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浄土真宗本願寺派(西)の者です。

先日父が亡くなり、仏壇を買い求めました。
置き場所や予算の関係から、仏壇はかなり小さめのサイズ(幅43Cmの上置き仏壇)です。
御本尊をお迎えしなければならないのですが、調べていくうちに、正式には本願寺から入手するものだと知りました。
お寺に聞きましたところ、ご本尊は絵像、脇掛けは親鸞聖人と蓮如聖人のご影像となるとのことですが、仏壇が小さいため20代のサイズを三幅飾るのはやや無理がありそうです。

そのような場合、ご本尊だけでも問題がないのか(20代特小)、あるいは無理をしてでも三幅にしたほうがいいのでしょうか。
電話という事もあり、御住職のほうとは深く話しをすることはできなかったのですが、こうしたほうがいいと特に強く勧められるということはありませんでした。

また、仏具店等で売っている町版のものであれば小さいものがあるため、そちらを飾っても問題ないのでしょうか。
仏具店に聞いたところでは、当社でも正式な御本尊を取扱可能ですが、実際は御本尊を本山から正式に授与される方は全体の2~3%程度だとのことでした。

また、これは私の心情的なものなので、お寺の方などにはお叱りを受けそうなことなのですが、仏様を飾るのであれば絵よりも仏像(木仏)を飾るほうが、拝む際にも何となく有難味がある(拝む気持ちが増す)ように思っていたのですが、浄土真宗の場合は実際には逆だとのことですね(文字>絵>仏像)。
ただし、これも仏壇屋の話しでは半数くらいは私と似たような感覚で仏像をお求めになられるとのことでした(と言っても対応的に、利益の出るほうを勧めているというわけではありませんでした)
この仏像に関しても、木仏検査でお墨付きがでるような立派なものではありません。

まとめますと、
1.本願寺公認の正式な本尊のみ
2.本願寺公認の三幅 (置けなくもないが、仏壇内のスペース的にやや無理がありそう)
3.木仏のみ
4.木仏+町版の小さな脇掛け
5.町版の三幅揃い
で、どれにすれば良いのか迷っています(費用の問題もあります)。

私としては本願寺公認の三幅があるということを知る前は4がいいかなと勝手に考えていたのですが、有識者の方にどうすべきかの御意見をお聞かせいただけたらと思います。
よろしくお願いします。

A 回答 (5件)

余り深く考えられなくても構いませんよ。

本願寺からの物が正規かも知れません
が、家庭の事情により正規な御本尊様が御迎え出来ない事もありますので、無理
に正規な物を飾らなくても、略式な物でも差し支えないと思います。

御盆損様は仏様を御守りして頂くために居られますから、あくまで主役は仏様で
すから、無理をして公認とされる正式な御本尊様でなくても、略式であろうとも
十分に御守りして頂けるはずです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
仏具屋さんなどの一般的な意見は大体そのようでした。
私もそれでも別に構わないのかなとも思っていましたが、御住職の意見をお伺いすると、正式なものにしたほうがいいのかなと思いました。
しかし、精神的な問題ですので最終的には人それぞれだとは思います。
もう少し考えてみますが、正式なものにしようかなと思っています。

お礼日時:2011/11/01 11:16

おはようございます。



私は浄土真宗(東系)の住職をさせていただく者です。
質問者様はお西ということですが、東と西ではさほど大差はありませんので回答させていただきます。

やはり正式な物は御本山から御下付いただいたご本尊です。
何故、「正式な」ということを申し上げるかというと、御本山からの下付ということは、御本山からお許しを頂いた御本山のご本尊の分身を頂くという事なのです。
お仏壇屋さんの作られた本尊では本山のお許しを頂いた分身という意味合いがありません。
ですので「正式な」という表現を使うのです。

脇掛けはお西は絵像ですね。
お仏壇の場合はやはり正式な物は御本尊も御木像ではなく絵像です。
御木像は寺院のみ許される本尊なのです。
これにはシステムがあります。
御本山は阿弥陀如来の御木像・宗祖親鸞聖人も御木像です。
末寺は阿弥陀如来は御木像・宗祖親鸞聖人は絵像です。
門徒のお仏壇はすべて絵像になります。
これは、御本山の本堂の分身が末寺の本堂であり、末寺の本堂の分身が門徒のお仏壇になるのです。
門徒は阿弥陀如来の御木像をお参りするために末寺の本堂に行きます。
末寺の住職及び門徒は宗祖の御木像をお参りするために御本山に行くのです。
このシステムを崩すことの無いように正式な御下付されるご本尊は絵像となるのです。

三幅のお飾りが難しいようであればご本尊のみということになるかと思います。
御本尊のみでも御本山からの御下付はしていただけます。

このことを踏まえた上でお考えになられては如何でしょうか。

お仏壇は、亡くなられた方が入る場所ではありません。
極楽とこの世をつなぐ出入り口です。
先の人を敬い偲ぶことは大切なことですが、先の人がこの世を卒業されて後、お生まれになられた先(極楽浄土)を拠り所としてお参りする場所です。
質問者様が心からお参りする気持ちになれるようにしていただければと願います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
お寺の御住職のご回答ですから、これが正式ということになるのでしょうね。
お話を伺い、自分の勝手な考えで中途半端なことをせずに、正式な御本尊をお迎えするのが正しいのだろうと、今、考えを改めています。

私、というか、多くの日本人がそうなのかもしれませんが、日本で暮らしていますので自然と仏教的な思想を持ってはおりますが、実際は無宗教に近いです。
御本尊に手を合わせるというよりも、亡くなった人に手を合わせる気持ちのほうが強く、
そういう意味で、本来の浄土真宗の信仰ということからは外れているように思います。
しかし、今回の件に関しては町版の掛け軸や仏像に対しての強いこだわりもありませんので、正式な御本尊をお迎えするほうがいいだろうなと思いました。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/11/01 11:17

No2の回答者です。


補足で説明させてください。

本尊に手を合わせるのではなく、亡くなった人に手を合わせる意識・・というのはその通りです。
御本尊は方便法身の像と言って、私たちをお救いくださる働きを表したものです。
人が亡くなると往生と言います。
これは、いのちの源に帰るということです。
もっと言えば、極楽からこの世に生れ出て、この世の役割終えた時に極楽に帰るという事です。
この世をご卒業された方は御本尊の下におられるのです。
ですからご本尊に手を合わせる=亡くなった人に手を合わせるということなのです。
このことから、お仏壇は亡くなった人の帰られた極楽を表し、亡くなった人に想いをはせる場所なのです。
ただ、他の宗旨では位牌を亡くなった方の分身としてお飾りします。そこで誤解が生まれるのかもしれません。
浄土真宗では亡くなられた方は、位牌ではなくご本尊と一緒におられるというのです。
ですので御本尊をより大切にお扱するのです。

以上 補足失礼いたしました。
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この回答へのお礼

再度ありがとうございます。
本尊に手を合わせる・・ということについて、私の思うところを書いてみます。

私は強い信仰心があるわけではありませんが、落ち着いて仏像を拝見する機会があると自然に手を合わせようと言う気持ちになります。それは、家の宗派である浄土真宗の御本尊である阿弥陀如来だからというわけではなく、他の仏様や、畦道の隅にいらっしゃるお地蔵様に対してでも同じことです。これは日本に暮らす日本人としての仏教感(と神道感)が自然に体に染みついているのではないかと思います。

一方で、「南無阿弥陀仏」や「南無妙法蓮華経」と書かれた掛軸を見ることはあっても、それに手を合わせようという気持ちになった事はありませんでした。
(絵の仏様にしてはその中間というところです)

あまり信仰心も持たない俗物の私としては、木像の仏様を祀ったほうが自然に仏壇の前で手を合わせ、故人(あるいは仏様)をより大切にする気持ちが強くなるのではないかと考え、木像の仏様が良いのではと思いました。
また、本山が認めた正式なもの以外は認めないということであれば、確かにそうなのかもしれませんが、もしもきっぱりと否定されるのであれば、若干の違和感があることも事実です。

浄土真宗の御住職の立場からすると、このような考え方は邪道なのかもしれませんが、宗派などにとらわれないほぼ無信仰の私の今までの感覚はこのようなものです。

私に限らず、こういう考え方を持つ人は少なくないようにも思いますし、私自身、別にご回答いただいた一般の方の意見も理解できます。
こういうわりと一般的な感覚について、御住職はどのように思われるのでしょうか?

お礼日時:2011/11/02 11:49

再び回答させて頂きます。

我家は浄土真宗ではなく真言宗ですが、真言宗にも
当然ですが御本尊様は居られます。以前の我家では御位牌があるだけで御本尊
様は居られませんでした。御寺からのアドバイスで御本尊様を御迎えした方が
良いと言われ、それ以来御本尊様を御迎えして御祭させて頂いています。

我家でも御寺の方から掛け軸の絵像の御本尊様の種類を見せられましたが、我
家ではスペースの問題で御祭が出来ない事を御住職様は御存知だったので、無
理に購入する必要は無いと言われ、仏具店で同じ物があるから、それを購入し
て御祭するように指示されました。

こんな事をいったら御寺に怒られるかもしれませんが、御寺で購入したら利益
は全て御寺の物になります。仏具店で購入すると紹介料さえ入りませんから、
御寺は出来るだけ御寺側が勧める御本尊様の絵像を売りたい訳です。
御寺で買おうと仏具店で買おうと、御利益は全く変わりませんから、あなたの
家で飾られる大きさの物を買いなさいとアドバイスを受けました。

御本尊様の絵像が描かれているなら、値段や大きさに関わらず御利益は同じで
すから、御祭が出来ないのに無理に購入しても意味がありませんので、仏壇に
御祭が出来るサイズの物を買い求められたらどうでしょうか。
あまり見栄を貼っては御先祖様も御喜びにはなられません。
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この回答へのお礼

再度、ありがとうございます。
まず、サイズの問題に関しては、仏壇が納品されてから同サイズの掛軸を自作して詳細に検証してみます。実はまだ仏壇が納品されていないのでした。
入らなければ無理はしないでおこうと思いますが、正式なご本尊の一番小さなサイズであればサイズ的には大丈夫だと思います。ただし、その場合は脇侍がありませんので本尊のみになってしまいますが。

見栄を張るというつもりはありませんが、お寺側の考えも確かにその通りだと思うところもありますし、出せない金額でもないため、素直に正式なものをお祀りするほうがいいかとも考えます。
しかしながら、信仰心があれば、極端な話し、自分でカラーコピーしたものを厚紙に張って、それを拝んでも間違いではないと思います。
このへんは精神的な部分でもあり、なかなか難しいところかなと思いますが、形にとらわれることはないのではないかとも私も思います。
それぞれの立場もあり、難しいですね。

お礼日時:2011/11/01 23:12

こんばんは。


No2・No3の回答者です。

ご質問について、住職としての意見を書かせていただきます。
佛像の方が手を合わせやすいという質問者様のご意見はもっともかと思います。
一般的には解りやすいということですね。
私のお伺いさせていただくご門徒のお宅でも御本尊が佛像の場合も何軒かあります。
いけないという事ではなく、一般仏壇用には本願寺から受けた佛像は無いということです。
仏具屋さんで佛像ではなく絵像の御本尊をお迎えされるのなら御本山からお迎えなさってくださいということです。
価値観で申し上げれば、絵像の場合は質問者様がコピーして表装したものと、仏具屋さんから買い求めたものは同じですよということです。
絵像とか名号ではなく、佛像でなければ手を合わせる気持ちになれないということであれば、佛像になされたらよろしいのではないですか?
この辺りは質問者様のご判断です。
仏壇の大前提は「手を合わせる気持ちになれること」ですから・・・。

浄土真宗の考え方は、御本尊を私がお参りすることではなく、毎日の私が阿弥陀如来によって御守されていることを感じるということです。
ですから、御本尊を前に自然に手が合わさる心を頂いてくださいと申し上げるのです。
ここまでのお心を頂くには信心という話になってきますので、これからの質問者様のお心次第です。
信心を頂くことが出来た時に、佛像より絵像、絵像より名号という蓮如上人のお心に近づくのではないのでしょうか。

「お参りする心になれないお仏壇はただの箱です。」
ですから、手の合わさる気持ちになれるお仏壇になさってください。
間に合わせで購入したお仏壇では埃が積もります。
お仏壇にも顔があります。
じっくりと選んで、納得された物を購入なされることをお勧めいたします。

最後に、私が質問者様の立場で、佛像をお迎えしたいという気持ちでいるなら、御本尊は佛像でじっくりと選び、両脇掛けを御本山より御下附いただきます。

以上です。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。

御住職のお立場としてのお考えや価値観が私なりに理解できたように思います。
後は、今後お世話になるお寺の御住職や、母とも相談して結論を出したいと思います。

何にしても、かなり調べてから購入するほうなのですが、仏壇に関しては、とても小さなものですが、私自身が無垢材にこだわりがあるため、総無垢で作られたものを購入しました(納品は明日の予定)。
仏壇が納品されましたら中のサイズもわかりますし、イメージも掴めると思います。
掛軸にする場合は、20代のサイズが仏壇に入るのであれば正式なものにしようかと思っていますが、いずれにしても結論が出ましたら、またここで報告させていただきます。

「佛像より絵像、絵像より名号」という蓮如上人のお心についてですが、私のような何も勉強をしていない者が知ったような事を言うのも気がひけますが、私が想像するには、浄土真宗を広めるための方便だったように思えてなりません。

仏壇を家に設置するように広めたのは蓮如上人ということですが、その際に人々は「お坊さんよお、御本尊様はどうすんだ?」「御本尊様がいねえとなぁ」ってことを言ったのではないでしょうか。
仏像は簡単にできるものでもありませんし、絵画の仏絵にしても絵心が無いとそれらしく描けません。そこで上人は「南無阿弥陀仏」と紙に書いて配り、これを御本尊とするようにと言われたのではないでしょうか。
人々は「これが御本尊?なんか納得いかねえなぁ」という顔をしたのですが、上人は、人々を納得させるための方便として「佛像より絵像、絵像より名号」と言ったのではないか?、と私は思いました。
もちろん、そこには偶像崇拝ではなく本質を捉えよという意味もあったのだろうと思います。

ただ、「佛像より絵像、絵像より名号」であるとすれば、本山に御本尊として名号があり、各寺には絵像、門徒は佛像があるという、全く逆でもおかしくないのかなと思いました。あるいは全て名号にするとか・・。
(このことについては私の浅はかな想像に過ぎません。もっと深く学び、信心が得られれば間違いに気づくのかとも思います)

何度もアドバイスをしていただきまして、本当にありがとうございました。

補足日時:2011/11/04 09:45
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この回答へのお礼

最終的な報告をさせていただきます。

結論から書きますと、20代サイズの正式なものを三幅、御本山からいただくことにしました。理由は以下のとおりです。

・20代サイズでも仏壇に入ったこと。
・それよりも小さい20代特小サイズのほうがゆとりがありましたが、このサイズは御本尊のみしか無かったこと。
・私が色々と調べましたが、それを母に説明し、最終的には母の意見を尊重しました。
母に強いこだわりがあったわけではありませんが、性格上、オーソドックスなもの、無難なものを選択する傾向があるため、正式な御本尊にしたほうがいいのではないか、また、御本尊のみではなく、三幅にしたほうがいいのではないか、ということになりました。

決めた翌日に、お世話になっている御住職にも再度お会いして話しを伺いました。
昔はそうでもなかったが、最近は本山より下付された正式なものにして下さいと、本山側より勧められているとのことでしたが、特にこだわられているような言葉も無く、「仏具屋さんにもありますよ」とのことでした。
やや拍子抜けしたような気持ちにもなりましたが、昨日話しあって決めた事もあり、再考はしませんでした。

今回の件では色々とお世話になり、ありがとうございました。

お礼日時:2011/11/07 09:26

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