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特殊相対性理論の2大前提の一つである「光速度普遍の原理」は、「いかなる慣性系から見ても光速は常に一定である」と主張するものですが、次のような思考実験から、これは不可能であるように思われます。

動いている電車の中に、光源と、その光源を挟んで電車の進行方向とその反対方向に等距離の地点に、光を検知するセンサーがあります。電車の中にいる人には、光源から両方向に出た光は同時に2つのセンサーに感知され、一方、電車の外で線路に対して静止している人から見れば、光源の後ろ側にあるセンサーの方が先に光を感知します。さて、この2つのセンサーが同時に光を感知したときだけ電車が停止するような装置が搭載されているとします。この場合、中の人にとっては電車は停止し、外で見ている人にとっては停止することなく走り続けることになります。これは現実にはあり得ません。

光速度を不変とする限り、上記の矛盾は回避不可能であり、「光速度不変の原理」は誤りであることが、この思考実験だけで完全に証明されていることにならないでしょうか。この原理の矛盾を暴露する方法は他にもありますが、このように「光速度不変」が矛盾をはらんでいることについて、皆さんはどのように思われますか?

特に、相対性理論の専門家の方々にお尋ねしたいです。

宜しくお願いいたします。

A 回答 (50件中1~10件)

>さて、この2つのセンサーが同時に光を感知したときだけ電車が停止するような装置が搭載されているとします。



この詳細にもよりますが、とにかく電車の中の人にとって「同時」に光を感知した時に電車が停止するように設定しているのであれば、
電車の外にいる人にとっては特定の時間差Δtで光を感知した時に電車が停止する設定になっている事になります。


電車の中の人にとって同時に光を検知し電車が停止するのであれば、
電車の外の人にとってはΔtの時間差で光を検知し電車が停止する事になります。

どこにも矛盾はありません。

この回答への補足

eatern27さん、ご回答有難うございます。

観測者によって異なる設定が2重に存在することが可能だ、というようなことを認めだすと、それ以降、意味のある議論がもはやできなくなるように思います。そういった曖昧な可能性を排除するために、電車が動き始める前に、双方ともが、コンピュータのプログラムから作動系統まで全て含めて、「同時に光を感知した時にのみ停止する」機序となっていることを確認した上である、という前提を付け加えてもよいと思います。また、Δtというと極微の値のような印象を与えますが、電車の速度を上げることで、時間差は任意に大きくすることができます(10秒、1時間、さらには1日でも可能です)。

補足日時:2011/10/23 05:46
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 答えは簡単、外の人から見ると、電車の後ろのセンサーの方が先に光を感知し、前の方のセンサーはその後で光を感知したように見えるのにも関わらず、電車が停止してしまうだけです。


 相対性理論の考え方では、同時刻とはあくまで相対的なものであり、ある立場の観測者にとっては同時に起こっている様に見えた事が、別の立場の観測者にとっては異なる時刻に起こった様に見えたり、観測者が異なれば、起きる順番が違って見えたりします。

【参考URL】
J Simplicity > Report 相対性理論 > Chapter3 特殊相対性理論の世界
  http://www.jsimplicity.com/ja_Report_Relativity_ …

 特殊相対性理論 - Wikipedia > 3.2.1 同時刻の相対性
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E6%AE%8A% …

この回答への補足

kagakusukiさん、ご回答有難うございます。

張っていただいたリンクは、「同時刻の相対性」の一般的な解説で、ここでの議論にたいする回答を与えてくれるものではないように思います。
kagakusukiさんの解釈はつまり、「客観的」には同時だが、外で見ている人には同時には「見えなかった」だけだ、ということですね。それでは、電車の中にいる人の観測した事実の方だけが客観的事実である、ということになりますが、その偏りは何処から来るのでしょうか?なぜ、外で見ている人の観測した、「同時ではない」という事実の方が、客観的事実ではないのでしょうか?このような根拠のない偏りを導入せざるを得ない時点で、不完全な議論ではないでしょうか。

補足日時:2011/10/23 05:48
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この回答へのお礼

kagakusukiさん、お礼が遅くなり、申し訳ありません。

補足にて一言、お礼は書かせていただいており、「お礼」欄では質問を閉める時に、という心積もりだったのですが、補足の通知は各回答者様のオプションとなっていることを、この度初めて知りました次第です。失礼をお許しください。

皆様のご回答から、今回私の指摘した内容は初歩的な知識不足で的をはずしたものだったとの認識に至りました。。

ただ、「光速度不変」は矛盾をきたすと私が考えた最初の根拠は、実は今回の「同時刻の相対性」に直接言及したものではなく、「時間の遅れ」に関する考察でした。これと同じ論点の指摘はあまりなされていないようで、またそういった指摘に対する、専門家による満足のいく説明をこれまで見たことが無い、そういう内容の思考実験です。(これは既に、♯12の方への補足欄にて示させていただいております。)


ありがとうございました。

お礼日時:2011/10/25 02:51

特殊相対性理論の原理の一つは言わずとしれた光速度不変の原理ですが、もちろん、理論を作る段階で、いわゆる自然の無矛盾性といったものは暗黙の内に仮定されています。


ですから、普通の教科書では、光速度不変の原理と特殊相対性を仮定したときに、矛盾を起こさないためには、むしろ我々の常識的な時間や空間の概念をどのように変更すればよいか?ということを考えます。

これだけ聞くと、ひどい辻褄合わせのようですが、もしその辻褄合わせが実際に実験的に確認されたならば、実はその辻褄合わせの理論こそが、現実を正しく記述していたのだ、ということが分かります。

ですから、光速度不変の原理から矛盾が出てきたときに、「矛盾を回避するためには、どのようなことが仮定されなければならないか?」ということを考え、その矛盾を回避するための仮定こそが、特殊相対性理論の帰結である、と言えます(何度も言いますが、あくまでその正しさは実験で検証されて始めて確認されます)。


> さて、この2つのセンサーが同時に光を感知したときだけ電車が停止するような装置が搭載されているとします。
まず、この装置はどのように実装されているのでしょうか?(どのようにして、異なる二地点にあるセンサーが同時に光を受け取ったのか調べるのでしょうか?)
もし、この世に、どんなに遠くにも瞬間的に(つまり無限の速さで)伝わることができるものがあったならば、このような装置は思惑通りに作ることができます(片方のセンサーに、光を検知した瞬間にその信号を発する仕組みを付けておけばいいです)。
しかし、そのような装置があると矛盾が発生するわけですから、まず「信号を瞬時に伝えるものはない」ということを仮定しなければなりません。
つまり、これがいまの思考実験から導かれる特殊相対性理論の帰結の一つとなります(そして事実、今まで信号を瞬時に伝える方法は発見されていません)。

では、有限の信号伝達速度を使って、このような装置を実装することはできないでしょうか?
ここでは、とりあえず考察の簡単な実装の一つとして、以下のようなものを考えてみましょう。
まず、前後のセンサーを、光を検知したらすぐに新たな光を発する(あるいは鏡のように光を反射する)ものにしておきます。
そして、電車の中央にも光センサーを取り付けておいて、この中央のセンサーが左右から来る光を「同時に」検知したら、電車を停止させるようにします。

電車の中から見る限り、これは確かに「前後のセンサーが同時に光を検知したときにだけ、電車を止める装置」になっています。

しかし、外にいる、地上に静止した人から見たらどうでしょうか?
前のセンサーから出た光が中央のセンサーに届くまでの時間は、後ろのセンサーから出た光が中央のセンサーに届くまでの時間よりも短いです。
ということは、外の人から見たとき、中央のセンサーに左右からの光が同時に届くためには、前後のセンサーが同時に光を検知したのでは、駄目です。
前のセンサーの方が遅れて、光を検知する必要があるのです。

このように、電車の中の人から見て「前後のセンサーに同時に光が届いたときにのみ動作する装置」は、外の人から見たら「前のセンサーに(一定時間だけ)遅れて光が届かないと動作しない装置」になってしまっているのです。
実際にこの装置を使ってご質問の状況を実現すると、前後のセンサーに光が届く時間差がうまく働いて、結局外から見たときにも、電車が停止することになります。
このように、いま述べたような方法で装置を実装するならば、矛盾は起きません。


では、うまく装置を作ることで、(光速度不変を仮定すると)矛盾が起きるようにできるでしょうか?
と、いうのはまあぜひ考えていただいていいのですが、先ほど述べたように、理論を作る段階では、むしろ矛盾が起きないことを前提として、そのためには何が必要か?と考えるわけです。
ですから今は、「このセットアップで光速度不変と合わせて矛盾が起きるような装置はない」ことが特殊相対性理論の帰結として導き出されるわけです。
そして実際(これが重要なのですが)、今まで実験的にも理論的にも、そのような装置の実装は考えられていません。

この回答への補足

ご回答有難うございます。装置の設定を、heboiboroさんの言われるように検知後にさらに光を媒介するものではなく、次のようにしてはどうでしょうか。

前後のセンサーには、あらかじめ同時刻に合わされた同じ性能の時計が搭載されていて、それによって光を検知した時刻をデジタル信号として記録する。前後の位置の違いで時間がずれることはないので、もし、この記録された数値が同じなら、光は同時に到達したことになります。これらの2つの情報はデジタル信号としてケーブルを伝って停止装置に送られ、停止装置はそれらを照合し、同じであれば電車を停止する。(実際に完全に同じであることは有り得ない、と言われるなら、若干の幅を持たせてもよいでしょう。ただし、電車の速度を十分に大きく取って、外から見たときの時間差がその幅よりも確実に大きくなるようにしておきます。)

この設定でもまだ矛盾を回避できますか?

私は、どこまでも「辻褄合わせ」をしてまで「光速度不変」を擁護する必要は無いのではないかと思います。「光速度不変」が間違っているからと言って、それだけで相対性理論が全面的に間違いである、ということにはならないです。

むしろ、相対性理論は大筋では正しいのではないかと思っています。推論が正しい限り、「正しい仮定から間違った結論が導き出される」ことはあり得ませんが、「間違った仮定から正しい結論が導き出される」ことは論理的にあり得ることですから。ただ、「光速度不変」はやはり矛盾しており、真理ではないと思うのです。

相対論を支持するとされる多くの「観測事実」について、実際に何処まで正確に予言値と一致しているのか、私には分かりませんが、それらが本当に理論値と相当程度に合致しているとしても、それは「光速度不変」という謎めいた(そしてまたある意味で至極便利な)原理によるのではなく、何かもっと別の理由があるはずです。(繰り返しになりますが、間違った仮定から正しい結論が導き出されることは論理的にあり得ることです。)既存の理論にどこまでも固執するのではなく、より包括的で矛盾の無い理論を追求する姿勢は常に維持しておくべきではないかと思います。

補足日時:2011/10/23 06:20
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この回答へのお礼

heboiboroさん、お礼が遅くなり申し訳ありません。

ご親切なご回答有難うございました。

>光速度不変の原理から矛盾が出てきたときに、「矛盾を回避するためには、どのようなことが仮定されなければならないか?」ということを考え、その矛盾を回避するための仮定こそが、特殊相対性理論の帰結である、と言えます

確かに、このご指摘が成立するほどに、「光速度不変の原理」は自己完結性が強く切り崩す隙の無い概念であるようです。
今回いただいた皆様のご回答から、恥ずかしながら、私の主張は単純に知識不足で的をはずしたものであることに気付かされました。

しかし、「光速度不変」が矛盾すると私が考える第一の根拠は、実は今回提示させていただいたものではなく、「時間の遅れ」に関する考察でした。こちらを先に提示すべきだったと反省しています。これと同じ論点の指摘はあまりなされていないようで、またそういった指摘に対する、専門家による満足のいく説明をこれまで見たことが無い、そういう内容の思考実験です。(これは既に、♯12の方への補足欄にて示させていただいております。)

ありがとうございました。

お礼日時:2011/10/25 03:08

マクスウエルはそれまでの電気・磁気の法則をひとまとめにして電磁方程式として発表しました。


その電磁方程式によれば、光の速さはその場の透磁率と誘電率で決まります。
真空の透磁率と誘電率は速度の影響を受けないので、光の速さもその場の速さの影響を受けない事になります。
電気・磁気の法則に疑う根拠は無いので、光の速さが変化しない事も正しいと思われました。
この事はマクスウエルの電磁方程式が発表されてすぐの事です。
そうは言ってもにわかには信じられない事なので、本当かどうかを確かめる実験が行われました。
色々な実験により真空中の光の速度が変わらない事が確かめられたのです。
マイケルソン、モーリーの実験もその一つです。

光速度が不変である事は、理論と実験に裏打ちされた事実です。
光速度が不変で無いとしたら電磁気の理論が間違えている事になります。
そうなれば、電磁気の理論に基づいて作られている電気製品も正しく動かない事になります。
電気製品がマクスウエルの理論通りの動作をし、なおかつ光の速度が変化する法則を作らなければ説明が付きません。
相対論は間違えていると主張する人で電磁気の理論を作りなおした人を見た事はありません。

以上、専門家では有りませんが。

この回答への補足

tadys さん、ご回答有難うございます。

マイケルソン、モーリーの実験は、光源に対して運動している観測装置によって計測したのではない、という点が非常に重要ではないでしょうか。この実験結果は、正確には、「エーテルは存在しないか、エーテルが仮に存在するとしても、地球とエーテルの相対速度はゼロである」ことを示しているに過ぎないと思います。

電磁気学が確立された理論体系であることは承知しています。「光速度が不変であることは電磁気学の理論的要請でもある」と一般にされていますが、その「理論」の解釈のしかたを再検討する余地は十分にあると思います。

あと、私の提示させていただいた矛盾に対しては、どのように処理されますか?このような矛盾が回避できない限り、「光速度不変」は誤りである、ということを認めざるを得ないではないでしょうか。

補足日時:2011/10/23 06:44
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物理の基本的な考え方が間違っています。


「光速度普遍の原理」は実験を繰り返したことから得られた結論です。
これはニュートン力学と同じように測定結果から得られた結論です。
そうしてニュートン力学は多くの物理現象を数式で表して結果を導くことができる理論体系を構築することができたのです。

相対性理論は光速度普遍が実験結果から得られた事実として受け入れぜるを得るをえない結果として認めることで構築されたもので高速度で運動する場合に空間と時間の常識を変えるものでした。
その結果が空間と時間は関数で結びついており2つの地点で、高速度で移動している2つの慣性系で、同時という見方は意味がなくなっています。
宇宙空間で遠くに見える銀河で今何が起きているかを考えことは、単なる空想であり知る手段の無い意味の無いことなのです。
そうしてこの構築された理論によって、質量はエネルギーに変換でき、高エネルギー粒子の寿命が長くなって観測される事実を計算できることができるのです。
ニュートン空間で矛盾と思える事象は、相対性理論で普通に説明できることです。

この回答への補足

tetsumyiさん、ご回答有難うございます。

>実験結果から得られた事実
「光速度不変」は、光源に対して運動している観測装置によって計測した結果ではないですよね。この点が決定的に重要だと思います。

tetsumyi様のものを含め、これまでにいただいた皆様の回答から、「光速度不変」の矛盾を、「同時刻の相対性」によって示すのは、どうやら難しいことは分かりました。(この点は勉強不足で、お恥ずかしいです)。

しかし、最初に述べました通り、「光速度不変」の矛盾を示す方法は他にもあります。もう少し、お付き合いいただけるなら、No.12の方の回答への補足にて、別の思考実験を提示させていただきましたので、そちらの方を見ていただきたいと思います。

宜しくお願いいたします。

補足日時:2011/10/24 02:10
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この回答へのお礼

tetsumyiさん、お礼が遅くなり申し訳ありません。

「同時刻の相対性」の議論において私が間違っていたのは、静止系から見た場合の列車内の「位置による時間差」を考慮していなかった点です。

>光速度普遍が実験結果から得られた事実として受け入れぜるを得るをえない結果として認めることで

しかし、別の角度から見れば、「光速度不変」は「直接」確認されたわけではなく、厳密には「仮定」の域に留まるものであるというのは否定しがたい事実です。この点に関しては、否定できる者はこの世に誰もいないのです。

(私が「光速度不変」の矛盾に思い至った第一の考察は、実は今回のものではなく、「光速度不変」が間違いである、という考えは変わっておりません。)


ありがとうございました。

お礼日時:2011/10/25 04:13

矛盾は離れたところで同時に起きた出来事が誰から見ても同時であると見なした事が原因です。



電車が止まるのであれば、電車に乗っている人から見ても、地上の人から見ても電車は止まります。
それは単に、電車に乗っている人から見るとセンサーが同時に光を検出したから止まったのであり、
地上の人から見るとセンサーが異なる時刻に光を検出したから止まったのです。

離れた場所で起こった出来事が同時刻かどうかという事は立場が違えば異なるので、電車で同時刻に起こった事が地上で異なる時刻に起こる事は矛盾では有りません。

この回答への補足

tadysさん、再度のご回答に感謝いたします。

言い換えれば、こういうことですね。

(前後の時計をA、Bとすると)電車の外の人にとっては見かけ上、Bの方がAよりも後に光を検知するにも関わらず、電車は停止する。外から見たとき、光はBの方に遅れて到達するが、Bの時計もその分遅れており、到達した時点で時計の指す時刻は結局同じになるからである。よって、何ら矛盾は無い、と。(間違っていたら申し訳ありません。)

皆さんのご回答から、「光速度不変の矛盾」を「同時刻の相対性」を用いて示すことは難しいことはわかりました。(この点は勉強不足であり、お恥ずかしいです。)

しかし、最初に述べました通り、「光速度不変」の矛盾を示す方法は他にもあります。No.12の回答への補足にて、別の思考実験を提示させていただきましたので、よろしければ、そちらの方も見ていただければと思います。

ありがとうございました。

補足日時:2011/10/24 02:44
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この回答へのお礼

tadysさん、お礼が遅くなり申し訳ありません。

2度にわたってのご回答有難うございました。

補足にも書かせていただきましたが、皆様にいただいたご回答から、「同時刻の相対性」の概念は自己完結性が強く、矛盾の指摘をなかなか受け付けないものであることに気付かされました。私の初歩的な知識不足ゆえで、恥じ入っております。

ただ、光速度不変が矛盾すると私が最初に考えた根拠は今回のものとは別のものでした。それは「時間の遅れ」に関する考察で、専門家による満足のいく説明をこれまで見たことが無い、そういう内容の思考実験です。(これは既に、♯12の方への補足欄にて示させていただいております。)


ありがとうございました。

お礼日時:2011/10/25 03:25

まず、回答を読んでもらう前の確認事項ですが



・矛盾とは
「矛盾」とは矛と盾の故事の如く「何かと何かが同時に成立しないこと」ですので、
矛盾という言葉を用いた時、そこには同時に成立しない主張Aと主張Bが存在します。
この時、A,B少なくともどちらか一方が間違っている。という結論に至ります。
しかし、そのどちらが間違っているかについてこの言葉は言及していません。


つまり
<<このように「光速度不変」が矛盾をはらんでいる
というのは誤用で、
「光速度不変」は文中で設定した「何か」に対して矛盾しています。
この「何か」の正体を洗いださなければなりません。



相対性理論では
「光速度不変」を認めています。
そして電車の思考実験で得られたように、
電車に沿った慣性系を基準に考えると、光は電車の両端に同時に到着。
電車の外の慣性系を基準に考えると、光はΔtの時間差で両端に到着します。

<<kagakusukiさんの解釈はつまり、「客観的」には同時だが、外で見ている人には同時には「見えなかった」だけだ、ということですね。
それでは、電車の中にいる人の観測した事実の方だけが客観的事実である、ということになりますが、その偏りは何処から来るのでしょうか?

とありますが、相対性理論が主張しているのは
・「同時に見えなかった」のではなく「実際に同時に到着していない」
・「客観的な同時」など存在しない
ということです。
言い換えるなら、
・「別の慣性系を基準にすると2点の時間が(本質的に)ずれる」
という主張です。


「相対性」は「絶対的な基準は存在しない」ことを表しています。
「同時刻の相対性」は
「異なる2点が同時刻であるかどうかに、絶対的な基準はなく。それぞれ基準とする慣性系ごとに異なる」
という意味です。

<<観測者によって異なる設定が2重に存在することが可能だ、というようなことを認めだすと、それ以降、意味のある議論がもはやできなくなるように思います。

とありますが、勿論そこから議論ができて
それぞれの位置での時刻のずれは以下のような数式で表されます。

x'=γ(x+vt)  
t'=γ(t+βx/c)
(β=v/c、γ=1/√(1-β^2)

* x,t :慣性系1における位置、時間 x',t' :慣性系2における位置、時間 v :慣性系1、慣性系2の相対速度
(つまりローレンツ変換と呼ばれます)

二番目の式を見てもらうとわかる通り、別の慣性系における時刻t’は基準とする慣性系のに対して座標xに応じたずれを生じます。
むしろ相対性理論の出発点はここからです。


話題を
「光速度不変が何に対して矛盾しているか」に戻します。
相対性理論では、(つまり光速度不変を認めれば自動的に)
「電車に沿った慣性系の異なる2点で同時に起こった2つのあらゆる現象は、電車の外の慣性系を基準にするとΔtの時間差で起こっている」
ことになります。
これは、装置を含めたあらゆる物理現象に対して言及しているので
「異なる2点の同時を感知する装置」は別の慣性系では必ず「異なる2点のΔtを感知する装置」になります。

結局何が矛盾していたのかというと
「光速度不変が求める、慣性系の違いによる本質的な時間のずれ」と
「どの慣性系でも同時が定義できる装置を使う、という設定」
が互いに矛盾する(同時に成り立たない)。ということです。

先に述べたように、この矛盾した2つの主張のどちらが間違っているか
ということまでは、この思考実験からは言及できません。

「客観的な基準は必ずあるはずだ」という主張を、光速度不変に適用すれば矛盾が生じるのは当たり前なのです。
だって「相対性」理論なんですから。

この回答への補足

cocacola2010さん、ご親切なご回答に感謝いたします。

これまでにいただいた皆様の回答から、「光速度不変」の矛盾を、「同時刻の相対性」によって示すのは、どうやら難しいことは分かりました。(この点は勉強不足で、お恥ずかしいです)。

しかし、最初に述べました通り、「光速度不変」の矛盾を示す方法は他にもあります。No.12の方の回答への補足にて、別の思考実験を提示させていただきましたので、よろしければ、そちらの方も見ていただければと思います。

ありがとうございました。

補足日時:2011/10/24 02:36
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#3の補足について



前後のセンサーには、あらかじめ同時刻に合わされた同じ性能の時計が搭載されていて、それによって光を検知した時刻をデジタル信号として記録する。前後の位置の違いで時間がずれることはないので、もし、この記録された数値が同じなら、光は同時に到達したことになります。これらの2つの情報はデジタル信号としてケーブルを伝って停止装置に送られ、停止装置はそれらを照合し、同じであれば電車を停止する。(実際に完全に同じであることは有り得ない、と言われるなら、若干の幅を持たせてもよいでしょう。ただし、電車の速度を十分に大きく取って、外から見たときの時間差がその幅よりも確実に大きくなるようにしておきます。)

これは簡単。
外の系から見て二つの時計が同期していないから。中の系で同期した時計は外から見て同期していません。中央から出た光を二つのセンサーが検出するタイミングは、外の系から見ると同時ではありませんが、センサーの横にある時計の指す時刻は外から見ても同じ時刻になっているのです。

このことを考えるためには"同時性"というものをもっと突っ込んで考える必要があります。中の人から見て時計が同期しているとはどういうことでしょうか。一つの時計のすぐ横にいる人が離れた時計を見て二つの時計が全く同じ時刻を指していることを同期しているというのでしょうか。実際にはすぐ横にある時計のほうが先に進んでいます。遠い時計の時刻を見るためにはその時計から出た信号(光とか)を捉える必要がありますが、その信号の伝達速度が有限である以上どうしても時間がかかってしまうのです。つまり、同じ系にあっても同時というものについては深く検証する必要があるのです。

この回答への補足

rnakamraさん、ご回答有難うございます。

これまでにいただいた皆様の回答から、「光速度不変」の矛盾を、「同時刻の相対性」によって示すのは、どうやら難しいことは分かりました。(この点は勉強不足で、お恥ずかしいです)。
皆さんのご回答に共通した趣旨は、結局のところ以下のようなものと理解しています。

電車の外の人にとっては見かけ上、Bの方がAよりも後に光を検知するにも関わらず、電車は停止する。外から見たとき、光はBの方に遅れて到達するが、外から見たBの時計もその分遅れており、到達した時点で時計の指す時刻はAと同じだからである。よって、何ら矛盾は無い、と。(これで間違いないでしょうか?)

しかし、最初に述べました通り、「光速度不変」の矛盾を示すための思考実験はこれだけではありません。No.12の方の回答への補足にて、別の議論を提示させていただきましたので、よろしければ、そちらの方も見ていただければと思います。

補足日時:2011/10/24 02:28
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この回答へのお礼

rnakamraさん

お礼が遅くなり申し訳ありません。

実質的な御返事は補足の方にて書かせていただいておりますので、お目通しいただければと思います。
(もし、既にご覧いただいている場合は、ご容赦ください。)


ご回答有難うございました。

お礼日時:2011/10/26 02:21

 ええ、だから異なる慣性系の間には「同時刻の相対性」と呼ばれる現象があるわけですね。



 中から見たら同時。でも外から見たら同時でない。同じ物理現象で違う因果関係は認められない。ならば、外から見たら、「中では合わせてあるはずの時計」は合ってない。そういう話ですね。

 お示しのような類似のパラドクス、といっても、わざと同時刻の相対性を考慮しないと矛盾が出るだけで、それを考慮すれば何の問題もないことが分かるんで厳密にはパラドクスではないですが、そういうパラドクスが特殊相対論学習者にテスト問題として出たりするんですね。

 もっとも、有名なのが「双子のパラドクス」、次いで有名かもしれないのが、お示しのと結構にているのが「車とガレージのパラドクス」でしょうかね。

 この「同時刻の相対性」は、勉強していても、ついうっかりしやすいのか、手を変え品を変えて、学生へのテストによく出題されているようです。

この回答への補足

cozycube1さん、ご回答有難うございます。

これまでにいただいた皆様の回答から、「光速度不変」の矛盾を、「同時刻の相対性」によって示すのは、どうやら難しいことは分かりました。(この点は勉強不足で、お恥ずかしいです)。

しかし、最初に述べました通り、「光速度不変」の矛盾を示す方法は他にもあります。No.12の方の回答への補足にて、別の思考実験を提示させていただきましたので、よろしければ、そちらの方も見ていただければと思います。

補足日時:2011/10/24 02:23
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暇なときにちゃんと勉強してくださいね。



特殊相対性理論に於いて 観測者が見ているのは
相手の過去の姿なんですよ。現在を見る事は出来
ないんです。お互いにね。

もしかして中学生ですか?(´ω`;)
あまり無理しないで地道にやってくださいね。

この回答への補足

GA_CK_UN さん、ご回答有難うございます。

中学生でもいいじゃありませんか。

>観測者が見ているのは相手の過去の姿 …?

見えるのは過去に発された光だけである…

だから何だと?

補足日時:2011/10/24 02:20
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