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瞑想を始めてから、夜中に、ふとデジタル時計を見ると、ぞろ目ということがものすごく多いのです。

ちょくちょく時計を見ているわけではなく、ふと眼がさめた時に見るのです。
昨夜も1:11 3:33 4:44 と そんな感じ。

こういう現象ってどういうことなんでしょうか?

科学的根拠や確率論だけでスパっと切る方の意見は、遠慮します。
はなっから、お話にならないので。

A 回答 (11件中1~10件)

私は瞑想はしませんが、質問者様と同じく、昔からデジタル時計をなんとなく見ると、ぞろ目や、自分の誕生日ということが結構な頻度であります。



そのことを、友人に話したりしましたが、偶然だよと言われました、自分では何か意味があるのではと思うほどでした。

つい最近も、何故だか、ダウンタウンの松本が気になり、Wikipediaを見ていたら、島田紳助がダウンタウンの登場によって漫才を止めることになって、ダウンタウンの松本と島田紳助は特別な関係があるんだとそのとき初めて知ったのですが、その翌日、島田紳助が芸能界引退というのをニュースで知り、あまりにも昨日のWikipediaで見て印象に残っていた島田紳助だったのでタイムリーな出来事だなーと一人でビックリしてました(笑)。

島田紳助に限らずそんな余りにもタイムリーだなと思うことがあるので、その出来事に意味があるのかな?というより、そのたび、そのたび、誰かに言ってもしょうがないのでいつも一人でビックリしています。

回答というより、私の体験でした。。
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視界のわずか外にある情報を感知するのでしょう。


別の場所や遠方ではないわけでして、
視界からはずれているものの身体感覚の延長にありそうな空間のはずです。ちがいますか。

視覚と触覚がまざったような知覚で違和感のようにそれが立ち上がり、
目を向けるとゾロ目なんでしょう?

複雑な相似形が同じベクトルと同じ大きさで正確に並んで静止するということが自然界にはないので、その情報の奇妙さゆえに、野生の勘のようなところが反応してしまう。

したがって0:00はあまり働きかけてこないんじゃないでしょうかね。

あとは、そうだなあ、数霊という捉え方もあるかなぁ。

数霊というのは、姓名判断の根本にある思想と同じで、
どうして或る数がその数に特有の性質で事象とかかわるのか、
実はよくわかっていないにもかかわらず、傾向があるとみとめるもの。
おみくじの番号みたいに、数そのものは繋ぎの記号で、そこにチャンネルを合わせるというシステムだけがただ目の前に広がっている。
人が使ってきたシステムなのだから、惑わされるのも虚しいし、惑わされるに足るだけのものでもあるし。
言えることは、それが、indicationではない、中身や内容に繋ぐシステムではない、ということでしょうか。
わたしと親しかった禅僧は、そういうのを「文字化け」と呼んでいました。
わたしもそう思います。

自分の心が知っている、とても複雑で言い表し難く絡みあったことがら。
少しずつでも具体的な言葉や行動に変えていく、
一生を通じて、ささいな日常の行いを通して、
気付かないうちに解決していくことがら。
そんな名付け難い思いが、1:11や2:22、33-33などの違和感と不自然さと気まずさを借りて、認識できる知覚に表出してくるのではないでしょうかね。
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禅などでは、魔境・・と言われる類のもの・・の様に思います。



特に師につかない場合は、どうでも良い様な事に意味を持たせて、ご大層に思ってしまうことが良くありますね。
それでは瞑想本来の目的と外れます。
勿体ない。


書かれている様な事は全く何の意味もありません。
と言うより、意味を持たせるべきではないのです。

何故、瞑想をするのか・・に立ち返りましょう。
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#4です。



>半眼状態? 仰っている事がよくわかりません。

「半眼」知らない?
驚きました。
「瞑想ー半眼」でググッテください。いくつも出てきます。
仏像にも半眼状態のもの多いです。

>そして、デジタル時計のゾロ目を見るのは、はっきりした意識、想念がしっかりしている覚醒時です。

そうです。半眼状態から目をしっかり開けたとき、物が二重に見えることがあるのです。
半眼=薄目 です。 自然にこうなることが多いのです。

>眼科的見解を質問していません。

科学で解明できることは解明しなければいけません。
このカテゴリーは科学です。
★瞑想も科学です。
★瞑想をオカルトにしてしまっては世間に馬鹿にされるだけで、本物の瞑想者にとっては迷惑です。
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 No.6siryuanさんのご回答をよくお読みになられるといいかと存じます。


 もうかれころ15年くらい前、私たちの僧侶が日本にこられ、大勢の方の中から、瞑想でのいろんな現象や気付きのことを質問されていました。
 私も経験のあるご経験でしたが、その僧侶の方は全く無意味。無視しなさい。というご回答でした。
 今私も、あの僧侶のご回答がどんなに正しいかをよく理解できるようになりましたが、そんことをNo.6siryuanさんはわかりやすく、内容的に説明していると存じます。
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瞑想を始めると、やたらと偶然の一致があったり、睡眠時の夢が鮮明になったり、何かにつけて既視感を覚えたりする事がよくあります。

私の場合はAM、PM共に11:11ってのが多くて、何かしら意味があるんじゃないかと勘繰ったりもしました。

それまで使われていなかった感覚が目を覚まし、どうでもいい事まで受け止めちゃうと言う事らしいのですが、瞑想に習熟するにしたがって、その手の現象は減っていきます。一応、瞑想の効果が出ていると見なす事も出来ますが、所詮は感覚の暴走に過ぎませんし、この手の事から得る物は何も無いので、無視しちゃった方が利口です。

どんな瞑想をしているのかは知りませんが、ここで質問するという事は、師に就かず独学でやっていると言う事でしょうか?個人的には、そっちの方が気になります。
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言われていることは判ります。


こちらの場合は自分の誕生日なんですね。何の気なしに時計に目をやるとそれなんです。
しかし、これも頻度ということもあり、何日かのうちでということになります。一日のうち2回しかないということになるのでまた別かも知れないです。

>こういう現象ってどういうことなんでしょうか?

『瞑想』により“研ぎ澄まされてきたもの。”だとしたらいいですね。
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それ「複視」といいます。


半眼状態が長いと、涙液が角膜の上に均等に乗らず、一時的に段差ができる。
レンズに段差ができると同じ。
物が二重に見えます。
しばらくすると涙液が均等になって元に戻ります。
このような場合は病気ではないよ。
一時的な「仮性複視」ですので心配はいらない。
瞑想やる人がよくこうなって、不可思議現象を体験したようなこと言いふらします。
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この回答へのお礼

????
半眼状態? 仰っている事がよくわかりません。

瞑想は眼を閉じ、頭をからっぽにすること。雑念を追い払う事です。

そして、デジタル時計のゾロ目を見るのは、はっきりした意識、想念がしっかりしている覚醒時です。

質問を良く読んでいただけましたか?

眼科的見解を質問していません。

お礼日時:2011/07/07 06:37

分析や、意味、知見もなく論述は出来ません。

経験です。
 1970頃から私もある瞑想を瞑想をしています。
 数字はたいへん弱いせいか、数字でのそういう経験はありません。
 しかし、何かとダブルという経験はあります。
 例えば勤務先(1950年代から2006頃まで大学に居ました:東京の西部地方)で燈明の傘にできるものを見つけました。
 学生会館のゴミ捨て場でした。そして直ぐに我が家(東京の東部地方)の近くの工場の側の共用ゴミ捨て場で全く同じ品物を見つけました。
 いまLEDをつけて、お燈明にしています。
 私の担当していた卒業生が岐阜に近いところに帰郷し、おなくなりになりました。同期生の代表と参列しました。途中で従弟の配偶者とまったく同じ人に会いました。
 そして従弟がなくなり、水戸近くの葬儀でその配偶者にあいました。実に全く同じ人なのですが別人でした。
 こういう人におけるダブルはいくつもあります。余りに不思議なんです。

 燈明や人のことだけでなく、ダブルで何かと起こることがたくさんあります。
 どうしてなのか、そしてこの意味はなんなのか。ということはわかりません。
 一応、ご参考にしてください。
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そうした事もありますね。


格別驚くような事ではないと思います。
広い意味での不思議な現象というものは、絶妙なタイミングで起きるからこそ、不思議な現象でありうるのだと思います。
被験者においての体験の内容と時間性の一致といったもののようです。
そうした時間性の一致といったところに、客観的な事が見られるからといっても、ご質問者様の場合は、まだ驚くほどではないように思われます。
それは、体験後の結果として示された事象の一部だからです。
未体験の事象が、前もって何らかの形で客観的に示されてしまう、といった内容にはまだ至っていないと思われるからです。
五感を通して得るものが、ご自分の意志に関わりなく、何らかの表示である、という事において
自己以外の現れであると、受け取る事は危険だと思われます。
示されたものは全て自己の範囲において起きている事だと、お受け止めになられた方がよいと思われます。
その場合の自己の範囲とは、体験による深さかもしれない、というように私は解釈しています。
これらは、全くオカルトではありません。
自然に起きる、或いは起きてしまう事だと思います。
いずれにしても、余り神経質にならない方がよろしいと思われます。
ご参考になさってください。
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