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ここに集まる人々は「知的ファッション」を楽しんでいるように思える。
本当の意味に於いて「認識を深める」にはどうすればいいのだろうか?
私自身にさえ「知的ファッション」を感じる場合もあるし。
どういう意思=認識を持つべきか?

A 回答 (6件)

 (^ω^)こんにちは。



全くその通りです。
質問者に分かるように回答しなければ意味がありません。
相手に合わせるべきです。

私も、よく父親に怒られました。
お前は、大学で何を勉強してきたのだと。
相手が分からなければ意味がないと、相手にもされませんでした。

本当に、賢い人は、分かりやすいものです。
そして、面白いでしょう。
 (^▽^) 
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知的ファッション云々は良く解りませんが、



>本当の意味に於いて「認識を深める」にはどうすればいいのだろうか?

については、
「身体感覚を最大限活用せよ」
だと思います。
つまり
現場主義、実践主義です。
現場に出て、本物を見て触れて嗅いで聞いて味わって、そして人間の脳の最高機能である直観を働かせる。
情報による学習だけでは、本当の意味で認識を深めることはできないと思うのです。人間について学びたければ、多くの人の間で苦闘してみることが必要なのだと思っています。
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知的ファッションを愉しんでよいのでしょう。

ファッションは一種の自己表現ですし、自分が何を愛好するのか、どういった思想や考え方が趣味であるのか、それを服を選ぶように選ぶのは、まさしくファッションと言ってよいと思います。それは、内面の外面的な表れと言ってよいと思います。
そして、衣服に諸機能や社会性、TPOが存在するように、知性にも合理性や社会性、TPOが存在してはいないでしょうか。見た目は派手だが、機能は無視の衣服もあるように、目立った言い回しをしても目的のはっきりしない物言いもあるでしょう。

また、更に言えば、気候に恵まれたところではほとんど裸で暮らしても問題がないように、精神的に恵まれている、満ち足りているところでは、知性をことさらに発揮しようとしなくても、特に問題はないのであろうと思います。
喩えば健全な体温調節機能の働いている人が、ある程度の温度差なら自動的に適応できるように、健全な精神を宿しているひとは、たいていの事には考えるまでもなく自動的に適応できるのではないかと思います。

本当の意味において認識を深めるとは、衣服に頼らない健康な身体を持っているような事で、知性に頼らない健全な精神を宿していることが、本当の意味で認識を深めることに該当するのではないかと思います。余計なものに頼らないこと、自分を信じることが、健全な精神を宿すことになるのではないでしょうか。
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 「知的ファッション」に無自覚なものより,自覚のある者のほうが認識は深いといえるだろう。

認識を自己に向けることが,認識を深める一番の方法である。「汝自身を知れ」という箴言もそれを意味していると考えている。
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人生が有限というなかで、手を抜かずにやろうとすれば、意味ないことやファッションなどに興味はなくなるでしょう。

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ほんとうにそう思います。


わざわざ難しい言葉を使って(見せびらかして)上滑りの説明している。
エセインテリの典型。
もっと易しい言葉を使って分かり易く話すのが本当だと思う。難しいけど。
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