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日清、日露戦争で勝利した日本は何語で交渉して、何語の契約書にサインしたのですか? 当時、中国語やロシア語に精通してた日本人はどのような人ですか?ただの通訳とは思えないです。

A 回答 (2件)

日清戦争の講和条約(下関条約)



  交渉は英語で行われました。←仲介がアメリカなので…。
  (とくに全権弁理大臣[現在の特命全権大使] 伊藤博文は、通訳を介さず自らの英会話で交渉を主導したそうです。)

  講和条約文は英文(また各条項を日本語・漢文訳した文章も作成)で作成され、日本語・漢文訳に差異があれば、英文による解釈を正とすると明確に定められました。

日露戦争の講和条約(ポーツマス条約)

  ロシア側は、交渉で日本側を揺さぶる目的で、あえてフランス語で交渉を行いました。
  (ロシアは日本が相手国や仲介を頼んだアメリカの言葉でないフランス語で話しかける事で、通訳の力量不足を誘い、交渉を有利に進めようとした。)

  ただ、日本全権小村寿太郎(外務大臣)は、この件とはまったく別にフランス語を個人的に習得しており、交渉終了後に通訳を介さずに流暢なフランス語で挨拶をし、ロシアの交渉団を驚愕させたと言うエピソードがあります。

  講和条約文は英文とフランス文で作成され、双方に解釈の差異が有った場合、フランス文による解釈を正とする明確に定められました。
  (ただし、条文作成はアメリカが英文で作成する事を主導したせいで、やたらと冗長で条約文としての優美さを兼ね備えていないと酷評されました。)
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。この交渉はどのように行われてきたのか常に疑問ではありました。すっきりしました。しかし、当時の政治家はすごいですね。あの時代にそんなにマスターできるものなんですね。辞書だってそれほど良かったとは思えませんから。外務大臣の資質もそうあるべきですね。今の外務大臣は英語もまともにしゃべらないと思います。良く電話会談でオバマ大統領と話したなんて出てきますが当然通訳つきですよね。変な感じです。

お礼日時:2011/08/18 08:31

 閉じられていなかったので、ちょっと関連した小ネタを…。



>あの時代にそんなにマスターできるものなんですね。

 伊藤博文が英会話をできたのは、1863年に長州五傑と呼ばれた、井上聞多(馨)、遠藤謹助、山尾庸三、野村弥吉(井上勝)らと共にヨーロッパに密航(留学)しているからです。
 (学問や商業目的の渡航が解禁されたのは1866年)

 井上は、密航の咎が及ぶのを恐れ養家と離別しました。

 なお、伊藤博文は渡航時の持ち物は、間違いだらけだった『英和対訳袖珍辞書』1冊と寝巻きのみと言う、裸一貫でした。

 上海で船を乗り換える際に「お前達は何のために洋行するのか?」と聞かれ、満足に英語が話せなかった一行は、航海術を学びに行くと誤解された様で、ロンドンまでの航海は水夫と同様の扱いを受け、非常に困苦し、また「ジャニー」と呼び軽蔑されたそうです。

 また、日露戦争のときの戦時外債の公募を託された高橋是清は、アメリカへ留学した際、渡航費用や滞在費をホームステイ先の家庭に横領された挙句、奴隷として売り飛ばされると言う苦難に遭っています。

 彼らの世代だと、外国語を学ぶのはこれほどまでのリスクを背負わなければ成らなかったのです。

 小村寿太郎の世代になると、流石にリスク(明治の初頭に帰国した高橋是清は、大学予備門で英語の教師を務める様になる)は無くなりますが…。
 (彼自身は、大学南校(東京大学の前身)に入学し、第1回文部省海外留学生に選ばれてハーバード大学へ留学している。)

 まあ小村はロシア駐在時に医師が「これ以上目を酷使すると、失明する」と警告しても学習を止めなかった程の学習意欲の強い人物ですが…。

>当時の政治家はすごいですね。

 伊藤博文が初代内閣総理大臣に成ったのは、「これからの総理は赤電報(外国電報)が読めなくてはだめだ」と言う語学力を買われての事ですし…。

>良く電話会談でオバマ大統領と話したなんて出てきますが当然通訳つきですよね。

 現在、正式な外交交渉の場では、たとえ交渉担当者が語学に堪能であったとしても、通訳を入れるのは決まりです。
 麻生・鳩山元首相などは英語などには堪能でしたが、通訳を挟みました。

 これは、外交交渉などで使われる語句にいささか特殊な面が強すぎるて、専門の教育を受ける必要がある為です。
 (日本に不利益な事があった時に良く使われる「遺憾の意を示す」は、残念だと思うという意思を示しただけで、謝罪・賠償求めたり報復したりはしませんよと言う意味。外交用語[各国の言葉にも対応する言い回しが存在する]って日常で会話では使わない言葉でやたら複雑で繊細な意味を持つ言葉が多い。しかもそれを通訳の合間と言う短時間で判断して使い分けねばならない…。)

 伊藤や小村の時代だと、まだその様な人材の育成が十分でなく、交渉責任者の力量に掛かる負担が多かった。
 (まあ、両者共に重要な外交交渉における経験が十分に有った訳ですが。)
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この回答へのお礼

補足説明ありがとうございます。日本の時代がそのような偉人を輩出させたのかもしれませんが、彼らの気骨に感服させられます。何でも中途半端はだめですね。よい勉強になりました。

お礼日時:2011/08/19 08:36

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