ギリギリ行けるお一人様のライン

 前の指摘されたところを直しました。
 この主張文を読んで、どこか直したらよいところなどありましたら指摘してほしいです。
 読んだご感想も書いてくれると助かります<(_ _)>

 いじめから学ぶ
 
 私は、いじめは、された人の人生の一部、事によると一生を壊してしまうような恐ろしいものだと思います。
 そもそも、「いじめ」とわ、どういうことをいうのでしょうか。からかわれること。無視されること。私物を隠されること。どれも、やられて良い気持ちにはなりません。人によっては、「移動教室の時にいつも一緒に行っていた友達が、何も言わず自分だけを置いていく」のようなことをされていじめだと思う人や、「消しゴムを貸してくれない」といったちょっとしたこともいじめられていると思う人もいます。つまり、大雑把に言うと、やられた人が「自分はいじめられている」という風に思った時点でもうそれは立派な「いじめ」なのです。
 私が中二の時、同級生だったある女の子がいました。私はその子とはクラスも一緒になったことはなかったし、小学校も違ったので、あまり関わりはなかったのですが、私の友達がその子と仲が良かったので、私は初めてしゃべることができました。私は「また一人友達ができた」と、うれしく思いました。
 しかし数日後、その子は、帰らぬ人となってしまいました。
 原因は「いじめ」で、数人の女子から「キモイ」や「臭い」などと言われていたみたいです。数人の女子はその女の子の一生を台無しにしてしまったのです。
このように、「いじめ」は本当に恐ろしいものです。しかし、私は、この事件を食い止めることができたと思います。私は、この女の子が皆から嫌われていたことを知っていました。それなのに、その子があんなに思いつめていたことに気付いてあげられませんでした。少しでも気づき、相談にのったり、その子の教室まで行ってあげたりしていれば、その子はきっと、少しでも楽な気持ちになれたのではないかと思います。
 私はこの出来事から、改めて、「いじめは恐ろしいものだ」と実感しました。今まで、友達と遊んだり、家族と団らんしたり、幸せな人生を送っていた人が、ちょっとしたことでいじめにあって、じわじわと追い詰められ、自ら死を選んでしまうと、家族や友人までもが悲しむのことになるのです。人一人の人生をぶち壊しにしてしまうのです。
 もし私が人の一生を壊してしまったとしたら、きっと、私は一生このことを後悔し、何年たっても背負い続けるでしょう。
 『人の一生を少しでもいいものにする、そして自分の人生も』
私はこれを目標にいろんなことを乗り越えようと思います。

A 回答 (2件)

どのような場面での意見文なのかにもよりますが、まず口語的表現がやや多いです。


>「いじめ」とわ、どういうこと
「いじめ」とは、どのようなこと
>言われていたみたいです
言われていたようです
>それなのに、その子があんなに
それなのに、その子があれ程に
>いろんなことを乗り越えようと
いろいろなことを乗り越えようと

などと直すべきかと。

また、「立派ないじめ」という表現は若干おかしく、「れっきとしたいじめ」などに書き換えた方が正しいです。
「女の子」と「女子」の表現を混同しているのも気になります。どちらかに統一しましょう。

読点が多いのは逆に文を読みづらくする原因となります。短文中に3つも4つも読点があった場合、いくつか読点を省くか2文に分けた方が良い場合が多いです。
例えば>今まで、友達と遊んだり、家族と団らんしたり、幸せな人生を送っていた人が、ちょっとしたことでいじめにあって、じわじわと追い詰められ、自ら死を選んでしまうと、家族や友人までもが悲しむのことになるのです
はさほど長くない文中に7つも読点を入れています。
>今まで友達と遊んだり家族と団らんしたり幸せな人生を送っていた人が、ちょっとしたことでいじめにあって、じわじわと追い詰められ自ら死を選んでしまうと、家族や友人までもが悲しむのことになるのです
とした方が読みやすいです。(2つ目の読点もいらないかも)
>しかし数日後、その子は、帰らぬ人となってしまいました。
これも、「しかし数日後、その子は帰らぬ人となってしまいました。」と書いて何の問題もありません。
読点は、入れないと内容が変わったり、かえって読みづらくならない限り入れないというのが一つのポイントです。

文章構成ですが、結論として「いじめは対象の人だけでなく、その周りの人も不幸にする」ということが挙げられている以上、>人生の一部、事によると一生を壊してしまうような恐ろしいもの>人一人の人生をぶち壊しにしてしまうのです。 といった提言はややちぐはぐな感があります。
「その人の一生だけでなく、その周りの人の人生までも壊してしまう」といった表現がベターです。
また、「そもそも、」から始まる段落がどこにもかかっていないのが気になります。いじめをしていた女子たちがこれを「いじめ」とは認識していなかった、というようなことがあるならそう書くべきだし、ないなら段落丸ごと消すべきです。いじめとはどんなものか知らない人はいませんから。

最後に改善点として。文章において、体験は最大の武器です。特にこのような短文ならば、体験以外のことを書かなくてもいいくらいにです。
知り合った友人がその数日後に亡くなったというのはかなりセンセーショナルな体験なので、そのことについて克明に綴った方が、どんな言葉よりも優れた文章になります。
いじめの実態は具体的にどのようなものだったのか、死の状況はどうだったのか、それが周りにどのような影響を与えたのか、そして何より自分がどのような気持ちになったのか・・・
そういったことを丹念に描写していくことは、千の言葉よりも価値があります。逆にそれがないと、鮮烈な体験が抽象論のようになってしまって、心に響かなくなります。
それさえクリアすれば、おそらく他の欠点など目に入らないくらいに素晴らしい文章になると思います。
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この回答へのお礼

直してみます。
 丁寧に書いていただき、本当に助かりました。

お礼日時:2011/07/27 12:09

>そもそも、「いじめ」とわ → そもそも、「いじめ」とは



文章自体は良くかけていると思いました。内容について私なりの感想を述べさせていただきます。

「いじめ」の悲惨な結果を身近に体験したことで、いじめの恐ろしさを実感し、いじめをなくさねばならないと決意されたということですね。
最初の「いじめの実態」についての部分がありますが、これは貴方が体験した「いじめ」についての実感なのですね。貴方はそれをいじめとは思っていなかった。しかしそういったささいなことであなたのメートは傷つき、死を選んだ。その反省として

>私は、この女の子が皆から嫌われていたことを知っていました。それなのに、その子があんなに思いつめていたことに気付いてあげられませんでした。少しでも気づき、相談にのったり、その子の教室まで行ってあげたりしていれば、その子はきっと、少しでも楽な気持ちになれたのではないかと

こういった結論が得られたのだと思います。

いじめは恐ろしいものだ。

この主張は繰り返し現れます。しかし、ではどうすればいいのか?という部分がこの文章からはあまり強く感じられないように思います。ちょっとでもそういった兆候があればすぐ相談にのってあげる、これなのでしょうか。他にはないのでしょうか。

最初の>そもそも 以下の分類が、こういうことをしてはいけない、という主張になっているのかもしれませんが、それ以降にそういった補強がありません。
私見では、たしかにちょっとしたなにげない無神経な行動が他人を傷つけることはあります。しかし、そういったことの無意識のくりかえしだけで「いじめ」が成立するかどうかは疑問です。人間社会ではそういったことは日常だからです。
もう少し貴方が体験したことをここでより深く突っ込んで、「いじめ」が深刻化する原因を書かれたらもっとこの文が良くなったのではないかと思いました。

難しいことを書いてしまいました。
失礼しました。
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この回答へのお礼

 貴重な意見をありがとうございました。

お礼日時:2011/07/27 12:12

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