと同じような発想で、日常会はのあらゆ言葉をセックスに結び付ける言葉遊びを仲間内の男どもの中でした楽しい思い出があります。
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この回答へのお礼

雨合羽、サイコロ両氏の尋ね人と判断しました。
よって、私は関知しません。

お礼日時:2011/06/27 22:31

回答は控えようと思っておりました。


けれど、草間氏がご自身で明らかにされていることですから申します。
まず、草間氏には強迫神経症があります。
既婚者ながらセックスに対する重度の強迫観念をお持ちであり、それが制作へのエネルギー源となったりヒントとなったりしています。

アーティストを理解するうえで大切なことは、作品が作者の分身であることの切実さを受け入れることだとわたしは思っております。
re-resentationが、まさにpresentとしての作家自身の現前を、自らが焼き鏝となって再び炙り出して確認するものと思っております。
それゆえ、作品には作家の自己洞察の契機が必ず潜み、自覚的なアーティストというのは、いずれ自己愛的であったり自虐的であったりせざるをえない面があります。
草間氏の、恥部に囚われた自己の、過剰な自意識を持て余すところに、現前を生きている草間氏の存在があります。

もし質問者さんが、表出された主題の見かけに目を奪われ、それらの参照点を拾おうとしていらっしゃるなら、それは不毛なこころみであるとわたしは指摘したいと思います。
現代アートは、表出そのものが問題であり、表出された廃棄物が内容を指示しているという側面の薄いものです。
近代より前は、アーティストは翻訳的な才能に恵まれていれば素晴らしかったのでした。
けれども、今日では、アーティストはピン芸人のように自分を売り物として演劇的な才能に恵まれなければなりません。
草間氏も、そういう現代アートの最前列で、自身の病質を、自覚的に、自己批判的に、自己愛着的に、再認的に演じ続けている1人であることは間違いありません。
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この回答へのお礼

質問は「著者の言わんとするところが解かる方は誰の如何なる思想に対して納得していないのか、回答下さると有難いです。」、です。
「誰の」、「如何なる思想」へのご返事がなくては回答になりません。これを記した後、周辺部分にどれだけ触れるかはご自由です。質問文の再読を願います。

お礼日時:2011/06/27 22:29

>こういう言葉遊びは、地口と言ってよいものだと思います。

草間は日本語の特性を使って、新しい地口を考案したといえるかもしれませんね。

何処の国でも同じような言葉の遊びはあるもので、これが日本独特な物だとは思いませんが、これを新しい地口と言うのには賛成出来ません。日本でも昔から掛詞として、相当高度な芸術にまで高めております。勿論その必要条件として掛詞には品が要求されました。

草間某がもし新しいことを取り入れたと言うなら、その掛詞の品を落してみせたと言うことでしょう。しかし、それとても草むらさんが喝破したように、これは、「ひそひそと悪口を言っているのが面白い」と言うレベルの物で、別に特別な才能がなくても誰でも思い付くような程度のことです。敢えて、特別な才能を探すとすると、草間某は人前で裸になることを恥と思わない才能を持っていると言うことのようです。これだったら、そう誰でも持っている才能とは思えませんから。

まあ、モダンアートだ、ポストモダンだと言うのは、草間某さんのような特別な才能の持ち主でない限り、なかなか出来ない遊びだと、私は常々思っております。
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この回答へのお礼

NO.8の回答から、NO.4はcyototuさんとNO.2のkusa-muraさんとのやり取りだと判断しました。
よって私は関知しません。

お礼日時:2011/06/27 22:26

ところでNo1の方、立派な先生ですよ。

質問者さんが草間の真意は問うておられるので、「ああ、この人も分かんないんだな。よしよし、わからんでもよろしいと言ってやろう」と気をきかせたというところだと思います。

せっかく面白い話なのかと思ったのに、このお礼欄の罵詈雑言を見て、僕も、これには投稿するんじゃなかったなぁと後悔しました。だって他人の軽い批判を受け止められない人が、草間の罵詈雑言を「ははは、なかなか、やるじゃない?」と評価できるはず、ありゃしないと思いますから。ものごと、アートだから特別ってことはないんです。

この回答への補足

第1段落に関して
kusa-muraさんがNo.1の回答者をどう評価するかは全くの自由です。私は他人様の考え方に対してどう思え、こう思えと干渉するほど野蛮ではありません。
同時に私の考えは他人様の干渉によって些かも変化することはありません。

第2段落に関して
1 >>お礼欄の罵詈雑言<<
冗談仰っては困ります。
私は回答をテンプレートとして活用させて頂いただけです。これが罵詈雑言であるならばテンプレートが罵詈雑言だということです。私に言われても困ります。直接NO.1のお方に仰って下さいまし。

2>>僕も、これには投稿するんじゃなかったなぁと後悔しました。<<
それではこう致しましょう。本来はkusa-muraさんと相談しながら決めるべきですが、能率を考えて僭越ながら私から提案します。
NO.2の削除の手続きをお勧めします。どういう結果になるかは経験がないので私には判りません。
大事なことですから念を押しておきます。
削除の意思の有無なり、教えてgooからの削除の可否の返事なりをNo.4以降でお伝え下さい。無理を言ってはいけないので時間をたっぷり取ります。7/3(日)、24時までに何等かの返事を下さい。この期限までに何の返事もないときはNo.2を削除しないものと判断します。この場合、No.2のお礼欄に私の返礼を記します。優れた回答者から良き回答を得るには如何なる回答に如何なる反応をする人間であるかを知って頂くことは必須の条件です。私は空欄のままにしておくことはしません。
よろしくお願いします。なお、7/3(日)、24時の期限には拘りません。お申し出があれば如何様にも従います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今後、回答を寄せられ皆様へ
質問文に「誰の如何なる思想に対して納得していないのか」とあります。
私にとって此処は重要です。これへの助言を得て、誰の如何なる思想を(皮相にもせよ)読み齧るべきか、読書予定に組み込んでおこうという趣旨の質問ですから、これがなくては適いません。
よろしくお願いします。

補足日時:2011/06/27 00:23
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現代アートだから、真意はあんまり問うても意味は無いでしょう。

とにかく、受け手が面白がってみせることができたら勝ちというものです。僕は、これは結構、いい線、行っていると思います。でも「美しい」とか、「読んでいて心が洗われる」ということではないです。簡単に言えば、ひそひそと悪口を言っているのが面白い。その「ひそひそ」やるやり方が面白い。

まず、これが「マンハッタン」云々という表題だけれど、英訳できないと思うんです。だって音だけ追えば、普通に人名を並べているだけ。しかし漢字の意味に注目すると、何だかセックスの場面を彷彿とさせる配列になっている。彷彿とさせるのであって、明確に何をしているのかは分からない。しかしカントが少々無理に「女陰」なのだから、作者は何かしら意図があったのでしょう。印象に留まって、何か明確なイメージにならないところが、想像力を刺激するわけで、逆に面白いわけですが。
ともあれ、これが英語に訳せないというのは、音と文字の意味内容が乖離しているからです。どちらを訳せばいいのかわからない。そして「ヘーゲルは屁を蹴っている」と訳しても、これでは面白くもなんともない。この詩は表音文字をもつ文化でこそ出来ることであって、表音文字というアルファベットの文化じゃ置き換えて訳すことはできません。西欧人のわからないところで、知識人の名前を平然と列挙しながら、知識人を笑いのめしているのが、僻みっぽくて笑えてくる。やーい、わからないだろう?というような、子供っぽいことをしているのが笑えてくるのです。

こういう言葉遊びは、地口と言ってよいものだと思います。草間は日本語の特性を使って、新しい地口を考案したといえるかもしれませんね。西欧の思想家や作家、文化ばかりがもてはやされる中で、日本語を使ってモノを考えている人間が「ふん、こっちだって何もないわけじゃないんだぞ」とやってみせたという愚痴といえます。日本語の特性を生かしたという意味では、知的な愚痴です。結構、僕は好きだなと思います。

最後に「理屈屋」について一言。現代アートの評論では過剰に理論で固めて、そのアートを過大評価する傾向がありますが、「ま、このくらいだろう」で止めておくバランス感覚も必要かなと思います。上の内容、やろうと思えば「東洋の言語の特性によって、西洋文化へアンチテーゼを突きつけた野心的な試みである」云々という風に展開することもできないでもないんです。しかし、そこまでではないと感じたので、素直に、僕はこれくらいで筆を置きましょう。
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この回答へのお礼

NO.3に於いて、No2を投稿して>>後悔している<<というのですから、また、NO.7に於いて、>>削除依頼って、普通はできないんです。一回投稿したら、それっきりです。<<というのですからNO.2はないものとして、私は読みません。武士の情です。よってNO.2絡みの話には関知しません。

お礼日時:2011/06/27 22:24

日本人の知的程度の高さを端的に表している言葉がありあます。

それは、芸事や芸人がけしてやってはいけない事をあげつらった言葉です。曰く、

外連(けれん)、下ねた、楽屋落ち

外連とは奇を衒う事です。この内の前二つは、何の芸のない者がやってもすぐ目立ち、更に程度の低い連中から受ける。楽屋落ちは、仲間内だけで受けているので、芸でも何でもない、と言うことです。

草間某のやった事はただ目立ちたいだけで、上の二つをやった典型ですね。だから、この人には何も芸が無い。このように程度の低い連中は、一緒になって自分の程度の低さを世間に曝け出して物笑いにならないように、無視すれば良いだけです。
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この回答へのお礼

日本人の知的程度の高さを端的に表している言葉がありあます。それは、最低限、義務教育履修者の心すべき言葉です。曰く、

外連(けれん)。葦の髄から天井を覗く。目糞、鼻糞を嘲笑う(鼻糞は不肖アタイとして草間女史も入るのか?。目糞は誰が該当するんざんしょう?)

外連とは奇を衒う事ですが、これらは仲間内(二人だけか?)だけで受けているので、学問とも教育とも無縁、と言うことです。

某氏のカイトウはただ目立ちたいだけで、上の三つをやった典型ですね。だから、この人には何も背景が無い。このように程度の低いカイトウを真に受けるのは、自分の程度の低さを世間に曝け出して物笑いになるだけですから、無視すれば良いだけです。

このように理解しました。最近にない大変有益なカイトウでした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今後、回答を寄せられ皆様へ
この質問の表題は「草間彌生氏の真意は?」となっています。即ち、草間女史の真意を理解できない方には回答を期待していません。
また、質問本文には「著者の言わんとするところが解かる方は」とあります。即ち、著者の言わんとするころが理解不能な方には回答を期待していないことを二重に表現しています。

質問文は義務教育既履修者を前提に作成されていますので該当者、または同程度の国語の読解力をもつ方の回答をお待ちしています。
なお、天候次第ですが返礼は早くても今夜になります。勝手を言って済みません。

よろしくお願いします。

お礼日時:2011/06/26 10:04

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